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舞踏会

 ◆


 舞踏会が始まると、すぐにガブリエラの周りは人で溢れた。

 女性達は彼女の美貌を間近で見ようとやっきになり、男達は戦場の話を聞いてしきりに頷いている。

 どちらにしても皆、社交界初参加のガブリエラが珍しくて仕方が無いのだろう。彼女を中心とした人垣は、時間と共に大きくなってゆく。

 

「お、おれ……わたくし、敵を殺すことに躊躇はな……ありませんの」


「おお! 流石は剣姫と謳われるお方! 勇ましゅうございますな!」


「ガブリエラさま程の美しさをお持ちであれば、戦働きなんて必要ありませんわ。これからはわたくし達と楽しく過ごしましょう」


「あ、いや……おれ……わたくしには戦場の方が合っているような気がするでござる」


 ガブリエラが口元に手をあて、アワアワと慌てている。なんだか「ござる言葉」になって、無茶苦茶な感じだ。

とはいえ、この様子なら彼女に危害が及ぶことはないだろう。


 暫くすると人垣が割れた。この館の主が姿を現した為だ。

 こうしてガブリエラは大勢の人々から解放されたのだが、しかしそれは新たな災難が到来しただけのこと。何しろ主こそガブリエラが尤も会いたく無い人物、ユリアヌス皇子その人なのだから。


「こ、このたびはお招きに預かりまして、どうも……あっ」


 言い慣れない言葉の為、ガブリエラが詰まる。加えてヒラヒラと長いスカートの裾につまずき、よろけていた。俺は彼女の腕を掴み、転ばないよう支えている。


「ガブリエラどの、余はそなたが来てくれて嬉しい。あ、いや、それもこれもアレクシオス、そなたの気遣いによるものだったな! ハハハ! 気の回る男よ! 余はそなたを勘違いしておったぞ!」


 ガブリエラから手を離し、皇太子に礼をする。軍隊式ではなく宮廷式だ。右手を腰の後ろへ回し、左手を胸につけて会釈する。

 皇太子は鷹揚に頷いた。上機嫌なのだろう。


 皇太子の隣には、口の悪い皇女殿下が控えていた。下卑た笑みを浮かべ、ガブリエラを上から下まで舐める様に見ている。

 といっても口元から覗く白い八重歯が愛らしくて、むしろ俺の方が下卑た妄想を膨らませてゆく。


 ――デュフフ。テオドラたんはこんなだけど、ガブリエラに責めらたらデレちゃうんやないかい? そうなんやないかい? デュフフ。はぁ、二人がキスするところを見てみたい。デュフフ。


 テオドラがガブリエラの腕を摩りながら、薄笑みを浮かべている。俺もその様に、薄笑みを浮かべた。

 美女が美女を触っておる。うむ、うむ――良きかな。


「なぁ、兄貴。これが剣姫と名高いガブリエラか? 妙にナヨっとしていやがるぞ? なんだ、この細い腕は?」


「テオドラ、口を慎め。ガブリエラどのは神の加護を受け賜う。ゆえにその身は細くとも、戦場においては絶大なる力を発揮するのだ」


「神の加護、ねぇ。信心深いとは思えねぇが」


「だがのう、そ、そんなに細い腕なのか、ガブリエラどのは? うむ、うむ、そうであれば、余も触らせてもらおうか。なに、未来の妻の腕である、触って悪いということもあるまい」


 こほん――と咳払いを一つして、ユリアヌスが言った。彼もガブリエラに触れようと近づいたが、それはテオドラの冷たい視線で阻まれている。


「バカ兄貴。気持ち悪ぃんだよ……」


 一応俺も、ガブリエラと皇太子の間に割って入る。それはむしろ皇太子に非道な暴力がふるわれぬよう守っているのだが、皇女と公爵令嬢の受けた印象は違ったようだ。


「ガブリエラ・レオ。男嫌いって聞いていたが、そうでもねぇんだな。アレクシオス・セルジュークは顔で選んだのか? 侍らせるには丁度いいな、容姿端麗で長身――しかも忠義者ときている」


