海域の覇者 7
◆
ガルル……という目付きで俺を睨むポーラちゃんが恐ろしい。
よほど、俺は嫌われたのだろう。
そのくせガブリエラには微妙に懐いているから、あの子の性格がいまいち分らない。
獅子と子獅子といった感じで、相性が良いのだろうか。
それはそうと、俺は早速広場へと向かった。
エリティス家の人々を方々へ走らせ、広場に人々を集めたからだ。
そんなことが可能になったのは、不本意ながらポーラちゃんをガブリエラが奴隷化したから。
つまり人質としても、彼女は機能しているのだ。
そういう意味合いも含めて、ポーラちゃんは俺を敵視しているのだろうな。
要するに俺はポーラちゃんにとって、「卑怯で悪辣な侵略者」という訳である。
はは……。
「ポーラちゃん」
「ふんッ」
うん、声を掛けても顔を背けるね。
彼女の後ろで束ねた黒髪が、馬の尻尾みたいにフワリと揺れている。
街の広場に到着すると、そこには数百人の人々が集まっていた。
これで石でも投げられたら、流石にたまらない。
俺は周囲を警戒しつつ、簡易的に木で作った台の上に登った。
けれど住民達は、思ったよりも大人しい。
きっと、ゼロスを牢から解放した俺達の手際を恐れての事だろう。
というか、恐れてくれなきゃ困る。
台の上に登った俺の姿を見つめる顔は、半数が怯えたような暗い顔だった。
あとの半数は怪訝そうに眉を顰め、腕を組んでいる。
まぁ、どちらも納得できる反応だな。
俺だっていきなり支配者を名乗る奴がやって来たら、「なんだ、それ?」となる。
もしくは何を言い出すか、戦々恐々といったところか……。
「……私は帝国軍司令官アレクシオス・セルジュークである」
まず、俺は名乗った。
この様な場合、やるべきことはパフォーマンスだ。それも派手な方がいい。
民衆とは、物事を表面上しか捉えないものだ。
もちろん中には深く考え、疑問を持つ者もいるだろう。しかしそんなマイノリティは、集団心理の前に圧殺される。
そもそも民衆とは、根源的な「恐怖」と「欲望」を国家に支配される者の総称。
だから逆説的に考えれば、双方を満たす者こそが国家ということになる。
もちろん、どちらか一方でも欠ければ、民衆は途端に牙を剥く。
あくまでも双方を満たす者だけを、民衆は熱狂的に歓迎するのだから。
ゆえに独裁とは、結果として極めて民主的に誕生する。
しかし俺は、こういった物事の考え方が好きじゃない。
けれど「人をなるべく殺さない」ことを善とすれば、時として独裁による支配も善足り得るのだ。
まあ、善悪を論じたらキリが無い。
そもそも善やら正義なんてものは、しょせん人を欺く為の方便に過ぎないと俺は思っている。
したがって俺は、正義を振りかざす人間が嫌いだ。
何をどう取り繕っても正義は力ある者が得るし、力ある者の発言が正義になるのだから。
俺は歴史や戦史が好きだから、悪人とされた敗北者を幾人も知っている。
むろん彼等の性質が悪だった訳では無く、時の政体に敗れたから悪評を残されただけのことだ。
つまり善悪の基準は時代や政体によって変わるし、個人なら価値観の問題に過ぎない。
ようは時の権力に阿るか否。あるいは時代の価値観に然うものであるか否か。
ならば抗う者が好きかといえば、これも違う。
対抗するのは、大抵が湾曲した正義の齎す腐った果実。つまりテロや暴力的なデモなのだ。それらはもはや、悪ですら無い。単なる害だ。
という訳で俺がこれから行うことは、間違っても人道的な行為ではない。
なぜなら俺は、これから“正義”を齎すからだ。
即ち民衆に支持された上で、権力を奪取する。
こういった行為を何の疑問も持たずやれる人間が、きっと英雄と呼ばれる存在なのだろうな……。
――――
まず俺が立つ台の下に、ガブリエラがボコボコにした捕虜を並べる。
その横にガブリエラが立ち、腕を組んで住民を見据えた。
「歯向かおうなどと、考えない方がいい。手加減するにも限度があるし、殺した方が簡単だ。そして私には、諸君を皆殺しに出来るだけの力がある」
しん、と皆が俺の言葉を聞いた。息を飲んでいる。これで良い。
だがガブリエラ――なぜお前まで、あんぐりと口を開けている?
