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二人の事情

 ◆


 台風一過の真っ青な空が、頭上に広がっている。

 今日はガブリエラが正式・・にマーモスへ到着する日だから、俺は朝から臣下を従え港で彼女を待っていた。

 手紙に『迎えに来いよ、絶対だぞ!』と書かれていた為だ。これを前フリと思って迎えに行かないと、間違い無くガブリエラはキレるだろう。


 それはそれとして、俺はレオ家の取り巻き貴族と目されている。

 実際ガブリエラが団長を務める第三軍団に所属しているし、何かとレオ家との縁は深い。

 また、そのことが様々な抑止力に繋がっているのも事実。であればレオ家の令嬢たるガブリエラを、俺が大々的に歓迎することはパフォーマンスとしても、至極当然なのであった。


 早朝から待つこと数時間。

 水平線を彩る白い波濤の爽やかさとは裏腹に、ここはとても暑い。

 領主として白麻の天幕を張り、日陰に身を顰めているが――それでも夏の日差しは堪え難いモノがある。


 ダラリとした茹で蛸のように椅子へ座る俺は、衣服の袖とズボンの裾を捲ると、たらいに張った水に足を浸し、何とか夏の熱気を凌いでいた。


「それにしても暑いなぁ……」


「だらしないなぁ。アレクも子爵なんだから、しっかりしなよ」


 そう言ってくるのは、石の地面にぺったりと座り込んだディアナだ。

 彼女は相変わらず黒いローブを着込んでいるが、涼しい顔をしている。


「暑く無いのか?」


「こういうとき、魔法って便利だよね」


「うわ……」


 聞けば魔力を冷気に変換して、自分の周囲に張り巡らせているのだとか。

 ディアナは防御結界の応用だと言っているが――こんな魔法の使い方をしているのは彼女くらいだろう。

 実際ミネルヴァも時折服の胸元を開けて、丁度良い大きさの胸に風を送り込んでいる。


「でもミネルヴァはそんなこと、やってないぞ?」


「えー、なんでやらないの? 暑いの我慢するなんて、病気になっちゃうよ?」 


「やらないわ、そんなこと。万が一のことがあったとき、魔力が切れていました――なんて事になったら、笑い話にもならないもの」


 ミネルヴァの話を聞いて、ディアナは赤く小さな舌をペロリと出した。

 何だかディアナがどんどん女の子になっていく気がするが……まあ、いいか。

 TS娘は男から女へ変わる段階が、一番可愛いのだ。これできっと、ガブリエラもイチコロであろう。

 デュフフ……拙者、楽しみでござるぅ〜〜!



 さらに一時間ほど待った頃、純白に塗装された大型船が水平線の彼方に見えた。

 白地に金の獅子が描かれた旗が翻っているから、間違い無くガブリエラが乗っているのだろう。


 ――――


 桟橋に降り立ったガブリエラは海風に靡く髪を左手で押さえ、右手にスイカをぶら下げていた。

 それから“トトト”と俺に駆け寄り、「割ろうぜ」と言って笑う。無邪気な笑顔だった。


 昔、ガブリエラがえんじゅであった頃も、こうしてスイカを持って遊びに来たものだ。

 あれは、小学生の頃だったかな……。

 完璧なまでにインドア派であった俺は、エアコンの効いた涼しい室内でスイカを喰おうと考えていたら、やっぱりコイツは、こう言ったのだ。「割ろうぜ」と。

 きっとガブリエラの頭の中は、小学生だったあの頃と変わっていないのだろう。


 そんな彼女の内面にえんじゅを見て、俺は少し嬉しくなった。

 何となく昔のように肩を組み、並んで歩き出す。

 

「……別荘の前の浜辺、スイカを割るには丁度良い場所だぞ」


「そうかッ! 分かってるな、アレクもッ!」


「何年友達やってると思ってるんだ、持ってくるだろうと思っていたからな」


 そう言った俺に、ガブリエラが満面の笑みを向ける。美しかった。

 仄かな桃の香りが漂ってくる。香水だろうか? とにかく俺は一瞬だが、えんじゅを見たはずのガブリエラに心を奪われたらしい。

 

 ちょっと待て、これはビィィィィエェェェェルッ――の前兆かッ!?

 俺は腐女子の気配を探り、辺りを警戒した。

 くっ……ここには、居ない? というか、この世界にいるのかどうかも怪しいが……。

 しかし、と俺は思う。

 

 まさかこれは世界をBLで満たさんとする、秘密結社フジョシーズの陰謀ではッ!? と。

 そうとでも考えなければ、有り得ないことだ。

 この俺が――親友を見てドキッとするなど……。


 ガブリエラの肩から腕を放す。そして俺は、彼女を改めて見た。

 

 ガブリエラは裾の短い濃紺の衣服を着ている。その上から金糸をちりばめた、レースのカーディガンを羽織っていた。

 薄着であるだけに大きな胸の膨らみが自己主張をして、ぶら下げたスイカ以上の存在感だ。 

 加えてポニーテールに髪を纏めているから、僅かに汗ばんだうなじが覗いて見え、とてもエロい感じになっている。


 有り体に言って――有りよりの有り! ビューティフルッ!

