アイロス入港
◆
ヴェンゼロスの案内で、マーモス島の湾口都市アイロスに入港した。
出迎えたのは女性や子供、老人達が千人ほど。恐らくは海に出ていた者達の家族だろう。手には桑や鎌、漁で使う銛などを持っている。
「歓迎されてないね……フヒヒヒ」
船上から港を眺め、ディアナが呟いた。
確かに堂々と帝国旗を靡かせた船が入港しているのだ、住民が警戒するのも当然。
誤解をとかなければ、上陸してすぐに戦闘ということにもなりかねない。
しかも「帝国軍と一般市民が戦う」という取り返しのつかない事態だ。これは避けなければ。
「ヴェンゼロス」
甲板上で側に控える大柄なヴェンゼロスを見上げ、声を掛けた。
鮫のヴァレンスがジロリと彼を睨み、口を動かす。
「随分と住民を手なずけてるようだな……」
「はんっ、これでも元騎士なんでな。テメェのように、野蛮な海賊稼業しか知らねぇって訳じゃねぇからよ」
「ふん、そんなことはどうでもいい。提督が住民をどうにかしろと仰せだ」
「そんなもの、分かっとるわ! いちいち五月蝿いぞ、小僧っ!」
ヴェンゼロスがヴァレンスの肩を小突き、ニヤリと笑う。
どうやら、この二人は旧知の間柄らしい。仲が良いのか悪いのかは、いまいち分からないが……。
「皆の衆! 帝国軍と話がついたっ! 今日からこの人達は味方だ、武器を下ろし、迎え入れてくれっ!」
大声を張り上げ、港に向かって両手を振るヴェンゼロス。
港で立ち並ぶ人々が騒がしくなってゆく。
「本当に大丈夫なのか、ヴェンゼロス! 騙されてるんじゃないのかっ!」
港からも、同じく大声がかえってくる。
「大丈夫だ! 俺を信用してくれっ!」
少しの沈黙の後、住民はようやく納得して動き始めた。
「わかった、ヴェンゼロス! あんたを信用するっ!」
俺は頷き入港の指揮をヴァレンスに任せ、いったん自分の部屋へ戻った。
俺が直接指揮を執るより、ヴァレンスの方が適任だ。
その間に俺は武装解除をした海賊達の名前と装備品のリストをチェックする。
もともと拿捕した敵船からの略奪は許可している。しかし今回は彼等を受け入れた形だ。兵に「奪え」と許可を与える訳にもいかない。
とはいえ物資を分配しなければ、士気に関わる。だから俺は誰に何を与えるか、この中から選ぶことにした。
ちなみに書類の作成はミネルヴァが主になってやってくれた。
補助としてドムトとディアナも手伝ってくれたが、この二人の事務処理能力は案外高い。
とくにドムトは、ゴリラみたいな顔をしているクセに知的だった。もしかしたら彼は、世界一知能の高いゴリラなのかもしれない。
暫く書類を眺めていたが、ヴェンゼロスの海賊団は装備が行き届いている――という印象を受けた。主に帝国軍の正規装備をしている辺り、彼がどれほど帝国にとって災厄だったかが見て取れる。
「これは?」
中でも書類だけではなく、ミネルヴァがあえて持って来たのであろう一振りの剣を手に取り、持ち主の名前と照らし合わせてみる。
剣の鞘と柄の部分には、貝を使った見事な象嵌細工が施されていた。単純に昔の戦利品なら価値のあるものだし、そうでなければ面白い。
「グーリィという名か。十八歳、まだ若いね。剣の部分は随分使い込まれているけど、自分で使ったわけではなさそうだ。けれど柄の装飾は真新しい、珍しい形状をしている」
俺は早速ミネルヴァに頼んでグーリィを呼んでもらい、彼に話を聞く事にした。
暫くするとグーリィが俺の部屋に来て、やや畏まった面持ちで頭を下げる。
船は既に港に係留されて、皆が下船準備に勤しんでいた。特にトラブルは起きていないらしいが、怒鳴り声が聞こえる。基本的に海の男達は荒々しいのだ。
この部屋にも外の喧噪が漏れ聞こえ、騒がしい。だから俺は少しだけ声を大きくして、彼に問うた。
「グーリィ、この剣はどうしたのかな?」
「……ひっ」
グーリィは水色髪で、やや尖った耳を持っている。短身で丸い身体は、リー・シェロンを思い起こさせた。
「答えろ、閣下が問うておられる!」
テオドラが俺の机をバンと叩き、眉を吊り上げている。
たしかに彼女は副官だから側に居て当然だし、俺の言葉を代弁する役割もになっているのだろう。
だけど外の船乗り達よりも圧の強い皇女さまは、気弱そうなグーリィにとって刺激が強い。
だいたい斬り込んだとき、彼女はいったい何人の腕や指や首を刎ね飛ばした? いちおう負傷者の救助は頑張ったけど、首を刎ねた人達は当然死んでる。
そんな訳でヴェンゼロス海賊団の面々にとって、テオドラは死神にも等しい存在となっていた。
「初陣だったのでつい、やり過ぎました」
これが、戦いのあとで俺に言ったテオドラの言葉だ。
初陣でやり過ぎる人なんて、滅多にいない。
