薔薇迷宮 ラザール視点
古い友人のセオから何度か連絡をもらっていたけれど、気が向かず、適当に返事をしていたら、ある日突然ダンジョンに拉致された。
セオがダンジョンマスターの契約精霊になったって噂を聞いた時は、暇を持て余してたんだなって思ったが、まさかここまで強引なことをするほどにマスターに入れ込んでるとは思わなかった。
『危険なことは何もない、ただの美しい迷路だから挑戦してみろ』
そんな言葉とともに放り込まれたのは、美しい薔薇の咲き誇る迷路で、とてもダンジョンの中とは思えなかった。
このダンジョンはまだ外と繋がっていないのか、セオの転移で直接迷路の前に連れてこられて、しかも迷路に蹴り入れられたけど、なんか一瞬ちらっと、ダンジョンにあったらおかしいものが見えたような気がする。
俺が迷路に侵入すると同時に入り口が塞がったので、しっかりと確かめることができなかった。
何でダンジョンの中に宿があるんだ!?
俺の見間違いか?
周囲の気配を察知してみるけれど、魔物はいないのか危険な気配が全くしない。
ここがダンジョンであることを考えると、不思議で仕方がないが、まだ製作途中みたいだから魔物の配置をしていないだけだろうか?
戦うには狭い通路だから、ここで出てくる魔物ならそう大きくはないだろうけど、武器によっては取り扱いが面倒そうだ。
ただひたすら歩き、時々見つかる罠のない宝箱を開けていく。
宝箱の中には、ポーションや見たことのないコインが入っていた。
コインは通路の薔薇と同じ赤色だけど、何か意味があるのだろうか?
彫りこまれている薔薇が美しくて、装飾品に加工したいようなコインだ。
迷路としては厄介だけど、ダンジョンと考えれば難易度はそんなに高くない。
魔物が出たとしても、狭い通路を有効活用するように戦えば、そこまで苦労はしないだろう。
個人的に、この美しい迷路を魔物の血で汚すのは気が進まないが。
それにしても、セオがダンジョンマスターと契約してから1年は経っているはずなのに、どうしてこのダンジョンはまだ製作中で、外と繋がっていないんだ?
ダンジョンにそんなに長い製作期間が与えられるなんて話は聞いたことがない。
場所によってはなかなか見つからず、気が付くと巨大なダンジョンになっていることもあるけど、たいていのダンジョンは、大きくなる前に見つかり、コアを奪われてきた。
今残っているダンジョンは、コアを奪えないから残っているんじゃなくて、コアを残して有効活用した方がいいからあえて残してあるダンジョンだ。
ダンジョンが残るか消えるかは、ダンジョンが発生した土地の領主次第で、最近は立地が悪いとか、残しても益がないとか判断されない限り、コアを壊さずに残すことが多い。
税収を増やしてくれる冒険者を呼ぶのに、ダンジョンはとてもいい餌だからだ。
俺もSランクの冒険者として、色んなダンジョンに挑戦してきた。
時には臨時パーティを組むこともあったし、単独でダンジョンに挑むこともあった。
色んなダンジョンを知っているけれど、ここは俺が知るどのダンジョンとも違う。
まず、薔薇の香気のせいか、空気がダンジョンらしくない。
妙に居心地がよくて、戦闘意欲が削がれて困ってしまう。
冒険者はむさい男が多いから、そいつらとこの美しい迷路を歩く姿を想像したら、ちょっと気持ち悪かった。
でも、冒険者の女と歩くのも遠慮したい。
いい雰囲気の場所だからと、やたらと迫られるのが目に見えるし、隙を見せたら即押し倒されそうだ。
魔物と戦うだけあって、冒険者の女は肉食獣みたいなのが多い。
俺の容姿は人間からするととても美しいらしくて、ただでさえ鬱陶しいのが寄って来るのに、ランクがBになった頃から、結婚相手として狙われるようになった。
容姿がよく強く金回りもいいとなれば、とてもいい物件らしいけど、あまり積極的に来られると萎える。
ちょっと気を引かれる子がいても、気が付くとその子の姿を見なくなることが続いて、特定の人は作らず、どうしても人肌恋しいときは、娼館を利用するようになった。
