お父さんに、ご挨拶?
◆
帝都に到着した翌日、俺は早々にレオ家の屋敷へ呼び出された。
正装して来いとガブリエラに言われたので、俺は仕方なく一張羅へ着替えて出かけることに。
本来なら一応は軍人である俺の場合、軍務服という選択肢もあるはずなのだが……。
それを言うと、所詮は連隊長の服――とのことでガブリエラに却下された。なので仕方なく帝国子爵として、きらびやかな衣服を身に纏う。
屋敷に到着して馬車から降りると、ガブリエラとメディアが緊張した面持ちで俺を出迎えてくれた。
ガブリエラは髪をアップで纏め、胸元を真珠のネックレスで飾り、青いドレス姿だ。婚約者を迎えるに相応しい恰好、ということなのだろう。
メディアの方は複雑な表情だ。喜んでいるようでもあるし、悲しんでいるようでもある。
ガブリエラが俺に奪われると思っているのだろうか――だとすれば、百合的にスマンと言うしか無い。
ガブリエラと腕を組み、俺は玄関から屋敷に入った。
「婚約者として、堂々としていろ」
「ガブリエラ。今日、結婚の許可を貰いに来た訳だから、まだ婚約者じゃあ無いだろう?」
「むぐっ! うるさい!」
開け放たれた扉の先では、使用人一同がズラリと並んでいた。
ピンと張りつめた静寂の中、彼等が一斉に頭を下げて、俺達に礼をする。
やはり当主がいるといないでは、屋敷の緊張感も違うのだな。
俺が遊びに来ていた頃は、もっと使用人達もおおらかだった様に思える。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
胸を張って鷹揚に応えるガブリエラと、その横で頭を掻く俺。
後ろに立つメディアが、小さな溜め息を吐いた。
「アレク――シオスさま。もっと堂々となさって下さい」
「あ、ああ……そうだね」
視線だけを後ろに送り、小さく頷いておく。するとガブリエラが言った。
「どうでもいい、父上が書斎で待っている。早く行くぞ」
そのまま手を繋いで広間を進み、階段を上る。父の書斎は三階の奥、とのことであった。
「お、おう」
これからガブリエラのお父さんに、「娘さんを下さい」と言うのか。
これ、どんな大軍と戦うより恐いぞ。足取りが重い……。
俺は歩きながら、気を紛らわす為に冗談を言ってみた。
「なあ、ガブリエラ。何て言えば良いと思う? ヘイ、父ちゃん! 娘さんは頂いた――とか、どうかな?」
「駄目だろ、どこの大泥棒だよ」
「アルセーニュ・リュピャン」
「色々とグダグダだ」
「じゃあ、父上! 娘さんを――」
「いや――いきなり父上とか呼んだら、斬られるぞ?」
「やっぱり強いの?」
「レオ家は武門だ。一族に弱者なんていない」
「それ、俺が一族に入っていいのか?」
「問題無い。おれとお前の子が出来れば――しっかり鍛えるから」
「いや、俺とお前の子供が強くても、俺が最弱の称号を賜るんじゃ……」
「大丈夫だって! お前も弱くはないんだから――子供が生まれる頃には……そりゃさ……」
ガブリエラが下を向き、モゴモゴと喋っている。それから照れ隠しのように「とにかく父上のことは、閣下でいい。皆、そう呼んでいるから」と言った。
「そうか――」
「あとはまあ、おれが話すから適当に頷いていてくれ」
「それで、婚約を認めてくれるのか? どうも――なんていうか、こういうのは男の方がピシッと言った方が良いと思うんだが」
「なんだ、その昭和な価値観は。でもそれって、おれのことを女だと思ってるってことだよな?」
ガブリエラと目が合った。澄み渡った空の様な瞳が、僅かに潤んでいる。
「いや、ふと男同士なんだよなぁって思うけど……そうすると俺、ホモォってことになるじゃない?」
「ああ、考えない様にしてるってことか……やっぱり、嫌なのか?」
「ん? ……いや――じゃあ無いな。ただ――」
「ただ?」
「ただ言えるのは、お前をユリアヌス皇子の嫁にはしたくないって事かな。でもそれは、親友だからってことだとも思う」
「ふぅん――じゃあお前、おれが男だったとしても、この状況だったら結婚してくれるのか?」
