領地開発
◆
凱旋式を終えると、すぐに元老院から声が掛かった。
マーモスが帝国領に組み込まれたことにより、必然的に元老院のポストが増えたのだ。
ポストとは即ち属州マーモスの総督職であり、総督が存在すれば管轄するマーモスに議席が生まれることは必然。そこで領主たる俺に議席を占めろと言うのは、じつに尤もな話であった。
といっても議員と総督職は別だ。
属州総督とは執政官経験者が、翌年に得る名誉職のようなもの。
執政官経験者とは四公爵か大貴族に限られる訳で、彼等は執政官を経験後、自領の総督になるのが慣例であった。
逆にモンテフェラートと隣接するパンノニア属州などは、護民官を経験した生粋の武人が総督となる。彼等は常に数個軍団を指揮し、帝国の安寧に務めるという訳だ。
まあ……それ以前の話で元老院議員になる為には、選挙が必要。
つまりこの場合、新たに生まれた選挙区マーモスにおいて、俺に当選しろということである。
もちろん領主である俺が、マーモスで当選しない訳が無い。出来レースとなることは必然なのだが……。
ここで問題が発生する。
なぜなら選挙をする為には、選挙管理委員会を招く必要があるからだ。
彼等に管理費という名の税金を納めることで、正式な選挙が開催される。
その管理費が、なんと一億万銀貨!
日本円で一億円と言えば、理解も早いだろう。到底、庶民に手が出る金額ではない。
とはいえ、もちろんマーモス統治が安定してくれば、出せる金額。俺は庶民ではなく、領主なのだから。
しかし、しかしだ! 断じて今ではない!
何しろ、ミネルヴァに借金をしてまで戦ったのだ。まずは、これを返済しなければならない。だから元老院入りなんて、ムリゲーである。
それに正直言って、元老院は魔窟だ。
足の引っ張り合いは当然のこと、血みどろの政争に敗れ、命を落とす者は枚挙に暇が無い。
だから出来るなら踏み込みたく無い場所なのだ。
――とは言え、踏み込まざるを得ない事は分かっている。
何しろ元老院には、ガブリエラの議席もあった。
レオ家の勢力を維持する為にも、ガブリエラが元老院議員であることは必須。いかな四公爵家と云えども、勢力を維持するには相応の努力がいる証左であろう。
レオ家もご多分に漏れず、自らの勢力に組みする貴族を常に欲しているのだ。
その意味においてガブリエラ麾下の連隊長である俺は、レオ家の当主にとって有力な手駒と見えたに違いない。何しろガブリエラの父君より直々に、元老院へ入るよう要請を受けてしまったのだから。
一方で、俺を快く思わない勢力もいる。
例えばサーペンス家などが、俺の元老院入りを反対しているらしい。
何でも「歴史と伝統ある元老院に平民を入れるとは何事だ」とか。
平民じゃないっつーの。
ともあれ、元老院入りは前向きに考えている。
何しろ俺が元老院に入ることは、ガブリエラにとっても良い事だしマーモスの住民にとっても良い事だ。
俺が力を持てば皇太子の婚姻に対する発言力を得るし、そうなればガブリエラ以外を彼に推す事が出来る。
まあ、そうは言っても――ガブリエラだっていつまでも独身じゃいられないだろう。
何だかんだ言って、アイツは大貴族の娘。婚期というモノがあり、それは着実に迫っている。
だからこそ俺は元老院に入らねばならないのだ、女同士の婚姻を認める法案を成立させる為にもッ!
狂おしいまでの百合の花、遍く世界に咲かせましょう!
これぞ帝国至高のハピネスであるッ!
