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嵐の海と光合成

 ◆


「敵艦隊と付かず離れず作戦」を開始して、四日目。

 あと一日で作戦が終了するという昼頃から、天候が怪しくなった。

 風は北からだけではなく東からも吹き、うねる海は徐々に波が高くなってゆく。

 甲板に立っている俺も、だんだんと足下が怪しくなってきた。

 これ以上揺れるようなら身体に縄を縛って、マストに結んでおいた方が良いだろう。


「嵐が来る」


 ヴァレンスが眉を顰め、俺にそう報告する。

 アイオスの港に戻るべきか? ――しかしそうすることは、敵も予想しているだろう。

 その間に敵を見失えば、再び奇襲を受ける恐れがある。

 では、近くの岸辺に船を付けるか? ――その間にアイオスを奪われれば、何の意味もない。

 どちらにしても、状況は敵の動き次第だ。


「この嵐……洋上で、やり過ごせるかな?」


 俺の口にした疑問に、ヴァレンスは事も無げに返す。


「問題無い」


「二番艦は大丈夫かな?」


 俺が率いる艦隊にはヴァレンスとアーイーシャ、二人の海のプロがいる。

 その二人が一番艦と三番艦を指揮しているのだから、これは心配無い。 

 しかし二番艦のドムトだけは、元々が軽装歩兵だ。彼の能力を疑問視する訳ではないが、嵐の海など初めての経験だろう。

 もしもその最中に戦闘となれば、ドムトには荷が重いのではないだろうか。


 だが俺の心配を他所に、ヴァレンスは笑みを浮かべて言った。


「あの男は、良い海賊になれる」


「なってもらっちゃ、困るんだがなぁ」


 俺は二番艦の船首に立つドムトを見つめ、頬を指で掻いた。


「くっく……提督は、良い部下を持っているな」


 可笑しそうに笑うヴァレンスは、こういう時だけ年齢相応の顔になる。

 俺が言うのも何だが、彼には妙な愛嬌があった。


「そうか、すると問題は敵の出方だけか。ヴァレンスはどう思う?」


「海が俺達海賊に叛くはずがない――と考えれば、攻めてくるだろう」


「そりゃ、強気だね」


「海賊とは、そういうものだ」


 暗くなり始めた曇天を見上げると、ポツリ、ポツリと雨が降り始めていた。


 ――――


 三十分も経つと大粒の雨が甲板を打ち付け、海は激しくうねり、俺は立つ事もままならない状況となった。

 既にテオドラも――ミネルヴァさえも船酔いで倒れ、船室で踞っている。

 それでも船乗り達は舵を操り、船首を波に向けて乗り切っていた。

 

