薔薇の迷路
「ご機嫌ですね、カヤ様」
マスタールームの執務室に戻ると、奥で作業をしていたセオがお茶を持ってきてくれた。
セオの淹れてくれるお茶は美味しいので、とても嬉しい。
「迷路で悩んでいた問題が、解決しそうなの。迷路ができたら、セオにお願いすることがたくさん増えてしまいそう。水筒の件でもこき使っているのにごめんなさい」
精霊達に飲み物を差し入れをするときに作ったのがきっかけで、セオにはたくさんの水筒に空間魔法を掛けてもらっていた。
見た目よりもたくさん入って、中の飲み物が悪くならないようにと、手持ちの水筒に魔法鞄と同じ魔法を掛けてもらったら、それが精霊達に好評だったのだ。
冷たいものは冷たいまま、温かいものは温かいまま、いつでも好きな時に手軽の飲めるというのは、作業中だととても便利だそうだ。
鍛冶の得意な火の精霊達が水筒を量産してくれたので、そのすべてにセオが魔法を掛けてくれた。
同じ飲み物ばかりだと飽きるので、マグボトルのサイズで中身は2リットルくらい入る水筒にしてある。
この水筒は、迷路の自動販売機にも置く予定だから、精霊に水筒が行き渡った今も水筒の生産は続いていた。
ランダムで当たりを混ぜることにしたので、中には20リットルくらい入る水筒も作ってある。
当たりを引けるかもしれないともなれば、自動販売機の利用率も上がるだろう。
「心配はいりませんよ、カヤ様。あの水筒でしたら、空間魔法を使える精霊達が、魔法の熟練度を上げるために引き受けてくれましたから。もちろん、彼らでは作れる数に限りがありますから、私も作っていますが、負担になるほどではありません。カヤ様のお役に立てるのは、私達にとって嬉しいことですから、遠慮なく何でもおっしゃってください」
精霊達はそれぞれ他の仕事もあるのに、セオに協力してくれていたようだ。
睡眠をあまり必要としないから、活動時間が長いせいもあるかもしれないけれど、働き者ばかりだ。
「ありがとう、セオ。遠慮なく頼らせてもらうわ」
その中でも一番、私のために働いてくれるセオの手を取って、感謝の気持ちを伝えた。
セオの手は肉球がぷにぷにで触り心地がよくて癒される。
本当は毛並みのいい体にぎゅっと抱きついてみたいけれど、セクハラになるかもしれないから我慢している。
「カヤ様の場合、遠慮がなくなるくらいでちょうどいいのです。まったく我儘をおっしゃらないのですから」
もう片方の手で頭を軽く撫でられると、心地よくて顔が緩んでしまう。
肉球ぷにぷにの猫の手で撫でられるなんて、猫好きにはご褒美だ。
我儘なんか言わなくても、私が言葉にする前に何だってセオが叶えてくれる。
セオは私の最高の精霊だ。
「あ、そうだ。あのね、迷路は6つに分けることにしたわ。ギルベルトと話していて思ったんだけど、待たされるとイライラするでしょう? だから、一度に決まった数のパーティしか迷路に入れないのなら、挑戦できる迷路の数を増やした方がいいと思ったの」
説明しながらパネルを操作して、新しい階層を作っていく。
エリアの選択をしようとしたところで、『庭園 New!』という文字が目について、お爺ちゃんに感謝しつつ庭園ステージを選択した。
これでギルベルトが薔薇を育てやすくなるだろうから、本当にありがたいことだ。
私は精霊だけでなく、お爺さんにも甘やかされてばかりだ。
「確かに、冒険者ともなると気性の荒い者もいますからね。ただ、優秀な冒険者ほど、待つことの大切さも知っているものです。機を見ることも、冒険者として必要な能力の一つですから。不帰の森の中心部まで入ってくるような冒険者ならば、待たせてもそう酷いことにはならないでしょう」
セオの言う通りならば、イライラしてもそのせいで暴れる人はあまりいないかな?
でも、苛ついた気持ちを発散させる対象がないから、そういう意味ではストレスをためてしまうだろうか?
