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冒険者見習いの少年  セオドア視点




 カヤ様が起きているときに、カヤ様のお側を離れるのは気が進まない。

 だが、私ほど優れた転移の使い手は他におらず、人の世界へお使いに行くのに私ほど適した者は他にいなかった。

 最初、カヤ様は私を外に出すことで危険はないのかと心配なさっていたが、精霊を害することができるような人間はほとんどいない。

 滅多に姿を見ないからか、精霊は崇められることも多く、精霊に認められた人物というのは一目置かれるので、精霊と敵対するよりは取り込もうとする。

 強欲で、能力目当てに精霊を強引に囲い込もうとする者も稀にいるが、私は転移ができるので、いつでも好きな時に逃げられるし、他の精霊達も大人しく掴まりはしない。

 人族の間では魔法を封じる魔道具が存在しているが、長く生きた猫精霊である私の魔法を封じられるような魔道具は存在しない。

 つけた瞬間に壊れて失せてしまう。

 というわけで、私は自由気ままに人族の街を歩いていた。

 獣人族の国もあるのだが、下手に赴くと神のように崇められ、拝まれてしまうので居心地が悪い。

 猫精霊である私は、必要以上に構われるのは嫌いなのだ。

 主がいる今となっては、主であるカヤ様以外には触れられたくもない。



 当初の目的通り、冒険者ギルドで魔物の素材などを売り、その後に商業ギルドでは魔法鞄を売って、懐を潤した。

 精霊達が欲しがる素材を集めるためと、不帰の森の魔物を間引くために、カヤ様が休んでいる夜中に狩りをしているので、いらない素材がかなり溜まっていた。

 カヤ様と契約してから、素材を売るのに都合がいいので、冒険者ギルドと商業ギルドに登録してある。

 商業ギルドには魔法鞄をいくつも持ち込んでいるので、ランクも一気に上がった。

 人の世のことには興味がないので、駆け引きせずに気楽に後腐れなく販売できるということで商業ギルドに持ち込んだだけだから、正直なところ人の定めたランクなどどうでもいい。

 ただ、今後奴隷を購入するならば、商業ギルドのランクも少しは役に立つだろう。

 商業ギルド側は、定期的に魔法鞄を持ち込んでほしいようではあるが、あまりにもしつこいならば違う街のギルドを利用するだけのことだ。

 今のところ、あらゆる国の商業ギルドに分散して売っているので、面倒ごとには発展していなかった。



 カヤ様が喜んでくださるようなものが何かないかと、主の喜ぶ姿を想像しながら街を歩くのはいいものだ。

 一刻も早くカヤ様のお側に帰りたい気持ちもあるけれど、些細なお土産でも喜んでくださるカヤ様はとても愛らしいので、その姿を見たいがために、張り切ってお土産を探してしまうのだ。

 神に寵愛されているカヤ様の身の回りは、素晴らしい品々で溢れているので、それを超える品を探すとなるととても難しいが、カヤ様は外の世界を知ることができると、何を持ち帰っても喜んでくださった。



