転機 アメリア視点
奴隷として購入された元伯爵令嬢のアメリア視点。
今後のダンジョンの発展に関わってくるキャラなので、話の展開次第では書き直す部分もあるのではないかと、投稿するかどうかちょっと悩んだのですが、思い切って出してしまうことにしました。
私はアメリア。
シルヴァ王国の歴史ある伯爵家の娘で、貴族令嬢として何不自由なく暮らしていた。
そんな平和な日々が崩れ去ったのは、14歳の時のことだった。
4つ年上の婚約者と街に買い物に出た時に、護衛とはぐれてしまい、攫われてしまったのだ。
襲い掛かってきた暴漢から一度は婚約者と共に逃げたけれど、ドレスを着ていて素早く動けない私は足手まといにしかならない。
しつこく追いかけてくる暴漢から何とか婚約者を逃がすことはできたけれど、私は捕まり奴隷商に売られてしまった。
奴隷という最下層の身分になってからも、貴族であったときのことが忘れられず、私は苦しむことになった。
きっと父と兄が探し当てて助けてくれるという希望が捨てられなくて、絶望と希望の狭間に現実逃避していた。
人を攫い、無理やり契約を迫るような奴隷商がまともなわけがない。
婚約者と義妹に騙されて裏切られたのだと、事の真相を暴露し、奴隷商は私を嘲った。
商品価値が下がるからと手を出されることはなかったけれど、その分、言葉で嬲られ、躾と称して恥辱を味わされた。
清い体のまま男性を悦ばせる手練手管を身につけさせられ、従順になるように何度も心をへし折られた。
奴隷になったばかりの頃は、きっと父が助けに来てくれると希望を持っていたけれど、奴隷商のお抱え調教師に躾けられるたびに、そんな希望は消え失せた。
もしかしたら、父は私の居所を知っていながら迎えに来ないのではないかと疑心暗鬼になって、更に苦しむことになった。
そんな私に転機が訪れたのは、15歳になる直前のことだった。
奴隷になって二か月、地獄のような日々に希望はまったくなく、性奴隷として売ることが可能になる15歳になるのが怖くて怖くて仕方がなかった。
いっそ死んでしまいたいと何度も思ったけれど、仮の主になっている奴隷商に自殺禁止を言い渡されているので、死のうとするたびに気を失うほどの痛みに襲われ、実行することはできなかった。
命令違反をして死のうとしたことがばれた後には、特に念入りな調教が待っていたので、それも恐ろしくて、いつしか死にたいとは思っても死のうとすることはなくなった。
体は生きていても心が死にかけていた時、私の前に現れたのは真っ白な猫精霊様だった。
猫精霊のセオドア様が求められたのは、子供の奴隷ばかりだった。
あと半月もすれば性奴隷として売られる予定だった私は、最初は隠されていたけれど、すべての奴隷が見たいというセオドア様の言葉で部屋を出された。
どういった基準で決めているのか、セオドア様は迷いのない様子で奴隷を選んでいく。
中には病持ちの奴隷や、身体の欠損した奴隷も混じっていたので、死ぬかもしれないような危険な作業をさせるための奴隷なのではないかと想像してしまい、恐怖で震えた。
死にたいと願っていたのに、殺されるのは怖い。
「……そこのお嬢さんもいただきます」
最後の最後でセオドア様が選んだのは私だった。
値段を吊り上げるためか、売り渋ろうとした奴隷商人は、何事かをセオドア様に囁かれた瞬間、真っ青になって口を噤んだ。
いつも偉そうで尊大な男を一言で黙らせてしまうなんて、さすがは精霊様だと感心していると、「こちらへいらっしゃい」と、優しく手招かれる。
猫精霊様が人族の女性を女として求めることがあるのかわからないけど、セオドア様の柔和な顔を見ていたら、この方に買っていただけるのは幸せなのではないかと思った。
もっとも、奴隷の私に拒否権などないのだけど。
購入の手続きがされ、私を合わせて9人の奴隷は、セオドア様のものになった。
