嫁になりたいガブリエラ
◆
俺は港に向かいつつ、策を考える。
住民が事態を知らせてくれたことは、僥倖だ。
彼等が俺の敵に回ろうと考えていたなら、このことを知らせる必要なんて無い。
だとすれば民意は、エリティスよりも俺にあると考えて良いだろう。
だが、なぜ民意が俺にあるのか。銀貨だけで長年の忠誠が覆るとは考えにくい。
最悪の事態も、想定だけはしておこう。
その時は隣を歩く金髪の親友に、力を発揮して貰う必要があるが……。
「まずいことになったな、アレク」
ガブリエラが口の端を吊り上げ、笑っていた。台詞と表情が反比例している。
肩をグルグルと回す動作も、何やら期待に満ち満ちていた。
どうやら当の親友は、俺が考える最悪の事態を楽しみにしているらしい。
「まだ暴れ足りないのか?」
「そりゃそうだ。こっちに来れば、喧嘩がいっぱい出来ると思ってたんだぞ。それなのにさ、あっけないったら――」
ガブリエラの声を聞きながら、俺は港に目をやった。大型船が一隻、ゆっくりと入港してくる。
あれがエリティスの船であろうことは明白だ。船は傷つき、矢が刺さったままの状態である。
凱旋というには程遠い。散々やられて、這々の体と言ったところか。
エリティスは全軍を率い、意気揚々と出たと聞く。この有様では、住民も愛想を尽かすだろう。
俺はガブリエラに苦笑すると、彼女の肩を軽く抱いて耳打ちする。
「どうやら、お前の期待通りにはならないぞ」
「そうなのか? ……って、か、顔が近い。ヤメロッ!」
ん? ガブリエラが顔を赤くして、離れていった。
代わりにランス君が俺の側に来て、「こほん」と咳払いをする。
「あの……提督は乙女心を知らな過ぎます」
「あ……えっ……どうして?」
ランス君が少し頬を赤くして、俯いた。
「意識している男性に、いきなり触られたり近づかれたりしたら、ドキドキしますから……」
「え……でもガブリエラだよ?」
「ガブリエラさまだから、だと思いますが……」
うーん、女同士でそれなら理解出来るが……。
ガブリエラが俺を意識しているとしたら、「男同士でそんなに近づくんじゃねぇ!」ってことかな。
まあ、確かに俺達はホモォではないから、耳に息が吹き掛かる距離はマズかったか。
しかし、さすがイケメンのランス君だ。
きっとリア充で、彼女がいた事もあるのだろう。
もしかしたら、故郷には結婚の約束をした恋人が存在する……なんてことも。
なんか、だんだん腹が立ってきた。彼にも百合の何たるかを教えなきゃいけないぞ。
「いいかい、ランス君」
「はい?」
「女性はね……女性にしか、トゥンクしちゃあイケナイのだよ」
「は?」
「少し後ろを見てごらん――ガブリエラとポーラちゃんがいるだろう?」
「は、はい」
「ポーラちゃんは今、ガブリエラの庇護下にいる訳だが……望んでそうなったワケじゃあない」
「そ、そうですね」
「が……それがイイッ!」
ここで俺は身体をぐるりと捻り、人差し指で天を指す。
“ザンッ”
音を立てて、砂煙が舞った。
擬音があるなら、今こそ「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」と鳴って欲しい。
「いいかい、ラァァァァンスッ! 女と女の恋愛こそ至高ッ! 男女など、有り得ぬことッ!」
「は、はぁ……でも、そんなことでは人類が滅びてしまいますが……」
「ノン、ノン、ノン。やがては人類ィィィの革新がやってくるッ! つまり百合の恋愛こそが世界一ィィィィィイ! 全ての男は女にTSするのだ……その先鞭がガぶぶぶぶぶぶッ……」
ガブリエラが飛び掛かってきて、俺の口を両手で塞いだ。
何をするんだ、コイツッ!