「特にガブリエラとディアナ……二人の結婚式は、盛大に挙げさせて頂きますぞォォォオ。拙者、友人代表として末永く見守る所存でござるゥゥ……デュフフフフ」
しかしやはり、先立つものは金だ。無い袖は振れない……。
と……こんなことを朝から悶々と考えていたら、馬の嘶きが聞こえた。
四月半ばの、長閑な昼下がりのことだ。
「元老院に入るんだって!? やったな、おめでとう!」
ドタドタと玄関から音が聞こえ、次いで元気な甲高い声が響く。
マーモスの城ならいざ知らず、ここ、帝都にある俺の家はさほど広く無い。ガブリエラの声が、辺り一帯に響き渡っている。
という訳で俺は小さな溜め息を吐き、ガブリエラを出迎えた。
玄関先で首を左右に小さく振り、それからガブリエラを居間に招く。
そして風通しの良い場所に設えた椅子に座らせ、彼女に向けてもう一度、ゆっくり溜め息を吐いた。
「はぁ……全くもって、めでたく無い。どちらかというと義務であり使命と言える……やらねばならない、といったところだ」
彼女の前には小さな丸いテーブルがあって、向かいにもう一つ椅子が置いてある。
庭先から吹き込む風にあほ毛を揺らして、ガブリエラはキョトンとしていた。
「そうなのか?」
「ああ――ちょっと待っててくれ」
俺はガブリエラに一言残して、庭先に出た。
この日は朝からミネルヴァも出かけていて、家に誰もいない。なので俺は自分で井戸に行き、飲み水を汲んで来たのだ。
水差しに冷えた水を入れ、二つの杯に移していく。
んくっんくっ。
俺が注いだ水を、ガブリエラが一息で飲み干した。
「この水、美味いなッ!」
「喉、乾いていたのか?」
「うん。朝稽古をさっきまでやってたからな!」
「もう、昼過ぎだろう」
「そうか?」
そうか、ときた。
ガブリエラにはどうやら、時間を認識する能力が無いらしい。
「それよりさ、元老院入りだろ? めでたく無いって、どういうことだ?」
「うん、それはなぁ……」
俺も水を一口飲んでみた。冷たくて爽やかな心地が喉を撫で、身体の内側で清涼感が弾ける。
確かに、美味い水だ。
水の味を噛み締めたあとで、窓の外を眺めつつ俺はガブリエラに説明をした。
――――
「金、なぁ……」
いつの間にか長椅子に身体を移し、頭の後ろで手を組んだガブリエラがしみじみと言う。
俺は相変わらず窓辺を見つめながら、「ああ」と頷いた。
ミネルヴァに頼めば、その程度の金は出て来るだろう。
けれど、それこそ彼女に頼り過ぎだ。
もちろんミネルヴァの願いを叶える為に動いているという事実はあるが、それとこれは別の話になる。
別に元老院に入らなくても、俺はガイナスを牢から出せるのだ。
その算段なら、もう出来ているのだから。
「父上に、頼んでやろうか? どうせレオ家の派閥に取り込むんだ。父上だって金くらい出すと思うぞ」
ガブリエラの青い瞳が、じっと俺を見つめている。
それしか無いかなぁ……と思った所で、あることを閃いた。
これなら金を借りる必要も無いし、もしかしたら商売に繋がるかも知れない。
ガブリエラの側に行き、腰を下ろす。
きっと自分の思いつきに興奮していたのだろう。勢い良く腰を下ろしたせいで、ガブリエラが大きく上下に揺れた。
しかし俺は気にせず、口を開く。
「なあ! レオ家の別荘をマーモスに建てないか? 土地代込みで、一億銀貨!」
目をパチクリとして、ガブリエラが口を丸く開いている。
暫く考えて、彼女は満面に笑みを浮かべた。
「名案だ! 別荘があれば、おれがマーモスへ遊びに行く口実が出来るッ!」
――こうしてレオ家の別荘がマーモス本島北岸、砂浜を見下ろす一等地に出来たのである。
◆◆
八月になった。
俺はニーア山の麓にある城を改築して居城とし、マーモスの統治に勤しんでいる。
幸いにして、ガブリエラがマーモスに別荘を建てる事となった。
その偉容は我が居城を凌ぐ程で完成のあかつきには、どちらが領主の居城か分からなくなるだろう。
しかし、お陰でレオ家の一族がマーモスを保養地と認めたらしく、別荘を建てる者が続出している。
その余裕が無い者はアイオスの宿泊施設を利用し、南国の風情を楽しんでいた。
幸いマーモスは、古代の遺跡を多く残している。
何しろ百年以上、帝国の新しい文化が入らなかったのだ。
こういったモノが、貴族の中の知識層にも受けたらしい。日に日に観光客が増えていた。
そんな訳で俺は帝都とアイオスを結ぶ定期便を始め、今では毎日一隻を往復させている。
と言っても帝都とアイオスは片道五日だ。つまり定期便として、現在は十隻が就航している。
また、当然整備も必要であるから、常時二隻はドックに入り整備を行っていた。
もちろんそれだけでは無く、各島への定期便も用意している。
これらを護衛する艦隊も、マーモス諸島全土を周回して展開させていた。
こういった政策は海賊達の雇用を生み出し、海域の治安を守ることに繋がっている。
全てはレオ家が別荘を建ててくれるお陰なので、ガブリエラには感謝をしないといけないな……。
