兎精霊のメイドさん
目が覚めると、やっぱり窓がないことに違和感を感じる。
もう人ではなくなったはずだけど、心がお日様を求めてしまう。
早くダンジョンのレベルを上げて、自然の豊かな階層を作りたい。
ベッドを出て、身支度を整えてから寝室を出ると、セオとメイド服を着た二足歩行の兎さんがいた。
茶色の毛並みに長い耳と優しそうな目をした、とても可愛い兎さんだ。
セオと並んでいるのを見ると、まるでシル〇ニアの世界に迷い込んだかのような気分になる。
「おはようございます、カヤ様。こちらは私の古い友人で兎精霊のエイミー。カヤ様さえよろしければ、カヤ様付きのメイド長として雇用していただきたいのです。メイドとしての能力に関しましては、私が保証いたします。人族の姫にも仕えていたことがありますので、精霊の中でも人族について詳しく知っておりますから、カヤ様が不自由なく生活できるように心配りできると思います」
セオに紹介されて、エイミーさんは綺麗な所作で一礼した。
洗練された動きはセオと同じで年季が入っていて、とても美しかった。王族に仕えていたというのも納得できるような気品もある。
私は母親と同じ世代の女の人が苦手なので、エイミーさんの見た目が完全に兎なのはありがたかった。
「私のためにありがとう、セオ。エイミーさん、私はダンジョンマスターになったばかりで、ダンジョンだけでなく、この世界のこともほとんど知りません。色々と教えていただけると助かるので、よろしくお願いします」
雇い主ではあるけれど、お世話になる身なのでしっかり頭を下げておく。
「セオドアに、人を殺さないダンジョンを作ろうとしているダンジョンマスターがいると聞いて、興味を引かれました。世にも珍しいダンジョンを作るお手伝いをさせていただけるのは、精霊としてこの上ない喜びです。私にできるのは、カヤ様の身の回りのお世話と、新人のメイド達の教育くらいですが、精一杯務めさせていただきます。どうぞ私のことは、エイミーとお呼びください」
落ち着いた柔らかな声音が心地いい。
エイミーは包容力を感じさせる癒し系だ。
「わかったわ、エイミー。でも、お世話をしてもらうのはいいのだけど、報酬はどうしたらいいのかしら? ダンジョンの魔法陣で召喚したセオと違って、エイミーは直接契約することになるのでしょう? お金で払おうにも、私はまだこの世界の通貨を見たことさえないの」
雇うからには報酬が必要だけど、この世界のお金は持ってないし、どうしたらいいのだろう?
セオはダンジョンポイントと引き換えに雇用したけど、報酬がそれだけというのはあんまりだと思うし、セオの報酬も何か考えた方がいいのだろうか?
「カヤ様、精霊と雇用契約をする場合の報酬は、色々とあるのですが、こちらにある異世界の道具や食べ物は十分に報酬になります。精霊は珍しいものが好きなのです。他では得られない唯一のものとなれば、飛びつく精霊も多いでしょう。それに、ダンジョンの中はダンジョンマスターの魔力が充ちています。カヤ様の魔力が心地いい者にとっては、この魔力に包まれて生活できるだけでも幸せな事なのです」
セオが丁寧に説明してくれるけれど、住み込みの仕事なんだから、衣食住を提供するのは当たり前のことで、それを報酬と言われても納得がいかない。
「カヤ様。よろしければ私に異世界の料理やお菓子のレシピを教えてください。この世界にはない料理などを作れるようになれば、それはメイドとしての私の能力が更に高まることになります。他では得られない唯一の報酬です」
私が納得していないのに気づいたのか、エイミーがセオをフォローする。
私に都合がよすぎるようにも思うけれど、そういうものなのだと割り切るしかないのかな。
何か他にあげられるものがあったら、その都度、ボーナス的に支給すればいいだろうか。
「わかったわ。一緒にたくさん、料理やお菓子を作りましょう。まずは朝ご飯からね」
せめて美味しいものをたくさん食べてもらおうと、キッチンへ足を向けた。
焼かなくても籠の中にパンはたくさんあるけれど、せっかくドライイーストがあるのだからパン生地を作って焼いてみたい。
多分、ホームベーカリーを使えるように、ドライイーストを用意してくれたのだと思うけど。