「ラ、ランス! コイツはな、変な神を信じているだけなんだ。悪気は無いッ! 訳の分からないことを言っても、大目に見てやってくれ!」
「お、おい、ガブリエラ! 信じているだけではないッ! 俺は……俺こそは、百合神のハイプリィィィィィィィィィストッッ!」
「黙れッ、この馬鹿アレクッ!」
「お前にも百合神の偉大さを教えてやろうッ、このアレクシオス・セルジュークがッ!」
「その……よく分かりませんが、俺も百合神を信仰していいですか? もっとその……提督のことがよく知りたいので。同じ神を信じれば、俺も優れた将軍になれるかなって……」
ガブリエラと取っ組み合う俺を、真摯な青色の瞳が見つめている。
俺はランス君の手をガシッと握り、大きく頷いた。
「よかろう、ランス君。百合を見守る心とは、まさに波紋のオーヴァードライブだ。クリーチャーよりも醜い、己の心と戦うことが本懐と心得て欲しい。そして目指すは、観葉植物」
ガブリエラは俺の口に手を突っ込み、ムニムニと引っ張っている。そしてランス君が思い留まるよう、説得をしていた。
「駄目だぞ、ランスッ! コイツを信じたら、お前が腐るッ! せっかくモテそうなのに、ダークサイドへまっしぐらだからなッ!」
「おい、ガブリエラ。せっかく同志を見つけたのに、酷いぞッ! あ、お前もしかして、ランス君のことが好きになっちゃったのかッ!?」
「馬鹿ッ! そういうんじゃないッ!」
ランス君が涙目になって、俺を見上げている。
「提督が、同志って呼んでくれた……」
相変わらず綺麗な顔だ。おかっぱ頭がとても愛らしい。
もしも彼が女性だったら、百合スキー男爵たるこの俺も恋の病を患ったかも知れない。
しかぁぁぁし! 彼は男である! 俺は百合スキーにて、男色ではぬわぁぁぁい! 百合神も照覧あれェェェェ!
俺はランス君に苦笑を見せて、彼の前髪を指で軽く弾く。
「大人をからかうものでは無いよ、少年。俺にBLの気は無いから……そんな顔で見つめないでくれ」
「俺、提督の為なら何でもします。だって、同志なんて言われたら……」
「……」
「……」
「さて、ランス君。策を思いついた。そろそろ住民が、我々の下へ駆け付けるだろう。彼等にはエリティスが来たら盛大に篝火を焚き、歓迎しているように振る舞ってもらおうか……そう伝えてくれ」
ハァハァ……危ない!
これ以上見つめ合ったら、危ない恋へ一直線。
俺も晴れてタチの仲間入りをしてしまう。
童貞をランス君のお尻で捨てようなどと、危ない考えだ。
だいたい、童貞にあらずば百合神への冒涜。神官とは童貞にのみ許される、名誉の呼称である。
ランス君は俺の邪念に気付かず、爽やかに頷いてくれた。
「分かりました、提督」
とにかく、だ。
俺の予測が正しければ、エリティスが一隻だけで戻ったことは、間違い無く住民感情を逆撫でするだろう。これが俺達に対する後押しとなることは、まず間違い無い。
実際、エリティスの船を見た住民が、次々に罵声を上げ始めていた。
「あたしの夫は三番艦に乗ってたんだよッ!」とか「息子は五番艦だったのだけれど……」など。
到底、エリティスの帰還を歓迎しているとは思えない。
ただ、ガブリエラの隣を歩きながら悲し気に顔を伏せるポーラちゃんには、少し気の毒な光景だ。
……住民の代表が俺の下に「どうすべきか」訪ねてきたのは、この数分後の事である。
「提督は、このようなことまで予測出来るのですか?」
住民へ指示を終えたランス君が、震える声で俺に言う。
「状況を分析すれば、どうという事は無い。そもそも、こちらが勝つべくして勝つ戦さだよ? いまさら覆ることは無いさ。だからこれは予測という程のものではなく……そうだね、ちょっとした軌道修正に過ぎないよ」
「……は、はいっ!」
ランス君の俺を見つめる眼差しが、少し異常な程の熱を持っている。
ガブリエラがランス君を引っ張り、俺から彼を引き剥がしていた。
有り難い――このままでは、アントニアの同志になってしまう。
まあ、ランス君となら一回くらいは……はっ!
