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朝の会議と薔薇の首飾り





目を覚ますと、雪の降る朝だった。

しんしんと降り続ける雪は庭園に降り積もり、窓の向こうに見えていたかやの木はもう無くなっている。

王妃の庭園に続く扉に飾られていたリースも無くなっていて、庭園に積もった雪の上の靴跡ももう隠されてしまっていた。




リベルフィリアはもう終わったのだ。

夢のような時間を暫し振り返り、幸福な時間というものの煌めきを揺蕩う。



ふわりと漂うふくよかな薔薇と甘い砂糖菓子のような香りに、朝の紅茶だろうかとむくりと体を起こし、ディアは素早く枕の下に手を差し込んだ。




(……………あった)




そこから取り出された水色の袋の中には、昨晩のリベルフィリアの町で、ノインに買ってもらった薔薇の小枝のオーナメントが入っている。


こうして朝の光の中で見ると僅かにミントグリーンがかっている結晶石は、昨晩のようには煌めかないものの得も言われぬ美しさは相変わらずであった。


袋から取り出してうっとり眺めていると、何だかにやにやしてしまい、ディアはきりりと表情を引き締め直す。




今宵は、あの嵐の夜から続くディアの人生の、満願成就の夜になる。




仮住まいのような落ち着かなさはとうとう失われないままであったが、それでもいつの間にか日常の景色になった部屋を見回し、もう一度手に持ったオーナメントに視線を落とす。


するとどうだろう。

ざわざわと不穏に波打っていた心の水面が、ぴたりと静まり返るではないか。

ディアは静かに瞬きをし、手の中できらきら光るオーナメントをそっと撫でた。


目を閉じても、その煌めきがダイヤモンドダストのように心の深淵にはらはらと降り続ける。





(そろそろ、ディルヴィエさんが起こしに来てくれる時間になるから………)



そう考えてふうっと息を吐いたディアは、隣を見てまたしてもぎくりとした。

なぜかまた、寝台の隣の区画に水色の髪が見えているではないか。


気付いた時に心臓が止まりそうになるので、布団に包まって寝るのはどうかやめていただきたい。




「……………またしても不法侵入者が」

「おはようございます、ディア様。ご不快でしたら、そちらの方は寝台から落として構いませんよ」

「おはようございます、ディルヴィエさん。その、落とすのも大変そうですし、私はもう起きますので、この精霊さんはこちらに捨て置こうと思います」

「それも良いお考えですね。ノイン様の祝福を得られたようですので、今朝の紅茶は良いものをご用意いたしましたよ」

「……………祝福」




ここで、ディアは昨晩の口づけの事を思い出してしまい、寝台で半身を起こした姿勢のまま、びゃんと飛び上がった。


ぽふんと赤くなり、無言でお尻垂直跳びを見せた人間に、夜明かりの妖精は、おやおやと微笑んでいる。



「……………しゅ、しくふくなのですから、………その、しくふくです!」

「おや、言えておりませんよ。そして、ノイン様ほどの高位の方となりますと、付与するものも稀有なるものになりますので、心の伴わない祝福を与えられる事はありません。種族が違う事で認識の差異があってはいけませんからね。その旨は、重々ご承知いただきますよう」

「……………しふしく」




あまりの精神的な思い出の破壊力に、ディアは儚くそう呟くとぜいぜいした。

しかし、じっとこちらを見たディルヴィエに、少しだけ考えてからこくりと頷く。

こんな時に、人間がどうするべきかというと、それをきちんと喜ばなければならないのだろう。



「……………はい。私が思うよりずっと、こんなにも我が儘な人間に、ノインはとても優しかったようです」

「ディア様、そのようなご認識はお改め下さい。精霊の執着は許容ではありませんよ。人間と違い、我々は自身の欲するものしか求めません。それは、同情や慈愛で与えられる屑石のようなものとは比較になりません」



考えて返答したつもりがぴしゃりとそう言われてしまい、ディアは目を瞬いた。


謙遜したと言うよりは、まだ探り探り歩いている段階なのでそのように答えたのだが、ディルヴィエは少しだけ不愉快そうな表情をしている。



(そうか。このような認識は失礼なのだわ)



また一つ、人外者のことを知り、ディアは、どうしたものかなと考えた。


ノインとのこれ迄のやり取りを踏まえると、無償で何もかもを教えて欲しいと願うことも失礼に当たるのかもしれない。

だが、知らないものをそのまま放置する訳にはいかなかった。

 


