《剣聖》が転生して《剣姫》になったら、かつての弟子がものすごく強くなって求婚してきた
少女――ミリア・アルレインは今、人生でもっとも追い詰められていた。
否、前世も含めれば、もっと追い詰められた状況もあったかもしれない。
(いや、それでも今の状況は……)
ミリアは剣を構えたまま、静かに呼吸する。
相対するのは、一人の青年。
金色の髪に、整った顔立ち。
その表情はとても真剣で、今にもミリアを斬り殺そうと言わんばかりだ。
青年――アルク・エルウィンは口を開く。
「忘れないでくれ、僕が勝ったら……君は僕と婚約する」
「忘れて、いませんよ」
ミリアはアルクの言葉に答える。
一層、剣を握る力が強くなる。
ミリアは地方貴族であるアルレインの一人娘。
他方、アルクは《メルベリル王国》の四大貴族であるエルウィン家の長男。
まるで格の違う身分でありながら、ミリアはアルクから婚約の申し出を受けていた。
それも――剣での勝負で勝ったら、という決闘形式だ。
あり得ない状況の中でも、さらにあり得ない状況に、ミリアは晒されている。
(どうしてアルク様が……私を選ぶなんて……!)
ミリアはアルクのことをよく知っている――それは、前世でミリアが、アルクに剣を教えていたからだ。
***
まだアルクが五歳だった頃――ヴェイン・ベイルズはアルクの剣の師匠としてエルウィン家に仕えていた。
《剣聖》ヴェイン・ベイルズと言えば王国で知らぬ者などいない。
二十歳という若さにして、剣術において彼の右に出る者はいなかった。
「や、やあ!」
アルクがか細い声で木剣を振るう。
ヴェインは、それを難なくいなした。
「うわっ」
「斬り込む時はもっと素早くですよ」
「うぅ、ヴェインみたいにはできないよ……」
アルクはいつも、少し剣の練習をすると泣き言を言い始める。
それをヴェインはよく知っていて、小さくため息をつきながらも、アルクを諭す。
「そのようなことはありません。私から見て、アルク様には剣の才があります」
「剣の、才?」
「はい。アルク様自ら剣の練習をしたいと仰ったのですから。何故、お強くなりたいですか?」
「……うん。父上や母上のため――ううん、この国のために、僕は強くなりたい」
五歳という幼さで、迷いながらもそう答えられるのはアルクという少年がどういう人間が理解するのには十分だった。
それを聞いて、ヴェインは微笑む。
「アルク様はご立派です。私は、貴方が強くなれるように、助力致します。さあ、いかがなさいますか?」
「……もう一回、お願い」
アルクがそう言って、剣を握る。
ヴェインもまた、剣を構えた。
その五年後――ヴェインは王都に迫る《災厄の魔物》との戦いで命を落とすことになる。
《剣聖》ヴェインの唯一の弟子となったのが、アルクという少年だった。
***
(どうしてこんな時に昔のことなど……)
冷や汗を垂らしながら、ミリアは息を呑む。
それが、ミリアの前世の記憶――《剣聖》ヴェイン・ベイルズは、ミリアの前世だった。
わずか十三歳にして《剣姫》と呼ばれるほどの実力を身に着けた彼女の前世が《剣聖》というのは、説得力のあることだろう。
そのことを、誰にも話したことはないが。
そんなミリアの下にやってきたのが、かつての教え子であるアルクだった。
ミリアの知る最後のアルクの姿は、まだまだ未熟ではあったが幼くして剣士としての実力を見せ始めていた。
成長すれば、いずれは自分を超えるかもしれない――そんな風に考えながら、ヴェインはアルクを見守っていた。
(それがこんなにご立派になられて……なんて考えている暇もないのですがっ!)
ミリアにとってはこの戦いは負けられないものだった。
《災厄の魔物》に負けて死んだはずの自分が――地方貴族の少女に生まれ変わった。
そんなことがあり得るのかとも考えたが、ミリアにはしっかりとヴェインの記憶がある。
ミリアという少女であると同時に、ヴェインであることには違いなかった。
ミリアの目標は、かつての自分を超えること――剣士として魔物に敗北した自分を超えるために、再び剣の道を歩み始めるつもりだった。
実際、ミリアの実力は群を抜いていた。
だからこそなのか――ミリアは王都でも、二代目《剣聖》と呼ばれるほどの実力者になっていたアルクとの婚約話を持ち掛けられたのだった。
当然、ミリアは嫌がった。
女として生きるのではなく、剣士として生きるのがミリアの夢――いくらかつての弟子とはいえ、その夢を阻まれるわけにはいかない。
だが、目の前にいる男――アルクは、ミリアの想像を超えるほどに強くなっていた。
(……まるで隙がないです。私も、まだまだ成長途中とはいえ剣技には自信はある……けれど、アルク様は私よりも……)
「来ないのかい?」
「……っ」
「来ないなら、こちらから行くよ」
アルクが動き出す。
アルクの剣は、直剣を使った《カルカード流》という剣術。
ミリアもまた同じ流派だった。
それは当然だ――ヴェインがその流派であり、アルクに剣を教えたのだから。
ミリアの方が得物は小さく、軽い物を使っている。
剣がぶつかり合うたびに、ミリアの方がわずかに押されていた。
「くっ……!」
(速さで勝つしかないというのに……迷いのなさすぎる一撃! 私を殺す気ですか!?)