いかん、いかん。思わずあっちの道に、光を見出すところであった。
◆◆
船が停泊すると、桟橋にエリティスの姿が見えた。
住民達は俺の指示通り、船の周囲のみを赤々と篝火で照らす。
エリティスにとっては、住民が歓迎していると映ったことだろう。
だから安心して、ヤツは最初に降りてくる。予想通りだった。
幸い俺の顔は、エリティスに知られていない。桟橋に降りてきたエリティスの前に立ち、「他の艦はどうした?」と聞いた。
「あ、後から来る、後からなッ!」
「負けたのではないか?」
「な、何をバカなッ! だいたい、テメェは誰だッ!?」
彼がしどろもどろに応えているうち、ガブリエラが桟橋と船を繋ぐ板を砕く。
ガブリエラは剣ではなく、大きな鎚を持ち出していた。
どうしてあんなに小柄で、あれほど大きなモノを扱えるのか、相変わらず不思議だ。
“ドォォォォォン”
凄まじい音と共に、エリティスは桟橋で孤立した。彼に従っているのは、十人と少し。
この程度なら抵抗されても、ガブリエラとセルティウスさんで容易く制圧できるだろう。
ナナとゼロスが素早く舫を解くと、ゆっくり船が川へ流されていく。
船にはまだ多数の海賊が乗っているので、停泊させたままだと厄介なのだ。
「て、てめェ!」
エリティスが振り返って喚く。だが、全ては手遅れだった。
灯台に潜むランス君の放った矢が、畳んでいた帆を次々に射ち降ろしていく。
住民達に頼んで船の周囲を明るくさせたのには、彼の的を照らす意味合いもあったのだ。
とはいえ――矢で容易く綱を切るのだから、ランス君の腕は本当に凄い。
帆が降りた頃合いを見計らって、俺は全力で風の魔法を使う。
たとえ微風でも、船が少しだけ動けば十分だ。
桟橋にぶつかりながら、船がどんどん流されていく。
やがて船は、篝火の届かない辺りまで流された。
こうなれば、夜の川に飛び込んでまでエリティスを救いに行こうという者は少ないだろう。
「お頭ー!」
海賊の張り上げる声が、虚しく夜空に響いた。
幾人かが川へ飛び込むが――それもナナの声で動きが止まる。
「飛び込むのはいいけどよォ! 陸に上がったら、すぐに狙い射つよッ!」
先ほどランス君の矢を見たばかりの海賊達は、当然尻込みをした。
矢で帆を縛る綱を切る程の達人に狙われて、生きていられるとは思えなかったのだろう。
「エリティス、観念しろ」
エリティスの背後に、小柄な少女がユラリと現れた。既に鎚は川に捨てている。
もちろん、金髪を後ろで束ねたガブリエラだ。
彼女の隣にはセルティウスさんも居て、鋭い眼光をエリティスに向けている。
「だ、誰だ!? 何なんだ、これはッ!」
エリティスは声を張り上げ、皆に説明を求める。辺りには住民が沢山いるのだ。
それと同時に彼と行動を共にする十人程度の護衛が、腰の剣を抜いた。
住民を威嚇すると同時に、俺とガブリエラに剣を向けている。
ここで俺も、名乗りを上げた。
「私はアルカディウス帝国のアレクシオス・セルジューク。既にザッカールは制圧した。抵抗するなら斬るが――どうする?」
俺の後ろには、ザッカールの民衆がいた。
彼等を睨み、エリティスが怒鳴り散らす。
「お、お前等、どういうつもりだッ! 敵の司令官の後ろに隠れやがってッ! やっちまえッ!」
だがエリティスの声に反応したのは、側近の海賊だけ。
それも十人程度なら、どうという事も無い。
「ガブリエラ、セルティウスさんッ! 殺さずにッ!」
俺の声に二人は「おう」と応え、獣のように身を翻す。
二人とも、剣は抜かない。次々に海賊達を投げ飛ばし、川に叩き落とした。
「さて、エリティス。残ったのはお前だけだが……」
彼は小柄な身体を更に小さくして、一応は剣を構えていた。
「ば、馬鹿にするんじゃねぇぜッ!」
が――余りにも杜撰な構えは、そのまま彼の技量を俺達に伝えてくれる。
「無駄な抵抗だ」
俺の言葉と同時に、セルティウスさんの剣が一閃した。
“キン”
甲高い音を立てて、エリティスの剣が宙に舞う。
「お前の敗北は決まっている。これ以上やると言うのなら、死を覚悟してもらうが――」
俺の服の裾を、ポーラちゃんが掴む。
「お父さん、止めて。アレクシオス……さまも……わたし達……もう結ばれている……だから」
「結ばれている? ポーラ……いったい何があった?」
ポーラちゃんが赤面して、目を閉じた。少し濡れた長い睫毛が、小さく揺れる。
とても意味深な表情だ、やめてくれ。
暫しの沈黙があり、エリティスが逆上した――ほらね。
「貴様ぁああああああ! 娘に一体何をしたぁぁぁああああああああッ!」
殴り掛かってくるエリティスの腕を捉まえ、「てーい」と俺は投げ飛ばす。
誤解しやがって……。
「かはッ!」
地面に背中から落ちたエリティスが、ゴロゴロとのたうち回った。
「何もしていないッ! 俺は紳士として、ポーラちゃんの体液入り茶を飲み干しただけだッ!」
「提督! それも百合神の御心ですかッ!」
灯台に潜むランス君から、声が掛けられた。
俺は親指を立て、彼に応える。
ランス君はなかなか、理解が早いようだ。良い百合戦士になれるだろう。
「エリティス。私はお前を殺さない。以後は共に手を携えて、このマーモスに繁栄を築こう。
だが――だからといって、すぐにはお前を信用出来ない。よって、この娘を暫く預かるのだ。
しかし、心配はするな。私が彼女を手篭めにすることは、断じて無い。なぜなら彼女の身柄は、そこのガブリエラが預かるのだから……」
まぁ、ガブリエラがポーラちゃんを、手篭めにするかも知れませんがなぁ……デュフフフフゥ!