(ここで、ディルヴィエさんがこっそり何かを明確にしてくれたりはしないだろうか…………)



「ディルヴィエさん、………その、私はまだ、あなた方の事をよく知らないのでしょう。物語によく出てくる怖い人外者さんは、その人間を気に入っていても、だからこそ約束を破った事が許せずにくしゃりとやるような事も多いのです」

「……………ディア様?」

「そ、そのような形ではなく、ノインは私を大事にしてくれているのかもしれないと、実は昨晩から少しずつ考えられるようになりました。しかし、所詮私は人間なのです。よく分からないことも多いようで……」

「……………やれやれだな、言ってみろ」

「ほ、本人が起きているのは反則です!!」



どこか呆れた目をしたノインがむくりと起き上がり、ディアは、慌てて寝台の端に避難した。

ずるをして情報を引き出そうとしていた事も後ろめたいし、対象物がすやすや眠っているのであればまだ耐えられるが、同じ寝台の上で並んで座るという謎の展開には耐えられない。


ディアとて淑女なのだ。



「めっ、いけません!!ここは淑女の寝台なので、勝手に上がってはいけないのですよ!!」

「……………この通り、人間の王宮では、こいつの感性を育てるにも不都合があったらしい。認識の齟齬を折り合わせることも含め、これから長い作業になりそうだぞ」

「ええ。少し前から覚悟はしておりました」

「……………二人で、とても失礼な事を話していませんか?」



繊細な乙女の寝台に侵入した挙句、あんまりな仕打ちにディアはぎりぎりと眉を寄せた。

こちらもよく分からないが、精霊はお隣に勝手に寝ている系の生態を持つ生き物という事なのだろうか。


睡眠は聖域である。


ノインであればまだいいのだが、今後もしそれを損なうような野良精霊が隣に忍び込んだら、ディアはどうやって対処すればいいのだろう。

その場合の駆除方法なども、教えて貰った方がいいのかもしれない。



(もし私に、ノインと一緒の今日の先があるのだとしたら……………)




「なんだ、もう腹が減ったのか」

「ぐるるる!!」

「ディルヴィエ、唸っているぞ。準備をしてやれ」

「……………成る程。あなたにも問題があるようですね……」

「は?」



なぜか片手で額を押さえたディルヴィエはまず、ディアの身支度を手伝ってくれた。


ディアとて自立した女性であるので、顔を洗い髪の毛をブラシで梳かしてきりりとしていたが、厳しい顔をしたディルヴィエに鏡台の前に連れ戻されてしまい、首を傾げる。



「やれやれ、手のかかる方ですね」

「私は全ての任務をやり遂げた筈ですよ?化粧水もつけましたし、クリームも完遂しました」

「化粧水は、頬にだけつけるものではありませんし、クリームも同じです。そして、ブラシで髪を梳かすのであれば片側だけでは足りません」

「……………まぁ」



ディアとしては、全てを完遂したつもりだったが、手のひらでぱしゃぱしゃとやった化粧水は、完全に行き渡っていなかったようだし、髪の毛は乱れた場所だけを直す為に使うのではなく、全体を梳かさねばならないらしい。


ディルヴィエにしっかり面倒を見られてしまい、朝の支度の面倒さにへなへなになった人間が隣の部屋に移ると、そこには、おや、この方が部屋の主人だったかなという具合でのんびり紅茶を飲んでいるノインがいた。