 俺は柱と自分をロープで結び、なんとか甲板に立って敵の動きを見守っている。

 俺だって嵐の海で艦隊を指揮するなど、初めての経験だ。

 だけど兵士達の前でぐったり出来る程、図太い神経を持ち合わせていない。それだけのことだ。


「敵は、やはり動くようだぞ、提督」


 嵐の中、足の裏に吸盤でもあるかのように、ヴァレンスはどっしりとしている。


「こんな日でも、魚は釣れるのか?」


「釣れたさ、ゼロスとかいうバカ魚がな」


 俺の冗談を、苦笑で返すヴァレンスの横顔が白く輝く。

 鋭い稲妻が光った。轟音が鳴る。

 遮る物の無い海原で雷に撃たれれば、まず間違いなく助からないだろう。


「大漁旗でも掲げてくれ」


「くくっ……戦っている場合か、とでも提督は言いたいのだろう?」


 俺の内心を見透かすようなヴァレンスの言葉に頷き、周囲を見回した。

 激しい雨が兜にぶつかり、水滴となって顔に落ちる。その量はまるで、滝に打たれているかのようだ。

 雨と波の飛沫が重なって、もはや水の中に居るのと変わらない。

 こんな中、ゼロスの艦隊がヨロヨロとこちらに近づいてくるのだ。

 しかもあろうことか、投石機で石を放ってくる。


「ああ、あいつら、一体何のつもりだ」


「海賊ってのは海軍とは違って――面舵ッ!」


 説明の最中、ヴァレンスは声を張り上げ、船の針路を変えた。

 風向きが変わった、大きな波が真横から迫っている。

 波の方向へ船首を向けなければ、転覆の恐れがあった。

 敵艦はそのまま横殴りの波を浴びて、激しく左右に揺れている。


「あのままじゃ、転覆するんじゃないか?」


「――ああ、かもしれん。だが海賊ってのは、そういう時こそ威勢が良いもんさ」


 言われてみれば、ヴァレンスの顔もどこか楽しそうだ。

 そんな中、またも大きな波が前方から迫っている。

 艦が垂直になるんじゃないかと思う程揺れ、今度は真っ逆さまに落ちる。

 流石に、立っていられない。

 甲板の上を前から後ろに、後ろから前にと、俺は大きく転がった。

 船乗りも、何人か波に飲まれたようだ。

 流石のヴァレンスもマストに捕まり、身体を支えている。


「酒を飲み干せ〜俺達ゃ海賊〜……奪え〜殺せ〜皆殺しだ〜クハハハッ!」


 だが、驚くべき事にヴァレンスは笑い、剣を支えにして歌い始めた。

 彼に続いて何人かの船乗りも歌い、いつの間にか陽気な雰囲気になっている。


「ヴァレンス?」


「すまんな、提督。昔の癖だ……つい、奴等を皆殺しにしたくなっちまう。だが――そうするまでもねぇか……」


 前方に視線を向けると敵艦が二隻、船底を見せていた。

 そこには必至で人がしがみつき、高波から身を守っている。

 残りの敵艦は流石に攻撃を諦め、押し寄せる波にだけ対処しようと動き始めた。

 

「ヴァレンス、助けられるか?」


「提督、無茶を言うな、敵だぞ。それに、この高波で……」


「それは、物理的に無理だということか?」


「そうじゃないが……」


「ヴァレンス、私達は海賊じゃない」


「……そうだったな」


 顔に付いた水を手で払うと、ヴァレンスは自ら舵を取る。

 

「縄を落とせ! 海に落ちた奴等を引き上げろォ! 敵も味方も関係ねぇ! 提督からのお達しだッ!」


 ◆◆


 こちらが敵艦の乗組員を助けているとゼロスの艦隊もやってきて、縄を降ろし始めた。

 