戦うつもりできているのに戦う魔物がいないというのは、あまりいいことではないのかもしれない。
ここが戦う場所ではないと理解してしまえば、気楽に楽しめるようになるかもしれないけれど。
迷路の次の階層では、ストレス発散ができるような仕組みを考えるべきだろうか。
予定では、草原ステージで、一度落ちたら一定時間出られない落とし穴を作るつもりだったのだけど。
「冒険者のことなんて、私にはまったくわからないから、セオがそう言ってくれると安心するわ。次の迷路にすぐに挑戦できるとは限らないから、迷路と迷路の間には休憩スペースを作って、宿泊のための小屋でも設置しようかと思っていたのだけど……」
ポイント節約のために、ダンジョンの入り口付近にミニ神殿を設置してから、庭園ステージを限界まで拡張した。
6つの迷路を一つずつ順にクリアしてほしいので、居住区と比べると細長くなってしまう。
入り口に待機用のスペースを広く取り、6つの迷路の大まかな位置を決めて、それぞれの迷路の中心になる辺りに噴水を設置した。
こうしておけば、ギルベルトが迷路を作るときに、噴水が中心になるように作ってくれるだろう。
宝箱は、一つの迷路につき3つ出現するように、場所はランダムで設定する。
障害物がない、3方を壁に囲まれた場所に出現するようになっているので、変な位置に宝箱が出現するという問題などは出ないだろう。
「内部を拡張したとしても、小屋では数が足りなくなるのではありませんか? いっそ、各休憩所に宿のようなものを作って、人を配置してはいかがでしょう? 管理人がいなければ、他のパーティの迷惑も考えず、一人で一部屋を占拠するパーティも出てくるかもしれません」
セオの言う通り、管理人がいればベストかもしれない。
ルールを明記した看板を立てたにしても、必ず読んでもらえるとは限らないし、この世界の人達に日本人のような行儀の良さを期待してはいけないのかも。
かつて地震が起きた時、駅の階段で夜を明かしながらも、階段を利用する人が困らないようにと片側のスペースを空けていた日本人の国民性は、海外でニュースになるほどだったのだから。
日本と同じ感覚でいては、足元をすくわれそうだ。
「管理人って、人型に近い魔物を召喚する? それとも精霊にお願いするのがいいのかな?」
ダンジョンの中の休憩所から仕事でずっと動けないのでは、ストレスが溜まってしまうかもしれないのが心配だ。
貴族の屋敷などに勤めると、たまの休みに外に出ることもあるくらいで、敷地内から出ることはほとんどないと前にエイミーから聞いているけれど、出ようと思えばいつでも出られるというのと、絶対に出られないというのでは、かかるストレスが段違いだと思う。
「奴隷を購入するか、人を雇うのがいいのではないかと思っています。人型とはいえ、魔物がいる宿の中では冒険者達もゆっくり休みづらいでしょうから。パーティ単位で利用してもらうために、部屋の内部を拡張して、男女で分かれて使えるようにして、食事は有料にしましょう。飲食までタダとなると、居つかれる可能性がありますから。ついでに迷路に挑戦する順番も管理させれば、現場でのトラブルも減るでしょう」
奴隷制度があるというのは聞いていたけれど、セオに奴隷の購入を勧められるとは思わなくて驚いてしまった。
宿を管理するのが魔物ではいけないというのはわかるけど、奴隷を買うことには抵抗がある。
管理人を置く利点はとてもよくわかるけれど、管理を任せる人をどうするのか、その点が悩ましい。
お茶を飲みながら考え込む私の憂いを晴らすように、セオが優しく私の頭を撫でた。
セオの猫の手で撫でられるのが好きだって、すっかりばれている気がする。
「カヤ様、奴隷を買うのではなく、救うと考えてください。借金奴隷には、子供も多いのです。困窮した家を救うために、自ら売られる子もいます。通常の奴隷の契約は、奴隷にされる側が奴隷になることを望んでいなければ結ばれないので、違法奴隷は滅多にいないのですが、稀に攫われて奴隷にされることもあります。心身ともに弱った状態で契約を迫れば、それを拒むことは難しいですから」
この世界のことを学ぶ一環で、奴隷のことも少しは学んでいたけれど、それは奴隷契約をするときには、細かく条件を定めた契約書を作成するということくらいだった。
ダンジョンから出られない以上、奴隷と関わることはないだろうと思って、あまり深く知ろうとはしなかった。
家族のために身を売った子供達を購入したとして、ダンジョンマスターである私が幸せにしてあげられるだろうか?
