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守りたいもの

 ◆


 アレクシオスに先行してアイロスに戻ったミネルヴァは、船内で夢の中にいたドムトを叩き起こす。


「仕事よ、起きて」


 ムクリと起きた巨漢は、軽く眉を顰めながらも寝台から身を起こした。

 目を開いた先に銀髪の美女がいたので、夢だと錯覚したドムトはもう一度寝ようと横たわる。


「ちょっと! どうしてまた寝るのよっ!」


 またもドムトは起き上がり、どうせ夢ならばとミネルヴァの胸に手を伸ばしてみた。

 強かに手の甲を抓られ、ようやくドムトの意識が覚醒する。


「……隊長はどうした?」


 言いながら、ドムトは腰に剣を佩く。

 彼は有能だった。だからこの時間にミネルヴァが戻り自分を起こす理由を、おおよそ察したのだ。

 したがって彼は副長としての立場を自覚し、身支度を整えることにした。


「無事よ。それより頼みがあるの」


「秘密裏にやる必要があること……だな?」


「ええ、ヴェンゼロスを拘束するわ」


「……ティグリスとアントニアが必要か」


「あなたにも活躍の場を与えてあげたいけれど……」


「へっ……副将ってなぁ大将がいねぇとき、しっかりと陣を守るのが仕事だ」


「そうね、理解してくれていて助かるわ」


「奴隷風情が、言ってくれるね」


 言うなりドムトは近くの兵に命じて、ティグリスとアントニアを呼びに行かせた。


「とはいえ、ヴェンゼロスか……信用できると思ったんだがな」


 ミネルヴァは両手を広げ、クスリと笑った。


「残念だけど、人は誰でも裏切るわ。それが戦というものでしょ」


「裏切らせないことが、将器でもある」


「あら? ドムト副長は、アレクシオスさまが信用できないのかしら?」


「まさかな……むしろヴェンゼロスのヤツが、アレクシオスさまの将器を見誤るとは思わなかったってコトだ」


 頬の傷を指でなぞり、ドムトは溜め息を吐いた。

 彼なりにヴェンゼロスには、共感するところがあったのだろう。

 そうしていると、部屋の扉がノックされた。


「入れ」


 扉が開くと、完全武装に身を包んだ長身の男が現れた。とはいえオレンジ色の髪はボサボサで、寝癖も付いてる。


「おう、呼んだか?」


 先に現れたのはティグリス・キケロの方で、首筋に手を当てていた。


「なんだ、寝違えたか?」


 ドムトの問いに、「いや……」と口を濁すティグリスは、ミネルヴァをバツが悪そうに見た。

 それと察したミネルヴァは、頬を指で掻いて呆れ顔を作っている。


「お楽しみのところ、邪魔をしてしまったようだけれど……」


「いや、まあ大丈夫だ。アイツとは別れようと思ってた所だからよ」


「へへ」と笑うティグリスが首筋から手を離すと、そこには見事な唇の跡が残っていた。


「皮肉を言ったのよ。出征中の女性兵士に、あまり手を出さないでもらいたいわ。妊娠でもしたら、戦力の低下に繋がるもの」


「そいつぁアレクにも、ぜひ気を付けてもらいたいね! あんたやディアナが妊娠したら、それこそ戦力の低下が著しい。でもまあ、テオドラが孕んだら――それどころじゃねぇがな! わはは」