それこそ、百合神の御心に叶うというものですぞォォ……デュフフフフ!
身体を何とか起こしたエリティスが、ガブリエラを見る。
敗北を悟ったらしい彼は、半身を起こして項垂れた。
「帝国は俺から、ポーラまで奪うというのか……」
「妙なことを画策しなければ、いずれは返す」
「くっ……ポーラ……不甲斐ない父さんを、許してくれ」
ポーラちゃんがエリティスの側に駆け寄り、手を取っている。
「いいよ、わたし。この身一つで父さんが助かるなら……我慢する……アレクシオスの毒牙でも、受け入れる……大丈夫。だってもう、汚れちゃったし……」
おかしいな……汚れたって言葉は。
もしかして、俺が口を付けたお茶を飲んだから汚れたの?
もしそうだったら、流石に傷つくよ、俺……。
「ポーラ……」
エリティスの目に、涙が溜まる。
「だからわたし、アレクシオスの妾になる……それでね、わたし、アレクシオスの子供を産むの。そうしたら、きっとわたしの勝ちだから……」
ポーラちゃんが、キッと俺を睨んだ。
ツカツカと歩いてきて、俺の腰辺りに両腕を回す。
背の低いポーラちゃんの顔が、俺のお腹に埋まっていた。
反対に俺の口から、魂が抜けて行く。
何が起きたんだ? 子供って、どうやったら作れるんだ?
「お、俺は別に彼女をどうしようとか……そんな……ことは……」
俺がしどろもどろになっていると、いつの間にかガブリエラがポーラちゃんを引き剥がしてくれた。
そのガブリエラの前で、エリティスが頭を下げている。
「あなたが正室でしょうか? ……どうか、どうか……娘を頼みます……」
「おれが、正室?」
先ほどまで吊り上がっていたガブリエラの眉が、片方だけ下がった。
「ち、違いますのか?」
「……おれがアイツの嫁に見えるのか?」
「そ、その、違うのなら……」
ガブリエラは俺を睨み、それからフニャっと表情を崩した。
「違わなく無いッ! わかった! ポーラの安全は保証しよう。うん、まぁ……アレクの嫁として、これは仕方のないことだからなッ! 嫁としてッ!」
いやいや! いつから俺の嫁になったんだ、ガブリエラ!
そう思っていたら、ガブリエラがチラリと俺を見て言った。
「そう思わせておいた方が、面倒が無いだろう?」
まあ――言われてみればレオ家の名を出すよりは、良い気がするな、うん。
――――
暫くして降伏させた敵艦隊と共に、アントニアがやってきた。
彼は船を降りると、申し訳無さそうにしつつも呆然としている。
「まさかエリティスを捕まえちゃったなんて……ちょっと、信じられないわ」
「なに、大した事じゃないよ。だいたいは、アントニアのお陰さ」
俺の言葉に溜め息を吐き、アントニアは肩を竦めている。
「あたしはアンタの策に従っただけ。大した苦労も無かったわ」
港で握手を交わす俺とアントニアに、街の長老が声を掛けてきた。
「もしよろしければ、双方の縁を深める為にも宴を催したいと思いますが……如何でしょうか?」
俺とアントニアは互いに顔を見合わせ、頷いた。
芦屋 関様より素敵なレビューを頂きました。ありがとうございます。
お礼という訳ではありませんが、今回は早めに更新させて頂きました。
楽しんで頂けましたら幸いです。