「アレクシオスさまぁ! いっとき、休戦といきましょうやぁぁ!」


 ヴェンゼロスの嗄れただみ声が聞こえ、ヴァレンスが答える。


「てめぇ、ヴェンゼロス! どの面下げて来やがったぁっ!」


 そうは言うものの、ヴァレンスの顔は笑っていた。

 ヴェンゼロスがわざわざ言ってきたのは、自分から攻撃しない旨を宣言する為だろう。

 それにしても俺に敬称を付ける辺り、彼は妙なところで律儀だ。


 今は多少、嵐もおさまってきて、二番艦、三番艦も救助に参加している。

 何しろ流された人が、その場に留まっているとは限らない。

 なるべく広範囲を捜索しなければならなかった。

 それに、こちらの艦隊でも波に攫われた者はいる。

 できるだけ、皆を助けたいのだ。今回の趣旨は、死者を出さず、敵を屈服させることなのだから。


 そんな最中、酒瓶を持ったディアナが、フラフラと甲板に上がってきた。


「気持ち悪い……」


 真っ青な顔で、時折「おえっ」とやっている。

 そのまま船縁へ移動すると、キラキラとした胃の中身を海へぶちまけ始めた。


「ディアナ! 今はそんな場所に行くな! どこで吐いてもいいから、戻ってくるんだ!」


 胡乱な目つきで振り返り、二、三歩、トトトと横に動いてディアナが止まる。

 船は揺れ続けていた。

 ディアナは振り返ったせいか、いつの間にか船縁から手を離している。


「う……わかっ……た……よっ!?」


 その瞬間、艦が大きく左右に揺れて、ディアナが消えた。

 慌てて船縁に行き下を見ると、ディアナが波間で揺れている。

 必至で手を動かし、海面から頭だけを出すディアナ。

 気持ち悪いからか、水が口に入るからか、呪文も唱えられないようだ。

 その代わり、俺の名を何度も呼んでいる。


「アレク! アレク、ごめん! ゴポッ……恭弥! ボク……の、ことは……大丈夫……死……」


 だが幸い――幸いと言えるかどうか分からないが、彼女は鎧を身に着けていない。だから、すぐに沈むということは無かった。


「待ってろ、ディアナ! 今いくっ!」


「こな……いで……!」


 ディアナは海から顔を出しては、頭を左右に振っている。

 だが、その身体は徐々に遠くに流されていた。

 何人もの船乗りが、ロープを投げている。だが、どれもディアナには届かない。


 俺は鎧を脱ぎ、剣を外す。すぐにも海へ飛び込みたかった。

 そして船縁へ足を掛けた瞬間――ヴァレンスに引きずり降ろされ、後ろから羽交い締めにされた。


「指揮官が荒れた海に飛び込んで、どうするって言うんだ」


「放せ、ヴァレンス! ディアナを助けるんだっ!」


「何も提督が行く事はない。泳ぎの得意な者を数名選ぶ――待ってくれ」


「待てるかっ! ディアナだぞっ! 親友なんだぞッ!」


 俺はヴァレンスの頬を殴り、海へと飛び込んだ。

 その時、側にいた三番艦からも誰かの飛び込む姿が見えた。

 兜を外したその髪色は、金。まちがいなく、ガブリエラだった。


 何とかディアナが溺れていた場所に辿り着いたが、既に彼女の姿は見当たらない。

 何度か海に潜ってみたが、やはり彼女を見つけることは出来なかった。

 

「みたびーっ!」


 俺は彼女の昔の名を叫び、泣いた。

 こんなところで親友を失ったら、俺は一体どうすればいいのか……。

 その瞬間、黄金色の頭が海面へ飛び出し、大きく息を吸い込んだ。


「ぷはーっ!」


「ガブリエラッ!」


「バカやろうっ! おれが飛び込んだんだから、お前は黙って見てろよッ!」


 ガブリエラは右肩にぐったりとしたディアナを抱え、そう怒鳴った。


「お前こそ、自分の立場を考えろっ! こんなとこに来やがって! 約束を忘れたのかっ!?」


 大きく揺れる海面で、俺は負けずにガブリエラに怒鳴った。


「うるさい、うるさいっ! とにかく戻るぞ! ディアナのやつ、気を失ってるんだ!」


 ガブリエラはすぐ俺に、ディアナの左肩を持てと指図する。

 こうして俺達はディアナを左右から支え、一番艦へと戻った。

 だが大きく揺れる海で、俺の体力は酷く消耗したらしい。

 気を失ったディアナを、艦上へ担いで行く事までは出来そうもなかった。


 だが俺の心配を他所に、ガブリエラが一人でディアナを担ぎ、登っている。

 よくもまあ人を一人担いで揺れる艦に、縄一本を伝って登れるものだと思った。

 流石は体力バカのガブリエラだ、今だけは彼女に感謝したい。

 俺も後から艦に登ったが、よほど無理があったのだろう。立つ事も出来ず、そのまま四肢を広げて甲板で横たわるしかなかった。

 ……今度から、もうちょっとだけ身体を鍛えようと思う。


 ガブリエラはディアナを甲板に横たえると、胸をトントンと叩き始めた。

 それから腹部を押し、ディアナが飲み込んだ水を吐き出させる。

 まるで噴水のように、ディアナの口からは大量の水が出た。ちょっと面白い。


「マンガかよ……」


 だが、水を吐き出したからといって、生きているとは限らない。

 俺はディアナに這って近づき、彼女の頬に手を触れてみる。

 雨に濡れて冷たいのか、それとも死んでしまったのか……よく分からなかった。


「ディアナッ! みたびっ!」


 ガブリエラを押しのけ、ディアナの肩を揺する。

 だが反応が無い。

 涙が溢れてくる。


「生きてるんだろ? なあ、ディアナ! 返事をしろよっ!」


 こんなところへ連れて来なければ、ディアナがこんな目に遭う事はなかったのに……俺のせいだ。

 

