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ぞんび・えでぃ♡ぶる!  作者: ぬこ
あこがれのセンパイ
3/3

闇の中から

 ずっと暗い海の底で眠っていたような気がする。何が起きたのか、思い出せそうな、思い出せなさそうな、ぼんやりした意識の中。生ぬるく暗い海の底に永遠に沈み込んでいくかのように。

 私は、誰だっただろう。

 何も見えず、何も聞こえず、体を動かそうと思ってもどうやったら動かせるのか忘れてしまった。

 記憶は、失ったわけではない。思い出せる光景がある。我が子を抱き、家族で過ごした日々。夫の顔も子供の顔も、ぼんやりと思い出せる。温かい光につつまれた記憶。

 ああ、思い出した。私はきっと死んだのだ。あの事故の中で。もしかしたら今、死のうとしている途中なのかもしれない。

 私は、研究をしていた。

 命を守る研究。

 たとえ四肢を失っても臓器を失っても、自分の体の中で再生し、もとに戻す治療を。

 人間の体にあるすべての細胞はたった一つの受精卵が分裂してできている。だからある組織が失われたとしてもその組織の元になる細胞からもう一度つくりなおせば元の健康な体を取り戻せる。「元の細胞」から必要な組織をつくることは、今存在する細胞に任せればよい。

 現在研究されている組織再生技術のほとんどは組織を生体の外部で形成させて患者に移植することを考えている。それは完全にコントロールされた施設での培養を必要とするため多大なリソースを要求する。つまり、とても一般的な治療に使えるほどのコストまで効率化することは期待できない。私たちの方法なら最初の再生の開始と治療完了後の終了処理だけで再生が行われるはずだった。

 研究は半ばまでは成功していた。マウスのような実験動物では期待通りの効果を示したのだ。だが、人間に近い動物での応用は困難を極めた。再生の開始は比較的僅かな技術的改良で解決できたのだが、治療を終わらせることができなかったのだ。治療を終わらせることができない、つまり改変された細胞を体内から取り除くことができず、生き延びた細胞が増殖し続け、想定していない組織の細胞までも乗っ取ってしまうことが確認されたのだ。

 この致命的な問題を解決するために私たちは日夜研究を続けていたが、その道半ばで事故が起きた。研究途中の細胞改変カクテルごと爆発事故が起きたのだ。この事故はある程度予見されたものではあった。私たちが期待をかけていた「終了ボタン」化合物の合成には最終段階で水素付加が必要だったのだが半減期が数十ミリ秒あまりにも寿命が短く、投与する直前に合成しなければいけなかった。そのような物質に頼ることは治療コストを押し上げ安全性の確保も必要となるなど難点が多すぎるから一度考え直すべきだと主張する研究者もいた。しかしアカゲザルでの成績が向上しないことに焦っていた私は系が安定してから代替物を探すべきだと半ば強引に計画を推し進めたのだった。ほぼむき出しの水素ボンベのある環境で十分な安全管理ができていたのか、焦りが私に自分での確認を怠らせ他人任せで放置する状況をつくらせていた。

 思考がクリアになってきた。このように思い出せるというなら私は死んではいないのだろうか。確かに爆発と、飛び散る試薬や実験機器の記憶がある。あの中で私が無事だったとはとても思えない。ならば今、死に直面して記憶が走馬燈のように巡っているのだろうか。だとすると家族のことを考えない私はよほど薄情な仕事人間だとあきれるしかないが、どうしてもそうとは思えない。何も見えず聞こえず、閉ざされた空間で一人いるようなこの感覚は、夢を見ているように感じられる。ひょっとしたら私は病院のベッドに寝ているのではないだろうか。そしてもしかするとただ脳だけが動き、肉体とのつながりを失って。

 だが、手足を動かしていたのとは違う感覚でだが、外界と相互作用を試みられるような手触りが、ある。海の底から光を求めて手を伸ばすような。

 この行動が客観的に何を行った結果なのか、全く想像がつかない。だが、もし手を伸ばし何かをつかめればこの夢から覚めることができるような気がする。目が覚めた世界では破壊された体があるだけかも、ただ死に行くまでの一瞬を過ごすだけかもしれないが、このままなにも知らずに潰えていくことに比べれば遙かにましだ。例えそこには絶望しかないとしても、絶望することもできないまま消え去るよりどれほどましだろう。私は私のできうる限り、この手を伸ばすのだ。

 夢見ていることを知りながら目覚めようとする夢のように、あるいはおとぎ話から逃げ出そうとするおとぎ話の主人公のように、そうすることが矛盾であるのかもしれない。その到達不可能性を覚えながらもある時何かを感じた。懐かしい、手触りとも匂いとも景色とも分からない何か。ああ、これは私が生きていた証であるはず。これを取り戻すことができたら、戻れる気がする。せっかくつかんだ現実の一端、なのに私にはそれをつかむ方法が分からない。悔しい。悔しい。ああそうだ、悔しさ、この感情。何かを求めあがくこの思いが生命ではなかったか。私はやはり死んではいない。生きて、自分へと帰りたいのだ。待っている家族がいるはずの。


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