「別に顔で選んだとかではなく――ええと、むしろアレクがおれにくっついてくるだけのことで、おれは別に……」


「そうか、むしろ迷惑なんだな? だったら、あたしに寄越せ。ガイナスを破る程の男だ、興味がある」


「そ、そ、そう言うんじゃなくて……! ていうかテオドラさまは羨ましいんですか? ああ、そうか! アレクの顔が好みなんですね……! フハハハ! そっちこそ男に興味ありまくりじゃないですか! このすっとこどっこい! 一昨日きやがれ!」


 ガブリエラ……お前の言語のボキャブラリはどうなっているんだ。すっとこどっこいとか一昨日きやがれとか……。


「な、な、なんだと! このおっぱいお化け! なんだかんだでこの男が好きなんじゃねぇかっ! この胸で誘惑したんだろう! 男なんてだいたいおっぱい好きだからなぁっ!」


「ち、違っ! アレクはおれの胸を……じゃなくて……むぐぐっ! 言わせておげば……」


 奥歯をギリギリと鳴らしながら、ガブリエラが耐えている。というか耐えきれていない。胸をツンツンされて、こめかみに血管が浮き出ている。

けれど同時に俺を見て、顔を真っ赤にした。確かコイツ、「胸、触っていいぞ」って言ってきたことがあったもんな。悪戯だけど、誘惑と言われればそうともとれる。

 だからテオドラの言っていることを完全否定できなくて、ガブリエラは涙目になった。


「や、やめぬかテオドラ。こ、この胸は余のものであるから、あまり触るな」


“ブチ”


 あ、何かヤバい。

 俺は慌てて跪き、テオドラと皇太子を見上げた。後ろではガブリエラが「ぐるる……」と獣のような声を発している。

 ここは一刻も早く、ガブリエラを二人から引き離さないと。


「姫は、ご自身の胸を好んでおられません。それは戦場で邪魔になるからだと、常々申しております。ですからこのお話は、この辺でご勘弁頂けませんか?」


「ま、そうだろうよ。胸なんて無い方が、戦い易いに決まってるからな」


 テオドラがチラリと自分の胸を見て、舌打ちをする。大きさに関して、少しコンプレックスがあるのだろうか? 確かにガブリエラと比べれば小さい。というかディアナやミネルヴァよりも小さいし、これはちっぱいなのだろうか?

 俺はテオドラの胸を見上げ、思案した。ちっぱいでもいい、ガブリエラと交わるのなら。


 辺りを見回すと、男女がそれぞれペアを作り始めている。そろそろ踊りが始まる時間らしい。一触即発の会話を打ち切るには、丁度いいタイミングだ。


「ところでガブリエラさま。殿下と躍られる前に、一つ私に栄誉を与えて頂けませんか?」


 アイスブルーの瞳が俺を見下ろし、首を傾げている。怒りは収まってきたようで「ふぅー」と小さく息を吐いていた。

 俺は唇だけを動かし「そう、我慢だ」と伝えた。


「あ、ああ。そうだな……殿下と躍る前に、お……わたしも練習しておきたい。アレクシオス卿、付き合え。では、ユリアヌス殿下、テオドラ姫――後ほど」


 俺は立ち上がってガブリエラの手を取り、その場を去る。

 何故か背後から突き刺さるような視線を感じたが、振り向かないことにした。


 程なく吟遊詩人達がそれぞれの楽器を奏で始めると、会場は楽し気な音楽に包まれてゆく。

 ある者は酒を手に「帝国万歳」と叫び、妻の手を取る。またある者は意中の女性に声を掛け、受け入れられれば喜び、断られれば次の杯に手を伸ばす――といった具合だ。

 洗練された様式美というには荒削りだが、しかしだからこそ、騎士爵ごときでも会場に入る事が出来たし、公爵令嬢と躍ることも出来るのだろう。


 一週間の練習の成果か、俺とガブリエラの息は合っていた。

 彼女の手を取り高く掲げると、そのままくるりと回るガブリエラ。次の瞬間には密着して、身体を寄せる。それからまた離れて、再び回る。

 常に手を繋いでいる状態だが、ガブリエラは実に楽しそうに踊っていた。

 