 何と言う事だ……純粋にコイツ、俺の好みど真ん中直球ストラーイクッ!


「はぁっ……はぁっ……」


 だんだん、胸が苦しくなってきた。俺は……死ぬのだろうか……。


「ど、どうした、アレク?」


「な、何でも無い……」


 軽く頭を左右に振って、俺は誤摩化した。ガブリエラが怪訝そうに見ている。


「……悪い――思わず昔のように振る舞ってしまった」


「いいよ。逆に嬉しかったぜ?」


「い、いや、人目がある。俺達だけの問題じゃあ無いからな……早くこれに乗ってくれ」


 目の前には、用意した馬車がある。

 早く馬車に乗って、この場から去りたかった。

 自分の矜持もあるが、子爵が公爵令嬢の肩を抱いたことも問題だ。

 その事実に気付いた誰かが騒ぎ出す前に、この場を離れてしまいたい。


 そう思っていたら、ガブリエラが後ろを振り返ってメディアを呼んだ。


「あ、そうだ。メディア――あれを持って来てくれ。忘れる前に渡さないと……おい、アレク」


 駆け寄るメディアを確認してから、顔を再び俺に向けるガブリエラ。


「ちょっと待ってくれ、面倒だけど、渡さなくっちゃ」


「何をだ?」


「これだよ」


 メディアが小走りにやってきて、黒い小箱を差し出した。それをガブリエラが受け取り、蓋を開く。

 箱は黄金で縁取られており、中央に鷲の紋章がある。

 この紋章は、皇室のものであった。

 俺は首を傾げながら、ガブリエラとメディアを交互に見る。


「腕輪……だな」


「うん、テオドラからだ。おれがマーモスに行くと言ったら、駄々をこねてな……これを渡して欲しいと」


 箱の中にはワインレッドの布に包まれた、黄金の腕輪が入っていた。

 腕輪には、交差した二本の剣に巻き付く薔薇の紋様が描かれている。

 俺は、ますます首を傾げた。


「――この紋章は?」


「セルジューク家の紋章だそうだ。元を正せばロサ家の傍流で、武門の家だったらしい。テオドラがそれを調べた上で作らせたと言っていたが……まあ、どこまで本当かは知らん」


「そんなものを、何でテオドラが俺に? そもそも――ガブリエラに頼む様な事か?」


「未来の夫に、プレゼントだそうだッ! おれに渡すよう頼んだのは、どうせ当てつけだろッ! ああ、腹が立つッ!」


 顔を背けながら言うガブリエラは、最後にこう付け加えた。「ちゃんと渡したからなッ!」と。どうやら酷く、ご立腹らしい。


 俺は眉毛の吊り上がったガブリエラの横顔を見て、なんとか収まった動悸に安堵する。

 流石に怒り顔には、ドキドキしないようだ。危なかった。


 おのれ腐女子どもめ……野望の邪魔などさせん! 俺は俺の百合道を貫くぞ……!

 断じてBLなど、認めるものかよッ!


 ◆◆


 俺はガブリエラと共に、別荘の建設予定地へと向かった。

 用意した馬車には俺とガブリエラ、それからディアナが乗り込んでいる。

 車の部分は黒く塗装されて、赤い椅子が前後にある豪奢なものだ。夏なので屋根の無いタイプを今日は用意した。


「随分と見違えたな。道が出来ている……」


 馬車から身を乗り出し、ガブリエラが言った。

 

「道路は必要さ。内陸の作物を港へ運ぶにしろ、海産物を内陸に運ぶにしろ……ね」


「ふうん、そういうものかね」


 石畳の上を滑るガラガラとした車輪の音に遮られながらも、俺の話を聞いてガブリエラが頷いている。

 

「なんだかさ、どんどん立派な貴族になっていくのな」


 車内に身体を戻し、俯き加減でガブリエラが言う。

 

「それなのに、おれはさ……」


 軽く下唇を噛んでいるのだろうか?

 金色の横毛に隠れて、ガブリエラの表情がよく見えない。

 隣に座っているからこそ見えない表情というのも、不思議なものだ。


「ガブリエラ、どうしたの?」


 俺達の正面に座っていたディアナが、ガブリエラに問う。

 膝の上に乗せたドクロが、不気味な燐光を放っていた。


「いや……お前達はさ、こうやって自立してる訳だろ。それなのにおれだけ、相変わらずレオ家の令嬢だなんだって……。

 最近さ、色んなところから結婚を申し込まれたりとか……なんか色々、違うだろって思うんだよ」


「結婚を申し込まれるのは、やっぱり男なのか?」


「あ? 当然だろ。女に申し込まれたことなんて無いぞ」


「くっ……そんなの間違っている……世界はかくも不条理なのかッ!」


「なに言ってんだ、アレク」


 俺の言葉に応えるガブリエラの目が、何故だか厳しい。

 なんだ? 俺、変な事を言ったか?

