策士の策
◆
あれから五日が過ぎ、こちらは急ごしらえだが小型の砦を作った。
作った砦を、丸太の上を転がして最前線へと運ぶ。イメージ的には秀吉の墨俣築城だ。相手を驚かせて防御を強化できれば、それで良い。
この作業を一回やったら、ガイナス軍の攻撃がピタリと止んだ。
砦がハリボデでないことを、この一回でガイナスは理解したらしい。もしもここを突破しようと思うなら、相応のリスクを背負うことになる。それを考慮すれば、無為に攻めることなど出来ないと判断したはずだ。
俺が恐れていたのは、それ以外の場所から一挙に攻め込まれることだったが――どうやらガイナスは本当に堅実な戦術家らしい。そのような冒険に出る事もなかった。
こうして敵が足踏みをしている間に、あと三つの砦を作り四方の守りを固めてしまわなければ。
とはいえ、ガイナスの行動は不気味だ。堅実というより臆病にも見える。
何しろ、その後のガイナスは山の周囲を薄く包囲し、攻撃を仕掛けてこない。
持久戦に切り替えるつもりだというのは分かるが、本当にそれだけだろうか? 稀代の名将が、無為に時を過ごすはずもない。何かを企んでいるような気がする。
天を見上げた。真っ青な空に鷹らしき鳥が飛んでいる。ここ暫くの間、雨が降っていない。空気も乾燥していた。
俺は属州パンノニアの気候を思い出す。国境に近いこの地方は、春や夏でも乾燥している。こんなとき、俺が敵ならどう攻めるだろうか……。
「火だ……」
故に火を以て攻を佐くる者は明なり――とは孫子の言葉。ガイナスほどの名将ならば、地球でなくとも実戦で火を使ってくるのは自明の理だろう。その準備に時を費やしていたと云うなら、辻褄が合う。
だけど、どうやって?
一般的に火計というのは、不意をつく形で内部から出火させるもの。だけど今、こちらの陣営に裏切り者がいるとも思えない……だとすれば敵の密偵が動くのだろうか?
けれどミネルヴァが来て以来、俺もガブリエラもセルティウスもメディアも必至で密偵を捜している。しかし痕跡すら掴めていないのだ。だとすれば正直、人間では無い可能性の方が高い。
だからミネルヴァは死霊魔術の使い手で、幽霊から情報を貰っているのではないか――との説が有力になりつつあった。
しかし幽霊では火を付けられない。それほど物質世界に対し、影響力は持てないからだ。
だとすると、一体どうやって火計を成功させる算段なのだろう。
「あっ!」
ふと、閃いた。
彼女が爆炎魔法を使えるのなら、それを時限爆弾のように起動させることが出来るのではないか? と。ならば彼女は爆弾を、いったい何処に仕掛けたのだろうか?
思い出せ、俺。先日ミネルヴァが触れたもの、居た場所を。
「そうかっ!」
可能性があるとすれば、あそこしかない。
俺は急いでガブリエラの天幕に向かう。
着いた先では、セルティウスと熱心に剣の稽古をしているガブリエラがいた。
メディアは築城の指揮をテキパキとこなし、額の汗を拭ってる。赤い鎧が、なんだか嬉しそうに輝いていた。
メディアは剣よりトンカチを握った方が似合うのかもしれないな……。
俺の姿を見つけたメディアが、颯爽と寄ってくる。両手にトンカチを持っているのは、こんな場合でも二刀流だからだろう。
「ア、アレクシオス、私の砦が役に立ったようで何よりだ。きょ、今日はその、なんだ……褒めてくれるのか?」
「……素晴らしい砦を作ってくれたね、ありがとう、メディア。あと三つも宜しく頼むよ」
「お、おう! 任せておけ! 私は剣の次に築城が得意なんだ! というか、お前は身分の割に横柄だな。私はこれでも騎士爵なんだぞ」
いや、明らかに剣より築城の方が得意だろう――とは流石に言えない。
「騎士爵? ああ、そうでした。申し訳ない」
「い、いや、いい。別に敬語など使わずとも……!」
両手を前に突き出し、トンカチごとブンブンと振るメディア。色々と危ない。俺はガブリエラに視線を向け、彼女の下へ行こうとした。
「そう? なら……ところで軍団魔術師どのに用があるんだけど、ガブリエラさまに聞けば彼の居場所が分かるかな?」
メディアが眉根を寄せている。今にもトンカチを俺の頭に振り下ろしそうだ。なんでだ? 今の会話で怒るポイントがあるのか?
