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巡る巡る陰謀の糸

 ◆


 アルカディウス歴一〇五四年一〇月二〇日。今年度の元老院議会が始まるまで、あと三日である。

 記録によれば、この日は雷と共に雹が降ったらしい。

 当時はまだ日傘が主流で、雨傘が一般には普及していない時代――アレクシオスは街路に叩き付ける氷の塊を見つめ、何を思ったのであろうか……。


 皇帝となる以前のアレクシオス・セルジュークに関する資料は、アントニア・カルスやミネルヴァ・シグマの手記が主となっている。

 したがって二人と行動を共にしていない時期というのは、一次的資料が無いと言っても過言ではなかった。


 もちろんかつてはアレクシオス・セルジューク本人が記した手記もあったのだが……二世皇帝の御代、皇妹の一人が焼却処分としたのだ。


 伝承によれば、アレクシオス・セルジュークは百合に関する造詣が深く、それについてかなり深く研究をしていたらしい。

 およそ一千万文字近くの研究資料があったと云われており、だとすれば彼は新種の百合を創造していた可能性もある。


 まったくもってアレクシオス・セルジュークの多才さやいかに。

 政戦両略の天才にして、植物の品種改良すら極めていたとは――まさに稀代の逸材であろう。

 事実――皇妹がこれを燃やした理由も、父の研究を引き継ぎ没頭し始めた二世皇帝を、現実に引き戻す為だと伝わっている。

 やはり偉大な父を持てば、子等は大変な苦労をするのだ。


 しかしだからこそ我々はアレクシオス・セルジュークの行動と結果を知る為に、周辺の人物へと焦点を合わせる。

 特に彼の政敵として台頭するクロヴィス・アルビヌスに関して知る事は、アレクシオス・セルジュークの行動原理を紐解く上で、非常に重要な役割を持っていた。


 このクロヴィス・アルビヌスという人物は、歴史において評価が二分する希有な人物だ。

 ある一方では魔導の統合を目指した偉大なる魔導王ロードと云われ、また一方では、常に今一歩の所でアレクシオス・セルジュークに敗れる残念な男――と評されている。


 このように二分した評価が残るのも、彼の著書が現代にも残っていたり――彼とアレクシオス・セルジュークの交わした書簡が多数発見されていることが大きい。

 もちろん、そうした資料はセルジューク朝が滅んだ後、魔導王国ソーサル・キングダム時代に研究が進み、彼に対して良心的な解釈が為された。その結果として、クロヴィス・アルビヌスの復権が為されたのであろう。


 むろんセルジューク朝を打倒した魔導王国ソーサル・キングダムが、旧体制を否定する為に彼の敵を持ち上げた――という側面もある。

 でなければ彼が魔導王ロードの称号を得る事など――たとえ死後であっても――あり得なかったと多くの歴史家は考えていた。


 余談だが魔導王国ソーサル・キングダム時代、ディアナ・カミルの権威は著しく失墜する事となる。

 彼女はセルジューク朝の時代こそ「月の女神」と讃えられていたが……その倒錯的な死霊研究が明るみに出るや、死霊女帝の汚名を被った。


 この時代、「悪い事をすると、死霊女帝がくるぞ」とは、子供を叱る決まり文句で――実際に彼女を見た――と言うも者も多数、存在したと云う。


 もっとも今では彼女こそが現代医療の母であり、外科手術の祖と云われ、その復権も果たしている。


 話を戻そう……。

 ともあれアレクシオス・セルジュークにとってクロヴィス・アルビヌスという男は、ある意味で無くてはならない存在であった。何故なら彼の野望を踏み台にして、アレクシオスが権力の階梯を昇ったからだ。

 だからそこ我々は皮肉を込めて彼の事を、「アレクシオス大帝のご学友」――と呼ぶ。

 事実、彼等は同時期に賢者の学院へ在籍していたのだから、嘘ではないのだ。

 

 また――面白いのが、アレクシオスとクロヴィスは、互いに互いを自らの陣営に誘っていること。

 それはつまり、力量を認め合っていたことの証左である。

 また同時に、アレクシオス帝が生涯を通じて最も多く手紙を送った相手が、クロヴィスであった。

 同様にクロヴィスも、アレクシオスに最も多くの書簡を送っている。

 しかしだからといって彼等が日常的に友誼を示した例は、一切見当たらない。


 また、二人のやり取りに度々登場するのは、ディアナ・カミルである。

 どうやらクロヴィスとしては、彼女さえ妻に迎えることが出来るなら、アレクシオスに降っても良い――とさえ考えていたらしい。

 しかし、アレクシオスは頑としてこれを撥ね付けていた。理由は様々である。


 これに関しては、歴史家達も意見の分かれるところで……。


 例えば――大帝アレクシオスは部類の女好きであった――とする説。


 これであれば、後に月の女神とまで謳われるディアナ・カミルをアレクシオスが誰にも渡したくなかった、ということで説明がつく。


 逆にディアナ・カミルを魔導師的な観点から、他者に渡したく無かった――とする説。

 