 おかしいな、女は女としか結婚すべきじゃ無いのに……。


「まあまあ……ガブリエラ。例えばさ、どんな人に求婚されるの?」


 取りなす様に苦笑して、ディアナが言った。膝の上の頭蓋骨がカタカタと笑っている。


「えと……ロサ家のナントカとペガサス家の誰かだろ……それから皇太子はしつこいし、その弟もきたな……それから……いや、もう分からんて……数が多過ぎだ」


 指折り数えて十で足りなくなったところで、ガブリエラは両手を上げた。降参! といった雰囲気だ。

 ディアナも「ウンウン」と頷きながら、徐々に顔が蒼白になっていく。


「……そんなに求婚されたら、ちょっと恐いね」


「だろ? といってさ、逃げる訳にもいかない。だからって、おれは男だ! って言っても信じて貰えないし……あ、そう言えばさ、ディアナは求婚されないのか?」


「いやぁ……実はボクもいくつか求婚されてね……嫌気がさしてアレクの所に来たってのもある。特にクロヴィスがしつこくてさ……」


「え……クロヴィスはやばいな……大丈夫なのか、ちゃんと断ったか? ……父君は?」


「フヒヒ……大丈夫だよ、ガブリエラ。父さんにはね、『好きに生きなさい』って言われている」


「そうなのか? ――それはちょっと、羨ましいな」


「ごめん……嘘。本当のことを言うとね、アレクシオス卿を落として来い、孫の顔を見せろってさ。だからむしろ父さん的には、ボクがここに来るの、賛成だったみたい」


「おい、それってディアナ!」


 困った様に眉毛を吊り上げるという不思議なことをして、ガブリエラが叫んだ。


「あ〜……まあ、孫の顔は諦めてもらうけど……でもいつかアレクの妾って立場にしてもらったら、安心するんじゃないかなぁ……だいたいさ、そうして貰わないとボクだって誰かと結婚しなきゃいけないワケでしょ? となると、ちょうど良い落とし所だと思うんだよねぇ」


 一端ここで言葉を切ると、ディアナはガブリエラに向かって片目を閉じて見せた。


「でね、ガブリエラがアレクの本妻になったら、最高だと思うんだけど……ずっと三人で居られる方法って、実はこれしか無いんじゃないかな?」


「そ、それはッ!」


 ガブリエラがうっかり立ち上がって、よろけている。

 今日ばかりは、何故か俺も顔が赤くなってしまうぞ……。


 とはいえ、ずっと三人で居たい――という気持ちには同意出来る。

 むしろ、その為の方策は俺だって考えていた。だから今、それを披露する。


「ずっと三人で居る方法――か。それなら、俺も考えていたんだ」


 四つの視線が、俺に注がれる。二人がごくりと唾を飲み込む音まで、聞こえるようだった。

 俺は人差し指を立て、二人に言う。

 それは天空に住まう大神が愚かな人類に言い聞かせるが如く、荘厳な声で……。


「ガブリエラとディアナが結婚するんだ――そうしたら俺は部屋の隅に置かれた一つの植物として、永遠に二人を見守ろう。それはもう、深い深い愛情を持って」

 

 二人が無言で、俺を見つめている。

 なんだか目がスッ――と細くなり、溜め息が同時に吐かれた気もするが……。

 不安になった俺は、二人の肩を揺すりながら言った。


「どうだ、ずっと三人で居られるだろう? ガブリエラ! ほら、ディアナも名案だと思うだろッ!?」


 二人の肩が、プルプルと震えている。


「馬鹿がッ! なんで一人だけ植物になってんだよッ!」


「駄目だね、これは――フヒヒ」


 二人に全否定されてしまった。

 悲し過ぎる……。

 

 などと――そんなことをしているうちに、漸くガブリエラの別荘にたどり着いた。

 

 別荘は完成まで、程遠いようだ。見た限りでも、進捗状況は三割といったところ。まだ屋根も付いていない。

 これでは人が寝泊まりするのは無理だろう。完成は来年といったところか。

 

「ま、進捗はこんなもんだ。こっちに居る間は、俺の城に泊まりなよ」


 馬車を降りて作りかけの城を眺めつつ、俺は言った。


「え……良いのか?」


「ああ。ディアナも一緒に暮らしているし、積もる話もあるだろう。遠慮する事は無い」


「でも……いや、何でも無い。じゃあ、そうする」


 何かを言いかけて、口を噤むガブリエラ。その頬が、僅かに赤くなっている。


 なんだこれ、可愛いな……。


 いや、いかん、いかんぞォォォ!

 俺はあくまでも百合っぷるを眺めたいだけの男。

 いくら彼女が魅力的でも、こんな気持ちは禁忌であるッ!

 これは精神的ボーイズラァァァヴッ! 腐女子禁断の花園ナリッ!


 というわけで――砂浜ビーチへ遊びに行こうか。

 古今東西どこであろうが砂浜ビーチなら、百合の花が咲かぬ訳がぬわぁぁぁぁいのだからッ!

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