グーリィがテオドラから距離をとりつつ、おずおずと質問に答える。
「ちょっとでもかっこ良くしたくて、柄と鞘を自分で作ったんだ……です。刃の部分は扱い方が分からなかったので、そのまま……」
どうやら鞘や柄を作ったのは彼のようだ。
俺は頷き、剣を鞘から抜いてみる。
ところどころ刃こぼれも生じていて、刀剣としての価値は低い。
けれど鞘は繊細な紋様に磨かれた貝殻がはめ込まれ、見事なものだ。
「君が木を彫って貝殻をはめ込んだ、ということかな?」
「はい、です」
工芸品の目利きがある訳ではないけれど、こんなものはこの世界で初めて見た。
日本刀の鞘は、たしか象嵌細工で作ることもあったはず。だとすればこの世界の鞘でも使えるな。
いや――その程度じゃない。
象嵌細工そのものがマーモスの工芸品になれば、この島は豊かになる。
俺は今、素晴らしい逸材を見つけたのかもしれないぞ。
「グーリィ。君はどこでこの細工を学んだのかな?」
「俺のじいさまが――ああ、ええと――金の都から流れて来たんですが――もともと家具職人で、だけど俺は家具が作りたい訳じゃなくて、これを」
「そうか。ということは金の都では、このような細工物が沢山あるのかな?」
「いいえ。金は滅んだのて……細工職人は散り散りになってるってじいさまが言ってた、です」
顎に指を当て、考えた。
この技術はもともと金のもの。けれど国が滅んだ今、伝承する者は少なくなっている。
ならばこれを大きく復活させれば、間違いなく特産品になるだろう。
この戦い――色んな意味で勝てるぞ。
俺は立ち上がってグーリィの肩に手を乗せた。
「グーリィ、この技術は素晴らしいものだ。今後は俺に力を貸してくれないか?」
意味が分からない、といった風に目を瞬くグーリィだ。
「細工は好きだろう?」
「はい」
「これからは好きなだけ細工をしてくれて構わない。ただ、弟子をとって欲しいんだ。それから、今後は家具も作って欲しい」
「は、はい?」
「俺はこれをマーモス細工と名付け、大陸に売り込みたい。そうすればマーモスに富が流れ、皆、海賊なんてやらずに済むようになるから」
「お、おいらも、ですか? 海賊をやらなくても?」
「ああ、やらなくていい」
暫く首を傾げていたグーリィだったが一瞬だけテオドラをチラ見し、震える声で言い切った。
「ほ、本当ですか? だったら……海賊をやって恐い思いをするくらいなら……テオドラさまに睨まれるくらいなら……家具でも何でもやります。それに……皆の役に立ちたい!」
うん……どうやらテオドラは、彼の心にトラウマを植え付けてしまったらしい。
◆◆
グーリィを下がらせると、待ち構えていたようにヴァレンスが姿を現した。
「下船の準備が整った。しかしヴェンゼロスを疑う訳ではないが、全員で一斉に下船するのは危険だ。人員を半数ずつに分け、二日交代でどうだろうか? 船の守りにもなるし、万が一の場合の全滅も防げる」
「任せるよ、そういったことの判断は」
ヴァレンスは髪をボリボリと掻きながら、照れたように笑った。
「今の俺は奴隷だ。任されてよいのか?」
「……解放してやれないのは、申し訳ないと思っている」
「そういう事ではなくて、だな」
「ん? どういうことかな?」
「いや、いい。任せてくれ、提督」
「提督じゃないんだけど……まあいいや、じゃあそういう訳で、俺は先に下船するよ」
言いながら部屋を出ると、ヴァレンスが追いすがる。妙に慌てた形相だ。
「ま、まて、提督。アンタの身に何かあったら、どうするつもりだ!」
ヴァレンスは以外と心配性らしい。俺は呆れたように首を振って、諭すように言う。
「いいかい、ヴァレンス。俺は帝国に何人もいる騎士爵の一人だ。たとえ死んでも、代わりなんていくらでもいる。それにさ、指揮官が安全な場所に隠れていて、どうして現地の人が信用してくれるんだ?」
「だが、海賊どもは千人だ」
「もう敵じゃないさ」
「味方とも言い切れん。もっと安全が確保されてから下船してくれ」
「ミネルヴァも一緒に降りるよ。彼女がいれば、敵地のど真ん中でも安全だと思うけど」
「確かに、あの女には底知れぬ強さがあるが……」
俺の言い分にようやくヴァレンスは頷き、仕方ないといった体で送り出してくれた。
ちなみに留守役になるのは、ドムト、ヴァレンスとテオドラだ。
テオドラはさんざん喚き散らして文句を言っていたが、自分が皇女であることと、海上で多くの海賊を殺していることを加味し、最初の二日間は船に残ってもらうこととした。
多分だが、俺よりも彼女の方が命を狙われる危険性が高い。そこでドムトにも旗艦に入ってもらい、テオドラの護衛役を引き受けてもらった。