「嫌だっ! 放せっ」



 不意に甲高い子供の声が響いた。

 目をやると、数人の冒険者らしい男たちに、まだ10歳くらいの人族の子供が囲まれている。

 確か、あの子供は冒険者ギルドにいた。

 あの幼さで既に冒険者として働いているようで、依頼達成の報告に来ていたので覚えていた。



「俺の金だっ、返せよっ!」



 あんなに小さな子供が稼いだ金額などたかが知れているだろうに、それを奪い取ろうなど、何という下劣な奴らだ。

 自分たちで依頼の一つでも達成すれば、今子供から取り上げるお金の何倍も稼げるだろうに。



「お止めなさい」



 歯向かってきた子供を殴ろうとしていた男の手を掴み、財布らしき小さな袋を取り上げた。

 ついでとばかりに、男の腕をひねり上げると、大げさな悲鳴を上げて痛がっている。



「何だっ、てめぇには、関係ないだろうがっ! そいつの手を離せ」


「馬鹿野郎っ! 逃げるぞっ、相手が悪い」



 仲間意識が強いのか、猫精霊である私に突っかかってきた男を、他の仲間たちが抑える。

 逃げる気になったようなので、未だ腕を掴んだままだった男も解放して、仲間の方へと突き飛ばした。

 その瞬間、弾かれたように男たちは走り出し、あっという間に姿が見えなくなる。



「ありがとうございました」



 親の教育がいいのだろう、少年が頭を下げてお礼を言う。

 困窮した生活をしながらも、しっかりと礼儀が身についた子供というのは、意外に少ない。



「たまたま通りかかっただけです。はい、これは君のでしょう?」



 財布を差し出すと、もう一度お礼を言いながら受け取って、大事そうに両手で握り込んだ。

 栄養不足なのか、痩せて薄汚れていても、瞳に曇りはない。

 精霊には相手の性質をある程度感じ取る能力があるので、善人や悪人の区別はしやすかった。

 といっても、基本的に人は善悪を併せ持つものであるし、善悪のどちらに天秤が傾くかは、環境や状況次第だ。

 完全な善も完全な悪も、滅多に存在しない。

 私の大事な主である優しいカヤ様ですら、負の感情を持ち合わせている。



「また絡まれるといけませんから、送っていきましょう」



 あの男たちが戻ってくることはないだろうと思ったけれど、何となく気が向いて送っていくことにした。

 もちろん、完全な善意ではなく、この少年の家族も少年と似た性質の持ち主であるのなら、カヤ様の元へ連れて行ってもいいかと思ったのだ。

 ダンジョンの中ではあるけれど、街よりもよほど安全だし、仕事ならばいくらでもある。

 奴隷を購入することを考えて資金を増やしていたけれど、こうした貧民の子供を雇えば、購入資金も必要ない。

 街で育った子供ならば、買い出しの手伝いもしてもらえるだろうし、悪くないかもしれない。



「私は猫精霊のセオドアと言います。君の名前は?」



 申し訳ないからと遠慮していたのを説き伏せて、一緒に歩き出すと、躊躇いながら市場に寄っていきたいと頼まれた。

 カヤ様のお土産が見つかるかもしれないので、連れ立って市場へと足を向ける。



「俺は、キート。セオドア様は、強いね」



 丁寧な口調で話そうとしているようだけど、慣れないのか片言になっている。

 普段はもっと荒い言葉遣いなのだろう。

 相手に合わせて言葉遣いを変えようとする意識があるだけ、見所がある。



「精霊は人よりもずっと長生きですからね。長く生きていれば強くもなります。キートは、まだ成人していないのに働いているのですか? 冒険者見習いなのでしょう? さっきギルドで見かけました」



 一歩踏み込んで聞いてみると、ギルドで会ったことを私が覚えているとは思わなかったのか、驚いてしまったようだ。

 猫精霊は珍しいから、人の街に行くと見られるのが当たり前になる。

 冒険者ギルドで、キートが私を見ていたのにも気づいていた。



「……父さんが冒険者だったけど、去年、護衛依頼の時に盗賊にやられて……。少しは貯金もあったし、最初はそれで食いつないでたけど、母さんが病気になって、働けなくて、代わりに俺が働いてるんだ。もう10歳になったから、冒険者見習いならやれるし、ここは大きな街だから、街中の依頼も多くて、仕事にもそんなに困らないし」



 見習いの受けられる最低ランクの依頼など、面倒だったり大変だったりするだけで、報酬も子供の小遣いよりはマシといった程度に違いないのに、キートは前向きでまっすぐだ。

 市場に辿り着くと、顔見知りがたくさんいるようで、笑顔で受け答えしながら、傷み始めた野菜や肉などを格安で譲り受けていた。

 今日は猫精霊である私が一緒にいるので、あちこちで驚かせてしまったけれど、この辺りの市場は人のいい者が多いようだ。

 私は人の善悪を匂いで感じるけれど、ここはあまり悪臭がしない。

 ちなみに、私の大事な主であるカヤ様は、花のようなかぐわしく優しい香りがする。

 そばにいると幸せになれる心地の良い香りだ。



「キートは、この街が好きですか?」



 これほど街に馴染んでいる子供をダンジョンに連れていくのは無理かと、考えを改めながら問いかける。

 キートはそんなことは考えたこともなかったのだろう。必死に考えるように首を傾げた。



「うーん……好きか嫌いかなら、好きだけど、嫌いなところもあるよ……さっきみたいに、嫌な奴に絡まれることもあるし、難癖をつけてくる依頼主もいるし。でも俺は、ここじゃないと生きられないし、それに……」



