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名将の足音

 ◆


 昨日まで滞在した街、バッコスはパンノニアの州都ではない。

 バッコスはパンノニアの南端にあり、ここから北にある都市ダキアと、北東にあるカプスが敵将のガイナスに奪われていた。そして本来の州都は、北東のカプスなのだ。

 

 皇太子殿下はどうやら、敵との会戦を望んでいるらしい。

 確かに二つの城塞都市を突破してモンテフェラートを攻めるより、会戦に勝って敵の兵力を削ぎ士気を低下させた方がいいに決まっている。そうすれば敵方に付いた二都市も武力を用いずに降伏するかもしれない。


 しかし俺としては、雲行きが怪しくなったと思わざるを得ない。何故なら――

 

 皇太子殿下曰く、「余、自らが率いる第二軍はカプスに向かう。第五軍はモンテフェラートへ。第六軍はダキアを攻略せよ」とのこと。


「無論、これは擬態である」


 とも仰せだったらしい。

 ガブリエラは「御意」と答え、この命令に一切の異論を唱えなかったという。まあ、コイツも脳が筋肉で出来ているから仕方ないが……。

 ちなみにもう一人の将軍は幾度か兵力分散の危険性を説いたらしいが、まるで相手にされなかったようだ。


 なんでも皇太子殿下によると、敵将ガイナスの動きが予測出来るらしい。

 彼は必ずカプスの救援に来るというのだ。

 だからカプスに向かったガイナス軍を第五軍と第六軍は反転して追い、三方から包囲して殲滅する、とのこと。

 しかる後に残ったモンテフェラートを攻略するなど、実に容易いことだそうだ。


 バカかと。


 この作戦には大きな問題点が四つある。


 まず、敵より優れた兵力を、あえて分散すること。


 二つ目。仮に敵がこちらの思い通りに動いたとして――通信手段がのろしと伝令しかないこの世界で、どうやって緊密な連携を保つというのか。

 これだけの大軍を有機的に連携させて敵を包囲する訓練なんか、俺はやった記憶がない。混乱してぐちゃぐちゃになるのがオチだ。


 三つ目の問題は補給。物資も分散して運ぶハメになるだろう。これの一つでも敵に襲われれば、簡単に一一〇〇〇の軍が機能不全に陥る。これを護る為に守備兵を派遣した場合は、単純に兵力の低下を招く。


 最後――そもそも、ガイナスがこちらの思惑通りに動く訳が無い。そして肝心のモンテフェラートを落とす作戦はどうした?


 俺がガイナスだとしたら、モンテフェラートに向かった第五軍を真っ先に潰すだろう。

 それは単純な数の計算だ。二〇〇〇〇の軍勢で最寄りの一一〇〇〇を潰すのは当然の選択となる。次にカプアに居る第二軍を襲い、まだ敵が合流していなければ、残った敵も潰す。

 つまりガイナスにとっては二〇〇〇〇対一一〇〇〇の戦いを三回繰り返せば良いだけになるから、何の苦もなくこちらを倒せることになるのだ。


 ということは最悪の場合、俺達は一個軍団一一〇〇〇で敵軍二〇〇〇〇を相手にする事となる。そしてこの戦い、十中八九は負け戦だろう。

 溜め息が出そうだが、このことはガブリエラに伝えておいた方が良さそうだ。


 ――――


 全ての道はウォレンスに通ず――そう言われる街道を粛々と進んでいた第六軍だが、ようやく昼の休憩に入った。

 ある者は木陰に入り、木に寄りかかる。

 ある者は額に浮かぶ汗を拭うことさえ煩わしいのか、そのままへたり込んで、目を閉じている。行軍とは剣や盾の基本装備はもちろん、槍やスコップ、数日分の食料や食器なども背負っているから、体力の無い者にとっては戦闘以上に苦行なのだ。もちろん新兵の大半が、この部類に入る。そして新兵は初陣が最後の戦いにもなり易いという。


 ――そう考えると、俺の体力は本当に恵まれていた。実際、軽装歩兵の中では身長も群を抜いているし、肉体的には精鋭騎士団にも引けをとらないのだから。もっとも、だからといって戦死する確率なら、皆と変わらないだろうけれど。

 とにかく俺は、この休憩時間を利用してガブリエラの本営へと走った。

 

「敵を見る前から逃亡か? これだから軽装歩兵の質は何時まで経っても悪いのだ」


「母親でも恋しくなったのか? ははは……」


 誰もがみすぼらしい装備で後方へ走る俺を見て、ニヤニヤしている。


「止まれ。逃亡は許されん」


 ついに騎士の一団に呼び止められた。


「……逃げる気なら、軍団から離れるだろう。後方に走るバカはいない」


 五人組の騎士達だが、表情がニヤけている。行軍が退屈だったのだろう。俺で少し憂さ晴らしをしようという魂胆が透けて見える。

 一人が指を骨をパキポキと鳴らし、べつの一人は剣の柄に手を掛けていた。

 しかし俺は慌てず、レオ家の紋章が入った小袋を見せる。


「ガブリエラさまに重要な用がある」


 俺が不快気な表情を浮かべたのに反比例して、騎士達のニヤけた顔が引き攣ってゆく。


 見せたのは赤地に黄金の獅子が描かれた紋章だ。公爵家は六つ。帝国において、その地位は皇帝に次ぎ、六総主教と並ぶ権力者達だ。さらには全員が世襲で元老院の議席を持っている。