というより俺が居なければドムトは副長だし、副官であるテオドラと協力して艦隊を纏めるのは当然と言えば当然だ。
俺は兵の半数――二百五十人を率いて下船した。
港は灯台も備えた立派なものだ。
広さも十分にある。俺達が乗って来たガレーを横に十隻並べて停泊させても、なお余るほどだ。海賊達の船舶を全て係留させても、さらに余裕があった。
とはいえ帝都ほどの広さではない。地方都市としては中々のもの――といった程度の港だろう。
武装解除した海賊達は住所と名前を控え、大半の者を解放した。
すでに街の顔役も兼ねるヴェンゼロスと話がついているのだ、それで問題ない。
それから街の一番大きな宿を接収し、兵士達に休息を命じた。
もちろん接収したと言っても、あとで金を支払う。ここで大きな恨みは抱かれては、本末転倒だ。
それから、兵士達に褒美を与えなければいけない。この約束を破れば、たちまち兵は俺を見放すだろう。
俺はヴェンゼロスに話し、これまで蓄えた財宝を差し出すよう頼んだ。
まずは武器より財貨だ。
宿に運び込まれた財宝は、主に金貨、銀貨、銅貨である。宝石の類は兵に持たせても保管が難しいし、現地での支払いにも使えない。だからあえて俺は、兵士達に金を分配した。
「うおー! 金貨だ!」
金貨を手渡した兵が、歓声を上げている。
宿の一階にある食堂で奥の席に座り、部下に褒美を与える姿はまるで海賊だ。
テーブルの上には質素だが現地では豪華な食事が置かれ、湯気を立てている。骨付きの豚肉や鶏肉、根菜類のスープなどだ。
褒美の分配が終ると、皆も食事を始めた。
どうやら俺が食べ始めるのを待っていたらしい。そんなことは求めていなかったのだけど。
俺はゆっくりと豚肉にかぶりつき、咀嚼した。
暫くすると、ヴェンゼロスが情けなさそうな顔で現れた。
俺はディアナが抱えた葡萄酒の壷を奪い、中身を杯に注いで彼に手渡す。
「気付いているでしょうが、豚や鳥はご馳走ですよ」
椅子にドカリと腰を落とし、ヴェンゼロスが溜め息をつく。それでも葡萄酒をガブガブと飲む辺り、海の男といった感じだ。
「だろうね。見た所この土地は、不毛の原野といった雰囲気だった」
「ええ。これでもかつては穀倉地帯だったらしいんですがね」
「魔術的な連作によって土地が痩せた――だったかな?」
「よくご存知で」
「自分の領地のことだから、知っていて当然だよ」
俺の隣で葡萄酒を美味しそうに飲むディアナに声を掛ける。
「魔術的に痩せた土地を元に戻す事は出来るかい?」
「さあ? 見てみないとなんとも。フヒヒ……だけど魔術的な干渉があるということは、そこに何らかの契約が存在していることになる。だとすれば、より高次の存在と交渉が可能ならあるいは……」
ヴェンゼロスはゆっくりと首を左右に振った。
帝国に背き、庇護を受ける事の出来なかったマーモスだ。
上下水道のメンテナンスも滞り、今では各地に井戸を掘っている。
しかも賢者の学院との関係も絶たれている今、農地に関する援助も受けられなかった。
街道のメンテナンスも然り。
石畳の道に轍がくっきりと浮き出て、馬車の往来さえ難しい。つまり島内における物資の運搬さえ困難なのだ。
「俺ぁ……皆を守るつもりが、逆に苦しめてただけなのかもしれねぇや……」
「いや」
俺はヴェンゼロスの杯にもう一度、葡萄酒を注ぐ。
北風と太陽の話ではないが、これは帝国政府の失敗でもあった。
もしもマーモスをきちんと管理できていれば、本国だって潤ったはずだ。
南方との直接交易も可能となり、魔法文化も発展していただろう。
そうすればラヴェンナ共和国と戦力差も、もう少し小さく出来ていた。
「愚かなのは帝国だよ」
杯を空にしたヴェンゼロスが、改めて臣下の礼をとる。
それをうろんな目で見つめ、ディアナが鼻歌を歌っていた。
そんな時だ、事件が起きたのは。
「あたしの亭主を返せ、侵略者どもっ!」
二十代後半くらいの女性が、髪を振り乱して宿に入って来た。
手には包丁を握り、涙を流している。
海賊の全員が無事だった訳じゃない。殺した海賊もいるし、その中には家族がいた者もいるだろう。
「わたしの息子を返せ、ヴェンゼロス! あの子はアンタに憧れてたのにっ!」
後に続いたのは四十代くらいの中年女性だ。
部下達が立ち上がり、彼女達を押し返そうとしている。
俺は立ち上がり、彼女達の下へ向かった。
指揮官の責任を感じて、謝らなければ――と思ったからだ。
しかしディアナが服の袖を掴んで、「だめだよ」と言っている。
「だったら返してあげようじゃないか……フヒ……フヒヒヒヒ」
ゆらりと立ち上がったディアナが、色の違う左右の瞳を怪しく輝かせていた。
頼むから余計なことはやめてくれ、この酔っぱらい……。