長椅子に腰掛けた様は優雅で心を揺さぶるような佇まいだが、いい匂いの紅茶になかなかありつけなかった人間はとても荒んでいた。



「……………ノインも、化粧水はつけたのですか?」

「俺は必要ない。嗜好品として、好んで扱う精霊もいるがな」

「わ、私は朝の紅茶を手にするまで、こんなにも手が掛かるのに、不公平ではありせんか」

「そこを公平にする必要はあるのか?人間はそういう手入れが好きなんだろ」

「………とんだ勘違いです」



暗い声で呟き、ディアは少しだけ躊躇い長椅子の周りをうろうろしてから、こちらを見たノインの視線に招かれるようにその隣に座ってみた。

座ってから、果たして精霊のお作法的には合っているのだろうかと不安になる。



「ノインは、私が隣に座ったことで、怒り狂ったりはしません?」

「何でだよ」

「そもそも、森の生き物を頻繁にお部屋に上げるのは、野生から引き離さない為にも控えた方がいいのでしょうか………」

「いいか、そのムクモゴリス基準の設定を今すぐにやめろ」

「では、ノインは、人間のお城に沢山来てしまって、お仲間から虐められたりはしませんか?」

「しないだろうな。おい、撫でるな!」



昨晩のノインは、自分が何度ディアの頭を撫でていたのか忘れてしまったのだろうか。


うっかり泣いているところを見せてしまったディアを不安がらせないようにと、この優しい精霊は、無理をして側にいるのではないだろうか。

ディアもこの生き物を大事にしようと精一杯撫でてみたところ、とても邪険にされたが、ディアにはディアのそんな心配がある。



人間はとても身勝手で強欲なので、ここで終わってその後にもさしたる希望がないのであれば、自分の得られないその先など知った事ではないのだが、もしここにあるものが手の中に残るのであれば、大事に大事にして、欠けたり壊れたりしないようにしたい。



種属性の違いが問題視されている中でそれを曖昧にする筈もなく、ディアはそのままの言葉で、夜の国の王様を撫でている理由を告げてみた。


するとなぜか、ノインとディルヴィエは顔を見合わせるではないか。




「つまりディア様は、………自分の領域のものになるのであればと、ノイン様を気遣われているのですね?」

「はい。私は自分を大切にしているので、私を蔑ろにするのだと判明してしまったものに心を割く余裕はありません。お二人の様子を見ていると妖精さんや精霊さんもそのような気質のようなので、この辺りははっきりと本心を告げておいた方がいいのですよね?」

「……………念の為に伺いますが、ノイン様があなたを慈しまないものだった場合は、どうなされたのですか?」

「ぽいっと心から捨てます」

「……………おや、それはそれは」

「当初の予定では、結論が出るのは死後の筈でしたので、ノインが機嫌を損ねて私を捻り潰していなければ、むしゃくしゃする心を癒すべく大急ぎで観光に出かけます。既に告白である程度の時間を浪費していますので、出来るだけ急いで行動しなければなりません」

「おい、前提の様子がおかしいのはさて置き、後半は何なんだ」

「まぁ。亡霊は、死者の日にしか地上に出られないのですよ?しかも、一般的には、地上に出て来られるのは五回程度のようです。その少ない機会の中で私は沢山の場所を見なければなりませんから、そこは必死になるのもやむを得ないのでしょう」

「ふむ。そのようにして気持ちを切り替えてしまうのですから、確かに人間は残忍な生き物なのかもしれませんね」



ここでディアは、ディルヴィエの言葉を聞き溜め息を吐いたノインに、ひょいと膝の上に持ち上げられてしまう。

気恥ずかしいので元の座面に戻して欲しかったが、もしかするとこれが、精霊の作法なのかもしれない。



「その企画はなしだ」

「……………これが私の計画の全てだったのですが、きっともう違う事が起ころうとしているのですよね?」



そう問いかけた先で、ノインの紫色の瞳が眇められる。

そこには見慣れた呆れと、どこか男性的で満足げな獰猛さが垣間見え、ディアは慣れない表情にどきりとした。



「……………お前は脆弱なようでその実、妙なところで妙に思い切りが良過ぎる。妙な事をする前には必ず報告しろ」

「でも、今日の舞踏会では、グラスの中の葡萄酒を飲んでもいいのですよね?」



しゅわしゅわと泡の立つ発泡性の葡萄酒は、舞踏会のような場所では必ず乾杯の為に用意される。

特定の飲み物を口にするよう仕向けられるのはその場だけなので、リカルドはまず間違いなく、乾杯の葡萄酒に毒を入れるだろう。


なのでとそう問いかければ、顔を顰めて小さく呻いたノインに、ディアは微かに微笑んだ。



こうして腕の中にいると不思議な穏やかさがあり、ノインは、内側と外側の印象がまるで違う。

抱き締められて話をしていると、適当に遊んだ駒をぽいっと捨ててしまうような人外者の酷薄さは感じられず、それどころか、ディアのことを怖々と捕縛し、この生き物は何をするのか分からないぞというような警戒を深めているようにも思う。


その歪な無垢さが何だか愛おしくなり、ディアは、自分の在り方を伝えてみることにした。




(今日しかないのだ)