 一曲終ると、万来の拍手が巻き起こった。

 決して俺の踊りが上手かった訳ではない。

 ガブリエラのキビキビとした動作が、周りの人々には新鮮だったのだろう。

 確かに、まるで剣舞のような動き方だった。或は肉食獣のような足運びに、誰もが唖然としたのかもしれない。

 俺とガブリエラは手を繋いだまま周りの歓声に応え、会釈をした。


「次はあたしと躍れ、アレクシオス・セルジューク」


 万来の拍手の中、ツカツカとやって来たのは先ほどの皇女様だ。彼女が姿を現すと、誰もが拍手をやめて息を飲む。皇女が騎士爵を誘うなど異例の事態だった。


「ひ、姫。アレクシオスどのはガブリエラさまの従者でして――決して殿下と身分の釣り合う相手では……」


 テオドラの従者が跪き、彼女に再考を促している。

 俺だって、こんなおっかなそうな姫の相手は嫌だ。


「然様です、姫さま。私ごときが姫と躍るなど、恐れ多うございます」


「あたしと躍るのが恐れ多くて、どうしてガブリエラとは踊る? あたしは皇女だが無官だ。一方でガブリエラ――いや、ガブリエラどのは第六軍団長じゃねぇか。官位で言えば、あたしより遥かに上だろ。アレクシオス、お前は軍籍にある。だったら上官と躍る方が、恐れ多いんじゃねぇのか?」


 うわぁ……このお姫様、ただの脳筋だと思ってたら変な理論武装してくる。面倒だな。


「おうおう、良いではないか、アレクシオス。余がガブリエラどのと踊っている間、妹の相手を頼む。こやつは中々の跳ねっ返りでな……今までまともに男と踊ったことがないのだ。余も困っておったところ、頼む」


 そこへ駄目押しの皇太子殿下だ。

 ガブリエラは引き攣った顔で皇太子に手を取られ、広間の中央へ移動してゆく。

 俺もこうなれば覚悟を決めて、テオドラの手を取り中央へと移動するしかなかった。


 ◆◆


「あたしはテオドラ・アウグスト」


「存じています、皇女殿下」


「そして絶世の美女ってやつだ」


「見れば分かります、皇女殿下」


「……ちっ。てめぇと話してると、調子が狂っちまう」


「お互い様です、皇女殿下」


 今はバラード調の曲が流れている。さきほどガブリエラと踊ったのは、アップテンポの楽し気な曲だったのだが……。

 要するにこれは皇子がガブリエラと踊る為の曲だから、良い雰囲気にしてあげようという吟遊詩人達の気遣いなのだろう。

 だがガブリエラにとっては要らぬ気遣いだったらしく、一生懸命ユリアヌス殿下から距離をとろうと努力していた。


 一方、俺と皇女殿下は無駄に密着している。それは彼女が小声で話しかけてきたからだ。端から見れば、しっかりと抱き合って踊っているように見えるかもしれない。


 テオドラはクセの強い赤銅色の髪を束ねようともせず、顎の辺りで切りそろえていた。貴族の子女にあるまじき髪型である。

 それでも赤いドレスが似合うのは、切れ長の目に高く尖った鼻。細い顎に赤みのある柔らかそうな唇――と、つまり恐ろしい程の美貌を備えているからだろう。ちなみに瞳の色は灰色である。


