秋風に揺られて
◆
朝、俺が目を覚ましたのはガブリエラの奇声によってであった。
「ひぃぃぃぃあああああああっ!」
壁に背中を付け、ガブリエラが目に涙を溜めている。指の先は扉の取っ手に掛かっていて、そのまま逃げ出しそうな恰好だ。
「あ、おはよう」
「おはよう、じゃない……じゃないったら、ない!」
ガブリエラの顔色は、蒼白だった。
何事かが起きたのかと思い、俺は周囲を確認する。
身体を起こそうとしたら、重い……腕も痺れているぞ。
なんだ……俺は寝ている間に、何者かの攻撃を受けたのか?
見れば左腕の付け根に、ディアナの小さな顔が乗っていた。
「くーくー」と静かな寝息を立てて、鼻をヒクつかせている。
片方の足が俺の足に絡み付き、彼女は横から俺に抱きついていた。
ん? 俺って確か、部屋の隅で座って寝た気がするのだが……。
「ま、待て、誤解だ――ガブリエラ」
そう言って、俺は掛け布を取った。するとそこには、俺のそそり立つエッフェル塔が「こんにちは」している。悪い事にディアナも丸裸で――彼女の凱旋門が見えそうな有様であった。
「お、おま……おまえら……そういう関係だったのか……」
「いや――だからこれは、朝の生理現象であって、ディアナのせいでは無く……だな……!」
頭を左右に振って、口をパクパクと開け閉めするガブリエラ。
俺は、どうしてこんな状況になったのか考え続けていた。
そう――あれは深夜のこと。
部屋が冷えてきたせいもあってか、俺は尿意を催した。
だから一人部屋を出て、トイレに行って戻ったのだ。
その際――うん――うっかりディアナが寝台に寝ているのを忘れて、潜り込んだんだったな。
たぶん、寝ぼけていたのだろう。
暫くしてディアナの存在に気付いたけれど、柔らかくて暖かい寝台から出たくなかった。
結果として性欲は睡眠欲の隷下に属し、俺はそのまま眠ったのである。
だが――解せないことが一点。なぜ俺まで裸であるのか――だ。
ここでようやく、ディアナが目を覚ました。
「ふぁあ……なに? どうしたの……?」
寝癖を付けたディアナが、大きな欠伸をしながら身を起こす。
何気なく俺の身体に手を触れ、幾度か目を瞬いて絶叫した。
「うわぁぁぁああああああああッ! アレクッ! なんで裸なのッ!? えッ!? ボクも裸なんだけどッ!?」
ディアナも顔面を蒼白にして、俺とガブリエラを交互に見る。と、同時に自分の服――といっても黒い布だが――を手早く身に纏った。
「落ち着け、ディアナ! 昨日、お前が酔っぱらって、ここに来たんじゃあないかッ!」
「えっ? えっ? でも……そのおちん○んは……!?」
通天閣程度になった俺のエッフェル塔を指差し、ディアナが頭を抱えている。
確かにこの状況を鑑みれば、ある事象の特異点を想像しても仕方のないことだ。
「なぜ俺が裸なのかは……分からん……」
「えっ?」
「いや……たった今、分かった」
怯えながら小首を傾げるディアナの左手に、俺の下着ががっちりと握られている。服は掛け布の中から色々と現れた。
「犯人は、ディアナ……お前だ。どうやらお前が、眠っている俺の服を剥いだらしい……」
暫く首を左右に傾げていたディアナが瞳を上に向け、何かを思い出そうとしている。
すぐにニンマリとした。どうやら思い出したらしい。
「フヒ、フヒヒヒ……思い出したよ。えとね、ガブリエラ。ボク、酔っぱらって部屋を間違えて寝ちゃったみたい。アレクを裸にしたのはねぇ〜……フヒ、フヒヒヒ……何でかなぁ?」
ディアナの頬を、一筋の汗が伝った。困惑、焦燥――そういったものを匂わせる汗だ。
つまりディアナは、昨夜のことを完全に思い出したらしい。
ということは、キスしてしまった事も記憶にあると言う事だ。
思わず俺とディアナが顔を見合わせ、顔を赤くする。思い出し赤面だ。
その様をガブリエラが、ジットリとした目で見つめていた。
「ああ、そうだぞ、ガブリエラ。俺とディアナに、やましい事なんて無い!」
俺の理性が脳内で叫ぶ。
「全裸の男女が裸で抱き合って眠る。これは、やましさの塊だ」と。
実際ガブリエラは目を細め、じーっと俺を見ている。まさに疑いの眼差しだ。
そして――「すんっ」鼻水を啜り、涙を零す。
「アレクはディアナのことが、好きなのか? ……それならそれで、おれはいいんだ。応援する」
ポロポロと涙を零し、泣きながら言うガブリエラの横で、俺は衣服を身に着けていった。
「だがら、違うと言っているだろ。ディアナが酔っぱらって……俺も寝ぼけていて」
「それで、やっちゃったんだな? だったらアレク、責任とれよ」
言うなり踵を返して立ち去ろうとするガブリエラの肩を掴み、引き止める。
ディアナも慌てて立ち上がり、「そうだよ! じゃなくて、やってないよ!」と話を合わせてくれた。
実際やっていないし、ディアナだって、これ以上の誤解は望まないだろう。
「ボ、ボク、ほら――よくアレクの部屋に来てるから、それで間違えちゃったんだ。それにボク、いつも裸で寝るから……そのクセで」
「じゃあ、何でアレクのパンツを握ってたんだ?」
「だからさ、ガブリエラ。ボクって死体愛好家でしょ……で、解剖する為には衣服が邪魔な訳で……」
「だったら何か? ディアナはもしかして、アレクを解剖しようとしたのか?」
「うん……たぶんそうだね……酔っぱらっていたから、よく思い出せないけれど……」
そう言って、ディアナは右手から銀色の刃物を取り出した。
なんてことだ! そんな理由で、俺は裸にされていたのか!