このような事情から、マーモスは建築ラッシュのまっただ中。
建てるモノは別荘、宿泊施設、土産物屋、あるいは定住を希望する者の家などだ。
島民の大工は全員が駆り出されている。
それだけではなく帝都からも多数の職人が入り、仕事をしていた。
こうして金がいったん回り出すと、全てが上昇の螺旋を描いていく。これが好景気というヤツだろう。
もう誰も、海賊に戻ろうとする者はいなかった。
そんな中で忘れちゃいけないのが、グーリィのマーモス細工だ。
彼は約束通り家具や小物など、色々なモノを作っていてくれた。
これが貴族達にも好評で、高く売れるようになったのだ。
結果として今や彼は、百人の弟子を抱える立派な職人となっている。
とにかく、街は活気づいていた。
「順調だね」
俺が城の執務室で書き物をしていると、音も無く黒いローブを着た女がやってきた。
女は目深にかぶったフードを後ろにずらすと、皮肉っぽい笑みを浮かべてこちらへと足を進める。
「単なるバブルだよ。学校でも習っただろう? 終ればデフレの時代がやってくるさ」
「相変わらず、楽しまないモノの考え方だねぇ……」
「それより――今日くらい、休んでも良かったのに」
目を上げず俺が答えると、机の端に座って「ふぅ」と女が息をつく。
ローブから水が伝い、床に水たまりを作った。
しかし女は気にする素振りも見せず、濡れた黒髪を掻き上げている。
「そうも行かないでしょ〜、だってもう夏だよ? 収穫までに全部の土地の呪いを解かないと、冬に飢えるもの」
「そうか。手間を掛ける……」
「にしても、酷い雨だね〜……」
「たぶん、台風だろう。船も運休させた」
実際、部屋の隅にある木窓がバタバタと揺れ、ときおり風雨を中に運んでくる。その度にランプの灯が揺れて、羽根ペンの影が大きくなったり小さくなったりしていた。
「だったらアレクこそ、こんな日は休めばいいのに」
「そうもいかないよ。だって来週にはガブリエラが別荘を見に来るって言っていたから」
「フヒッ……そりゃあ、仕事どころじゃなくなるねぇ。どうせ『夏の思い出作りだ〜!』とか言って、海で遊びまくる気だろうし」
「ああ。スイカを割って『敵将討ち取ったー』とか言うんだよ」
「だね……ていうか、スイカもあるんだっけ?」
「古代種だと思うけど……あるよ。甘みが少なくて、少し細長いやつ」
「ふぅん。割るなら、頭蓋骨が良いと思っていたんだけどね」
「死者を鞭打つようなことばかり考えて……」
「いやだってさ、肝試しも兼ねて良いと思うんだよね、ヒヒ……」
そんな会話を交わしていると、またも扉が開いてローブの女が現れた。
同じく水をポタポタと零しながら、こちらへと向かってくる。
「あら、ディアナ。早かったわね?」
「やあ、ミネルヴァ」
ディアナが軽く手を上げ、頷いている。
ミネルヴァは手早くローブを脱いで、それを部屋の隅に引っ掛けていた。
「やあ、じゃないわよ。ずぶ濡れだわ……」
水に濡れた銀髪を手で払いながら、ミネルヴァが不機嫌そうに言っている。
まあ、確かに雨の中、土地の呪いを解いて回れば不機嫌にもなるか……。
俺は人を呼んだ。
「誰か、暖かい茶を持って来てくれ。三つほど――」
それから二人に座るよう言って、俺は立ち上がった。二人が揃ってここに来るのだから、何か理由があるのだろう。
俺は部屋の端にある応接セットに向かい、上座に座った。その左右にディアナとミネルヴァが腰を下ろす。
暫くしてルナが自分よりも背の高い侍女を引き連れ、カップに入った茶を四つ、テーブルに置いた。そのルナが、ミネルヴァの隣に座った。
「何だい、みんなして」
俺が声を掛けると、ルナが最初に口を開く。
彼女は優れた精霊使いであり、小柄で銀髪赤目、褐色肌という萌え系ロリエルフだ。
胸に紫色の紋様があるが、俺はアレが淫紋ではないかと疑っている。
きっとおっぱいを触るとボンヤリ光って……デュフフ……と、妄想している場合じゃないな。
「帝都のリナから、連絡がありやがりました。クラン・サーペンスが八個軍団、凡そ十万の大軍を率いてモンテフェラートに向かったそうです」
ミネルヴァの顔に緊張が走り、ディアナは「フンフン」と鼻歌混じりに茶を飲んでいる。
「愚かな話だよねぇ。アレクの武勲に対抗意識を燃やして、死にに行くようなモノだよ……ま、ボクとしては、死体が増えれば研究しやすくなるから、有り難いんだけどねぇ……フヒヒ」
「まだクランどのが負けると、決まった訳じゃないよ。ディアナ」
「勝ったら勝ったで、敵の死体が手に入るのさ」
「……まあね、戦争なんて因果なものだから。ところでルナ、敵の指揮官の名前は分かるかい?」
「エト・ヘルールと言いやがります、へっぽこ子爵」
へっぽこ……おのれルナ。相変わらず俺に敵意を丸出しだ。
貴様がロリエルフでなければ触手の海に沈めた後、素敵なお姉様の手で救出。しかる後に百合の花園を作ってもらう所であるわッ!