「ダメだ、姫様はいま忙しい……と思う。少なくともお前と話をしているヒマは無い」
「そうか? 暇だから稽古しているんだろう?」
「い、忙しいったら忙しいんだ! 稽古中は誰にも邪魔されたくないって前に言ってたからっ! 軍団魔術師どのの居場所なら、私だって知ってる。ほら、こ、こっちに来い!」
俺はメディアに手を引かれ、一緒に木陰へと入った。
「この間は油断しただけだからな、け、決着はまだ着いていないからな! そのことを忘れるなよっ!」
トンカチをブンブンと振りながら、メディアが言う。
まさかここで俺の頭をカチ割るつもりだろうか? やはり剣よりトンカチの方が得意とは、メディア恐るべし。
「今度はトンカチで俺と勝負するのか? だけどちょっと今は……」
「は? バカなのか、アレクシオス。トンカチは武器じゃない……あっ!」
両手に持ったトンカチを胸の前で合わせ、ハッとするメディア。赤面しつつ、腰に吊るした革袋に道具をしまう。
「ちょっと取り乱しただけだ。その……私に勝った男なんてお前だけだから……なんだか平静でいられない」
それは君が俺以外の男と勝負をした事が無かったからでは? と思うが言えない。なんていうか、メディアには言えない事がどんどん増えてゆく。
「そうか。それはそうと、軍団魔術師どのはどこにいる? そのことが聞きたいんだけど」
メディアが少しだけつり上がった、気の強そうな瞳で俺を睨む。瞳の色は澄んだ青で、ちょうど今日の空のような色だった。
まじまじと見れば、彼女も実に美人だ。ガブリエラやミネルヴァが一千万人に一人の美人なら、彼女は百万人に一人といったところ。
ガブリエラとメディアのイチャラブを想像すると……グフ、グフフ。
「おい、何をニヤニヤしている!」
「あ、すまない。あまりにも、その……君が綺麗だったから」
「そ、そんな……私なんてガブリエラさまと比べれば、薔薇と野草ほどの差が……」
「そんなことはない。俺から見れば二人は立派な百合だ」
「そ、そうか? お前はそう思うのか?」
「もちろんだ。百合こそ至高にして至尊だしね」
「そうか、百合か……私もガブリエラさまと同じ、百合……ふふ、ふふふ……ありがとう、アレク」
手を後ろで組んで、メディアさんが揺れている。頬が赤く染まっているのは、ガブリエラと百合ってのが嬉しいのだろう。良いこと言ったな、俺。
「自分を貫けよ、メディア」
大きく頷き、メディアに微笑みかける。
メディアは潤んだ瞳を俺に向け、笑った。小さな八重歯が愛らしい。間違いなくこれは、ガブリエラの妹的な百合だ。デュフフ。
「……で、軍団魔術師どのだったな。メンフィスどのならその辺で薬草の採取をしておられる。何でもこの山には、無数の薬草があるそうだ。火急の事態だというのに魔術師というのは、本当に暢気なものだよ」
メディアはくるりと背を向け、歌う様な口調で言った。かなり機嫌が良くなったらしい。
「そうか、ありがとう」
俺は礼を言って、メンフィスさんを探すことにした。確か彼は四十代くらいのやせ細った男。賢者の学院から下賜された魔術師の杖を持って、カーキ色のローブを着ているはずだ。
要するに軍団兵とは違った服装だから、嫌でも目立つ。探すのに手間は掛からないだろう。
「ま、まて、私も一緒に行く」
「あれ、築城の指揮は?」
「いい。一つ作って見せたんだ。ずっと見ている必要なんてない」
「そっか、じゃあよろしく。一人で探すより二人の方が早く見つかりそうだしね」
俺は頷き、木陰から歩き出した。メディアが俺の横を歩く。
