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精霊界にて  セオドア視点




「おやすみなさいませ、カヤ様」



 カヤ様が眠りに就いたのを確認してから、精霊界に転移した。

 すべての精霊達の故郷であり、育成の場である精霊界では、たくさんの精霊達がのんびりと暮らしている。

 人間界に赴いているのは、人間と契約している精霊と、後は一部の変わり者くらいで、精霊というのは基本的に精霊界で暮らすものだ。

 のんびりと暮らしながらも自身の技量を磨き、召喚に備える者もいれば、人間嫌いで精霊界に引き籠る者もいるが、精霊というのは基本的に気まぐれで自由だ。

 束縛を嫌う性質を持っているので、好き好んで人間と契約する精霊は少ない。

 そんな中、ダンジョンマスターとの契約というのは、精霊にとって特別なものだ。

 ダンジョンマスターはコアが壊されない限りは死なないから、契約も長期のものになる。

 すぐに死んでしまう人族と違い、ダンジョンマスターとの契約は長い間楽しむことができるので、人気があった。

 ダンジョンマスターの人柄によっては長期間苦労することになるので、どんなマスターにあたるのかと、ギャンブル性が高いのも人気の高い理由の一つだ。

 精霊は長すぎる生に飽きている者が多いので、刺激を好む。ダンジョンマスターとの契約は、刺激に富んでいて、退屈しのぎにちょうどいいのだ。


 新たなダンジョンマスターが現れたと知り、私はすぐに登録を済ませた。

 過去に一度もダンジョンマスターとの契約ができなかったので、今度こそはと意気込みながらも、半分は諦めてもいた。

 ケットシーの召喚ポイントというのは他と比べて高いらしく、ケットシーが召喚されることは滅多にない。

 余裕を持って召喚できるだけのポイントがたまる頃には、もっと戦闘力の高い精霊が召喚されることが多く、ダンジョンマスターと契約のできたケットシーというのは、過去に数人しかいなかった。

