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親友だから

 ◆


 幹部達の大半を招集して上陸したアレクシオス艦隊に、人は少ない。

 残った幹部は数人の百人長位のもので、兵も三分の二が出払っている。

 

 ガブリエラはアレクシオスに上陸を禁じられたとき、頬を膨らませて怒っていた。

 しかし、いきなりやって来て作戦会議に参加するなど確かに横暴だし、ディアナも行かないと聞いて、溜飲を下げている。

 それに、セルティウスを一人で放置する訳にもいかないと思った。


 もっともセルティウスは今、三番艦の兵を鍛えているようだ。

 彼は元々、一介の兵士だったという。

 それが剣の腕を見込まれ、軍の特殊部隊に組み込まれて魔物を討伐するうち、剣聖などと呼ばれるに至り、レオ家の剣術指南役となった。

 そういう経歴を考えれば、年老いても兵達の中に居る方が自然なのかもしれない。


 ガブリエラは一番艦の甲板に上がり、船縁へと向かう。

 重い鎧は船室に置いた。今は紺色の上衣と着て膝下までのズボンを履き、その上に全身を覆う白いトガを巻き付けている。

 いくら島が南方にあるとはいえ、風が吹けば海の上はそれなりに寒い。だからアレクシオスの服を勝手に持ち出してきたのだ。

 もっとも彼の服は彼女にとって、全体的にちょっと大きい。

 日本で暮らしていた頃は自分の方が大きかったのに――と思えば、ガブリエラの口からは自然と溜め息が漏れる。


「はぁ〜……なんで女になっちゃったかなぁ……おれ」

 

 正確な身長は分からないが、アレクシオスは百八十センチを超えていた。

 対してガブリエラは百七十センチ程度。ディアナはもっと低いが、それで慰めになるものでもない。


 ガブリエラは腰の剣を抜き、天に翳してみる。

 

「ま……おれの方が強いから、いいか」


 再び剣を鞘に戻し、ガブリエラは大きく伸びをした。

 良く晴れた空は青く高い。そして穏やかな海は、ときおり波の音を響かせていた。海鳥も鳴いている。

 ガブリエラは目を細め、水平線の彼方を見た。北の方角だ。順風であれば、ここから帝都までは数日の距離である。けれど彼女の視線の先に見えるのは、ただ青と水色の交わる境界線だけだった。


「やっぱりこの世界も丸いんだなぁ」


 船縁に手を掛け、体を半分ほど海側に乗り出して、ガブリエラが呟いた。 

 切れ長の目が二度、三度と閉じ、また開く。

 先ほどまで見つめていた海の様に青い瞳だけが、右を向いた。そこに彼女の、もう一人の親友が映る。


「ディアナ、飲み過ぎだぞ」

 