「うん、まあ……仕方ないよね。俺は百合好きだから、ホモにも理解はあるつもりだ」
「おい……おれはホモじゃあない」
「分かってるよ。女になったんだろ」
「そうだ――だから生物学的にお前を好きでも、何ら問題ない」
しかし精神的問題がある――と言おうとしたが、黙っていた。ここで口論をしても仕方がないのだ。
だから、俺は黙って頷く。
「ガブリエラ――確認したいんだけどさ」
「なんだ?」
「俺と結婚する理由は、ユリアヌス皇子と結婚したくないからだよな?」
「……そうだ」
「じゃあ、ユリアヌス皇子と結婚しないで済むなら、俺とは結婚する必要も無いったことだろう?」
「……ああ。でも、そんな方法は無い」
「あるとしたら?」
「……そのとき、考える」
会話が止まると、目の前には重厚な黒褐色の扉があった。
ここが父君の書斎であろう。ガブリエラが「すーはー」と深呼吸をしている。
「よし、行く。アレクも覚悟はいいな?」
「うん、まあ」
「煮え切らないなぁ」
そう言って胡乱な目を向けられても、仕方が無い。
ガブリエラと結婚するという未来を、どうしたって俺は思い描けないのだから。
――――
書斎に入ると、部屋の大半が本棚で埋もれていた。
身長の倍はあろうかという本棚には、獣皮の表紙で覆われた本が所狭しと並んでいる。
それだけではなく壷の中には大きな羊皮紙が丸められて、いくつも入っていた。
大きな部屋だ。
本棚と本棚の間が通路のようになっていて、昼間なのに薄暗い。
床は良く磨かれた、白い大理石であった。
ガブリエラと共に真っ直ぐ行くと、やがてT字路のようになった場所に突き当たる。左に折れると、その先に扉があった。
ガブリエラが乱暴にノックをする。
“ドン、ドン、ドン、ドン”
「ガブリエラだね。入りなさい」
くぐもった、優し気な声が扉の先から聞こえて。
扉を開けると、視界は一転して明るくなった。
部屋の二面に窓があり、ここが角部屋だということが分かる。
敷き詰められた絨毯は分厚く柔らかで、赤い毛が踝あたりまで達していた。
この部屋に本は少ない。
その代わり大きな机と、革張りの椅子が一つずつあった。
部屋の主であろうガブリエラの父、オクタヴィアン・レオは、そこに座っている。
他は部屋の中央に応接用の長椅子が二脚と、その間に挟まったテーブルが一つあるくらいだ。
「何か……気になるものでも、あるのかね?」
キョロキョロしていたら、オクタヴィアンに声を掛けられてしまった。
「いえ、その……」
口ごもっていると、ガブリエラに袖を引っ張られた。そのままオクタヴィアンの前に引きずられる。
俺は彼の前に立ち、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「は、初めまして。アレクシオス・セルジュークと申します」
オクタヴィアンはレオ家の家紋が入ったクラミス(肩に羽織る、短いマント)を揺らし、ゆっくりと背もたれへ凭れた。大貴族らしい、鷹揚な動きだ。
「……うむ。君が我が家の庇護下に入るという――嬉しい話を聞いた。私がオクタヴィアン・レオである。よろしく」
重々しい口調で言うオクタヴィアンは、見たところ三十代後半と言ったところか。
クセのある黄金色の髪と青い瞳はガブリエラと良く似ていて、さすがは親子だと思う。
体格は俺と同じ位か、少し小さいかな……。
オクタヴィアンは軽い自己紹介のあと、用は済んだとばかりに手元の本を開く。
「ち、父上。その……今日、アレクに来てもらったのは、他でもなくてさ……おれの……」
「ガブリエラ。まだ“おれ”などと言っているのか?」
上目遣いでオクタヴィアンがガブリエラを睨んだ。ギロリ――と擬音の付きそうな眼光である。
「あ、その……わたくし……」
言い直して下唇を噛むガブリエラは、かなり言い淀んでいる。
やはりこう言った話は、女の子から言わせるべきではないのだろう。
俺は意を決して、一歩前へと進み出た。
「公爵閣下。実は本日、こうして罷り越したのには理由がございます」