俺はもしかして、殺されるところだったのかも知れない……。
それからディアナはガブリエラの手を引き、部屋の隅でしゃがんだ。暫く話し込むと、ようやくガブリエラも納得したのか、俺に振り向き笑顔を見せる。満面の笑みだった。
「話はついた――今日からおれ、アレクと一緒に寝るから。ディアナが間違って入って来ても、間違いが起きない様にな!」
拳を握りしめ、「ふん」と鼻息を荒々しく吐き――頬を僅かに赤く染めたガブリエラが言う。
ディアナは頬を指で掻き、「じゃ、そういうことで」と部屋を後にした。
その顔が少し寂しそうに見えたのは――ま、俺の単なる勘違いだろう。
――――
あれからガブリエラは、本当に俺の部屋で寝るようになった。
初日こそ俺も床で寝ようと思ったが、「友達同士で、遠慮する必要があるのか?」と言われると、どうにもならない。
結局、二人で毎日一つの寝台で眠り、起きるということを繰り返していた。
ある日、俺の部屋で酒盛りをしたら、ディアナも部屋へ戻ることが面倒になったのだろう。以来、三人で眠るようになった。
本来ならば美女二人に挟まれて眠るのだから、とても幸せなことなのだろう。
しかし二人はTS娘であり、俺は百合厨だ。何か釈然としない気持ちで、俺は二人の間に入って日々、眠っていた。
ガブリエラのバカンスは、およそ三十日。これが終われば元老院の議会が始まるので、一緒に帝都へと行く予定だ。そしてそれが、今日であった。
「ふぁ〜〜……おはよう」
ガブリエラが大きな伸びをして、窓辺に寄った。
彼女が木窓を開くと、登り始めた太陽が山の稜線を浮き上がらせ、煌めく姿が目に入る。
美しい光景であると同時に、夏の終わりを感じさせる涼気を伴った風が部屋を満たした。
彼女の身に纏う薄布が、風に揺れている。
「失礼します」
侍女が洗面器とタオルを持って来て、ガブリエラの身支度を手伝い始めた。
その間、彼女は寝ぼけ眼でされるがままだ。
俺はボンヤリとその様を眺め、寝台の上で胡座を組んでいた。隣ではディアナが涎を零しながら、まだ眠っている。
ガブリエラは元男であったことを感じさせず、完全にこの世界の公爵令嬢として馴染んでいた。
対して俺は前世を引きずりまくって、相変わらず彼女を槐だと思い接している。
もちろん横で眠るディアナのことも、俺は未だに“みたび”だと思っていた。
俺にとって二人と一緒に暮らす日々は、ごく自然で本当に心地よい。
こんな日々が永遠に続けば良いと思う半面――俺は二人の本心を聞くのが恐くなっていた。
何故なら俺は、気付いてしまったのだ。
二人が時折、凄く切なそうな表情をしていることを。
そして、その理由を……。
きっと二人は無くなったち○こを今でも探し、求めているに違いない!
だからこそ、俺の雄々しいち○こに興味津々なのだ!