私の作ろうとしているダンジョンでは、人手はいくらあっても足りないから、仕事を与えることはできる。
けれど、人の身でずっとダンジョンにいるのは、心身の負担にならないだろうか?
いつか奴隷から解放したとき、ずっとダンジョンにいた影響で外では生きられないなんてことになっていたら、後悔してもしきれない。
私にたくさんの人の一生を背負うだけの覚悟はない。
「ダンジョンの中にずっといることで、人に悪影響が出たりはしない? だって、一月とかではなくて、何年も何十年もずっと、ダンジョンの中にいないといけないかもしれないでしょう?」
一番の懸念を口にすると、セオが優しく微笑んだ。
「そこを一番に気にするカヤ様は、本当にお優しいと思います」
笑顔で誉められると気恥ずかしくて、頬が熱くなってしまう。
セオが私を褒めてくれることなんて、珍しくはないのだけど。
「外にも魔力が溢れているのですから、ダンジョンの中で暮らすことで悪影響が出ることはありません。むしろ、外よりもこのダンジョンの方が安全ですから、安心して暮らせるのではないでしょうか? 外にいればどうしても魔物の脅威から逃れることができません。ずっと街の中にいて、魔物に襲われることがないにしても、奴隷というだけで酷く扱われることは珍しくありませんから、カヤ様に買われる奴隷は幸せだと、私は思いますよ」
このダンジョンの中が安全であることは、私が一番よく知っている。
奴隷だからといって酷い扱いをするつもりはないし、食料の生産は軌道に乗っているから、お腹いっぱい食べさせることもできると思う。
接客をしてもらうのならば、ある程度の教育を受けてもらうけれど、それも、奴隷から解放されて、このダンジョンから出ていきたくなった時には役に立つのではないだろうか?
「エイミーは、買ってきた子供たちの教育を引き受けてくれるかしら? 接客をするのなら、ある程度の教育が必要だと思うの」
長命を生かして長年研鑽を積み続けているエイミーは、メイドの鑑ともいえる。
そのエイミーに教育されれば、どこに出しても恥ずかしくない従業員に仕上がるだろう。
「もちろんですとも。私も教育いたしましょう。本人の才能次第では、他の精霊達も教育してくれるでしょう。一流の職人である精霊達に教えを受ければ、腕のいい職人になれます。本人の素質にあわせて、与える仕事を振り分ければいいでしょう」
私一人では絶対に無理なことも、セオ達がいれば可能になる。
いつだって助けられている、そのことに対する感謝を決して忘れないようにしなければ。
「じゃあ、人を雇う予定で、入り口と休憩所にはそれぞれ宿を設置するわね。入ってすぐ足止めを食らうダンジョンって、きっと他にはないわよね」
苦労して不帰の森を通ってきた冒険者だから、待たされるのが嫌で帰るなんて事にはならないだろうけど、何か待たされる苛立ちを解消できるようなものを考えた方がいいかもしれない。
命懸けで森を抜けてやってきた後だから、心身ともに癒されるような宿を作ればいいだろうか?
美味しい食事やお酒、寝心地のいいベッド、それから、遊戯室でもあれば待ち時間も楽しめるかもしれない。
ついでに迷路のルールを説明できたら、スムーズに進んでもらえるかな?
「他にはない、唯一のダンジョンを作る予定なのですから、それでいいのですよ。すべてカヤ様のなさりたいように。私達はそれを全力でお手伝いしますから」
心強いセオの言葉に頷いて、私は後にダンジョンの名称ともなる薔薇の迷路の階層を作った。
エイミーとも話した地上の楽園への第一歩だ。




