野望、砕ける
◆
お姉様系ダークエルフに率いられた百合軍団(仮)は、城に入るなり忙しなく動き始めた。
皆、武具を部屋に置いて軽装になっている。その代わり腰に曲刀を差して、頭に布を巻き付けていた。
明らかに海賊のスタイルだ。そして今の所、イチャラブを始める百合っぷるは居ない。
これはおかしい、と思って観察を続けたところ、もっとおかしな点を見つけてしまった。
それはこの城は拠点ではなさそうだ、というところ。
だからといって、まったく使用感が無いわけではない。ところどころにゴミが散乱しているので、誰かが定期的に訪れているのだろう。しかし暮らしている雰囲気は無い、といったところだ。
俺は縛られたまま中庭に放置され、井戸の側に座らされている。
指揮官のダークエルフがやってきて、桶一杯の水を側に置いてくれた。
「殺すつもりはねぇ。まあ、飲め」
水をくれること自体は有り難い。しかし手を後ろで縛られたまま、どう水を飲めというのか。
「このままじゃ飲めないぞ」
「口を桶に近づければいいだろ! それが嫌だってんなら……こうしてやる!」
文句を言ったら、ダークエルフはせっかくの水を俺の頭からザバリと掛けた。酷い女だ。
「ははは……ナナ、そう突っかかるなよ。コイツ、そんなに悪いヤツじゃないぜ。さっきも自分が囮になって、女を二人逃がしている」
その様を見た別の女性が、干し肉を齧りながら笑っている。
背の高い、大人の女性だ。
赤みがかった茶髪で、非常に胸も大きい。
前髪を長く延ばして左半面を隠しているが、露になった右半面はびっくりするほど整っていた。
胸元が大きく開いた紺色の服を着て、赤い腰帯で止めている。
無骨な鎖帷子を脱ごうとしないダークエルフとは対照的だ。
デュフフ……勝ち気なダークエルフと美人のお姉さん百合……尊いですなぁ。
「うるせぇな、アイーシャ。んなこたぁ分かってるよ」
バツが悪そうに、ナナと呼ばれたダークエルフの女がもう一度水を汲んでくれた。
ちなみにこの世界ではエルフと言えばダークエルフの事で、エルフの特徴を持った人は魔族なんて呼ばれている。
ただ俺はそれが分かりにくいので、褐色肌で耳が長い人種をダークエルフと勝手に呼んでいるのだ。
「じゃあ照れてんだろ? いい男だもんなぁ、この兄ちゃん」
「そ、そんなんじゃねぇよ! コイツ、何考えてるかわからねぇから! この状況でもニヤニヤしてやがるし、危ねぇヤツなんじゃねぇか? それともアイーシャ、てめぇはコイツが何モンか知ってんのかよ?」
「知る訳が無い……って言いたい所だけどね、コイツの鎧を見れば大体のことはわかるよ。見な、鎧に入った銀の刺繍。太い線が一本あるだろ? 連隊長の証さ」
「は? こんなフヤケたヤツが連隊長だって? バカ言うなよ、アイーシャ。今度攻めて来た帝国軍は連隊規模なんだろ? だったらコイツが……あの、何とか言うヤツだってのか?」
「アレクシオス・セルジューク……だな、たしか」
「おい、本当か? てめぇがアレクなんとかなのか? 言えっ!」
二人が会話をしながら小突き合っている様を、俺は微笑ましく見ていた。それが急に話を振られても、なんのことやらだ。
「ん? 私はあなた方を見守る観葉植物だが……? あ、本来はこうして話す事もおこがまし……ぐほぉぉっ!」
ダークエルフの女は凶暴だ。
今度は蹴飛ばされてしまった。背中が凄く痛いぞ。
そういえばリナもルナも、すぐに怒る。
もしかしてこの世界のダークエルフは、非常に短気で凶暴なのだろうか。
「言いたくねぇってか……ちっ」
ナナは俺の顔に唾を吐きかけて立ち去り、アイーシャという名の巨乳のお姉さんが背中を摩ってくれた。
「あのエルフ……バカな事を……」
ていうか美人のダークエルフに唾をかけられるとか、人によってはご褒美だぞ。
彼女はもう少し自分の価値を理解した方がいい。
「そう怒るなよ、あんた。帝国の騎士さまが海賊風情に唾をかけられたら、そりゃあ頭にくるだろうが……」
「そうじゃない……彼女は分かっていないんだ、自分の価値を」
「そいつは……ナナのことかい?」
ん? ナナ――ナナと言ったか? いや、ずっと彼女はそう呼ばれていたな。