何かを言い澱み、そして仕損じて無くしては困るだけの欲しいものがあって、そんなに素敵なものがあるのに、ディアは悍ましい復讐からも手を引かない我が儘な人間だから。



だから、備えや確認を怠ったことで、喪ったり擦れ違ったりするのは絶対に避けなければならない。

分かるだろうと微笑まれただけでは足りないし、ディアの持っている図面にはまだ足りないところだらけだという気がする。



現にノインは、葡萄酒を飲むなとは言わないし、亡霊になった後にどうすればいいのかや、死者の日の待ち合わせ場所なども伝えてくれていないではないか。

それでは困るのだ。

強欲な人間は、ぎゅっと掴み取れるもっと確かなものが欲しいのである。




「そこまでは好きにしろ。だが、余分な騒ぎは起こすなよ」

「そこまでを認めてくれるのに、ノインは、私が死後のわくわく観光計画を立てているのが、あまり喜ばしくはないのですか?」

「それすら分からないようでは問題があるが、分かっていても口にしていたのか」



(……………なぜに核心に触れる言葉が出てこないのだ)



ここでディアは少しだけ不信感を強め、少し体を離して椅子になってくれている精霊の瞳を覗き込んだ。

今夜の舞踏会で出されるグラスの中の葡萄酒には、間違いなく致死量の毒が入れられている。

それを飲むという事がどういう事なのかくらい、ノインとて重々承知しているだろう。



つまりディアは、舞踏会が終われば死の国に行くのだ。



死の国は死の王以外の人外者は入れないので、その後でゆっくり話をしようと言う事であれば、ディアは、ほぼ一年後となる死者の日を待たねばならない。

今更復讐を止めろと言われてもそれも承服しかねるものの、その後のディアに手を伸ばしてくれるのだとしたら、結論がふわっとしたままそれだけの時間を待たされるのは是非とも避けたい。



「私はとても臆病な人間なので、死んだ後にまで自分を選ばないものは、要らないのです。……………だからもし、私が勘違いして期待しているのであれば、大きな荷物は置いて死の国に行きたいので、そうだと教えて下さい」

「…………俺としても、はっきりとした言葉で安心させてやりたいところだが、お前はファーシタルの民だ。お前を納得させる筈の言葉を伝えることで、この国の民を呪う死の精霊の魔術に触れることは避けたい。あの系譜は、呪っても祝福しても、関わるだけで相手や周囲を死に結びかねないからな」

「……………言葉にするという行為が、何かに触れてしまうのですか?」



夜のひと柱とは言え、王様でもあるノインがそう告げたことに少しだけ驚いてしまったが、人外者達もまた魔術の約束に縛られる生き物なのだそうだ。


だからこそ始まりの魔術師は夜の国の王様との侍従契約を取り付ける事が出来たのだし、ディアもノインと契約を交わす事が出来た。



(確かに、おとぎ話の中で、機転を利かせた主人公が、契約で高位の妖精や魔物の協力を取り付けてしまうような場面もあるけれど、それは、彼等にとっての約束事が、それだけ意味を成すものだからなのだわ…………)




そうか、約束を破られた人外者が激昂するのは、自分達もその理に縛られるからなのだと知り、何でも出来るようで不自由な生き物に、ディアはこくりと頷く。

こうして教えてくれたノインに誠実さを示し、その不自由さを理解したことを伝えなければと思ったのだ。



「魔術は言葉でも成されるものだからな。俺とお前の契約がそもそも、お前の選択の最後までを見届けるものとして結んである。俺が、今後の為にこの国の利権を握る他の人外者連中と取り交わした契約も、この国の人間共が俺と交わした契約を回復の余地がない形で破棄することでいっそうの効力を得る」

「私とノインとの契約については、恐らくそうなるのだろうなと思っていました。後者については、確かに私が生き残っていることで、まだジラスフィの家の者は残してあるではないかという主張が出来てしまいますから、どちらにせよ、双方ともこの国の人々が私を殺すことを前提とした契約なのは変わらないのですね。………むぐ?!」



静かな声でそう言ったディアに、ノインはなぜか、どこからともなく取り出した焼き菓子をお口に押し込んでくれる。


一口焼き菓子をもぐもぐしながら、ディアは、もしかしてこの精霊は、ディアが落ち込んでいると考えたのかなと目を瞠った。



「……………ノイン、その復讐を望んだのは私なのですよ?私もまた、この国の方々に、あなたとの約束を破らせたい者の一人なので、そうして、誰もかれも酷い目に遭ってしまえと思う私が、契約がそのような形であることを嘆くことはありません。………あなたは、私の復讐が私を殺すことだとご存知だったのでしょう?寧ろ、人間の復讐に利用されるだなんてと、怒ってもいいくらいです」