 こちらはアレクシオス帝の性格――いわゆる狡猾で油断ならない人物――という点を裏付けることが可能になるだろう。


 さて――そのクロヴィス・アルビヌスだが……この年は例年になく忙しかった。それは自らの計画に基づき、いよいよ帝国を我が物にせんと動き始めたからである。

 それはつまりアレクシオス・セルジュークの運命も、加速度的に動き始めたことを意味するのであった。


 ――――


 クロヴィスの邸、その一室に彼の私兵が集まっている。会議の為だ。

 部屋はそれなりに広いが、殺風景であった。

 中央に長机があり、その周囲に簡素な椅子が並んでいる。

 上座の奥にアルビヌス家の紋章をあしらった垂れ幕が掛かっている他は、見るべき調度品も無かった。


 ここに集まった私兵は、幹部の五人。

 中には、リー・シェロンという昇竜族の青年もいる。

 皆が椅子に座る中、彼は短身なので、一人だけ椅子に乗り立っていた。

 けれど横幅も広いから、まるで椅子に球体が乗っているようである。


 彼等が無言で待っていると、奥の扉が開いてクロヴィスが姿を現した。

 その表情は自信に満ちて、覇気が漂っている。

 物事が概ね順調に運んでいるせいか、喜びが全身から漂っているのだ。


 クロヴィスはつい先ほどまで、ユリアヌスと会っていた。彼の相談を受けて、次々と答えていたのだ。

 といっても、ユリアヌスに政変を起こす気概など無い。

 だから彼の相談は、主にガブリエラとの結婚に関する事――それから元老院議会中における、警備体制に関してであった。


 ガブリエラに関しては、どういう訳か婚姻を保留にされてしまったらしい。

 それに関しては、アレクシオスとレオ公爵が仲違いした――との話を聞いている。


 結果としてテオドラ姫との婚姻が宙に浮き、それを嫌ったことによるレオ公爵の配慮だと伝え、皇子を納得させた。

 だからクロヴィスとしては、アレクシオスを味方に引き入れようと考え始めている。


 ガブリエラとユリアヌスが婚約すれば第三軍団を無効化出来ると考えたが、それよりもアレクシオス・セルジュークの方が価値のある駒だと彼は考えたのだ。


 一方、会期中に於ける軍団の配置は、クロヴィスの思い通りとなった。

 これで元老院を襲う手筈は整った――襲ってしまえば、もはやユリアヌスに言い逃れなど出来よう筈も無い……。

 安っぽい神輿ではあるが、「担いでやるか」とクロヴィスは内心で笑い、目を細めた。

 こうして先ほど皇子と別れ、彼はこの部屋に現れたのである。


「すまんな――殿下のご機嫌が麗しくないもので、無駄に時間が掛かった」


 苦笑しながらクロヴィスは上座に腰を下ろし、長机の上に乗った地図に目を通す。

 その間、私兵達は立ち上がり、クロヴィスに敬礼を向けている。一人リーだけが、椅子の上で立ったままだった。

 といって――彼を咎める者はいない。何しろ椅子の上に立っていてさえ、他の者と身長が変わらないからだ。


 クロヴィスが軽く手を挙げると、皆、着席する。統率の取れた兵団らしい。リーだけは、机の上に胡座を組んだ。今にも転がりそうだ。

 しかし彼こそがクロヴィス兵団の長であるから、フンと鼻息を吐いて、真っ先に報告をする。


「この×印のところに火を付けるアルよ。そうしたら帝都はもう、大騒ぎアルね!」


 嬉しそうにリーが言うと、他の者も頷いている。

 彼等の目的は、皇帝暗殺時に於ける陽動だ。

 帝都の各地で火災を起こし、近衛軍団と第二軍団を混乱させる。

 時を同じくして彼の意を受けた精鋭が元老院にも火を掛け、そのどさくさに紛れて皇帝を暗殺する――という算段である。

 いかに帝都にいる全軍がユリアヌスの配下であろうと、父殺しは大罪。堂々とやる訳にはいかないのだ。


 また、放火をする者も身内という訳にはいかない。辿られても自らに行き着かないよう、人選は慎重にすべきだった。

 だからクロヴィスは、丸い兵団長リーに問う。厳しい表情で……。


「実行者の身元は? 捕えられたとして、我らに辿り着かないだろうね?」


「もちろん大丈夫アル。全部ペガサス家の領地から連れて来たヨ!」


「うん――では、くれぐれも我々との繋がりが露見しないように」