「私とガブリエラさまは、一歳しか違わない。それなのに、どうしてこうも実力が違うのだろう? やはり才能の差なのだろうか……」
ボソリとメディアが呟く。
「才能、か」
正直、ガブリエラの才能ってやつは前世から引き継がれているものが大きい。日本で学んだ武道が、この世界の戦いでも大きく役立っているのだろう。
少なくともこの世界は地球で云う所の中世以前。格闘技や戦技が確立している時代ではない。そんな中で身体の動かし方を知っているガブリエラは、言ってしまえばそれだけで異質だ。
その上で、確かに彼女は天才の部類に入るのだろう。だから同世代の誰も、彼女には勝てない。だけどそれをメディアに伝えることは出来ないし、伝えたところで信じては貰えないはずだ。
「お前にも、天賦の才を感じるよ。今回の戦い、お前が居なければ我が軍は全滅だった。ガイナスの動きを予測し、対応する。こんなことが出来る男なんて、世界に二人と居ないよ」
それは誤解だな、うん。
俺は子供の頃から歴史が好きだったし、その影響で兵法書やら戦略論やらを読みまくっただけ。
過去には無数の名将がいて、その戦い方を知っているからガイナスのやり方の予測がつく。
それに俺はガイナスを知っていた。けれどガイナスは俺を知らない。だから相手の戸惑いを利用している部分だってあるのだ。
「買いかぶりだね、それは。俺はしがない十人隊長に過ぎないし、それだって、なったばかりだよ」
「――そう言うが、敵将ザクスンも討ち取っただろう。生きて帰れば、その功績をもって百人隊長となる。つまり騎士爵位を得るんだ」
メディアが俺に肩を寄せてきた。顔も近い。耳元で彼女は更に囁いた。
「そうなれば、私とお前は同格だ。身分と言う名の障害が無くなれば、私達は――」
メディアが何か喋っていたが、どうやら話はここで終わりだ。俺は足を止め、目の前の人影を指差した。ローブの男がしゃがんでいる姿が見えたからだ。
メディアが小さく溜め息を吐いたような気がするが、それはどうでもいいことだった。
◆◆
「やあ、どうも。私は治癒魔術が苦手でしてねぇ。ほら、この草なんかは止血に、こっちは打撲に効くんですよ」
ニチャアっとした笑みを浮かべるメンフィスさんは、白髪混じりの茶色い髪だ。おでこの方が少し薄くなっているようで、一生懸命前髪を下ろしている。でも、バレてるよ。
肩から斜めに掛けた鞄の中に、色々な薬草が沢山詰まっていた。それを一つ一つ手に取って、声を掛けた俺に見せてくれる。
「は、はぁ」
「ところでお二人とも、私に何か御用ですか?」
こほん、と咳払いをして、威儀を正したメンフィスさん。軍団魔術師と云えば、いわば参謀長のようなもの。地位はガブリエルに次いで高いのだ。
「実は、ガイナスの次の手の件で話があります」
「ふむ……次の。何でしょう?」
「おそらく、次は火攻めを考えています。そして対象となるのが、ガブリエラさまの天幕かと」
「なんと」
まったく無表情のメンフィスさんは、口だけで驚いてみせた。
「ミネルヴァ嬢が天幕に爆炎魔法を仕掛けた、ということでしょうか? ですがそのような痕跡はありませんでしたよ」
流石に軍団魔術師になるだけのことはある。もう、チェック済みだとメンフィスさんは言う。
「もう一度、調べてくれませんか? 彼女が想像よりも高度な魔法を使うとすれば……」
「高度な魔法になればなる程、私の目は誤摩化せませんがねぇ。彼女が他に触れた場所の心当たりは?」
細い目を糸のようにして、メンフィスさんが顎に指を当てた。