 赤ら顔のディアナは、だらしなく口を横に広げ笑っている。

 口の端から、赤い液体――葡萄酒ワインが少し零れていた。

 そしてまじまじとガブリエラを見据え、酒臭い息と共におっさんの様な台詞を吐く。


「綺麗になったなぁ……おまえ」


 今日着ているディアナのローブは、珍しく白い。

 ずっとディアナが黒いローブを着続けていたので、アレクシオスに洗濯されてしまったらしい。

 なので予備で持っていた儀式様の一張羅を着ているのだが……既に酒を零し、袖に紫色の染みが出来ていた。


「いやぁ〜美しいモノを見ながらだと、酒が進むよぉ」


 そのままドカリと床に腰を落とし、改めて酒を杯に注ぐディアナ。本当に魔法を使っていない時は、駄目人間である。


「はぁ? お前は女になっちまったおれを見ながら飲む酒が、美味いとでも……言・う・の・か!」


 ガブリエラはくるりと振り向き、床に座り込んで杯を手にするディアナの頭を揺すった。


「うえっ、うえっ、酔う、酔うからやめて」


 被っていたローブのフードが背中に落ちて、ディアナの黒髪が露になる。

 風に吹かれてサラサラと流れる髪は、まるで黒絹のようだ。

 そんな髪に覆われているのは、後世、美貌においてガブリエラと並び称されることとなる顔だった。


「てゆーかな、おまえに言われたく無いんだよ! なんだ、この顔は! 目の色は左右で違うし、美人過ぎるし!」


 ガブリエラは腕組みをしたまま、ディアナを見下ろしている。


「フヒヒ……」


 ディアナは意に介さず懐から頭蓋骨を取り出し、頭頂部に干した烏賊の切り身を並べて行く。


「何してるんだ?」


「酒の肴を、ちょっとね。烏賊を炙るんだ、美味しいよ」


「でもそれ、骸骨だろ?」


「うん。火系統の魔法を弱めて骸骨に与え、焼き石みたいな感じにするんだよ――すぐ出来るから待ってて……食べてごらんよ」


 一応は座ったものの、ガブリエラは首を左右に振った。


「要するにスルメみたいなモノを作ってるってことは、分かる。でもな――調理器具が問題だ」


「ん? 戦場で刈り取ってくればタダだよ? それに斬って放置するだけより、ボクみたいに再利用する方が優しいと思うんだけど……」


「いや……その……もしも自分の頭でそれをやられたらって思うと……身震いするんだが」


「そっか、ボクは平気だけどね。まあいいや、じゃあ、葡萄酒ワインだけ飲む? どうせ退屈なんでしょ」


 ディアナが懐から白い杯を取り出し、ニンマリと笑う。


「ああ、ちょっと貰うよ」


 ガブリエラは杯を受け取り、正面からディアナを見た。

 今の甲板は兵士もおらず、二人だけで占有しているような状態だ。

 ガブリエラはトガの胸元を締め、冬の海風を遮りつつ葡萄酒に口を付けた。


「うー……これは……」


「フヒヒ……葡萄酒ワインも暖めてあるんだ。寒い日には、良いでしょ?」


「確かに、腹の中から温かくなるなぁ」


 ディアナに同意しつつ、ガブリエラは髪を掻き上げた。

 今日は後頭部で髪を縛っていない。

 というか、いつもはメディアがやってくれていたので、一人だと髪を縛ることも難しいのだ。

 適当な紐で結っても良いが、鏡で確認したら、可愛く仕上がらなかった。

 

 アレクは「せっかく長い髪なんだし、縛らない方が綺麗だと思う」などと言う。

 確かにそれは、一理あった。しかしガブリエラにしてみれば、顔を動かすたび頬に当たる髪は邪魔だし、鬱陶しい。それが男のアレクには分からないのだ――と思う。

 けれどだからといって適当に結うと、可愛く仕上がらない。これもガブリエラは嫌なのだ。

 それだったらアレクが好むように、髪を降ろしておいてやろうと思うガブリエラだった。


 だというのに、アレクシオスは自分を置いて出かけた――そう思うと、彼女は怒りと悲しみで胸が張り裂けそうになる。

 とはいえ、どうしてそんな感情が生まれるのか、相変わらず自分では分からないガブリエラだ。


「不満そうだね、ガブリエラ。やっぱりアレクに置いて行かれたの、頭にくる?」


「……そりゃそうだろ。だっておれは公爵令嬢だぞ? おれを差し置いて作戦を決めるなんて、おかしな話だ」


「それは違うよ。だってアレクはさ、ここにガブリエラ・レオが居た――という記録を公式に残さない為に、連れて行かなかったんだと思うよ?」


「なんで、おれが居ちゃマズいんだよ?」


「まず第一に、これはアレクが受けた勅命であること。第二に、何の故あって公爵令嬢たるガブリエラが、アレクシオス・セルジュークの下にいるのか? 第三に――」


「あーあー! もういい! 分かってる! 分かってるよ! アレクにも言われたよ! でも、だ!」


「でもじゃないよ、まったく」


 文句を言いながら、ディアナが指先で摘んだ烏賊を返している。

 頭蓋骨のてっぺんから“ジュウ”という音が聞こえる様は、奇妙な光景だ。けれど香ばしい、食欲をそそる匂いが発されている。

 それが少し可笑しく、ガブリエラは笑って立ち上る煙を見つめた。

 

「ははは……なんかさ、ディアナ――こうして二人で話すの、久しぶりだな」


「そう言えば、そうだねぇ。考えてみたらさ、日本で暮らしていた頃も、だいたい真ん中にアレク――いや、恭弥がいてさ、ボクらは、あんまり喋ってなかったよね」


「だな――でも別に、嫌いだったとか、そういうんじゃないぜ?」


「知ってるよ、嫌いだったら一緒にいなかったでしょ。でも、なんだろうね? 恭弥がいなかったら、ボク達って友達になっていたかな?」


「なってないかも――だって全然、趣味違ったもんな」


「フヒヒ、そりゃ、今もだよね」


「……たしかに!」


 二人は笑顔で杯を交わし、やがてガブリエラも気にせず髑髏で炙った烏賊を食べる様になっていた。

 