しかし、これは俺だけの専属エッフェル塔である。いくら二人が求めたとしても、貸して上げることなど出来ないのであった……。
◆◆
着替えを済ませ、アイオスの街へと馬車で向かう。
俺はガブリエラの座乗艦に便乗させて貰い、帝都へ戻る予定だ。
マーモス領から俺に同行するのは、レオン、ゼロス、ナナの三人。あとは十名の警護兵だ。
レオンは俺の親衛隊長ということで、基本的に何処へでも随行する。ナナはマーモスへ戻る時、船の指揮を執ってもらう為だ。
ゼロスはナナが行くと言ったら、「俺も、俺も!」と着いて来た。まあ、止める理由も無いし――正直言って俺は、ゼロスの恋路を応援している。
実のところ、俺が常に百合っぷるだけを求めているかと云えば、そうでもないのだ。
純愛は何と云うか――良いものだからな。ボーイ・ミーツ・ガールは正義である。
まあ、アレだ。
ゼロスが童貞だとカミングアウトしたから、親近感が沸いたとかじゃ無いんだからねッ!
――――
帝都へ向かう船の中、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「鍵は掛けていないよ」と伝えると、頭を掻きながらナナが入ってきた。
夕食後、眠るまで本でも読もうかと思っていたのだけれど、何の用事だろうか……。
「やあ、子爵閣下――はは、子爵閣下ってのも、どうも言いにくいな」
ナナに小さな椅子を用意してやり、座る様に勧める。
「別に呼び方なんて、どうでもいいよ。で、どうしたの?」
椅子に座ると、今度は頬を指で掻いている。
「いや、大した用じゃ無いんだ。たださ――ちょっとしたおせっかいなんだけれど……」
「おせっかい?」
「ああ――ディアナをマーモスに残しただろう? で、アンタはガブリエラの姫さまと一緒だ。何かさ、あの子が可哀想でね。だってさ、あの子とガブリエラさまは同じなんだろう? でもこれじゃあ……」
俺は首を捻って、顎に指を当てる。彼女の口から「同じ」という言葉が出るとは……。
ナナはディアナの正体に気付いているのだろうか? それとも、ディアナが自分で喋ったのか?
だとすれば、ち○この無い今のディアナを可哀想だと表現していることになる。
そしてガブリエラと俺が同じと言っているなら、それは彼女にち○こが生えたと言っているのだろうか……。
誤解だ。ガブリエラにち○こは生えていない……。
俺が悩んでいると、ナナは言葉を続けてくれた。
「だってディアナは、アンタの為にマーモスで戦ったんだろ? それなのに、オイシイところは全部ガブリエラの姫さまに、持ってかれちまったような感じだからさ――」
だから違うぞ……ガブリエラは、ち○こを持っていっていない。どころか、神に持っていかれている。ナナはいったい、何を言っているんだ? 俺がガブリエラにち○こを授けたとでも?
俺は右手を上げて、彼女の言葉を遮った。
「待ってくれ、ナナ。今でもディアナとガブリエラは、全く同じだ」
「どこがだい? だってディアナは帰りを待っているんだよ!」
「確かに(ち○この)帰りを待っているかも知れないが――私は万能の神ではないんだ、仕方が無いだろう」
「万能の神なんかじゃなくっても、いいんだよ。ただ、ディアナの気持ちも大切にしてやりなって……そういうことさ。ま――アタシはアイーシャを一番応援しているんだけどねぇ……なんだか……」
ん? 何だか様子がおかしいな……アイーシャも、ち○こが欲しいのか?