「と、いうか――そもそも、コレは陽動ダロ? 成功すればユリアヌス殿下が皇帝になるってのに、何でここまで慎重にスルか? 身長? ……誰がチビアルかッ!?」


「いや……誰も身長のことなんて言っていないよ、リー」


「むっ! 誰がデブあるかッ!?」


「体重のことも言っていないよ、リー」


「ん? そうアルか? なら良いアル……で、なんだっけ……アル?」


「リー……つまり策とはね、常に最悪の状況も想定しておくべきなのだよ。この場合は誰かに見破られ、暗殺を防がれた場合の事を……ね」


「うっわ! 後ろ向きアル! そんなの無いアル! 無いアル? あるアル? 絶対に成功させれば問題無いアル! 無い……有る? アル?」


「……問題が有るのか無いのか……どっちなんだい、リー……」


「だから……無いアル!」


「ま、まあ……何かにつけて楽観的な君だから、そう言うのかも知れないね。だけど次善の策を用意しておく――ということも大切なのさ。私としては、これがどのような結果に終ろうとも利益があれば、それで良いのだからね」


 ◆◆


 ヨハネス教の大聖堂は荘厳な石造りで、地上十二階の高さを誇る。

 帝都で最も高い建物であり、その偉容は皇宮さえ凌ぐほど。

 普段であれば礼拝堂に降り注ぐ陽光がステンドグラスをくぐり抜け、色鮮やかな色彩を参拝者へ届けているのだが……今日はあいにく雷光の煌めく曇天で、つい先ほどから大粒の雹が降っている。

 お陰で参拝者達は神に祈りを捧げつつ、大聖堂の屋根を打つ雹の音に眉根を寄せていた。

 

 “ガラーン、ゴローン”


 それでも、大きな鐘の音は響き渡る。

 尖塔の最上階に置かれた無数の鐘が、一斉に鳴った。正午の合図だ。

 降りしきる雹に対しても神威を振りかざす――これがヨハネス教団の有り様であった。


 むろん地上に於ける神の代弁者、総大主教マヌエル・ロムヌスも雹など気にしない。

 大聖堂の上階にある執務室において、彼は常と変わらず仕事を続けている。


 マヌエルは相も変わらず黒檀の机に向かい、息つく間も無く次々と書類を処理していた。

 その様は見る者に、宗教家というよりも能吏といった印象を与えるだろう。

 しかし純白の法衣に紫紺のマントを羽織る姿は、地上に唯一人、確かに彼がヨハネス教における最高権威者であることを示していた。


「クロヴィス……遅かったな」


 聖職者の白い法衣を身に纏ったクロヴィスが、父の前に立つ。

 彼は賢者の学院の魔導師であると同時に、教会の司教ともなった。

 この様な兼任は、双方の集団にとって初めてのことである。


「雹に降られまして……馬が嫌がりました」


「ふむ……この時期に雷と雹……吉兆であろう」


「そうであろうと、私も思います……父上」


 親子が良く似た笑顔を見せる。口を閉じたまま、口角だけを持ち上げていた。

 二人の瞳は共に灰色、どこか悪魔めいた色合いである。


「準備は?」


「万端、整ってございます」


「ん……」


 総大主教は満足げに頷き、机の上で腕を組んだ。


「我が騎士団が創設されたあかつきには――お前を初代団長に任命したいと考えておるが……」


「と、なると……学院を辞めねばなりませんか……」


「まだ早いか?」


「いえ――これ以上の工作は、やっても無駄でしょう」


 クロヴィスは僅かに首を傾げ、考える。

 彼は賢者の学院に所属する魔導師を、自らの陣営に引き込む為の工作を続けていた。だからこそディアナに拘っていた――ということもあったのだ。


「そうか。で――どの程度が我が方に付く?」


「三分の一ほどは……」


「上々だ……お前がそう言うのなら、もっと多いのだろう?」


「あまり私に、過剰な期待をなされますな……父上」


「フッフ……」


 口元に手を当て、マヌエル・ロムヌスがくぐもった笑いを漏らす。

 彼は野心家である――しかし同時に息子を溺愛していた。

 いや――息子の才能を溺愛していた――と表現した方が良いだろうか。

 

 もしもクロヴィスがアレクシオスの対抗馬になれた理由を上げるならば、己の才能に加えて、父親の後押しがあったことであろう。

 逆に言えば父親の後押しを失った後、彼は急速に力を失っていくこととなる。

 それは自身の才能を信ずる彼にとって、堪え難い屈辱であっただろう。それは、想像に難く無い。

 