 ◆◆


 太陽が西へと傾く時間ころ、二人だけの宴会は船室に移っていた。

 流石に冷えてきたらしく、二人は赤ら顔でアレクシオスの部屋に入ったのだ。

 ディアナはアレクシオスの匂いが残る寝台に座り、ガブリエラはディアナ専用と書かれた小椅子に座る。


「あぁ〜! それボクの椅子!」


「いいだろ、ここしか座る場所ないんだからぁ!」


「フヒヒ……いーよー!」


 酒は棚と寝台の下に隠してあるので尽きることなく、肴も水系統の魔法で魚や貝をディアナが調達している。

 むしろ水上にいる限り、肴は無尽蔵に手に入った。酒も、今夜飲み続ける程度の蓄えはあるだろう。

 この頃になるとガブリエラも「魔法、便利、便利!」と手を打って喜び、ディアナと共に骸骨を愛でる状態になっていた。


「よ〜く見ると、骸骨の目って可愛いよな!」


「でしょ! ガブリエラも分かってきたねー!」


 アレクシオスが聞いたら、「骸骨に目はねぇ!」とツッコミそうな台詞である。

 

「むふーん」


 言いながら、ディアナがアレクシオスの枕を抱え、横になった。


「アレクの匂いがするよー」


「ん? 分かるのか? アイツ、風呂に入ってないんじゃないか?」


「あー、違う、違う。ちょっと汗っぽくて、でも嫌な感じじゃないよ」


「そうなのか?」


 ガブリエラも立ち上がり、ディアナから枕を借りて匂いを嗅いだ。

 鼻をヒクヒクと動かし、大きく息を吸い込んでみる。


「ああー、確かにアレクの匂いだ。分かる、分かる」


「ね」


 枕をディアナに返し、ふとガブリエラは頬を掻いた。

 酒を飲もうと思ったら、杯が空だったのだ。

 ディアナの杯も空になっており、ここで一瞬の沈黙が降りた。

 先に口を開いたのは、ディアナの方だ。


「ねえ、ガブリエラ。もしも男に戻れなかったら――どうするつもり?」


 口を開きかけて、閉じる。それを二度繰り返し、ガブリエラは答えた。


「戻れないもなにも……おれは男だ」


 顔を左右に振って、ディアナは微笑した。


「それは心の問題でしょ? ……ボクが言ってるのは、身体の方だよ」


「どうもしない。だって、どうしようもないだろ?」


「うん――じゃあ、ガブリエラは女の子が好きってことなのかな?」


「まあ……そういうことになる……かな」


「そっか。じゃあ、好きな人、いるの?」


「――いない、今はとくに……」


「じゃあさ、どんな人が好みなの?」


「なんだよ、ディアナ。急に――そりゃ、美人で優しい人が良いに決まってる」


「そっか」


 頷き、ディアナは服を脱いでいく。

 目がトロンとしているので、ガブリエラは彼女が酔っていると思った。

 慌ててディアナの服を掴もうとして、ガブリエラはベッドの上で転んでしまう。

 その間に、ディアナは肌着だけになっていた。


「お、おい、ディアナ、何してるんだよ!」


 薄らと笑みを浮かべて、ディアナは肌着も脱ぐ。

 ガブリエラの目の前には、完成されたと言って良い整った裸体と、神の造詣を思わせる美貌があった。

 唖然として、口を金魚のようにパクパクと動かすガブリエラに、何かを言う力は無い。

 冷然と見下ろすディアナに問われ、ガブリエラは目を瞬くだけだった。


「ガブリエラ、ボクを美人だと思う?」


「……?」


「ねえ、ガブリエラ。ボクは綺麗かな?」


「……あ、ああ……綺麗だ」


「ありがとう」


 口角を吊り上げ、ディアナはガブリエラの頬に触れた。


「じゃあ、その美人を見て、キミはどうしたいと思った? どうしたいと思う? 興奮した?」


「ふ、ふざけるな、服を着ろ! おれは変態じゃないんだっ!」


「変態じゃない? おかしいね、ガブリエラ。キミが自分を男だと言うなら、今、目の前に据え膳があるんだよ。キミ自身が綺麗だと認める美人がね……フヒヒ」