冷や汗まで足れているぞ……色々とバレるから、表情をちゃんと作ってくれ。
それから俺はニッコリと笑って、手を叩いた。
「だが――大人しく恭順すると言うのなら、私は諸君に対して寛大だ」
そう言って、ランス君に手筈を整えさせる。
つまり、怖がらせた後に優しくする作戦だった。
俺は、これから金を配る。
もちろん、この地域において金はとは、帝国本土に比べて価値が低い。
しかしそれでも、無価値というものではない。
ナナとゼロスが住民を並ばせ、袋に入れた銀貨を一枚ずつ手渡していく。
彼等はこの街でも馴染みのある顔だから、色々と便利だった。
また、お金を渡すと同時にランス君が名前を聞き、紙に記入していく。
多少時間の掛かる作業だが、名簿も作れるので一石二鳥だ。
とはいえ、本当に時間が掛かった。
全てが終った頃には、夕暮れとなっていた。
だが、ここからだ。彼等は今、俺からの恩を受け取ったことになる。
ゼロスとナナも壇上に登り、俺の横に立つ。すると、皆の目が再びこちらに注がれた。
「セルジューク閣下より、皆に話がある」
ナナが、よく通る声で言った。
小麦色をした彼女の肌が、夕日に照らされて鮮やかに輝いている。小さくて少しぷっくりとした唇が、僅かに微笑んでいた。紫色の髪が風に揺れて、少し尖った耳が露になる。
ゼロスの視線が俺を飛び越え、そんなナナを見つめていた。
少しイラっとしたので、俺は足で台をダンッと鳴らす。
ここは俺の為に、拍手すべきところであった。そういう手順なのだ。
ハッとして、ゼロスが手をパチパチと鳴らす。
すると住民からも、まばらだが拍手が起きた。
そう、これが銀貨効果だ。
逆らえば殺すと示しつつ、従えば利を与える。
こうして人は、支配者に逆らう意思を失っていくのだ。
この様な手法は、日本のブラック企業にもよく見られたという……。
まあいい、状況は整った。話を始めようか。
「諸君、聞いてくれ。私は皆を処罰しに来た訳ではない――救いに来たのだ。諸君等は日々、何を食べている? 何を着ている? どこに住んでいる?」
広場には、互いに顔を見交わし首を傾げる住民の姿が見える。
互いの衣服を引っ張り、空いた穴を指差しながら、食事の少なさを嘆いていた。
「雨漏りのする家に住み、ボロボロにすり切れた服を着て、その日の食べ物を心配する日々。諸君等は、それで満足なのか?」
俺の言葉に、首を左右に振る住民が多数いた。
「……だからって、どうにもならないのよ……」
掠れた声が聞こえる。
見れば俯き、子供の手を握る母親の声であった。
子供は痩せて、血色も悪い。病気かも知れなかった。
俺は頷き、言葉を続けていく。
「諸君が私に従うのなら、約束しよう。飢えない日々を、凍えない日々を、豊かで暖かい家を! これは決して、不可能ではないッ! だからどうか、力を貸して欲しい!」
これは俺の、嘘偽り無い本心だ。
しかし、こんなことを簡単に住民が受け入れるなら、そんなに楽な話は無い。
「嘘だ! そんな事言って、誤摩化されねぇぞっ!」
当然、ヤジが飛んでくる。そのうち貝殻とか、固い物も飛んで来るんじゃないだろうか。
そう思っていたら、ゼロスが叫んだ。
変な鍋さえ被っていなければ、そこそこに見れる男だ。むしろ美男子と言って良いかもしれない。
「なあ皆、聞いてくれッ! 今、アレクシオスさまの言ったことは真実だ! 皆が手に握った銀貨をみてくれよッ! それがあれば、帝国の服が買える、食い物も買える、宿にだって泊まれるんだぞッ!」
皆が手を開き、夕日を反射する銀貨を見つめた。
ざわめきがあり、沈黙があり、そのあと一人の老人が口を開く。