 ティグリスの女癖の悪さにミネルヴァが気付いたのは、出征した後だった。

 最初はアントニアと怪しい仲だと思っていたが、そうではなかったらしい。

 むしろ男色家のアントニアと友情が保てるのは、逆に彼が類稀なる漁色家だからだろう。

 そしてアレクシオスがティグリスと妙に馬が合う理由は、彼が百合にしか興味を示さないからだった。

 もちろん百合っぷるの間にティグリスが入ったらアレクシオスは激怒するだろうが、ティグリスはそれほど野暮ではない。

 というかアレクシオスが思っているほど、世間は百合っぷるに満ちてはいないのだ。


 ただ、ティグリスにはティグリスなりの節操がある。

 それは友人の恋人に手を出さないことなのだが――のちにレオン・ランガーはその件に関して「普通じゃね?」と言ったそうだ。

 これは歴史書に記載された、セルジューク朝初期の微笑ましいエピソードの一つである。


 次に現れたのは、女性と見紛う程の美形――アントニア・カルスだ。金色の髪を無造作に背中で束ね、彼は文句を言っていた。


「何よ……お化粧する時間も無いの?」


「……無いわ、でも大丈夫。アントニーは、そのままでも十分すぎるほど綺麗よ」


 ミネルヴァは帝国の盾と呼ばれる男がオネエだと知って、一番ショックを受けた人物だろう。

 何しろ彼女はかつて、父と共に彼と戦ったことがある。

 実に堅実で粘り強い防戦を指揮した男が、まさかのオネエだったのだ。

 しかしまあ最近では仲がよく、美肌を保つ為の秘訣を相談する程だった。


「そうね、ミネルヴァ! ああ、はやくあたしも、貴女みたいに恋人が欲しいわぁ!」


 語尾にハートマークが付きそうな、アントニアの台詞である。


「あはは……あなたも奴隷になってみればいいんじゃない?」


 適当に相槌を打って、ミネルヴァはすぐに作戦の概要を皆に伝えた。


 ミネルヴァの話を聞いたティグリスとアントニアは、すぐに二十人程度の兵を集め、ヴェンゼロスの邸に向かった。

 将という枠組みに入れば、自分は彼等に及ばないかもしれない――ふとミネルヴァはそう考えて、首を左右に振る。

 そんなことでは、父を助けられないと思ったからだ。


 ――――


 北から流れる冷たい風が塩を含んで、ミネルヴァの頬をざらりと舐める。

 ひりつくともべとつくとも言いがたい感覚に、彼女は眉を顰めていた。

 ここには、何とも云えない違和感がある。


 漁師町であるアイオスの朝は早い。

 物々しい武装を整えた二十人が街を行けば、すぐ人目に付く。

 だからヴェンゼロスの邸に到着した時には、彼が徒党と共に待ち構えていたとして、不思議な事では無かった。


「何の用だ?」


 門を開け、出て来たヴェンゼロスは欠伸をしながら禿頭を撫でていた。

 同時に彼の背後では、数十人の海賊達が武器を構えている。


「胸に手を当てて聞いてみな?」


 ティグリスが、剣を肩に担いでニヤリと笑う。

 背後に控えている海賊の数は、味方よりも多い。けれどそれが、彼の好戦的な心を掻き立てていた。

 アントニアも無言で剣を抜き、重心を落としている。

 しかしミネルヴァは進み出て、ヴェンゼロスの前に立った。


「なぜ、アレクシオスさまを信じなかったの?」


「逆に問おう。一度負けただけで、お前は全てを敵に委ねるのか?」


 ヴェンゼロスの瞳は、死んでいない。

 そして彼の問いに答えるならば、ミネルヴァは「否」だった。

 けれど、違和感がある。

 ミネルヴァは違和感の正体が分からないまま、言葉を続けた。


「アレクシオスさまは、ナナ・ハーベストを捕らえたわ。彼女も満更じゃないみたいね――ああ、アイーシャ・ペガサスも同じく奴隷にしたわ。二人とも、すぐに忠誠を誓ってくれた」


「すると、お前さんのライバルが増えたという訳か」


 禿頭をペチリと叩き、ヴェンゼロスは飄々と言った。


「冗談で言っている話ではないの。残念ね、ヴェンゼロス。彼女が喋らないとでも思っていたの? あなたがナナに情報を漏らしたことは、もう分かっているの。観念なさい」


「そうか、あの方は勝ったか……地上でアイーシャ・ペガサスに勝てる者がいるとは、思っていなかった。助けるつもり、だったんだがなぁ」


 背後の海賊達に、どよめきが起こる。皆が口々に「アイーシャが負けた?」「嘘だろ?」「あいつ、化け物みたいに強いぞ!」と言っていた。


「それが、あなたの忠誠?」


「そういうモンじゃねぇが……なるほど……すると、処刑されるのか?」


「いいえ、そこまではしない。あなたには、この街を出て行ってもらいます――抵抗するというのなら、容赦しないわ」


 ヴェンゼロスは鋭く目を細め、ティグリスとアントニアを視界に入れた。

 