「ば、ばか! おまえだって男だろ! お、男に興奮なんかするかよっ!」


「じゃあ、ミネルヴァならいいの? 彼女は女だよね、正真正銘の……」


「……そうだけど、そういうことじゃない!」


 ディアナは肌着を身に着け、再び杯に酒を注いだ。視線を赤紫の液体へ向けて、クスリと笑っている。


「クスッ……じゃあ質問を変えるね、ガブリエラ。もしもアレクがテオドラ姫と結婚したら、どうする?」


 ガブリエラは荒々しく自分の杯に酒を注ぎ、一息に飲んでから答えた。


「は? そんなの無理に決まってるだろッ!」


「そうかな? ボク、暫くテオドラ姫を見ていたけど、あれは本気だよ。あの子、みんなが思うほど頭の悪い子じゃない。むしろ周到に計画を立てて――」


「知ってる! だからここに来たんだッ!」


 歯を剥き出しにして、ガブリエラが吠えた。

 両方の拳を握りしめ、目には涙が溜まっている。


「ガブリエラ、正直に言って」


「何をだよ……」


「キミ、もう――女の子になっちゃったんだよね?」


 握った拳の上に、ポタポタと涙が落ちる。

 ガブリエラは奥歯を噛み締め、そして――何も答えなかった。


「分かるよ。ボクも女の子じゃ駄目なんだ……でも、だからといって男も駄目でね」


 寝台の上で胡座を組み、ディアナは一人、首を傾げている。


「それで、死体なのか?」


「いや、それは趣味。日本にいた頃から」


 この回答に、流石のガブリエラも白目を剥いた。そして笑う。


「それはそれで、酷いな――はははッ」


 けれどディアナは顎に指を当て、真剣な眼差しだ。


「冷静に分析すれば――ボクは今、過渡期にあるんだと思う」


 ガブリエラも身を乗り出し、ディアナの話を真剣に聞く構えを見せる。


「どういうことだ?」


「うん、つまりね――男の子から女の子になる、過渡期」


「意味が分からないぞ」


「だからさ、キミは恋人を選ぶのに、男なんて絶対に嫌だったわけでしょ?」


「ああ、そうだ」


「でも、だからといって女の子に惹かれたこと、ある?」


「……ああ、ええと……無い」


「そう、ボクもだよ。でも、そのうち、コイツなら良いかなって相手が現れて……」


 ガブリエラがゴクリと唾を飲む。そして問い掛けた。


「それが男――だったのか?」


 ディアナは頷き、再びローブを着込む。寒さを感じていた。

 酒を飲んでも、これ以上は酔えないだろう。


「ディアナ……お前も、なのか?」


「まあね……でもボクはまだ、その段階。言ってる意味、分かる?」


「分かる……と思う」


「でね、何が言いたいかって言うと、だからボクは、まだ諦められるんだってこと」


「それは――だからアレクをテオドラに譲ると、そういう意味か?」


 杯に残った酒を飲み干し、半開きの目でガブリエラが言った。

 ディアナは目を見開き、膝をポンと叩いて首を左右に振る。


「ガブリエラって、ほんっと馬鹿だね。ボクは、キミを応援するって言ったんだ。キミはアレクじゃなきゃ駄目なんでしょう……フヒヒ。まあ、キミがアレクを諦めてテオドラ姫に譲るって言うなら、それはそれで構わないけれどね。その時は――ボクも考えるしさ」


 ガブリエラは泣きながら笑い、笑いながら泣いた。

 そして酒を飲み、空になった杯にまた酒を注ぐ。


「意味が分からないぞ! それはおれがアレクのこと、好きだって言ってんのか? そんな馬鹿なこと、ある訳が無い。だっておれ達、親友なんだぞ! ははははッ! 馬鹿なこと言うなよ、あははははッ!」


「ああ、親友さ。親友だから――好きになっちゃったんだろ。だからボクに任せろ、ガブリエラ。きっとアレクを振り向かせてやるから」


 ニコニコと笑うディアナの心は今、永遠に晴れる事の無い雲に覆われようとしていた。

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