 だから、今回も早々に登録したものの、契約は無理だろうと諦めていたのだ。

 けれど、カヤ様は一番最初にケットシーを求めてくださった。

 他に数人、同族のライバルがいたけれど、カヤ様の望みに一番近いのは私だったようで、無事に召喚していただくことができた。


 私の初めての主は、とても美しく優しい方だった。

 艶のある黒髪と黒い瞳。

 清らかでありながら艶めかしい、相反する印象を違和感なく持ち合わせた嫋やかな女性だ。

 ダンジョンマスターでなく、人の世で生きていたならば、カヤ様を巡って争いが起きたことだろう。

 それくらいカヤ様は美しかった。

 それだけでなく、カヤ様はとてもお優しい。

 精霊として当然のことをするだけでも、心から感謝してくださり、息をするように自然に私を気遣ってくださる。

 あれほどに優しい主は、どこを探してもいないだろう。

 その上、カヤ様は珍しい異世界出身のお方で、神に特別に愛されていた。

 カヤ様のために用意されたマスタールームを見れば、カヤ様がどれだけ特別なのかがとてもよくわかる。

 通常のダンジョンの初期のマスタールームは、ダンジョンコアの部屋の他に一部屋しかない。

 そこには机やベッドなどの最低限の家具が置いてあるだけで、必要な物はダンジョンポイントで交換して手に入れるしかないのだ。

 昨日できたばかりのカヤ様のマスタールームには、見知らぬ異世界の物が溢れていた。

 この世界にカヤ様を遣わしてくださった神が、カヤ様を大切に思っている証のように私は感じた。

 きっと、『ダンジョンへの侵入者をお客様と考え、人を殺さないダンジョンを作る』というカヤ様の構想を、神も支援なさりたいのだろう。

 あの場所へダンジョンが作られた理由は、ダンジョンを作ることで魔力だまりの魔力を減らし、発生する魔物の数も減らして多くの命を救うためだとカヤ様が教えてくださった。

 勇者候補が亡くなってしまったので、そうしなければ魔物が増えすぎてたくさんの国が滅ぶと神がおっしゃっていたらしい。

 魔物が増えれば魔物同士の争いも起き、その中で強い個体が増えていく。

 魔物の集団を纏める知能のある個体が複数生まれれば、国も滅んでもおかしくない。

 精霊界は別の次元にあるとはいっても、国が滅ぶほどに人が死ねば、精霊界にも悪影響がある。

 何としても、そんな未来は回避しなければならない。

 人々の命を救うために作られたダンジョンが侵入者を殺すというのも皮肉な話だから、カヤ様が理想通りのダンジョンを作れるように、出来る限りのお手伝いをしたい。

 どのようなダンジョンにするのかという構想を聞かせていただいたけれど、このようなダンジョンならば攻略してみたいと、好奇心を刺激されてしまった。

 命の危険がなく宝が手に入り、宝を手に入れる過程も楽しめるとなれば、冒険者以外の人も集う人気のダンジョンになるだろう。

 ただ、カヤ様の理想とするダンジョンを作るためには、2年の準備期間があっても足りないのではないかと感じている。

 間に合わせるためには外部の手助けも必要だ。



 まずはカヤ様が快適に過ごせるようにするための人材を確保しなければ。

 過去に、人族の姫に仕えていたこともある友人の家を私は訪ねた。





「久しぶりですね、エイミー。元気にしていましたか?」



 私が尋ねたのは、兎精霊のエイミーの家だった。

 彼女は数十年前に人族の姫に仕えていたが、その姫が嫁ぎ先で亡くなったことで契約が解除されて精霊界に戻ってきた。

 それ以来、メイドとしての技能を磨き、後進を育てながら精霊界で暮らしている。



「新しいダンジョンマスターに召喚されたのではなかった? もう里帰りですか?」



 言外に、早々に里帰りしたくなるほどに酷い主だったのかと聞かれて、慌てて頭を振る。

 ほんの一瞬たりとも、見当違いの誤解などさせたくない。

 私の主は素晴らしいお方なのだから。



「里帰りではなく、勧誘に来たのですよ。新しい主は女性なのですが、王族の姫よりも姫らしい、素晴らしいお方なのです。こちらは、私の主からです。側仕えを勧誘に行くと話しましたら、自ら作ってくださいました」



 カヤ様に託されたクッキーの包みを取り出し、テーブルの上を滑らすように向かいのエイミーに差し出す。

 手作りと知って驚いた様子を隠すこともなく、エイミーは包みを手に取った。

 この世界にはない、透明の袋に入ったクッキーは、見た目も可愛らしく仕上がっている。

 味も素晴らしく、カヤ様が自ら食べさせてくださったときには、天にも昇る心地だった。



「姫よりも姫らしいお方が、これをお作りに? セオドアの主はお優しい方のようですね」



 包みを開け、クッキーを一枚取り出したエイミーが、おもむろに齧り付く。

 甘味の嫌いな精霊など滅多にいない。

 ましてや、精霊界では手に入らないチョコレートを使ったクッキーともなれば、誰もが喜ぶだろう。

 確かめるようにクッキーを一口食べたエイミーは、その後、一枚食べ終えるまでずっと無言だった。

 私はそれを見ながら、エイミーの淹れてくれたお茶を飲む。

 カヤ様は紅茶が殊の外お好きなようだから、エイミーの淹れたお茶を気に入る事だろう。

 私はエイミーの勧誘が失敗するなどとは、欠片も考えていなかった。



「セオドア……優しいダンジョンマスターでは、生き残れません。あなたの主がお優しい方なのはわかります。私はあなたと違って、ダンジョンマスターに仕えたいなどと思ったことはありませんが、お仕えしてもいいのかもしれないと心を動かされました。ですが……私はもう、主が死ぬところを見たくないのです。ましてや殺されるところなど、絶対に見たくありません。ですから、残念ですが……」


「待ってください、エイミー。私の話は、まだ終わっていません。断るのならば、すべてを聞いてからでも遅くはないでしょう?」



 断りを口にしようとしたエイミーを止めて、私はカヤ様が作ろうとしているダンジョンの話をすることにした。

 私だって、通常のダンジョンだったならば、いくら女性の主だからといってエイミーを勧誘などしない。

 エイミーが前の主を殺されて、傷ついていたことを知っているのだから。

 精霊界に戻って来たばかりの頃、エイミーはショックのあまり塞ぎこんでいて、ずっと家に引き籠っていたのだ。

 こうして会話ができるようになるまで、長い時間がかかった。

 それくらい、精霊にとって契約者を殺されるというのは辛いことだ。

 心の一部が一緒に死んでしまうと言っても過言ではない。



「私の主が作ろうとしているのは、人を殺さないダンジョンなのです」



 まだ反論したそうだったエイミーは、私の言葉を聞いて驚きで硬直した。

 その後、ありえないとばかりに頭を振る。

 私だって、カヤ様を知る前に同じことを聞いていたら、とても信じられなかっただろう。

 ダンジョンというものは、宝を餌に人を取り込み、殺すための場所なのだから。

 ダンジョンマスターだって、ダンジョンを攻略されれば自分が死んでしまうのだから必死だ。

 だから、ダンジョンで人が死ぬのは当たり前のことなのだ。



「決して夢物語ではありませんし、夢物語には致しません。だからこそ、私はあなたを勧誘しに来たのですよ、エイミー」



 力強く宣言した後、私は畳みかけるようにカヤ様のダンジョンの構想を話し始めた。

 話していくに連れ、エイミーの瞳に熱が籠り始め、たいして苦労することもなく私はエイミーを勧誘することができたのだった。





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