ミリアは動揺する。
元々は、ミリアから申し出たものである。
アルクが《剣姫》であるミリアと婚約をしたいと申し出た時、自分より弱い者と婚約するつもりはないと言い放ったのが発端だ。
ミリアはどこまでも無骨者という噂も、王都には広まっていたらしい。
そんなミリアを嫁にしたいなどとは言わないと思いきや――笑いながらアルクがこの申し出を引き受けたのだ。
結果として、ミリアが勝てば婚約の話はなしに。
アルクが勝てば、ミリアはアルクの婚約者となることになった。
もちろん、負けるつもりなどなかったというのに、剣を交えてみればどこまでもミリアは追い詰められている。
「どうしたんだい、《剣姫》。乱れているね」
「……っ!」
(な、生意気な……!)
教え子だったアルクに煽られることも、ミリアにとっては我慢ならないものだった。
もちろん、アルクはそんなことを知る由もない。
一方的にミリアの方が、アルクを知っているだけだ。
以前の弱音を吐くこともあったアルクに比べれば本当に成長した――そんな風に感慨深く思うことはない。
ミリアもまた、転生という特異な生まれをした影響か、性格は以前のように落ち着いてはいない。
どこまでも直情的な剣だった。
「はっ、はっ……」
何度か剣を交えて、ミリアは距離を取る。
息を乱されているが、アルクが余裕の表情で剣を構える。
「次で終わらせるよ」
「それは、こちらの台詞、です……」
(悔しいけど、アルク様の方が今は強い……!)
それでも、ミリアは負けるわけにはいかなかった。
剣を構え直して、地面を蹴る。
お互いに放ったのは渾身の一撃――わずかな静寂の後、地面に突き刺さったのは、お互いの剣だった。
「……! なんだって」
「はっ、はあ……あい、うち……」
ミリアがその場に膝をつく。
渾身の一撃でもなお、アルクに勝つことはできなかった。
(まだ、この身体では修行不足、ですか……)
「見事だよ、ミリア」
「アルク、様……」
疲れて動けなくなったミリアに手を差し伸べるアルク。
剣技だけでなく、男としても成長していると感じざるを得なかった。
「ありがとう、ございます」
「いや、まさか引き分けるとは思わなかった。絶対に勝てると思っていたんだけれど……」
「絶対、なんてありませんよ。剣術、には……」
「! そうだね。師匠にも同じことは言われたよ」
「……! そう、ですか」
その師匠というのは、間違いなく自分だろう――なぜなら、言った記憶があるから。
アルクはふっと笑みを浮かべると、
「相打ちということは、少なくとも僕は君より弱くはないということだね」
「……え?」
「僕の婚約者になってくれるかな?」
「そ、それは……ダメです。私に勝ったら、という約束でしょう?」
視線を逸らしながら、ミリアは答える。
剣士としての夢もそうだが、アルクと婚約者になるということも想像できなかった。
何せ、前世は男だ――いくら少女に生まれ変わって、別人になったとはいえ、その記憶は残っている。
どこまでも、違和感を覚えてしまう。
そんなミリアに対して、アルクは「なるほど」と頷くと、
「では、もう一戦といこうか」
「……っ!? き、今日はこのくらいで終わりにしましょう!」
「逃げる気かい?」
「逃げ……!? 違いますっ! 万全な状態であれば私が負けるはずありませんっ」
煽られて、そう言い切ってしまうミリア。
にやりとアルクが笑ったのを見て気付くが、遅かった。
「そうか。では、次は万全の状態で決闘しよう。もちろん、同じ条件で」
「あ、う……わ、分かりました! 分かりましたよ! 私が勝ったらこの話はなしですからね!?」
「ああ、僕が勝ったら、君は僕のものだ」
(私の知っているアルク様とはまるで違うのですが……!)
負ければアルクの婚約者――そんな決闘の約束を、ミリアは再び取り付けてしまう。
剣の道を目指したいミリアの苦難は、まだ続くのだった。
TS転生した主人公が強くなった弟子に求婚されるお話を書きたくなったのでそのまま書きました!