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ペガサス家の令嬢

 ◆


 木々の合間からは、半分ほど欠けた月が覗いていた。

 手を伸ばせば星々に届くのではないかと思える程、夜空は目の前で輝いている。

 けれど俺の捕虜という立場は変わらない訳で、余り感傷的になっている場合ではない。


 辺りにはかなり落ち葉があって、人が歩く度にカサカサと音が聞こえた。

 秋も深まり山も冬に備えているのだろうが、これでは味方が近づいて来た時にバレるのではないかと、不安が募るばかりだ。


 アイーシャとナナは二言三言の会話を交わし、馬を近くの木に繋いで別れた。


「待たせたな、休もう」


 アイーシャは俺の肩を軽く叩くと、大きな木の影に腰を下ろした。

 必然的に俺も隣に腰を下ろすが、それは後ろ手に縛られた縄の先端をアイーシャが持っているので、そうせざるを得ないからだ。


「寒いか?」


 問いかけるアイーシャの瞳は、優しい。

 

「そうだな、少し」


 俺は頷き、苦笑した。

 昼間ナナにかけられた水が、まだ完全に乾いていない。出来れば焚き火をして欲しいところだが、流石にそれを頼む事は出来ないだろう。


「焚き火をしてやりたい所だが、まあ、その辺は勘弁してくれ」


 そう言ってアイーシャは馬にくくり付けた大きな布を取り、俺の肩に掛けてくれた。


「いいのか?」


「ああ、病気になられても面倒だからな」


「本気で俺を連れ帰るつもりなのか?」


「お前が望むなら、な」


「……どうして俺次第なんだ? 今の俺は捕虜なんだし、アイーシャ、あなた次第のように思えるけれど」


「あのなぁ……私はこれでも女だぞ? どうせなら望まれて抱かれたいに決まってるだろ」


「へえ……そういう拘りか」


 目を丸くして俺を見るアイーシャは、しばらくしてクスリと笑った。


「お前、女を知らねぇだろ?」


 当然だ、女は知るものではなく見るものだからな。

 アイーシャの台詞に対してこう思ったが、今の立場で強気にでることは避けたい。

 とりあえず頷き、「まあね」とだけ言った。

 

「ふふ、あはは」


 なんだかアイーシャが嬉しそうに笑い、俺の肩を小突く。

 コイツら女海賊は、加減というものを知らない。

 今の俺は、鎧をはぎ取られた無防備な男。露出した肩をグーで殴られると、非常に痛いのだ。


「よう、楽しそうにやってるな」


 そこへナナがやってきて、側にドカリと腰を下ろす。

 手に持った革袋に口をつけ、一息に飲んでアイーシャに手渡した。


「ほら」


「助かる」


 アイーシャも一息に飲むと、今度は俺に革袋を手渡してくる。

 というか縛られた状態で、どうやって飲めというんだ。


「なんだ、これは?」


「酒だよ、あたしの故郷のね。今夜は冷える、これを飲んで暖まりな」


 ナナが紫色の髪を掻きながら、説明をしてくれた。

 捕まっている状態で酒を飲むというのもなんだが、冷えて風邪をひきたくもない。

 しかし俺の手は後ろに縛られたまま。


 ……もしかしてこれは、虐めなのだろうか?