「知っとるわい、ゼロス坊。だけど、どこの馬の骨とも知れんヤツにゃ従えん。そういうことじゃろうが……」
「この人が――馬の骨だとッ!? お前等、俺が子供の頃から知ってるよな? それなのにエリティスが恐くて、俺が牢に入れられてるのを見てただけだろうッ!?」
再び、皆が沈黙する。
「そんな俺をなッ! この人は、たったこれだけの人数で助けに来てくれたんだッ!」
ゼロスが涙と鼻水を零しながら、絶叫した。
うん――まあその――そうではあるけど、これも策なのだ。
「それが、どこかの馬の骨だとッ! じゃあ聞くがよッ、俺を人質にとって、そのクセ負けるエリティスは一体何だってんだッ!?」
「エリティスが負けたって!?」
「だって、そうじゃねぇか! 本拠地に俺達の侵入を許して、それで負けてねぇとでも言うのかよッ!」
頬を紅潮させて叫び続けるゼロスを見て、俺の方が恥ずかしくなってくる。
もう、ここまでくれば住民は落ちたも同然。ゼロス、お前の功績だ。
それなら、もう俺が立ってる必要ないよね……そう思って舞台から降りようとした。
だがナナに止められ、ゼロスの横に戻される。
今度はナナが、拳を振り上げた。
お前もノリノリか。楽しそうだな、おい……。
そりゃ俺の考えた作戦だけど……どうなんだ、これ。
「悪い事は言わないよ、アンタらッ! この人は、すぐにマーモス諸島の領主になるお方さ! それは、あたしが保証するっ! みんなも乗っかっときなよ!」
今のお気持ちは、恥という名のバターをベッタリ塗られ、無造作に口へ突っ込まれたような感じだ。
けれど民衆の煽動って意味じゃ、完全に成功。皆が口々に騒ぎ始めた。
「これって、エル諸島とネア諸島がアイツの下に付いてるってことじゃないの?」
「そりゃそうよ。だってゼロスとナナよ」
「あの人、マーモス本島も支配下に置いたって本当?」
「よく見たら、随分と若いわよね?」
「――独身かしら?」
「まってよ! エリティスはどうするの?」
「負けたと……」
「いいじゃない。あんなのより、アレクシオスって人の方が全然カッコいいもの」
「まあ、エリティスはねぇ……自分のことばっかり考えてる人だから……」
「なんだかアレクシオスって人……黒髪黒目でローラちゃんと兄妹みたい」
「本当ね、綺麗なお顔だわ」
ナナが俺の背中を“バシッ”と叩いた。
「女にモテるってのは得だなぁ……え、おい、司令官ッ!」
ゼロスが鼻水を啜り、頷いている。
「羨ましいっす! でも俺はナナ一筋なんでッ!」
「はは……二人とも、ありがとう。助かったよ」
俺が礼を言うと、二人は笑った。
「この位は役に立たねぇと……」
「あたしはまぁ、最初からコレが仕事だしねぇ」
二人に頷いて、俺は再び正面を見た。
声を張り上げ、頑張って更に民衆を煽動する。
うーん……なんか俺、最低だな。
「もう一度言う――皆、私に力を貸して欲しい。その代わり、私は諸君に約束する――富を――そして豊かな未来を!」
我ながら、むず痒くなるような事を言う、と思った。
歴史上の独裁者や司令官とは、こういった事を素で言えたのだろうか。
少なくとも、俺は気恥ずかしい。ましてや両手を広げ、時に拳を振りかざすなど――。
だが、歓声が上がる。
こうしてイラペトラ諸島は、俺の手に落ちた。
だけど頬を膨らませて俺をキッと睨むポーラちゃんの顔は、ずっと忘れないだろうな。
あの子はきっと、誇り高いのだ。
たとえ何があっても、心までは屈しない――そういう目をしていた。
ああ、なんて最の高な属性。
屈服百合でござるぞ、ござるぞォォオオ! デュフフフフ!
ガブリエラ、がむばってねェエエエエッ!