「最後の機会だ、暴れてもいいんだぜ?」


 ティグリスが相手を挑発するように、剣を上下に揺らしている。


「一対一ならな。流石に帝国の剣と盾、同時に相手をする気にゃなれねぇ……」


 ヴェンゼロスは「ゴキリ」と太い肩を鳴らした。


「止めなさい。今戦ったところで、誰も得をしないわ」


 ミネルヴァは左手を上げ、彼等を制した。


「ふん、ま、確かに。ほれ、小僧、好きにしろ」


「つまらねぇな……」


 ティグリスは兵士達にヴェンゼロスを縛るよう命じ、剣を鞘に納めて舌打ちをした。「ちっ」


「で……お前等はどうする?」


 とりあえず――といった感じでティグリスが声を掛けたのは、背後で身動きが取れない海賊達だ。

 彼等は皆、「お頭!」と叫んでいるが、それだけだった。


「あの方なら、お前達を罪には問わんだろう! 武器を捨てて従えっ!」


 こうしてヴェンゼロスは部下達と離れ、身体一つで小舟に乗せられてアイオスを去ることとなった。

 ちょうどアレクシオスがアイオスに到着した、同時刻のことだ。


 ――――


 港で波に揺れる小舟の上で、一週間分の食料を手渡しながらミネルヴァはヴェンゼロスに聞いた。


「試しているの? アレクシオスさまを」


「かも知れねぇな」


「そう――これからどうするの?」


「戦うに決まってらぁ」


「アレクシオスさまの強さを、まだ信じられない?」


「……勝った方がマーモスを守る。俺ぁそれでいいと思ってる」


「この島が大切なのね」


「ああ、故郷だからな」


「何にも無いじゃない」


「ひでぇことを言うぁ」


「事実でしょう? それを発展させようとしているのよ、アレクシオスさまは」


「ああ、分かってる」


「だったら……!」


「だからこそ、中途半端じゃダメだろう? あの方はな、まだ甘いんだよ! じゃあ元気でな、嬢ちゃん!」


 会話を打ち切るように言うと、ヴェンゼロスは桟橋の端を蹴って小舟を出した。

 最初はオールで悠々と漕ぎ出し、やがて小さな帆を張ると、幾度もその向きを変えながら船は西へと進んでゆく。

 ミネルヴァは、そんなヴェンゼロスの姿を暫く見守っていた。


「ヴェンゼロス……あなたが目覚めさせたのよ……本当の化け物を」


 ミネルヴァは海からの風で揺れる髪を押さえ、そう一人ごちる。

 そんな彼女の肩に手を乗せたのは、世界一美しいオネエ、アントニーだった。


「ヴェンゼロスはエル諸島に向かったのね? これがアレクの策謀なら、彼は一体何を企んでいるのかしら?」


 ティグリスは口笛を吹き、朝日に剣を翳して笑う。


「何にしても、とんでもねぇよな。だってアイツ、たった三日でマーモス本島とネア諸島の海賊団を従えちまったんだろ? 正確には、三日も経ってねぇか……」


 ミネルヴァは頷き、憮然として空を眺める。

 もちろん、全てがアレクシオス・セルジュークの思惑通りだったとは言わない。

 しかし彼はあらゆる要素を考慮し、味方にして、この結果を導き出したのだ。

 これら全てが連綿と連なった先には、当然ガイナス・シグマの救出もあるのだろう。

 それはもう、遠く無いことのように思える。

 けれど、その先にあるのは――


 そうなったとき、自分はどうすれば良いのか。

 どうしようもなくアレクシオス・セルジュークに惹かれる自分を、ミネルヴァはもう、抑えることが出来そうにない。

 だからこそ、時の流れが恐ろしいのだ。


「アレクシオス・セルジュークにとって私は……必要不可欠な存在ではないから……」


 ◆◆


「――だから言ったでしょ、人を信用しすぎるって」