「お前が選んだ手段は、俺達との約定にそれだけの意味があるのだと理解しているということに過ぎない。それを利用されたと思う精霊はいないだろう。魔物となると、奴らは捻くれているからどう取るか分からんがな」



(…………そこはいいのだわ)



ふむふむと頷き、ディアは、せめてこの方策がノインを不愉快にしないものであったことに感謝した。

ディアのしようとしている事くらいお見通しだろうなとは思っていたが、利用されたと荒ぶりもせずに当然の流れとして受け止めてくれる感覚は、やはり人間とは違うのだろう。



一口焼き菓子ですっかり元気になったディアは、これ迄の会話の内容を整理してみることにした。



「まとめますと、……………魔術は言葉で交わされてしまうものなので、私が私を終わらせる迄はその先のことには契約上触れられないのですね?また、この国の利権を持つ他の方々との交渉の上でも、この国の人々が言い逃れのしようもなく約束を破るまでは、新しい事を始められないという認識でいいでしょうか?」

「有り体に言えば、魔術誓約の落とし穴には落ちたくない。夜という資質はそもそも死との親和性が高い。俺が交渉しているのは、ファーシタルを呪った死の精霊と、コルグレムの流通に関わる商会長の魔物だ。あいつ等もしたたかだからな。魔術の手順や契約をおろそかにし、魔術の基盤が揺らいで上に載っているものを落とすのはご免だ。ただでさえ、お前の家族の事もあるからな」

「私の家族のこと……………?」



それを教えてくれたのは、ディルヴィエだった。

直接ディア周りの契約に噛んでいるノインでは、言及するのに相応しくない言葉があるのだそうだ。



「夜の資質は、予言にも結びやすいものなので、ここからは私が引き取りましょう。私もまた夜の系譜ではありますが、ノイン様程の多くを夜に結ぶ程の力はありませんから」

「はい。宜しくお願いします」

「ディア様のご家族は本来、ファーシタルに敷かれた死の精霊の呪いから、唯一除外されるべき一族でした。だからこそ、ノイン様はジラスフィの人間との交渉の後、ファーシタルの民がこの土地に永住する事を許したのです」

「……………そうだったのですか?」

「でなければ、そもそも交渉に応じなかっただろうな。どれだけコルグレムの生産者が惜しいとは言え、俺も、気性の荒い死の精霊の獲物に手を出す程に酔狂ではない」



ディアは、お気に入りだった絵本にも書かれていない、ファーシタルの興りの全てを聞かされた。



これまでのディアには、始まりの魔術師に同情してしまう部分もあったのだが、既婚者であったと知った今は、そんな同情心は丸めてどこかに投げ捨てるしかない。



「おのれ、そやつは屑でした……………!!」

「安心しろ。その本人は、まだ己の行いの対価を払い続けているところだ」


ノインはそう聞いてディアが喜ぶと思ったようだが、それはそれで怖いなと素直に感じ、ディアは紅茶を飲む事で返答を曖昧にする。

人間としては、とびきり恐ろしい報復をしっかりした後、その時のことは早々に忘れて欲しいのだ。



「死の精霊の呪いのテーブルに載っていなかった筈のあなたのご家族も、結局は、その呪いを受けたファーシタルの行いに足を引っ張られる形で、死の手に落ちました。本来であれば、こちらの契約に触れた王家の者達こそが破滅に転んでもおかしくはなかったのですがね。…………長く続くこの国の歴史の中で、ジラスフィとそれ以外の民達との境界線が曖昧になってしまったことが要因かと思われます。血統というものでも呪いを引き寄せるのであれば、王家との間に何度か結ばれた婚姻もその要因となっているのかもしれません」