ナナと言えば、ネア諸島を根城にする海賊団の頭目。
そしてナナはエル諸島のゼロスに言い寄られて、男嫌いを理由に断っているはず。
なるほど、相手の正体が分かってしまえば、もうどうとでもなる。
そしてこの女性がアイーシャか……。
相手がナナなら、この手並みも納得だ。
彼女は五年前、三個大隊の帝国軍を撃退している。海賊にしておくには惜しい程の用兵巧者だ。
だが、理解できないな。そのとき、撃退された指揮官がアイーシャ――そんな名前だった。
少なくともアイーシャ・ペガサスの名が戦死者のリストにもあったし、ペガサス家は葬儀も済ませている。
「そうだね、ナナ……彼女は自分の価値を分かっていない」
「そいつは、海賊稼業なんぞやってるからかい?」
「ああ。彼女は望めばもっと多くのものを得られるだろうね」
「はっ……そう思うね、あたしも。けど、海で生き別れた妹達を探してるんだと。それで海賊は辞められないらしいね」
暗くなり始めた空を見上げ、アイーシャが笑った。その笑顔はいかにも海賊らしく、ふてぶてしい。
「そんなことよりあんた、アレクシオスだろ? 正直に言っちまいなよ! こっちは身代金を貰えりゃ解放したっていいんだ、そうじゃなきゃ、奴隷として売っぱらうことになるよ!」
「帝国軍は身代金を払わない……海賊なら常識だろう?」
チラリとアイーシャの目を見て言う。
彼女がアイーシャ・ペガサスなら、身代金を支払ってもらえなかった典型だろうに。
「たしかに帝国軍は身代金を払わないが、幸いあんたは今、ヴェンゼロスから大金を巻き上げて金持ちだ。それに逃がした女達――どっちも泣いてたなぁ……くくっ。アイツ等なら十分、交渉に応じると思うがね」
「なるほど、お見通しか。だが、それじゃあアイーシャどのはペガサス家に見捨てられたってことかな?」
アイーシャの眉がピクリと動く。
「……あんたも、お見通しって訳かい。いつからそれを?」
「伊達に討伐軍を指揮してはいない。過去の戦闘記録は一通り調べているし、海賊団の主立った頭領のことも知っているさ……もっとも、貴女の顔を知っていた訳じゃないから、カマを掛けさせてもらった」
「ははっ……一本取られたね」
「先に一本取られたのはこっちだ」
アイーシャが左手で髪をかき上げ、今まで隠していた部分を見せてくれた。
左頬から首にかけて、抉られた様な傷あとがある。
せっかくの美人が台無しになる程の、それは大きな傷だった。
「この傷は別に戦で付いたものじゃない……あのとき船が難破してね。四公爵家の令嬢と言っても、顔に傷が付いちゃおしまいさ。ましてやあたしは三女だし、政略結婚以外に使い道も無いからね」
「それで、交渉も打ち切られたと?」
「いいや、違う。ナナは負けたあたしを誘ってくれたのさ、海賊にね。ちょうど良かったんだ、どうでもいい男と結婚する位なら、どうでもいい男どもを奴隷として売っぱらっちまう方が楽しそうだったしね。それで死んだ事にした。スッキリしたよ、もともと貴族なんて柄じゃないしね」
「なるほど……ね」
アイーシャと話しているうちに、すっかり日も暮れてしまった。
城にはいたるところに篝火が灯って、拠点のような雰囲気を醸し出している。
「で、決まったかい? 売られるか身代金を払うか」
「私としては、もう一つ別の道を選びたいね」
「もう一つの道……あんた、あたし等のこと、どこまで知ってるんだ?」
アイーシャが頬を少しだけ赤く染め、そそくさと立ち去ってゆく。
あ……ちょっと……いい加減に縄を解いてくれないかな。
◆◆
「頭、篝火は全て焚いてあります!」
「よし! 出るぞ!」
威勢の良い声が広場に響き、女達が馬に跨がる。
また馬に引き摺られるのかと思って俺は非常に憂鬱になったが、どうやら今度はそうではないらしい。
「アイーシャ、こいつを馬に乗せてやれ」
ナナが不愉快そうに命じ、アイーシャが不貞腐れている。
「な、なんであたしの馬なんだよ……」
「仲いいだろ! ざっけんな!」
ナナはそれだけ言うと、さっさと先へ行ってしまう。
俺は数人に手伝ってもらい、アイーシャの後ろに乗せてもらった。