「どけ、アレク! 邪魔だ! 気絶してるだけだって言ってるだろっ!」


 ガブリエラがディアナの後頭部に腕を差し入れ、唇を唇に押し当てた。

 ああ、人工呼吸か……そう思った。

 どうやら俺はディアナが死ぬと思って、気が動転したらしい。

 こんな救命処置さえ頭から離れてしまったのだから、ガブリエラに邪魔だと怒鳴られても仕方が無い。

 

 しばらく人工呼吸を繰り返すうち、ディアナが息を吹き返した。


「かはっ……こほっ……」


 ゆっくりと目を開き、ガブリエラと目を合わせたディアナ。

 彼女はキョロキョロと辺りを見回し、こう言った。


「あれ、ガブリエラ……てことはボク、助かったの?」


「ああ、良かったな」


 ディアナは暫く首を傾げ、顎に指を当てて言った。


「なんだ、残念。だってボク、死んだら死んだで不死者リッチーになるだけだから……アレクには伝えようと思ったんだけど、水を飲んじゃったから言えなかったよ」


「……海の中で不死者リッチーになったら、ずっと苦しむぞ」


 ガブリエラはそう言うと、ディアナの頬を軽く平手で叩いた。

 “ぱちん”と乾いた音が鳴る。

 ディアナは頬を手で押さえ、瞬きを二度繰り返してから、「痛みか……」と呟く。そして頷いた。


「そか……そうだね」


「それから……アレクもお前を助ける為に飛び込んだ」


「え? 嘘でしょ? 嵐の海だよ?」


 ディアナが俺とガブリエラを交互に見て、目を丸くしている。


「おれ達三人は親友で、誰一人欠けちゃいけない。そんなことも、お前は分からないのか?」


 そう言って、ガブリエラはディアナを抱きしめた。

 最初、ディアナは照れくさそうにガブリエラの背中へ両手を回したが、結局は力強く抱きしめている。


「そうだね……ごめんね、ガブリエラ……助けてくれて、どうもありがとう」


 あれ……? これはもしや……百合?

 いや、コイツらは元男だから、BL?

 そんなことは、どうでもいい。

 今、俺の目の前では金髪の美女と黒髪の美女が抱き合っている。

 それが全てだ、デュフフフ……。


「ボク達三人は親友で……誰一人、欠けちゃいけない」


 目を瞑り、微笑みながら噛み締めるように言うディアナ……。

 俺は今、光明を見た気がする。

 そう、この三人の中では、俺も欠けてはならない存在である。


 これだ!

 俺は決めた!


 ガブリエラとディアナがくっつき、俺が観葉植物になる!

 これこそ、全てが丸くおさまる方法なのだ!


 考えてみれば、あの人工呼吸! あれは最の高だった!

 美女と美女が唇を合わせ、一方が命を吹き込み、一方が蘇生する。

 ああ――百合の極みだ!


 俺は立ち上がると、嵐の収まった夕空を見上げる。

 

「天も照覧あれ! 私は今、生きる道を見つけたのだ!」


 それと同時に、東から迫る艦隊の姿が見えた。

 間違いなくナナが率いる艦隊だ。

 

「アレク、嵐も収まった――いよいよ決戦だな」


 ガブリエラが立ち上がり、拳を握りしめている。


「ボクも汚名返上しないと……」


 ディアナも立ち上がると、恥ずかしそうに濡れた髪を掻き上げた。

 俺は首を左右に振り、そっと二人に笑いかける。


「大丈夫、もう、勝ったよ」


「勝った?」


 首を傾げるガブリエラ。

 振り返り、ナナの艦隊を見つめるディアナ。

 俺は二人の親友の肩にそっと手を掛け、「じゃあ、光合成するね」と呟いた。

アレクシオスの気付き……

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