 俺がレオ家の者だとして、その役目を邪魔すれば自分達がどうなるのか、爵位を持つ者ならば誰もが理解出来ることだった。


「そ、そうか。閣下の本営は間もなくだ。役目、大義」


 騎士の一人が胸に左拳を当てて、俺に礼をした。

 多分だが、俺が特殊な任務を帯びて軽装歩兵の中にいるとでも勘違いしたのだろう。もちろん面倒なので、訂正はしない。

 俺は頷き、先を急ぐ。するとその先で、すぐに金髪碧眼の美女を見つけることができた。


「ガブリエラ、話がある」


「なんだ?」


 白銀に輝く鎧を身に纏ったガブリエラが、愛馬に水を飲ませていた。白馬の鬣を撫でているが、相変わらずの仏頂面だ。美人でなければ、さぞや人に嫌われていたことだろうと思う。


「軍を三つに分けたって本当か? 皇太子殿下の策があれば、大勝利間違い無し、なんて兵達が噂をしているけど……」


「ああ。カプスを包囲すれば、ガイナスはモンテフェラートから慌てて駆けつけるだろう、と殿下は仰せだ」


「相手は古今の名将と言われるガイナスだ、そんな陳腐な手に引っかかるものか。そもそもどうして兵達が作戦の内容を知っている?」


「殿下がな、我が方の士気を上げる為に、作戦の概要を兵共に流せと」


「……殿下には、他に真意があるのか?」


「どういう意味だ?」


「つまり、流した情報を敵が知ったとき、とるであろう行動を殿下が予測されているのなら……」


「そんな事は無い。このままの作戦だ」


「……バカなのか? ……殿下は」


「そ、そうなのか? おれは天才かと……自分でもそう言ってるし……」


 俺はゆっくりと首を振る。「違う。お前と同じくらい、バカの天才かもしれないけどさ……」


「な、バ、バカって言うな! おれは武人だ! 小難しいことなど知らんっ!」


 ガブリエラが、ぐるぐると手を振り回しながら襲い掛かってきた。

 可愛らしい仕草だが、両腕がまるで暴風だ。一撃でも喰らえば、致命ともなりかねない。

 俺は距離をとって掌をかざし、説明を始めた。


「いいか、ガブリエラ。俺がガイナスなら……今のこちらが想定している場所と違う地点で、こちらの一軍に襲い掛かる。例えばまず最初に、第五軍を狙うな。それならニ〇〇〇〇対一一〇〇〇。いや、全軍を出すとは考えにくいから、一割残して一八〇〇〇ってところだろうけど――加えてガイナス軍は騎兵が主体、機動力にも富んでいるから――」


「どういうことだ?」


 俺はガブリエラに詳しく説明をする。元々、この世界の戦争技術は地球で云うところの紀元前二百年から九百年あたりといったところ。それに魔法技術が加わっているから微妙な感じになるが、例えるならガイナスの戦い方はハンニバルに近い。


 対してこちらの主力は重装歩兵で、騎兵の数は少ない。

 つまりガイナスの基本戦術は、こちらの騎兵を排除して側面を攻撃。崩れたこちらの主力を、容易く歩兵で屠る――というのが定石だろう。

 さらにガイナスは包囲殲滅戦も得意なようだから、たぶん両翼に精鋭を、中央の部隊に多少微妙なのを配置しているのだろう。そうすれば自動的に中央の軍が凹み、包囲陣形を作ることが出来る。


 そんな相手に数的有利すら捨てるなんて、俺には自殺行為にしか思えない。確かにこちらが三方から包囲することが可能なら勝利するだろうが、俺が気付くような穴にガイナスが気付かない訳がないだろう。


「――だから、全軍を纏めて進軍すべきだ」


「無理だ、もはや方針は決定されている。どうすればいい」


 ガブリエラが頭を両手で抑え、首を左右に振っている。「兵を死なせたくない……」


「だったら第六軍を急ぎ北へ向け、第五軍と合流するんだ。確か司令官は兵力分散の危険性を知っている人なんだろう? きっと理解してくれる。そうすれば合わせて二二〇〇〇の軍勢になるから、一八〇〇〇のガイナス軍と戦っても対抗できる」


「それは命令違反だ。別々で進軍しなければ、言い訳もできん」


「だったら他の軍に偵察隊を送り、状況を常に把握すること。その上でもう少し北へ行ったところに小高い山があるから、そこに陣営を築いておく。

 いざとなれば、そこで迎撃出来るように。歩兵が騎兵に対して有利に戦う為には、陣営の構築が不可欠だ」


 ガブリエラが目を丸くしている。


「詳しいな、恭弥。お前、天才か?」


「恭弥って呼ぶな」


「……ア、アレクシオス」


「歴史好きだったら、こんなの常識だって」


 とは言ってみるものの、俺だって初陣だ。相手が名将ともなれば、俺の浅知恵などあっさり破ってくるかもしれない。

 そもそも戦争とは、不確定性や偶然性の要素が強いとクラウセヴィッツも言っていた。要するに運の部分が大きいのだ。つまり陣営構築が常識だからといって、必ず敵に通用するとは限らない。