天然酵母のレシピを見たことはあるけれど、扱いが難しそうなので一度も試したことはなかった。
発酵に時間がかかるから、手作りのパンはまた今度にして、冷蔵庫から卵やチーズを取り出す。
初めて見る物だらけのキッチンで、エイミーは戸惑っていたようだったけれど、私が冷蔵庫から食材を取り出すのを見て我に返ったようだ。
「お手伝いいたします。何をお作りになりますか?」
「今日はチーズオムレツにしようと思って。今はまだ3人だけしかいないし、一人で食卓につくのは好きじゃないから、一緒に食事をしてね」
先に断っておかないと、食べている間はそばに控えられそうなので、そうお願いしておいた。
精霊の場合、食事はしなくても構わないらしいから、一緒に食べるように勧めないと遠慮されてしまう。
睡眠もほとんど必要ないようで、セオの部屋を作ろうとしたのだけど、ソファで十分だからと断られてしまった。
「カヤ様がお望みでしたら同席させていただきますが、私達精霊は、食べなくても生きていけますからご心配なく」
エプロンをつけて手に洗浄を掛けてから、朝食の支度を始めた。
セオは他の作業をしているようで姿が見えない。
「どんな味のお料理なのかを知るためにも、食べてみる方がいいでしょう? それに、体の栄養にはならなくても、心の栄養にはなると思うの」
美味しいと感じるのは幸せだから、体だけでなく心まで満たされる。
人が生きていく上で、心の栄養は必要だと思うのだ。
私だって多分、食事をしなくても生きていける体に変化しているはずだけど、人のように生きることをやめられない。
体はダンジョンマスターでも、心は人のままでいたい。
「心の栄養……。そのような考え方もあるのですね」
ふふっと柔らかな笑みを漏らして、エイミーが私の手元を覗き込むように隣に立つ。
「美味しいものを食べるのも分かち合うのも幸せだから、そういう気持ちを忘れたくないの」
私が料理を覚えたのは、母に言われて仕方なくで、習い事の一環だった。
『男の人の胃袋を掴むため』だなんて、くだらない理由で習わされた料理だったから、最初は楽しいと思うこともなかったし、義務感で料理教室にも通っていた。
将来、一人暮らしを始めた時に役に立つから、他の習い事よりは熱心だったかもしれない。
辛うじて亡くなった私の父とは入籍していたようだけど、私は父のことをまったく覚えていないし、母から父の話を聞いたこともない。
一番古い記憶を辿っても、母の周りには常に複数の恋人がいて、不思議なくらい恋人達に愛されていた。
父の遺伝子なんか影響していないみたいに、私は母にそっくりで、母も私が自分と同じように育つように心血を注いでいた。
見た目がそっくりでも、性格は正反対だったのに。
私にとって母は目標ではなく、常に反面教師だった。
あんな女にだけはなりたくないと思いながら、言われるがままに習い事に通い、女性としての自分を磨いた。
料理をするのが楽しくなったのは、中学時代、数少ない友人達が、私の作った物を喜んで食べてくれたからだ。
特にお菓子は、可愛いものを作ればとても喜ばれるから、ラッピングなどにも凝るようになった。
抑圧された日々の中で覚えた分かち合う喜びを、決して忘れたくはない。
漸く、自分を押し殺すこともなく、思うままに、好きなものに囲まれて生きていけるようになったのだから。
こちらにも卵料理はあるけれど、オムレツにチーズをいれるというのが珍しかったようだ。
物流システムの未発達なこちらの世界では、あまり作られていないチーズを手に入れること自体が難しく、チーズは贅沢品らしい。
牛の魔物は比較的温厚なので、テイマーというスキルを持つ人が捕まえて販売しているから、小さな村でも牛が飼われていることは珍しくないけれど、ほとんどが牛乳のまま消費されるそうだ。
エイミーにそれを教えてもらったとき、乳製品が簡単に手に入るシステムキッチンをもらえたことに、再度感謝した。
その内、祭壇でも作ってお爺さんにお供えをした方がいいだろうか?
「「カヤ様、美味しいです!」」
セオとエイミーの表情が、チーズみたいにとろけている。
嬉しそうな猫に兎だから、癒し効果も半端ない。
一緒に美味しいご飯を食べられる幸せを感じながら、お昼には何を作ろうかな?なんて、気の早いことを考えていた。