などという俺のハレンチ妄想に冷や水を浴びせるような、ミネルヴァの暗い声が聞こえた。
「エト・ヘルール……」
「ミネルヴァ。君は敵将を知っているのかい?」
「ええ、勇猛で残忍な男よ。少なくとも一騎打ちなら、父と互角に戦うわ……」
「そうか」
「だとすると、ますますクラン・サーペンスに勝ち目は無いね……フヒヒ」
なるほど。この話をする為に、皆が集まったのか。
だからといって、俺に出来る事は無いのだけれど。
というより――これで良いのだけれど……。
俺は三人を見渡し、軽く茶を啜った。そしてゆっくりと言う。
「もしもクランどのがモンテフェラートを落とす様なことがあれば、ガイナスどのは牢を出されて軍勢を率いるだろう。その時点をもって、ミネルヴァ――君との約束は果たした事とする。いいかな?」
ミネルヴァが目を見張り、俺を見つめていた。そして首を左右に振っている。
「……そう、ならなかったら?」
「大軍団と共に俺の政敵が一人消えて、帝国は未曾有の危機に立たされるだろうね」
「わぁお!」
ディアナが嬉しそうに手を叩く。
コイツは俺に付いてくる為に賢者の学院さえ辞めた、生粋のアウトローだ。いまさら国家がどうなろうと、構わないのだろう。
「そうしたらミネルヴァさまとの約束は、どうしやがるんですか、このすっとこどっこい」
ルナの毒舌が、俺を射抜く。
「そうだね……きっと誰かが、俺に泣きついてくると思うよ。そのとき、モンテフェラートを奪おうかな。どっちにしろモンテフェラートを失えば、ラヴェンナはガイナス・シグマに頼らざるを得ないのだから」
髪を掻き、俺は立ち上がって窓辺へ行く。
いつの間にか雨が止み、晴れ間が覗いていた。きっと台風の目に入ったのだろう。
「驚いた……難攻不落のモンテフェラートを、自分なら落とせると?」
震える声で、ミネルヴァが言う。
「うん、まあ……帝国が負けてくれれば、大分やり易くなるかな。色々とさ……」
「もしかしてマーモスを鮮やかに手に入れて見せたのも、これを見越してのことだったの?」
ミネルヴァも立ち上がり、俺の背後に立った。
声が震えているのは、望みが現実として見え始めたからだろう。
彼女にとって父親が特別であることは、よく分かる。多分きっと、自分の命よりも大切な存在なのだろう。
ガイナス・シグマを助ける為に、ミネルヴァは敵である俺を頼った。
それは共和国内におけるシグマ家の微妙な立場を示すことに他ならず、彼女の孤独をさえ浮き彫りにする行為だ。
ミネルヴァの心中を思えば、相当に辛かっただろう。
俺に対する信頼だって、幾度も揺らいだはずだ。
だからこそ彼女の問いに、俺は力強く答えた。
「それが出来ると思ったからこそ、君は俺の所に来たんじゃないのか」
「そうね……そうです……アレクシオスさま……」
ミネルヴァの頬に、雨とは違う水が伝う。
俺はそっと彼女の頬に手を触れ、涙を拭いた。
何故か――ディアナが怒っていた。