俺はもう一度、ミネルヴァが触った場所を考えてみる。
彼女は、ガブリエラの天幕に来た。そして触れたもの――そう、最後に彼女は俺の肩に手を触れたはずだ。
「それなら……俺――俺の鎧を調べてくれませんか?」
メンフィスさんはまたもニチャアっとした笑みを浮かべ、複雑な呪文を唱え始めた。
賢者の杖の先端を俺の鎧にかざすと、杖に彫られたルーン文字が青白く輝く。
「おや、おや……これは」
「どうですか?」
「ええと、アレクシオスさん……でしたね。貴方、危なかったですよ。この魔法が発動すれば、塵も残らず消え去ってしまうところでした。だけど大丈夫、今、解除しますので」
「……ちょっと待って下さい」
少しだけ考え、メンフィスさんを止める。
俺は優し気な微笑みを浮かべるミネルヴァに対し、寒気を覚えた。女は笑顔で嘘を吐く。いや、彼女は嘘を言ってはいない。けれど、ドMのフリして俺に親近感を抱かせながら、同時に殺そうとしていたんだ……。
だが、タネが分かれば手品なんて何の面白味も無い。俺は、これを利用する手を思いついた。
ガイナスにしてみれば、俺を亡き者にしつつ隙を作る一石二鳥な作戦のつもりなのだろう。
だからこそ、乗じる隙が出来るのだ。ざまぁ。
「どうしましたか?」
「気になることがありまして」
「何でしょう?」
「魔法は俺自身に掛かっていますか? それとも鎧に?」
「鎧の方です」
「……なら、そのままに出来ますか?」
「できますが……」
「この魔法の効果範囲は?」
「小さなものなので、それ程広くはありません。天幕を一つ、二つ吹き飛ばし、炎上させる程度でしょうね」
俺は頷き、鎧を脱いだ。
「いつ発動するか、分かりますか?」
「だいたいは」
メンフィスさんによると、魔法の発動は明後日の夜、とのこと。火計を夜に使うなんて、セオリー過ぎる。敵襲だとでも騒ぎ立て、こちらの混乱を図るのが狙いだろう。
俺はすぐにガブリエラの下へ行き、事情を説明した。
彼女は天幕の中で良く冷えた葡萄を食べていたが、立ち上がるとすぐに周辺の地図が置かれた机の前へ移動する。
「なんだと! おれのアレクシオスになんてことを! だからあのメスブタ、おれは最初から気に食わなかったんだ!」
「おれのアレク? なんだそれ」
立ち上がって大股で歩くガブリエラに、俺は疑問の声を投げかけた。
「なんだ、文句あるか?」
「いや……別にいいが……それよりだな、この際だから、これを利用しようと思うんだ」
「さすが、おれのアレクシオス・セルジューク。さあ、策を言え」
ドヤ顔で大きく頷き、机上の地図を見据えるガブリエラ。自分で考える気はナッシングらしい。
「フルネームで言えばいいってもんじゃなくて、だな……」
「ん?」
小首を傾げるガブリエラは、子猫もびっくりの愛らしさだ。元男だなんて、誰も信じないだろう。
「もういい……」
色々とツッコミたい気持ちを抑え、俺はガブリエラに作戦を提案した。
ガブリエラには出来るだけ装備を軽くした騎兵を率いてもらい、爆発に乗じて敵の背後に回ってもらう。
狙えるならば、敵の本営――ガイナスの首。出来なければ、ミネルヴァでも良いだろう。
一方でこちらは混乱を装い、敵を引き付ける。そこへ弓兵の一斉射を放ち、敵攻撃部隊に打撃を与えるのだ。
「腕が鳴る……ふはは」
ガブリエラが、まるで太陽のように輝く笑みを浮かべた。手に持った一房の葡萄を頭上に掲げ、下からパクリと食べてゆく。まるで敵をこうするぞ、とでも云わんばかりに。