「……………父は、王家からジラスフィに婿入りしたのです。それ以前にも、曾祖母が王家に嫁いだと聞いています」

「だからこそ、ジラスフィの特徴を色濃く受け継ぐ王家の人間も生まれているのかもしれませんね。現在の第二王子も、どちらかと言えばこちら側でしょう」

「まぁ、ジルレイド殿下が……………?」

「あいつの場合は、こちら側に魅入られての事かもしれんがな」



どこか人の悪い微笑みでそう呟いたノインにディアが首を傾げると、ふっと笑った精霊は、驚くべき真実を一つ明かしてくれた。




「あの王子の伴侶は、妖精だぞ」

「…………はつみみです」

「人間を好む妖精達にとって、この国の人間程に無知で捕まえ易い獲物はいない。好まれる資質を持って生まれるくせに誕生の祝福も持たず、不用心に出歩きながら妖精除けも持たないからな」

「この国の中にも、そのような妖精さんがいたのですか?」

「我々の系譜の者ですよ。十三年前の事件の際にあの王子を気に入ったようで、こちらに留まる為に適当な家を作ると言っておりましたが、それが伴侶になった伯爵家の娘だったのでしょう」

「……………世の中には知らない方がいい事もあるのでしょう。その方がどうやってジルレイド様の花嫁になったのかは、今後もずっと知らずにいようと思います」



第二王子と伯爵令嬢の成婚の影に何やら心穏やかには聞けないような物語があることを察したディアがそう申告すると、ディルヴィエは神妙な面持ちで頷いてくれた。


その手の妖精の侵食は人間には少し刺激が強いでしょうねと言うからには、その物語はかなり凄惨な展開になるのは間違いない。



ほこほこと湯気を立てている紅茶のあまりの美味しさに、ディアがすっかり空にしてしまったカップに、ディルヴィエがお代わりを注いでくれる。

何とも身勝手で狡猾な本音を吐露したディアにも、ノインはうんざりする素振りはなく、言葉を尽くして現状を伝えてくれようとしているようだ。



「で?もう納得したのか?」

「私は、葡萄酒をくいっとやった後は、ひとまず死の国に行けばいいのでしょうか?」

「飲んだ後には俺が引き取る。死の国に行く必要はない」

「……………む」



(という事は、死の国ではなくて、ノインの傍にいていいのだろうか。もしかしたら、死の精霊さんと交渉したのはそのような部分なのかもしれない……………)



死の精霊にとってのディアは、ジラスフィであると共に呪わしいファーシタルの人間だ。

だが、殺されて亡霊になってしまえばその輪を抜けられるのかもしれない。

もしかすると、亡霊になった後はずっと一緒にいてもいいのかもしれないと考え、ディアは期待し過ぎてはいけないと自分を戒めながらも、輝かしい第二の人生を少しだけ夢見た。



ずっと。

いや、死者は魂が丸くなると転生してしまうというから、それまではせめてずっと。

ノインと一緒にいられるのなら、魂が丸くならないように工夫出来ればいいのに。




「ノイン、対価をお支払いしますので、一つだけお願いしたい事があるのです」

「……………何だ。場合によっては却下するぞ」

「この薔薇のオーナメントを、舞踏会の間も持っているように出来ますか?……………その、無くしたくないのです」

「ったく。それくらいは、対価なしで叶えてやる」

「まぁ、いいのですか?」

「ご機嫌のようですから、対価などを支払う必要はありませんよ」

「……………ディルヴィエ」




ディアがノインに預けたオーナメントは、細いリボンを通してあった部分に、同じような素材の美しい鎖を通して貰い、繊細な趣きの首飾りになった。


淡く淡く夜の色を乗せた硝子細工のように見える鎖は、ノインの魔術から削り出した祝福石なのだそうだ。

鎖の一定間隔に夜結晶の一粒石を配置することで、舞踏会のドレスを着ても首元が子供っぽくならないようになると、ディアは、大事なオーナメントがいつでも触れられるところに設置された安堵から、至福の溜め息を吐く。




「ふふ、今夜の舞踏会のどこにも、こんなに素敵な首飾りをつけた方はいないでしょう。誰もが私を殺そうとしているのだと少しだけ悲しくても、この首飾りがあれば、私に勝る者はいないのだと落ち着いて過ごせそうです」

「宜しい。では、本日はどのような事があっても、堂々と振る舞うように」

「はい」



すっかり教育係のような感じになってきたディルヴィエにそう言われ、ディアはきりりと頷いた。




ディアは復讐者だ。

であれば、背筋を伸ばしてそこに向かおう。


勿論、その覚悟や決心は、あの日に飲み込んだ苦しみの免罪符にはならないのだけれど。

だからこそ、ディアは復讐するのだった。













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