 暫く挙動不審な動きをしていると、アイーシャが笑いながら俺の口に革袋の飲み口を近づけてくれた。


「ありがとう」


 俺の言葉を聞いたナナが、「仲がいいねぇ!」と言って笑っている。

 しかし――非常に不味い。


「げほ……なんだ、これは?」


「だから酒だって言ってんだろ」


 ナナが不機嫌そうに顔を歪めている。

 そりゃあ故郷の酒を飲ませて咽せられたら、気分は悪いだろう。

 しかし不味いものは不味いのだ。


「酒と言われても……」


「あはは、アレクシオス、これはドングリ酒だよ」


 アイーシャがまた一口飲みながら、笑っている。

 ドングリ酒って……。


「へえ、やっぱりてめぇがアレクシオスなのか?」


 ナナが顔をズイと前に出して、俺をまじまじと見ている。

 まあ、いまさら隠す必要も無いだろう。

 アイーシャにも直接名乗った訳ではないが、もう彼女は断定しているようだし。

 それにアイオスに戻ったディアナ達が、もう数時間もすればここに到達するはずだ。

 それならむしろ諦めたと思われた方が、何かと都合が良い。


「ああ、そうだ。アレクシオス・セルジューク、討伐軍の指揮官さ」


「ぷっ……じゃあ、討伐は見事に失敗だな、残念」


 ナナが俺の肩をポンポンと叩く。


「でもよ、討伐するより良い事あったじゃねぇか! アイーシャとヤれるんだからよっ!」


「お、おい、ナナ! まだコイツの答えは聞いてねぇよ!」


「そんなの、聞くまでもねぇだろ? だって奴隷として売られるか、こんな美人と一緒に暮らすかなんざ、誰だって決まってらぁ!」


「び、美人じゃねぇよ……この顔の傷だ。ほとんどの男は怖がって近づきゃしねぇし」


 項垂れるアイーシャは、よほど顔の傷を気にしているのだろう。

 今も顔の左半分を髪の毛で隠し、溜め息をついていた。

 なんだかそんなに気にされると、慰めたくなってくる。


「美人だと思うよ、アイーシャは。胸も大きいし、本当に綺麗だ」


「ア、アレクシオス……」


「ヒューヒュー! 熱いね!」


 ナナが口笛を吹いている。

 コイツには危機感がないのだろうか?

 いや、俺が指揮官だと分かったから、もう撃退したつもりなのだろうな。


「……そう言ってくれるってことは、私と一緒に来てくれるんだな?」


 俯いたまま、アイーシャが恥ずかしそうに言った。

 

「ああ、それしか選択肢が無いんだろ?」


 あまり気分の良い嘘とはいえない。

 けれど今日会ったばかりだし、嘘だとバレてもそんなに傷つかないだろう。

 何より俺は彼女達を味方に出来る方法を、ようやく考えついた。その中ではこの程度の嘘など、些細なものだ。

 あとはパズルのように、いくつかのピースを組み合わせればいい。


「ところで、今日の戦い方はアイーシャが皆に教えたのかい?」


「今日のって言うと……重装騎兵の突撃のことか?」


「ああ、そうだよ。帝国の騎兵と見間違える程、整然としたものだったからね」


「そ、そりゃさ、子供の頃から戦いは貴族の嗜みだって教えられてたからよ……」


 俺の問いかけに、アイーシャは照れくさそうに身を捩っている。

 

「アイーシャは凄ぇんだ! あたし等は海賊だから地上戦のことはよく分からねぇ! けどアイーシャがいるから戦えるんだ!」


 照れるアイーシャの代わりにナナが答え、またドングリ酒を飲んでいる。

 俺は頷き、もう一つの質問をした。

 この質問の答えが想像している通りなら、この海賊団は戦わずに俺の味方となるはずだ。


「そうか、それで彼女がナンバーツーなのか。ところでナナ――あなたの姓はハーベストじゃないかな? そして探している妹というのは、リナとルナ――違うかい?」


 ◆◆

 

「知ってるのか?」


 細めた目の奥に激しい炎をちらつかせて、ナナが俺を睨んでいる。


「髪の色も目の色も違うけれど、目元が二人とよく似ている。今、二人は俺の家族だよ」


 まあ、正確に言えば二人は奴隷だけれど、それを言ったら殺されかねない。

 そもそもリナとルナが攫われたから海賊をやっているくらいだ、彼女達が奴隷であることは覚悟しているだろう。

 しかし二人を奴隷にしている人物を目の前にした時、彼女が正常な判断を下せるとは思わない方が良い。


「な……意味が分かんねぇ!」


 ナナは目を見開き、片手で頭を抑えている。


 俺は目を閉じ、次の一手を考えた。

 もともとネア諸島の海賊団は、海戦の名手として知られている。

 そして俺はナナとゼロス――エル諸島の海賊が不仲であることを知っていた。

 これを利用して調略を行い、ネア諸島の海賊団を味方に引き入れようというのは、当初からの計画だ。

 