◆◆
エリティスの邸に戻り皆の到着を待つ事にしたのだが、そこに街の人が慌てて駆け込んで来た。
「アレクシオスさまッ、大変ですッ!」
そう言われると、この状況は非常に大変だと思う。
何しろたった五人に囚人を奪われ、六人に街を制圧されてしまったのだから。
俺はウンウンと頷き、「さもあろう」なとど言ってお茶を啜った。
この場には俺達の他、甲斐甲斐しくお茶を運ぶポーラちゃんがいる。
ちなみにこのポーラちゃん、既に俺のお茶に二回ほど毒を入れていた。
三回目は毒がバレると気付いたらしく、唾を入れて俺に差し出している。
というか、見えてるんだよ。気付きなさい。
だいたいね……美少女の唾液など紳士たる俺にとっては、単なるご褒美ですぞ。まったく。
ああ、美少女の唾液入り茶、美味しいでござる……美味しいでござる。
俺は暖炉の側で椅子に座り、ポーラちゃん特製、唾液入りティーに舌鼓を打つ。
引き攣った顔でこちらを睨むポーラちゃんに、俺はニッコリと微笑んだ。
「ポーラちゃんの味がすりゅ♡」
ポーラちゃんは両手で身体を抱え、震えていた。
それから長椅子に座るガブリエラに、何やら耳打ちをしている。
うむ……うむ。仲良きことは良きことでござるよォ。
むふふ……。
「どうした?」
「あの人、変態」
「まあ、そうだな」
否定しないんだ、ガブリエラ……。
「――大変というのは、どうしたのですか?」
俺の横に立つランス君が、駆け込んできた男に水を渡していた。そして、事情を聞いている。
俺、すっかり忘れてたよ。
「エリティスがッ! エリティスの船が帰って来ましたッ!」
「なにッ!?」
ガブリエラが剣を手に、長椅子から立ち上がった。
俺はそれを、手を挙げて止める。
「まず、状況を把握しよう……」
「状況と言っても、エリティスが戻ったのなら、アントニアが負けたということだろうッ!」
ガブリエラが苦々し気に言う。
俺は駆け込んで来た男に聞いた。
「まあ、そうと決まった訳じゃない。戻って来たのは何隻だ?」
「一隻ですッ!」
俺は口元を緩め、ガブリエラを見た。
「こちらが負けていれば敵の数は、もっと多い」
とはいえ、一隻でも三百人程度は乗っているだろう。
これを街に入れてしまえば、少し厄介なことになる。
「……といっても、放っては置けないな」
「エリティスを殺るか?」
俺に応えるガブリエラを、ポーラちゃんが怯えたように見つめていた。
エリティスは、ポーラちゃんにとって父親だからね。
「エリティスを殺すのは簡単だけれど、そうしたらポーラちゃんに嫌われそうだ」
俺の言葉に、ガブリエラがジト目で応える。
その目はまるで漆黒の闇の中、蠢くウジ虫を見るが如く濁っていた。
「なぁ、アレク。お前は百合が好きだったんだよな? それなのに何だ、やけにポーラに拘るよなぁ? お前、本当はロリコンじゃないのか?」
「――いや、誤解だ。ガブリエラ。俺は断じて、ロリのコンではない」
「何が誤解だって、アレク。え、言ってみろよ。どの辺がロリコンじゃないんだ? ポーラの唾が入った茶を、嬉々として飲んだらしいな?」
「……ああ、飲んだぞ。それの何が悪い?」
「あっ、開き直りやがったッ!」
「逆に聞くが、ガブリエラ。お前は、ポーラちゃんの唾が入った茶を飲めないのか?」
「……だって、唾だぞ……」
「唾は汚いのか?」
「汚くはないが……嫌がらせだろ」
「ああ。確かにポーラちゃんが俺の茶に唾を入れたのは、悪意からだと思う。だがしかし――だからといって、それを単純に捨てればいいのか? 汚くもないのに」
「でも普通は、捨てるだろ……」
「捨てれば、悪意は更に増す。俺はポーラちゃんに好かれたい。友好関係というのは、こういったところから始まるものだ」
まあ、これは事実だ。
ポーラちゃんに対し「お前が唾を入れた茶なんか、飲めない」――と言うのは簡単である。
だけど俺は、あえてそうしない。
「火中に栗を拾う」じゃないけど、何かを得ようと思ったら何かは犠牲になるものだ。
まあ、今回の場合は俺の尊厳だけれども……。
俺とガブリエラが睨み合っていると、ポーラちゃんが側にやってきて俺からカップを奪った。
そのまま口を付け、クイっと茶を一飲み。また、俺に返して寄越す。
「……わたしも、お前が口を付けた茶を飲んだ。これで同じ」
「ふふっ……ポーラちゃん。間接キッスだね!」
「……」
「……」
ポーラちゃんの眉が、もの凄く下がった。
俺を見据える瞳が、蔑みと哀れみと憤怒のトライアングルを形成している。
このままでは、ポーラちゃんがダークサイドに落ちてしまう。
懸念した俺は、彼女の手を取った。
今後は俺を、マスター=アレクと呼ぶがいい。
「さあ、行こう。大丈夫、お父さんを殺す気は無いよ」
「なん……なの? なんで、やさしいの……?」
ポーラちゃんが俺の手を弾き、タタッとガブリエラの下へ走る。
そうか……そんなに俺が嫌いか……。
俺は風化しそうになる身体を抱え、エリティスが戻るという港へ足を向けた。
ポーラちゃんはガブリエラの影に隠れ、フルフルと震えながらついてくる。
彼女の頬は、ほんのりと朱に染まっていた。