「――何かな? 領地経営の金が足りんと言うのなら、都合を付けなくもないが?」
本を閉じ、再び背もたれへと身を預けたオクタヴィアン氏。如何にも話を聞いてやろう――という姿勢だ。これが大貴族の尊大さなのか、大人の余裕なのかは判然としない。
「いえ。それに関しては別荘誘致にお応え頂き、感謝致しております。ですが、今回は別にお願いがございまして」
「ふむ――何であろう。マーモスの英雄が何を言い出すか、楽しみだな」
微笑を浮かべ、肘を机に付いて掌に顎を乗せる。彼は、そんな姿勢で興味を示した。
「はい。実は、閣下のご息女、ガブリエラさまを私の妻に迎えたく、お願いに参上致しました」
しかし俺の言葉を聞いたオクタヴィアン氏は、思わず肘を机から落としてしまう。形の良い顎が、ガクンと揺れた。
「なに!?」
大貴族にあるまじき、素っ頓狂な声だ。見事に裏返っている。
そしてオクタヴィアン氏は、無言で額の汗を拭う。拭う……拭う。結局、三十回くらい拭っていた……。
たぶん――思考が止まってしまったのだろう。ようやく絞り出すように言った言葉は……。
「まさか、ガブリエラも承諾を? いやしかし――二人で来るのだから、そういうことか……」
「当然だ、父上。おれ――いや、わたくしとアレクシオスは、地獄の底から愛し合っている」
「なんだと!?」
またもオクタヴィアン氏が、素っ頓狂な声を上げた。
俺はガブリエラに、そっと耳打ちする。
「それを言うなら、心の底から、だろう……」
「あっ!?」
ガブリエラも素っ頓狂な声を上げた。
この二人、あんがい似た者親子なのかも知れないな……。
◆◆
レオ家の現当主オクタヴィアン氏は立ち上がり、右に左にと忙しなく歩いている。
窓からは爽やかな朝日が降り注ぎ、部屋に四角い日だまりを作っていた。赤い絨毯は晴れやかに煌めき、レオ家の隆盛を物語っている。
しかし――オクタヴィアン氏の心境は、いかばかりか。
いきなりやって来た男に、娘を下さいと言われた父親の気持ちなど分からない。
分からないが――まあ、良い気分では無いのだろう。
ふと立ち止まって、オクタヴィアン氏は言った。
「本気かね?」
「はい」
それ以外の言葉を、この場で言えるだろうか。
ガブリエラも真剣に父親を見つめ、頷いている。
「しかし娘は――」
オクタヴィアンが前髪を掻き上げた。
形の良い額が露になって、再び髪がハラリと落ちる。
まったく――イケメンなオッサンだな。
「――ユリアヌス殿下にも、婚姻を申し込まれているのだ」
「だから、その話は無かった事にして欲しいと、あれほど父上にお願い申し上げたでしょうッ! その理由が、アレクなのですッ!」
拳を握りしめ、ガブリエラが父に詰め寄った。
「そんなに彼と――結婚したいのかね?」
「し、したい! だっておれ――わたくしとアレクは、もう同衾だってしているのですよッ!」
「なにッ! 婚前でなんとふしだらなッ!」
「待って下さい、閣下! 誤解です!」
「アレク、誤解ってなんだ! あんなことやこんなこと、やっただろう! さんざん楽しんだクセにッ!」
「そりゃ、スイカ割ったり魔法の花火をやったりしたことだろ!」
「くっ……! 娘が穢されていたなどと……!」
オクタヴィアン氏が、ヨロリと揺れた。
「誤解ですから!」
「アレクは黙ってろ!」
「……だとしても、認める訳にはいかぬ」
「お父さん、話を聞いて下さい!」
「ぬあッ! 既に私をお父さんだとッ!?」
「いいから認めろッ! 父上ッ! とにかくユリアヌス殿下の申し出は断るッ!」
よろけた父の胸ぐらを掴んで、ガブリエラが暴れ始めた。オクタヴィアン氏の頭がガクガク揺れている。
「ええい、放せッ!」
しかし流石は父。ガブリエラを一喝して、その手を振り払った。そして言葉を続ける。
「婚姻は貴族にとって、政治的意味合いが大きい。ましてやガブリエラ、お前は本流の一人娘だ」
「だったらアレクを夫にして、レオ家の中継ぎにしたらいいッ! おれが息子を生めば、それが跡取りになるだろッ!」