 しかしゼロスをナナが毛嫌いしているからといって、それが周辺海域の海賊連合を裏切るほど決定的なものになるとも思えなかった。

 けれど今、俺は決定的な要素を二つ、見つけたのだ。


「アイーシャ……あなたの提案は嬉しかった。だから俺からも提案させて欲しい」


「な、なんだい、いきなり?」


「あなたは俺を、同じ帝国で生まれた男だと言った。だから島に戻って一緒に暮らそうと」


「あ、ああ……」


「――実のところ、あなたは帝国に戻りたいんじゃないか?」


「ば、馬鹿を言うな。もう私は死んだ事になっているし、今更ペガサス家に戻った所で、居場所なんざないさ」


 俺はゆっくりとアイーシャに頷き、微笑してみせた。

 もう一つの決定的な要素――それはアイーシャだ。

 彼女は海賊らしく振る舞っているが、俺を見て安心していた。

 思えば帝国の大貴族として育った令嬢が、海賊暮らしに馴染むはずがない。

 それでもナナとの友情は本物だから、彼女は同郷である俺に心を開こうとしていたのだ。

 そしてこの海賊団の要は、ナナとアイーシャに間違いない。

 だから俺は、この二人を籠絡する。


「俺はこの地を平定すれば、領地として賜ることが約束されている。領地を持てば、当然そこを守る必要が出てくる訳だが……その点、帝国軍の元軍団長が指揮官をやってくれるなら、実に有り難い話だと思う」


「そ、それは……」


 アイーシャは目を左右に動かし、悩み始めた。

 これでいい。ナナがいくら海賊を辞めたくなっても、アイーシャ達が頷かなければ話は進まない。

 そしてアイーシャは、もう一押しだ。

 もう一度ナナに声を掛け、ニッコリと笑う。


「ナナ・ハーベストなんだろう?」


「そうだよ……妹達の名は、リナとルナ……あたしと違って、完全なエルフだ……なあ、本当にお前の家族になってるのか?」

 