「あ、あんまりくっつくな……今日は汗をかいたから、な?」
男らしいアイーシャが、貴族の令嬢みたいなことを言い始めた。
いや、元々はペガサス家の令嬢だから、本来の姿がこうなのかもだけど……。
「アイーシャ、この海賊団は全員が女性なのか?」
無言で後ろに乗っているのもバツが悪いので、当たり障りのない話をアイーシャとする。
「う、海に出るのは、全員な……」
「じゃあ島には男もいるのかな?」
「……いる。海に出ている女達の夫や子供だ」
そうか、そうだよな。
現実的に考えれば、女だけが暮らす桃源郷なんてある訳がないのだ。
人間には男と女がいて、初めて数が増える。
もしも女だけなら、早晩滅びてしまうだろうから。
「そっか……」
まるで短い夢を見ていた気分だ。
「男は……海に出たとき、気に入った男を売らずに連れて帰る……伝統だ。知ってるんだろ、白々しいな」
アイーシャがポツリと言う。風に靡く彼女の髪から、僅かに塩の匂いがした。
「アイーシャ、貴女に家族は?」
「……いない。気に入った男が、いなかった」
アイーシャは、大きく溜め息を吐いた。上下する背中が、彼女の息づかいを俺に伝えてくれる。
筋肉質ではあるが、柔らかな背中だ。
なんとなく俺はガブリエラを思い出し、アイツの背中もこんな風なのかな――と考えた。
「あたしは二十四だ」
「う……ん?」
「もう子供がいてもおかしく無い歳だけど、男もいない」
「ああ……?」
「ナナと一緒に海で暴れてるのが楽しかったからな」
「今は違うのかい?」
「そうだな……今は同じ帝国で生まれた男がここにいる。そいつとなら、家族になってもいいかなと思い始めているぞ」
馬が山の中を進んでいる。
右を見ても木、左を見ても木。
向かう先は多分リーデだろうが、そんなことはどうでもいい。
俺は今、何を言われているんだ?
「それとも、こんな年増女は嫌か? ナナの方がいいのか?」
俺は首を左右に勢いよく振った。
そりゃあアイーシャは年上だし、顔に大きな傷もある。
だけどそれを引いても、右側の無傷な方は超が付くほど美人だし、胸も大きい。
いや、もちろんナナが嫌な訳でもない。
彼女は小ぶりの胸だが、健康的な小麦色の肌はたまらなく魅力的だ。
紫色の髪や緑の瞳は神秘的だし、彼女だって捨てがたい。
しかし、だ。
だからこそ俺は見たい――アイーシャとナナのイチャラブを。
「アレクシオス、お前は言ったな。身代金は払えない、かといって奴隷にもならないと。だったら道は一つしかない……あたしのモノになれ」
大きくは無いが、アイーシャの声はよく通った。
答えに困る。俺の選ぶ道は、それでもないのだ。けれど今、答えを言う訳にはいかない。
俺が暫く首を傾げていると、「ヒューヒュー! アイーシャの姉御、いいねぇ!」「てめぇ! 姉御に恥をかかせんじゃねぇぞ!」などのヤジが飛んでくる。
なんだかんだで、この海賊団の仲は良いらしい。
「止まれ! ここで野営するぞっ!」
そんな中、ナナの声が響いた。
四十人の女海賊達がピタリと馬を止める。
ここは山の中腹にある開けた場所。下方を見れば、城の背面が見えた。
城には前面と背面に出入り口があり、この海賊団は前面から入って背面から出たのだ。
俺は篝火に照らされた城を見て、苦笑した。
「策士策に溺れる」とはこのことだ。
ナナは俺の救出に来る部隊を、城で足止めするつもりなのだろう。
もしもその数が少なければ城に攻め掛かったところで襲い掛かり、多ければさっさと逃げる。
名案に思えるかも知れないが、しかし、物事はそれほど都合良く進まない。
あんなに見え透いた罠に掛かるほどミネルヴァは優しくないし、ディアナもお人好しではないのだから。
どちらにしろ、俺はアイーシャのモノにもナナのモノにもなれそうに無い。
さて……。
俺は手首の縄を確かめ、いつでも切れる状態であることを確認した。
今まで、ずっとおしゃべりに興じていた訳ではない。
話す事で相手の注意を逸らしつつ、地面に作った岩の刃で手首の縄をずっと擦っていたのだ。
俺のショボイ魔法だって、その程度のことはできるのだから。
……アレク包囲網