俺はドラゴンだけど、人型でいることが多いからか、感覚は人間寄りだ。
寿命が違い過ぎる人間を番にしようとは思わないけれど、一夜限りの相手に種族は問わない。
「……何で、ダンジョンに噴水?」
迷路を抜けた先、やっと迷路が終わったかと思えば、まだ終わりじゃないらしい。
開けた場所には噴水があって、休憩しろとばかりにテーブルや椅子が置いてあった。
端の方に四角い大きな箱があって、一体なんだろう?と思いながら近づいてみると、ガラスの向こうに水筒やお菓子が並んでいた。
どうやらこれは魔道具らしく、箱の横に使用方法を書いた看板があったのでその通りに操作してみると、下の取り出し口に俺の選んだお菓子が入っているらしい箱が落ちてきた。
銀貨が一枚必要だったけど、高価な甘味を使ったお菓子が食べられるなら、高いとは感じない。
ダンジョンで手に入ったものをその場で食べるのは、毒などを警戒して、普段ならばやめるところだけど、この菓子は、包装してあるにもかかわらず、とてもいい匂いがしている。
せっかくだからと椅子に座って箱を開けてみると、可愛い形をした焼き菓子が、5個並んで入っていた。
甘い匂いに誘われて齧り付くと、しっとりしていて甘くてとても美味しい。
長年生きているけど、こんなにおいしいお菓子を食べたのは初めてだ。
ほんの少しレモンの風味がして美味しい焼き菓子は、あっという間になくなってしまった。
後になって、これはマドレーヌという名の焼き菓子だと教えてもらったけど、最初の印象が強烈だったのか、俺の一番の好物になった。
「これなら、毒だってわかってても食うだろうな」
お代わりを買いに魔道具の前に行って、今度は違うお菓子を選ぼうとした。
その時に、さっき宝箱で手に入れたコインで買えるお菓子があることに気づいた。
ここで使うためだったのか!と、喜び勇んでコインを投入してボタンを押すと、さっきよりもずっと大きい箱が出てくる。
テーブルに運んでウキウキしながら箱を開けると、まるで宝石箱みたいに、色とりどりのお菓子が詰まっていた。
焼き菓子だけでなく、色鮮やかな果物を使ったケーキもあるし、クッキーや見たことのないお菓子も入っている。
ケーキは王族や高位貴族に歓待されたときに食べたことがあるが、口にする機会など滅多にないお菓子だ。
どれも美味しそうで、思わず喉が鳴った。
「確か、前にセオに淹れさせたお茶があったはず……」
魔法鞄からポットを取り出して、カップにお茶を注いだ。
ポットはまた魔法鞄に戻し、目についた苺を使ったお菓子にかぶりつく。
まず苺の味に驚かされる。
こんなに甘くてみずみずしい苺は食べたことがない。
その苺をたっぷりと使ったケーキは、味といい食感といい絶品で、夢中で食べてしまった。
食べた後にお茶を飲むと、口の中がさっぱりして、また次が欲しくなる。
次のお菓子に手を伸ばしては、お茶を飲んで、それを繰り返していたら、たくさんあった箱の中身を全部食べつくしていた。
甘味は高価なものだから、稼いでいる俺でも、一度にこんなに食べることはない。
満腹になり、心も満たされて、迷路を先に進んで行く。
何度か罠のようなものを察知して、解除しながら進んで行った。
宝箱も見つけたけれど、コインは入ってなくてがっかりした。
歩きに歩いて、漸く迷路の出口らしき場所を見つけた時、あれだけ警戒していた罠に引っかかってしまう。
その瞬間、転移が発動して、気が付くと迷路の入り口にいた。
ここは間違いなくセオに蹴飛ばされた場所で、やっぱりさっきのは見間違いではなかったらしく、宿のような3階建ての大きな建物がある。
「もしかして、やり直しか……?」
もう一度コインが手に入るかもしれない喜びと、また迷路を抜けないといけないという面倒さが入り混じった複雑な気分で迷路に入っていく。
ここにセオがいない以上、俺は迷路を抜けるしかないのだから。
この時の俺はまだ知らなかった。迷路が一つではないことを。
理性を試される美味しい罠に嵌りながら、セオに再び拉致されるまで迷路を彷徨うことになるのだった。