 何か嫌なことを想像したのか、キートの表情が翳る。

 心配や不安を抱えているのだろう、子供らしくない憂い顔は苦悩に満ちていた。



「……母さんが、もしも死んだら……保護者がいなくなる。俺が仕事に出ている間、まだ5歳の弟と3歳の妹じゃ、攫われるかもしれない」



 母親の状態があまり良くないのか、不安でたまらないのだろう。

 小さい弟妹を守るために、キート自身もまだ子供だというのに必死なのだ。

 キートの言う通り、分別のつかない小さな子供が大人しく留守番をしていられるとは限らない。

 下手に外に出れば、攫われて奴隷商に売られることもあるだろう。

 何もできない小さな子供ではたいした金にはならないが、それでも元手がタダで金が手に入るならと、攫って売るクズもいる。

 何も言えず、キートの頭を軽く撫でた。

 カヤ様は私に撫でられるのがお気に入りのようだから、小さな子供にも癒し効果があるかもしれない。

 思惑通りキートの表情が和らいで、ホッと息をつく。


 辿り着いたキートの家は、貧民街の端の方にあるあばら家だった。

 父親が亡くなった後、それまで住んでいた家の家賃が払えずに引っ越したらしい。

 キートがただいまと声を掛けて玄関を開けると、小さな子供たちが勢いよく飛び出してきて、キートにじゃれついた。

 弟妹にとって、キートは優しい兄なのだろう。

 帰って来たのが嬉しいと、全身で表している様は愛らしく、そしてどこか必死にも見えて物悲しかった。

 小さな子供は子供なりに、大好きな兄が帰ってこないかもしれない不安と戦っているのだろう。



「ネコしゃん!」



 3歳だという妹が、まだつたない口調で私を呼ぶ。

 猫精霊を見るのは初めてなのだろう、好奇心で瞳がキラキラとしていて、とても可愛い。



「ミミ。猫さんじゃなくて、セオドア様だよ。猫精霊様で俺のことを助けてくれた恩人なんだよ」



 キートの説明はまだ難しいのか、ミミと呼ばれた子供はきょとんとしている。

 弟の方は人見知りするようで、兄の陰に隠れていて、それでも猫精霊である私が気になるのか、家の中に逃げようとはしない。

 家の中の気配を探ると、死臭がした。

 キートの母はもう長くないだろう。

 この臭いから判断すると、もって一月というところだろうか。

 すぐにでも保護してやりたい気持ちと、カヤ様に死にゆく母親を見せたくない気持ちが鬩ぎ合った。

 すでに手の施しようがないとわかっていても、小さな子供たちの母親が死んでしまえば、カヤ様は助けられない自分を責めてしまうだろう。

 ダンジョンではすでに万能薬の生産もしているけれど、病やケガを治す万能薬でも、寿命ばかりはどうしようもない。

 万能薬を与えても治らないくらいに病気が進行していて、後は死を待つしかない状態だ。

 カヤ様を悲しませるわけにはいかない、そう決断した私は、少しでも最後が安らかなものになるようにと、苦痛を和らげる薬などを魔法鞄から取り出した。



「キート、これは痛みを和らげる薬です。母上が苦しんでいるときに、一粒差し上げてください。ただ、これは病気を治すものではありません。だから、過度の期待はしないように」



 母親がもう長くないことは、キートも感じ取っていたのだろう。

 私の言葉で、もうすぐ母親が死んでしまうことを知ってしまったキートは、溢れそうな涙をぐっと堪えた。

 泣くわけにはいかないと、必死に耐えている姿はとても痛ましい。



「母上にもしものことがあったら、この鈴を鳴らしなさい。キートが鳴らしたいと思わなければ、どれだけ振っても鳴りませんから、必ず持ち歩くように。母上のことはどうにもしてあげられませんが、安心して働ける職場を与えることはできます」



 小さな銀色の鈴も、薬の入った瓶と一緒に手渡した。

 母親を助けてやることはできない。けれど、弟妹が成長するまで、安心して働ける場を提供することはできる。

 ダンジョンが嫌なら、働いて資金を貯めて、弟妹と一緒に街に戻ればいい。

 多分、そうはならないだろうと予測できるけれど。

 カヤ様のダンジョンで暮らして、外に出ていこうなどと考えるわけがない。

 あれほど安全で豊かで居心地のいい場所など、他にはないのだから。

 作りかけの今でさえ、この地のどれだけ豊かな国と比べても住みやすい状態なのだ、生きる苦労を知っている子供が、楽園のようなあのダンジョンを知って、外に出たがるはずがない。

 そのうちにダンジョンに人が増えれば、よりその気持ちは強くなるだろう。



「……ありがとうございます、セオドア様」



 何かを言いかけて躊躇って、そんな仕草を何度も繰り返した後、キートはお礼の言葉だけを口にした。

 心の強い子だ。

 母親を助けてほしいと、何度も何度も言いかけては飲み込んだのだろう。



「どういたしまして。キートが呼んでくれるのを待ってますよ」



 父親を亡くして、甘えることを我慢するようになってしまったキートが遠慮などしないよう、にこやかに声を掛け、ぽふぽふと頭を撫でてから、私はカヤ様の待つダンジョンへと転移した。

 カヤ様へのお土産を買い忘れていたことに気づいたのは、私の姿を見て安堵したように微笑むカヤ様を見てからで。

 謝る私に、『無事に帰ってきてくれたことが、何よりのお土産』だなどと、カヤ様が優しい言葉をくださるので、感極まってしまって、思わずカヤ様を抱きしめてしまった。

 主に対する態度ではないと、エイミーに痛いゲンコツをもらったけれど、カヤ様が可愛らしく胸に頬を寄せて甘えてくださったので良しとしよう。

 甘えることを知っていながら、家族を守るために必死に我慢しているキートと違い、甘え方すら知らないカヤ様を、どろどろに甘やかすのは私の役目なのだから。

 いつか、カヤ様の伴侶となる人が現れて、この役目を譲る日が来ても、愛らしい主を甘やかすことをやめられはしない。




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