 俺は腰の剣に手を添え、心の中で思った。「こんなところで死んでたまるか」と。


「百合神よ、ご加護を……!」


 ◆◆


 ガブリエラは俺が親友だったよしみで、進言を受け入れてくれた。

 よって現在は小高い山に陣を敷き、軽く堀を作って柵を設けている。ここに二〇〇〇程の兵を残して進軍することになるのだが、出来ればこの備えは無駄になって欲しいと心から俺は願う。

 

 “ざくざく”


 穴を掘る音だ。遠くからは木を切る音も聞こえる。俺達アルカディウス兵は、誰もが土木作業員としてのスキルを持っているから、こんなことは簡単なのだ。

 俺は馬の侵入を防ぐ為の堀を作りながら、十人の部下達に声を掛ける。


「死にたくなければ、真剣にやってくれ」


 きょとんとした顔で見られるが、気にしない。理由の説明もしない。彼等の知識が少な過ぎるから、無用の混乱を招きたくないのだ。

 けれどだからといって、誰も手を抜かない。死にたい者など居るはずがないのだから、それは当然だった。


 俺達の工事は三日程で終った。決して大規模ではないが、騎馬を防ぐ簡易の陣地が完成した。

 防御という戦争方式は、それ自体として攻撃よりも強力なのだ。ゆえに敵よりも劣る兵力、兵科で戦うならば、防御を選択せざるを得ない。

 ――というのが、俺の今まで読んだ本から得た知識。実践するのは初めてである。


 七月に入った。本来であればダキアを攻略すると見せかけ、すでにカプアへ向けて軍を進めていなければならないのだが、その辺の命令を無視していた。本当に作戦が計画の通りに動いているなら、あるまじき命令違反だ。

 しかし先日放った偵察兵が帰還すると、ガブリエラにこのような事を告げた。第五軍が十日前に戦闘。敵はガイナス率いる主力一八〇〇〇で、すでに味方は壊滅したとのこと。

 

 第五軍はもともとモンテフェラートへ向かっていた為、あっさりとガイナスに補足されたのだろう。

 司令官は兵力分散の愚に気付く人だったというから、きっと良将だったに違いない。生きていてくれるといいが……。


「ニコラスどのっ! ええい、見殺しになどできん! 救援に向かうぞ!」


 ガブリエラはこう言って、急ぎ戦場へ向かうよう命令をしたらしいが、俺は慌ててそれを止めた。

 またも行軍の休憩時、急いで彼女の下へと行ったのだ。


「ガブリエラ。壊滅した第五軍の下へ急いでも、ガイナスはもう居ないだろう。第五軍の司令官が生きているとすれば、捕虜となったか逃げ出したか……そのどちらかしかないと思う」


「ニコラスどのは敵の辱めなど受けぬし、ましてや逃げ出したりなどしない」


「それなら、結果は解るだろう?」


「……だったら……だったら第二軍の下へ向かう! 皇太子殿下を救わねば、おれが武人になった意味が無い!」


「それも、もう遅い。第五軍から第二軍の位置まで、五日と掛からない。十日前に第五軍が敗れたのなら、今はもう第二軍も敗れているだろう。だからここは、俺達の用意した陣営に後退すべきだ。

 こうしている間にも、敵兵はこちらに迫っているだろう」


「第二軍が敗れただと? 見てもいないのに、どうしてわかる!?」


「簡単だ。一八〇〇〇対一一〇〇〇なら、どちらが勝つかは一目瞭然。ましてや相手がガイナスなら……ハンニバルと同じ位強い相手なら、誰だって勝てる訳が無い」


「ハンニバルって誰だ?」


 しまった、ガブリエラは生粋の脳筋。古今の名将の名前なんて、知っているはずが無い。


「地球で有数の名将。第二次ポエニ戦争の英雄だ」


「ポエ?」


 アホは放っておこう。


「とにかく、負けたくないなら急げ。来るぞ」


 こうして俺達は来た道を引き返し、陣営へと戻る。

 なんだかんだ言っても、ガブリエラは俺を信用してくれたらしい。流石は親友だ。

 しかし軍を反転するのが僅かに遅かったのか、翌日の正午には第二軍へ偵察に出ていた兵が戻り、こう告げた。


「第二軍も壊滅。皇太子殿下の行方は不明ですっ!」


 その報告から数十分後、遠方で舞う砂塵が俺の目に映った。同時に騎兵の凄まじい足音が、地響きを伴って俺の鼓膜を揺さぶる。


 どうやら俺が考えていたよりも、ガイナスの動きは速かったようだ。

 これが名将というやつか……。

 背筋がゾクリとして、脳の奥がピリッとする。

 恐怖もあるが、同時に歴史を動かす程の名将が側にいると思うと、どうにも歴史オタクの血が騒ぐ俺だった。

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