手続きが終わるとすぐ、一塊になるようにと言われて、次の瞬間には外にいた。
セオドア様が転移魔法を使ったのではないかと察せられたけれど、これだけの人数を同時に転移させる魔法を使えるなんて、まるでおとぎ話に出てくる賢者のようで、夢を見ているような気持ちにさせられた。
「ここが、これからあなたたちの暮らす場所です。ここはダンジョンの中なのですよ」
目の前には二階建ての立派な宿舎があって、周囲は緑で溢れていた。
山も森もあって、ここがダンジョンの中だなんて何の冗談かと思った。
ダンジョンになどもちろん行ったこともないし、話を聞いたことはあるけれど、命の危険のある恐ろしい場所だと認識していたので、それと違い過ぎる周囲の景色に驚かされてしまう。
「私があなたたちの主ですが、私にも主がいます。あなたたちに徹底して守ってほしいのは、私の主であるカヤ様には絶対逆らわない。危害を加えない。それから、カヤ様とダンジョンの情報を口外しない。この三つだけです」
セオドア様にも主がいるとは思わなかった。
カヤ様というのがどのような方かわからないけれど、セオドア様にとって大切な主なのだろうというのは察せられた。
「キート。新たに9人の仲間が増えました。みんなに部屋を割り当てて、食事をさせてください。職場は能力別に後で振り分けますので、後は任せましたよ」
セオドア様の帰還にあわせて宿舎から出てきた少年は、セオドア様の言いつけに大きく頷く。
まだ10歳くらいの少年の表情は明るく、頬もふっくらとしていて、とても奴隷のようには見えなかった。
着ている服は白いシャツにちょっと変わった形の黒いトラウザーズだったけれど、とても清潔感があった。
裕福な貴族の家の下男だと言われたら、信じてしまいそうだ。
「お任せください、セオドア様」
少年の返事を聞いて、セオドア様はまた転移でどこかへと行かれてしまった。
「ここが俺達の家です。どうぞ入ってください」
右足の膝から下がない女性を支えながら、先導するように歩いて行く少年の後をついて、宿舎の中に入った。
病気の女性を心配そうに見ながら歩いている子は、どうやら病気の女性の娘のようで、二人はとてもよく似ていた。
子供を買いに来たはずのセオドア様が病気の女性も選んだのは、親子を引き離したくなかったからだろうか?
もしそうだとしたら、何てお優しい方なんだろう。
既に子供ではない、成人間近の私が選んでいただけたのは何故なのかわからないけれど、最悪の未来は回避できたようだから、セオドア様のお役に立てるよう、精一杯頑張ってみよう。
宿舎の中に入ると、数十人で同時に使えそうな広い食堂があった。
まるで一度見たことのある騎士団の宿舎のようだと思いながら、促されるまま席につく。
厨房ではどなたか料理をしているようで、とてもいい匂いが漂っていた。
まともな食事を与えられない生活を続けていたので、匂いに刺激されて胃がきゅうっと収縮して痛んだ。
「すぐに食事を出しますから、まずは食べる前に簡単に説明させてください」
みんなの前に立ち、堂々とした様子で少年が説明を始める。
その話によると、ここはやっぱりダンジョンらしい。
このフロアは居住区と呼ばれていて、精霊もたくさん住んでいるそうだ。
少しは魔物もいるけれど、仲間なので決して攻撃しないようにと言われた。
説明にはみんな驚かされてばかりだったけれど、一番驚いたのは、私達は奴隷なのに魔法鞄や制服が支給され、定期的にお給金までいただけるということだ。
その上、好きな仕事に就けるように勉強までさせていただけるらしい。
週に二日はお休みを頂けると聞いて、あまりの好待遇に逆に不安になってしまった。
奴隷になってから今まで、辛い日々を過ごしていたから、どこかに落とし穴があるのではないかと怖くてたまらない。
「とりあえず、病気の人と怪我をしている人はこれを飲んでください。このダンジョンで作っている万能薬です」