「そう言うなって、ティアナ。もう手は打ったし」


 馬に揺られながら、目を覚ましたディアナと話している。

 今回の一件がヴェンゼロスに仕組まれた罠だったと知るや、ディアナは、それ見た事かと得意げに俺を責め立てた。


 実際に戦闘のあと、忠誠を誓うと言ったヴェンゼロスの姿に嘘は感じなかった。

 けれど考えてみれば、前世と合わせても俺は三十三歳。ヴェンゼロスは五十歳を超えている。

 これだけ差があるのに、彼の言葉の真贋を見極められると思うこと自体、とんだ自惚れだったのだ。

 とはいえ、そのことに気付けたのだから、今回の失敗はそれほど悪く無いだろう。

 失敗は成功の母と言う。失敗から得られることの方が、成功からよりも遥かに多いのだ。

 もちろん反省だってしている。しているのだが――ディアナはおかまい無しに文句を言い続けていた。


「でも、アレク、なんか偉そうなことも言ってたよね。用いるなら疑うな、疑うなら用いるな――とか」


「言った……だけど、ヴェンゼロスにはヴェンゼロスの立場があるんだ。もしも俺が単なるまぐれで勝っただけだとしたら、マーモスを託す訳にはいかないだろう?」


「だから試されたと? ――ボクに言わせれば、試されてやる必要なんて無かったんだ」


「結果として、彼は役に立ってくれるよ」


「なんでさ? 追放するんでしょ」


「俺がナナを奴隷にしたっていう情報を携えてね」


「それがどうして、役に立つ事と繋がるのさ?」


「ヴェンゼロスの甥がエル諸島にいてね、エル諸島には――」


 顎に指を当てて考える素振りを見せるディアナだったが、すぐにポンと手を打ち笑みを浮かべた。


「あ! ナナにベタ惚れのゼロス! ヴェンゼロスがそこへ行くってこと?」


「そう――そしてゼロスの性格なら、すぐにナナの救助に来るはずだ。それを挟撃する」


「そう上手くいく? 挟撃するにしても、対になる部隊は何処にいるのさ?」


「ナナの兵を使うよ」


「ふうん。ナナも信じるんだ?」


 ジト目を俺に向け、「はぁーあ」と盛大な溜め息を吐くディアナだ。

 しかし馬上でこっちを向かれると、半分抱き合うみたいな格好になるな……。


「今度は大丈夫、闇雲に信じる訳じゃない」


 暫く俺の目を見ていたディアナだったが、「ま、いっか」と言って再び前を向いた。


「そうだね――リナとルナっていう切り札があるもんね」


「そういうこと」


「――だけど最初に失敗したことは事実だよね、そこはしっかり反省しよう?」


「分かってるって」


「じゃあ、ボクの言う事もたまには聞くんだよ?」


「はいはい……」


 ディアナは俺の腕の中で満足そうに頷き、「よろしい」と言っている。

 前方に目をやれば、朝日の中で佇むアイオスの街が見えた。

 潮風を受け続けたその姿はいかにも脆弱そうで、朽ちかけているようにも見える。

 それでも人の営みは確かにあって、きっとヴェンゼロスはそういったモノを守りたかったのだろう。

 

 何かを守るということは、綺麗ごとじゃない。

 今回のことで、俺はそのことを彼に教えて貰ったような気がする。


「ボクはね、恭弥を守る為なら、悪魔にだってなるんだよ……フヒ」


「心配をかけて、本当にすまなかった」


「ボク達、親友だからね」


 身体を俺にもたれさせたまま、眩しそうに目を細めてディアナが呟く。

 やけに親友という言葉が、今日は心に沁み込んでくる日だなと思った。

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