違うな……これは、ち○この話じゃないぞ。
「……ナナ。何の話をしている?」
「何って、ディアナの気持ちの話だよ。むしろアンタ、今まで何だと思って聞いていたんだい?」
う……今更ち○ことか言えない……。
「いや、その……何でも無い。で――ディアナが何なのかな?」
「だからさ、今回も港でアンタを見送るとき、随分と寂しそうな顔してたって話だよッ!」
俺は腕を組み、首を傾げて答える。
「え? 酒瓶抱えて『もう帰ってくんな〜〜』なんて言ってたけど……」
「そんなの、強がりさ。本当は、一緒に連れて行って貰いたかったはずだよ。あの子がガブリエラの姫さんに、何て言ってたか知ってるかい?」
「いや……」
「アレクを宜しくって。アンタの服やら何やらを用意したの、全部あの子なんだからね!」
それは、ちょっと知らなかった。
仕事にかまけて、自分の生活のことに感心が無かったからだけど、まさかディアナが面倒を見ていてくれたとは……。
「……と言っても、今のマーモスで私の代わりが出来るのはディアナだけなんだ」
「それは分かってるさ。だから何も言わず、あの子はアンタを見送ったんだろ。ただ――あたしが言いたいのはね――……」
「うん?」
「アイツもアンタのことが好きな、女の子だってことだよッ! ガブリエラの姫さまと同じねッ! ――ああ、おせっかいを言っちまったよ!」
そう言うと、プイッと顔を背けてナナが立ち上がる。
俺は何も言えず、手にした本をパタリと閉じた。
入れ替わりにガブリエラがやって来て、寝台に腰を下ろす。そしてナナの後ろ姿を見送った。
「アレク――褐色肌の女が好みなのか?」
「いや。少し話していただけだよ」
「そか。なあ、おれが焼けたら、似合うかな?」
「そりゃ、似合うだろうな。ていうか、随分と焼けてるじゃないか、もう――」
「まあな! 一月も海で遊んだしな!」
どうやらガブリエラは、俺と一緒に寝るのがスッカリ習慣になってしまったようだ。
といっても一緒に寝るだけなので、何も起こらないが。
ガブリエラはゴロンと横になり、寝台の上で寝息を立て始めた。と――思ったら……。
「帝都には父上も来ている。挨拶をしてくれ」
俺に背を向けたまま、ガブリエラが言った。ぶっきらぼうな物言いだ。
「挨拶って?」
「そんなの、分かるだろ。おれ、これ以上さ、皇子の求婚を断りきれない――だから助けてくれってこと」
「意味が分からないんだが……」
「だから、お前がおれに求婚したら、おれは断らないから――」
「俺が、お前と結婚?」
自分を指差し、ガブリエラに問う。
彼女は相変わらず俺に背を向けたまま、小さく頷いた。
「ああ」
「だけど俺の身分でガブリエラとじゃ、釣り合わないだろ?」
「釣り合うか合わないかは、父上が決めることだ。それにおれがさ、この人と結婚したいって言えば、父上だって無下にはしないと思う」
「俺と婚約すれば、皇子の求婚を断れるってことか?」
「ああ、そうだ」
「まあ、確かに俺と結婚すれば、その後でゆっくりち○こを探せるか……」
「ち○こを探す? 何言ってんだ――おれさ……」
ゴロンと振り向き、ガブリエラが言った。真剣な眼差しだった。そして言葉を続ける。
「結婚するからには本気で、お前の子供を生むつもりだ。今まで育ててくれた父上の恩に報いる為にも、跡継ぎだって必要だからな」
額を押さえつつ、俺は頭を左右に振った。
ああ……ついに聞きたく無いことを聞いてしまったようだ。
俺はここで、ガブリエラを選ぶべきなのか?
三人で過ごしたいと思っても、情勢がそれを許さない。
いや――ガブリエラの気持ちが、それを許さないのかも知れない……。
「……ディアナは、どうするんだよ」
「あいつも、賛成してくれている話だ」
ナナの言葉が蘇る。
ディアナの気持か……俺だって、何となくは分かっているよ。
分かっていたさ――二人がち○こを探してるんじゃないって事くらい!
だけど聞けないし、聞きたく無かったんだ!
俺は、俺達の関係性を壊したくないんだよ!
「本心から、アイツが賛成してくれたのか?」
ゆっくりと、ガブリエラの目をしっかり見て問う。
すると彼女は身体をグイと起こして、俺の肩を掴んだ。指が食い込み、とても痛い。
「……本心じゃなきゃ、何だっていうんだ? それにアイツは、妾でも良いって言ってただろ!」
「そうだが……いきなり過ぎるだろう……」
「おれさ……皇太子に迫られてるんだよ。時間――無いんだよ……! 断る為にも理由が必要なんだ! ずっと言おうと思っていたんだけど、お前に言い出せなくて」
ガブリエラの眼差しは、真剣だった。
確かに、あの太っちょ皇子の嫁になれと言われたら、誰だって焦るだろう。
それが元男なら尚更のことだ。俺は素直に頷く事にした。
「……察してやれなくて、ごめん。いいよ、分かった。まずはガブリエラの父上に会えばいいんだな?」
「う、うん。その……ありがとう」
確かに皇子と結婚というのは、阻止してやりたい。
けれど、だからといってガブリエラと結婚というのも、現実味の無い選択肢だ。
しかし、今の俺では地位が足りない。どう足掻いても、直接的に阻止することは不可能だろう。
何か他に、手は無いだろうか……。
ともあれ、ガブリエラのお父さんは四公爵の一人。
それなら相手がいくら皇子でも正当な理由さえあれば、彼女の結婚を認めたりはしないだろう。
もっとも――レオ家にとってこれは、願っても無い話という可能性だってある。
それを阻止し得るだけの何かを、俺は考え出さなくてはいけないワケか……。