魔法鞄から万能薬を取り出した少年に促されて、不安そうな表情を隠さないまま、まずは左腕のない男性が万能薬を飲んだ。
苦しそうに呻くので、心配になってしまいながら見ていると、左腕の辺りが淡く発光してみるみるうちに腕が生えていく。
身体の欠損や重い病も治す万能薬があるとは知っていたけれど、万能薬を作るための素材はダンジョンでしか手に入らないそうで、質のいい万能薬が一般に出回ることはほとんどない。
万能薬とは名ばかりの粗悪品でも、驚くほどの高値で取引されているのを、私は母が病気になった時に知った。
母の病気を治すために、父が苦労して取り寄せた万能薬はあまり質のいいものではなくて、病気が治ることはなかった。
質のいい万能薬を見たのは初めてで、まるで神の奇跡のような光景に言葉もなく見入ってしまった。
私の隣に座っていた足の不自由な女性や病気の母親も、慌てて万能薬を口にする。
「……私の、足がっ……」
すべてを諦めたような顔をしていた女性は、元通りになった足を見て、感極まったように泣き始めた。
病気が治った母親も、娘と抱き合って涙を零している。
「食事ができたみたいです。まずは食べましょうか! ここでは一日三食しっかり食べられますから、まずは食べて元気になってください。働く上で健康であることはとても大事ですから」
場の雰囲気を明るくするような声で食事を勧められると同時に、少年と同じ年頃の子供たちが食事の載ったトレイを運んでくる。
人族だけでなく、獣人族やエルフなども混じっているけれど、共通しているのは誰もが健康そうで明るい表情をしているということだ。
それを見るだけでも、セオドア様がいい主だというのがよくわかる。
出された食事は温かく、そしてとても美味しかった。
しばらくまともな食事をしていなかった私達の胃の負担にならないようにと、よく煮込まれているスープは、細やかな気遣いを感じさせてくれるものだった。
伯爵家で生まれ育った私は、代々の領地経営が上手く行っていたので、とても贅沢な暮らしをしていた。
だから美味しい料理もお菓子も食べなれていたけれど、そのどれよりも、今出された食事が美味しいと感じた。
地獄のような日々は終わったのだと、しみじみと実感してしまって、安堵のあまり涙が溢れた。
食事をしながらも、涙は次から次に溢れ出て、止めることができなかった。
それは、すべてを浄化するような涙だった。
信じられないことに、ダンジョンに連れてこられてから3日間もお休みをいただけた。
まずはゆっくりと過ごして、体も心も元気になれるようにしてくださいと、セオドア様の主のカヤ様がおっしゃったらしい。
まだお姿を拝見したことはないけれど、キートの話では、とても美しくて優しい方だそうだ。
セオドア様は各地で奴隷を購入しているようで、宿舎には数十人の奴隷がいた。
そのほとんどは成人していない子供で、10歳にもならないような子が多かった。
話を聞いてみると、ほとんどが平民で、貧しい家を助けるために自分の意志で売られたらしい。
セオドア様が奴隷を選ぶ基準がよくわからなかったけれど、種族や容姿ではなく、性格で選んでいるのではないかと感じた。
それくらい、ここで出会った奴隷達はいい子ばかりで、一生懸命に働いて勉強もしている。
週に二回ある休みも、勉強や技能を増やすために費やす子が多く、たくさんの人が宿舎で暮らしているというのに、争いらしいものはほとんどなかった。
奴隷になる前は学園に通っていたから、集団生活でこの状態を保っていられるのが、どれだけ得難いことなのかとてもよくわかる。
みんな、優しい主に買ってもらえた幸運に感謝しながら、決して驕ることはない。
だけど、人は良くも悪くも慣れていく生き物だ。
私の母が死に、親族に勧められるまま父が後妻に迎えた人もその連れ子も、最初はとても遠慮がちで慎ましく暮らしていた。