「おお、おお! ガブリエラが子を産む気になった! それはいい! それはいいのだがッ! ……しかしな、本流でなくとも我が子はいる。アレクシオスどのの中継ぎが悪いとは言わん――だが、彼の身分では……彼等を抑える事が出来んだろうよ」
「身分なんて関係ないッ! アレクの武勲は父上だって知っているだろッ! 誰よりも優れた当主となるッ!」
「ええい! 次期当主を決めるのは、私だ! 娘の分際で、差し出がましいッ!」
「なら、もう家なんか関係ないッ! とにかくおれは、アレクと結婚するッ! 今日からガブリエラ・セルジュークだ!」
「なんだとッ!? そんな、勝手なことをッ!」
「好きなんだから、仕方が無いだろッ!」
「このバカ娘がッ!」
オクタヴィアンとガブリエラの顔が、かなり近くまで迫っていた。
お陰で俺は、すっかり置いてきぼりだ。
何で俺がレオ家の中継ぎとか、そんな話にまでなっているんだよ……。
しかしやがて父の方が折れたらしく、クルリと背を向ける。
そのままオクタヴィアンは移動して、窓の前に立った。
「はぁ……」
オクタヴィアン氏が、大きな溜め息を吐く。その悄然たる後ろ姿には、まさに父の哀愁が滲んでいた。
そうして暫く肩を落としたあと、彼はゆっくりと振り向いて……。
「私だってね、娘がここまで望むことだ……叶えてやりたいと思う」
「じゃあ……いいんだな?」
ガブリエラが、満面に笑みを浮かべている。そのまま俺を見て、頷いていた。
しかしオクタヴィアン氏は、浮かない顔だ。
「だが、叶えてやれないのだよ……問題が二つ、あるのだ……」
「二つ?」
ガブリエラが首を傾げながら、俺の横に戻って来た。
「ああ、二つだ。一つは、お前がユリアヌス殿下から求婚されていること――」
「もう一つは?」
イライラし始めたのか、ガブリエラが奥歯をギリギリと鳴らしている。
「テオドラ殿下がアレクシオス卿との結婚を、お望みになられていること」
ハッとして、左腕の腕輪を右手で掴む。
長袖の為、今は見えないけれど、ガブリエラが持って来た腕輪がある。
何といって渡されたか――俺は思い出していた。
『未来の夫に、プレゼントだそうだッ!』
他ならぬガブリエラが伝えてくれた、テオドラからの伝言だ。
同じくガブリエラも思い出したのか、俺の顔を覗き込んで、「腕輪」とうわ言の様に言った。
「アイツ、本気だったのか……」
ガブリエラが額を手で押さえ、下唇を噛んでいる。
「いや……だからって、俺は子爵だ。皇女の夫になれる身分じゃあ無い……」
俺とガブリエラの会話を聞いていたのか、オクタヴィアン氏が言う。
「その点も抜かり無く、皇室と話が進んでいるのだ」
「父上――どういうことだ?」
「なに――セルジューク家はロサ家の傍流だが、我がレオ家にもセルジュークという家名がある。それが、ちょうど伯爵家でな……」
「だから?」
眉根を寄せて、ガブリエラが先を急かす。
オクタヴィアン氏は苦笑気味に娘を見つめ、そして目を逸らした。
「アレクシオス卿には、我がレオ家に連なるセルジュークの門地を継いで貰おうと考えていたのだ。その上でテオドラ殿下との婚姻が成れば、ガブリエラとユリアヌス殿下の婚姻と合わせ、我がレオ家と皇室の繋がりは盤石となる……ということだ」
腰の後ろで手を組み、外へ目を向けたまま語るオクタヴィアン氏は、もう一度溜め息を吐いた。
「それはそれは、どちらも反故にするとなれば……逆に確執を招きますね」
つい苦笑して、俺は言ってしまう。だってこんな話、もう笑うしか無い。
善意と欲望が絡み付き、それがガブリエラの望みだけを断ち切っていく。
それが政略結婚というものではあるけれど、こうまであからさまに親友が巻き込まれるとは。
いや、今回の場合は俺もか……。
オクタヴィアン氏は苦笑する俺を咎めるでも無く、「うむ」と小さく頷いた。
「――では閣下、一つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
まあ、真相を知ってしまえばこちらのものだ。
この程度の事態なら、十分に想定していたのだから。