 けれど同時に、彼は自らの才能不足に気付いていたのかも知れない。

 だからこそ彼はディアナ・カミルに固執し、彼女を我がモノにしようとしたのではないだろうか。


 その意味でアレクシオス・セルジュークと彼は、真逆であった。

 彼は持って生まれた家族の絆こそ不足していたが、その人生において自身を輔弼する人材が、時を経るごとに増えていったのだ。


 もしかしたら二人の才能は、拮抗していたのかも知れない。

 けれど、人材を巡る運が最終的に二人の勝敗を分けたのならば、やはり人生の損得とは、終ってみなければ分からないものである。


 ――――


 クロヴィス父子が水入らずの会話を続けていると、執務室の扉がノックされた。

 侍従代わりの司祭が声を発し、来客を告げる。

 名を聞くと、「ネルファ・ロサ」とのことであった。


 ネルファ・ロサはマヌエル・ロムルスの実兄で、ロサ家の次期当主だ。

 中肉中背で特徴の無い彼は、四十六歳という年相応にうらぶれている。

 それは豪奢な衣を身に纏っても、にじみ出る哀愁というモノだろうか。

 事実、彼は己の肩書きと比べて、些か地味な用事でここを訪れている。

 要するに、父の使い走りだ。


「やあ、兄上――よく来てくれましたね。そして、使い走りのようなことをさせて、申し訳ない」


 能面のような顔に歪な笑みを貼付けて、マヌエル・ロムルスが立ち上がった。

 部屋の隅にある長椅子を指差し、そちらへと兄を促していく。

 

 マヌエルとネルファがテーブルを挟んで長椅子に座ると、クロヴィスは場を辞そうと会釈をした。

 しかしマヌエルは手を挙げてそれを制し、自らの横に彼を座らせる。自身の後継者である、と――ネルファに知らしめる為だ。

 ネルファは柔和な笑みを浮かべて「構わぬよ」と頷いていた。しかし、内心の不快指数が加速度的に上昇している。


 何しろ本家本流は、間違い無くネルファだ。にも拘らず父の使い走りとして大聖堂に赴き、弟に上座を譲った。

 その上、上座側に弟の息子まで座るとあっては、自身の立つ瀬が無い――というものである。


 だいたいにおいてネルファは、今回の計画に反対だ。

 帝国の現体制は、絶妙な権力の均衡によって保たれている。それを崩すような暴挙は、例えロサ家が隆盛を極める為だとしても反対であった。

 むしろ、この行為がロサ家の存続を脅かす可能性に着目すべきだと、彼は考えているのだ。

 

 例えば他の三公爵家が結託すれば、いくら皇室と教会――賢者の学院の一部までを巻き込んでいるとしても、果たして抑えきれるのか?


 勇猛果敢な武門のレオ家。

 帝国の流通を取り仕切るペガサス家。

 執政官を排出し続ける、政界屈指の名門サーペンス家。


 彼等はあらゆるところに根を張り、全貌を決して見せない。

 むろん、それはロサ家とて同様だ。

 しかし、だからこそ他の三家を侮ってはならないとネルファは考えていた。

 とはいえ――父の意向は弟の支援である。逆らう訳にはいかないのだ。


「使い走りか……とはいえ、これを他の誰かに頼む訳にはいかんからな。――では、父上の言葉を伝えるぞ。準備は整った――聖堂騎士団二二〇〇〇、指揮官さえ居れば、いつでも動かせる」


「わかりました」


 ロムルスが頷き、目を閉じた。長年の悲願が叶うことで、感慨に耽っている。


「うむ……だが、我らが領地にて臨戦態勢を維持させるなど――一体どうするつもりだ?」


 ネルファの質問に、クロヴィスが微笑を浮かべて答えた。


「なに、叔父上――大敗した帝国軍を、颯爽と救って見せるのですよ。さすれば我らは一夜にして、救国の英雄にれましょう」


 ネルファにはクロヴィスの言葉の意味が分からない。

 けれど、帝国に渦巻く陰謀の糸、その中心付近に自分がいるというおぞましさに背筋が凍えた。

 本来なら自分は、このような場所に居るべきではないと思うからだ。


 帝国軍は味方ではないか。

 それが大敗だと? どうして笑って言える?

 負けるとすればモンテフェラートを攻略中の軍団だろう――何人が死ぬと思っているのだ。

 

 そう思うネルファは、善良であった。

 しかしそれを、ロサ家の現当主――彼の父であるチュロス・ロサは臆病と看做してる。

 だからこそネルファを計画の最中枢には入れず、このような使い走りにしているのだった。

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