義母となった人は、早くに夫を亡くして実家に戻ったけれど、身の置き所がなく困窮した生活をしていたようで、父と再婚したときは、美しい顔もとてもやつれていた。
私の父は、とても優しい人だった。
不幸だった日々を忘れるほどに幸せにしようと、父に気遣われた義母と義妹は、最初こそ戸惑い遠慮していたけれど、裕福な暮らしに慣れていった。
ドレスを誂え、宝石を買い、散財することを躊躇わなくなって、段々使用人に対しても高圧的になっていった。
亡くなった母が育てさせていた庭の花をすべて植え替えさせたので、私が苦言を呈すると、あることないことを父に吹き込んで泣きついた。
父はそれを真に受けることはなかったけれど、私を敵視して義妹を可愛がる義母との仲は悪くなるばかりで、家の中の雰囲気は悪くなる一方だった。
それでも、結婚するまでの我慢だと思っていたのだ。
結婚すれば家を出られるから、義母や義妹に煩わされることはなくなると考えていた。
私には幼い頃からの婚約者がいたし、父の跡は兄が継ぐことになっていた。
だから、家のことは兄に任せて嫁げば幸せになれると思っていた。けれど、その婚約者に私は裏切られた。
婚約者と出かけた先で、私は攫われた。
父に知らせてほしいと、必死の願いを託して婚約者を逃がしたけれど、全く意味のないことだった。
必ず助けに行くという婚約者の言葉を信じて待っていたのに、奴隷商の話によると、すべては婚約者と義妹に仕組まれたもので、私を売ったお金で、婚約者は賭け事でつくった借金を返済したそうだ。
裕福な伯爵家との繋がりは、私でなくても義妹と結婚すれば得られる。
むしろ義妹と結婚するために、私は邪魔な存在だった。
最初は信じられなかった。
優しい彼が私を裏切っていて、しかも義妹に心を奪われているだなんて、信じたくなかった。
全部奴隷商の嘘だと思っていたかった。
だけど、父や騎士団に勤める兄に知らせてもらえれば、すぐに助けが来ると思っていたのに、いつまで待っても助けは来なかった。
私がいたのは王都の中にある奴隷商館だったのに、同じ王都で暮らす父も兄も私を探し当ててくれなかった。
婚約者の借金の借用書なども見せられ、私は裏切られて、その末に売られたのだと理解した頃には、心を完全に折られていた。
義母が父と再婚したときのまま、変わらない人だったならば、私はきっと今もあの家で暮らしていただろう。
大人しく内気だった義妹が変わらずにいてくれたなら、私が売られることはなかった。
人とは慣れて変わるもの。
だけど、私は変わらずにいたい。
地獄から救い出された恩を決して忘れたくない。
その思いは、カヤ様のメイドとしてそばにいる内に、より強くなっていった。
この世界の貴族の令嬢の生活などを教えてほしいと、私はカヤ様付きのメイドに抜擢されたのだけど、奴隷である私にカヤ様は優しく、まるで友のように扱ってくださった。
異世界で育たれたというカヤ様は、優しいだけではなく有能で、豊かな発想力をお持ちだった。
カヤ様のお側にいると、毎日が刺激に満ちていて楽しくて、いつしか自然に笑えるようになった。
そうするうちに、あの辛かった日々も、今の幸せを得るための試練だったのだと思えるようになった。
父や兄のことが気がかりだったし、婚約者と義妹に対する憤りもあったけれど、例え奴隷でなくなったとしても、今更貴族社会に戻れないことは知っていた。
伯爵家の令嬢だった私は死んだのだと自分に言い聞かせ、平和で豊かなダンジョンの中で心穏やかに暮らしていた。
『愛も信用も得られない』という4話完結の話を投稿する間に、出来るだけ話を先まで書き溜めて、矛盾点がないように修正しようと思っていたのですが、週末なので忙しくて結局はほとんど書けませんでした。
とりあえず、後2話ほど他視点が続きます。