「ああ、家族というと語弊があるが……まあ、仲良くやってるよ。二人に会いたければ、俺と一緒に来ればいい」


「お前を信じろと?」


「そうしてくれなければ、始まらないね」


「時間をくれ」


「ああ、いいよ。だけど俺を島に連れて行ったら、二人には会えなくなると思った方がいい」


「そんな事は無いだろう?」


「ある。今、あの二人はある人物に忠誠を尽くしている。そして俺は、その人物からあることを頼まれた。だからここに、こうしているんだ」


 ナナがじっと俺の目を見て、溜め息をつく。


「嘘じゃないようだね……それでも、時間をくれ」


 言うと、ナナは酒の入った革袋を投げ捨て、闇の中へ消えて行った。


「待て、そっちは……」


 手を伸ばそうとしたが、まだ手は後ろに縛られたままだ。

 ここで千切っても良いが、アイーシャに肩を抑えられた。


「いいって、アレクシオス。ナナはハーフエルフだ、夜目も利く。大丈夫……」


「あ、ああ、そうか……それならいいけど」


「そんなことより、私は賛成だよ」


 アイーシャは微笑を浮かべ、腕の縄を切ってくれた。

 単純に引っ張り引き千切ったところをみると、切れ目を付けていたことはバレていたらしい。


「いつ逃げ出すのかと思って期待していたんだが、こういう揺さぶりを掛けてくるとは思わなかったよ」


 どうやらアイーシャは、単純に賛成してくれた訳ではないらしい。今は短剣を俺の喉元に突き付け、冷たい笑みを浮かべている。


「賛成してくれるんじゃ、ないのか?」


「そりゃ、あんたの話が真実ほんとうだった場合さ。嘘だったら、のこのこ付いて行った私達は全滅だろう?」


 どうも、ここが正念場のようだ。

 もっとも、俺には根性とか気合いとか、そういった類のものは無い。

 だから小さく息を吐いて、言うべきだと思う事を言う事しか出来なかった。


「そうだな――でも、ぜんぶ本当のことさ。アイーシャ、あなたには教養もあるし知恵もある。それに武勇も戦術眼も。それはナナにも言える事で……何と言うか、一生を日陰者で終るには惜しいと思う」


「は、ははは……でもな、帝国の社交界よりマシだと思うぜ? あそこは腐ってやがる」


「言えてる。だからペガサス家に戻れなんて言ってないだろ? 軍に戻れとも言っていない」


「私兵になれってことかね? でもあんた、力を得てどうするんだい? 帝国でも乗っ取ろうって気なら止めときな、ろくな死に方をしねぇよ」


「別に、そんな大それた事を考えてる訳じゃないさ。ただ守りたい人が何人かいてね。その人達を守ろうと思ったら、俺にもそれなりの力が必要だなって……それだけさ。本当は、戦いたくなんかないよ」


「本当に、そんな理由なのか? 今ここで私が断ったらどうする? ナナに妹達なんかいないと告げたら……?」


「そりゃ、困るよ。もともと君達は、引き入れるつもりだった。やり方は少し変わったけれど、そういう予定だったんだ」


「おい……困るってあんた……あのガイナスと互角に戦ったっていうアレクシオス・セルジュークなんだろ? もっとあるだろ、こう――二手三手先を読んだ何かが……」


「そんなものが簡単に読めるなら、五百人で海賊討伐なんて任務、受けるわけないだろ。もう少しちゃんとした兵力を用意するって。だいたい今ここにいる理由だって、ただの行き当たりばったりだ」


「ぷっ……くくくっ、あはははっ! 気に入った! あんた、本当に気に入ったよ!」


 アイーシャが短剣を捨て、俺に抱きついてきた。


「く、苦しいっ!」


「いいさ、ナナがどんな答えを出すのか知らないけどね、私はあんたが気に入った! あんたの兵にでも何でもなるよ! だけどあたしの夫にゃなってくれないんだろ? だったらせめて、今ここで――さ!」


 アイーシャの右手が俺のズボンに掛かり、引き下げようと動いている。凄い力だ、まるで抵抗できない。


「や、やめっ……」


「男だろ、シャンとしなっ!」


「ま、待って、初めてだからっ……」


「うるっさいね! 私だって男とは初めてなんだよっ!」


「えっ、男とは!? それって女同士ならあったってこと?」


「そうだよっ! ナナとは何度もしたさっ!」


「えっ! えっ! そこ、もっと詳しくっ!」


 そのとき、急に辺りが明るくなった。

 シャッ――という抜剣の音が聞こえる。


 明かりの中、長い影が伸びてきて俺に語りかけた。

 影は四人の帝国兵を従えているようだ。


「アレク……ボクがどれだけ心配したか、分かってるかな? どうしてこんな所で、巨乳のお姉さんに組み敷かれてるわけ? どうしてズボンが半分、脱げちゃってるわけ?」


「や、やあ、ディアナ。遅かったね……」


 半裸で跳ね起きたアイーシャは素早く抜剣し、ディアナに斬り掛かる。

 しかし銀髪の美女がディアナの前に現れて、アイーシャの剣を受け止めた。


「なるほど……強引にいけば、アレクシオスさまは手に入る……と」


「いや、ミネルヴァ……そういうことじゃないからね……」

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