「アレクシオス・セルジューク……お前はガブリエラよりも強いのか?」


「いいえ、殿下。ガブリエラさまの足下にも及びませぬ」


 ピクリとテオドラの細い眉が跳ね上がった。

 抱きしめるように躍っていたので、鼻息も荒くなったのが分かる。


「それなのにどうして、あの女がお前に従う? お前がガイナスを破ったのだろう!?」


「それはガブリエラさまと皇太子殿下の功績ではありませんか。私ごときは、何も関係ございません」


 テオドラが俺の足に足を絡め、動きを止める。強い力だが、女性の力だ。しかしポイントを押さえて極めてくるせいか、身動きが出来なくなった。


「あたしの目は節穴じゃねぇぞ。あの馬鹿(あにうえ)がガイナスに一矢報いるなんざ、できっこねぇ。死ぬと思っていた。それが生きて帰って来ただけでも驚きなんだからよ」


 先ほどよりも密着し、俺の耳元へテオドラが唇を近づけて言う。

 そこで視線を感じた俺は、右を向いた。ガブリエラが皇太子から一生懸命離れようとしながら、俺に憤怒の形相を向けている。


「デレデレするな!」


 口だけを動かし、ガブリエラが言っている。

 別にデレデレしていない。足を極められて動けないのだ。何なら助けて欲しい。「ヘルプミー」俺も口だけを動かし、ガブリエラに伝える。


「シネ、ウラギリモノ」


 なのに帰って来た言葉はコレだった。


「あたしは強い男しか認めねぇ。今までは、ガイナスだけだった。だけどお前はヤツを退けた――だからあたしはお前を見極めてぇ。勝負しろ、お前が勝てば子供を産んでやる」


「無理です。俺は殿下にも勝てないでしょう」


「馬鹿を言うんじゃねぇよ。ガブリエラからは、あたしと同じ匂いがする。アイツが自分より弱い男に従う訳がねぇんだ」


 ガブリエラの視線に気付いたのか、口元に冷笑を浮かべて一層おれに密着するテオドラさま。

 俺は彼女に諭すように言った。


「私とガブリエラは友です。互いに信頼し合っているからこそ、そのように見えるのでしょう」


「友だと? 公爵令嬢が騎士爵と――それもつい最近まで平民だった男とか?」


「ガブリエラは身分にとらわれない。それがあの方の、本当の強さかもしれません」


「よく、わからねぇ」

 

 眉を寄せ、考え込むテオドラ。その間に曲が終わったが、彼女の足は未だ俺に絡んだままだ。

 周りがざわめき始める。これではまるで、俺がいつまでもテオドラと抱き合っているみたいだからな。


 いつの間にかやってきたガブリエラが、強引に俺とテオドラを引き離す。


「テオドラさま……! 曲は終りました! 私の従者がお気に召したようでしたら、どうぞ勝負でも何でもなさって下さい。まあコイツもそこそこ剣を使いますので、お怪我をなさらぬよう……!」


 三白眼のガブリエラが、腕組みをして足を踏み鳴らす。皇太子がガブリエラの後ろでモジモジと言った。


「ガ、ガブリエラどの。このあと、余の部屋に来ぬか? 良質の酒などあるぞ」


「酒は嗜みません! 武の邪魔になるのでっ!」


 うん、そういうとこは本当にストイックだよな、コイツ。


「おやおや。テオドラさまに挑戦するのは、私が先のはずだが?」


 スッと人垣の中から、一人の男が現れた。

 青い衣服に白いクラミスを纏ったこの男の紋章は、金の蛇。即ち四公爵家の一つ、サーペンス家の者だ。

 俺はさっさとガブリエラの影に隠れ、テオドラから距離をとる。


「ふうん……誰だっけ、オマエ?」


 テオドラがサーペンス家の男を睨む。

 茶髪をオールバックで纏めた男は苦笑し「クラン・サーペンス」と名乗った。第四軍団の軍団長でもあるらしい。

 年齢は二十歳前後――テオドラと結婚しても、釣り合いは取れそうだ。


「ふうん。わかった、相手をしてやる」


 テオドラはどうでも良さそうに、中庭へ向かって歩き出した。

 これでテオドラが負けてくれれば、俺との話は流れるだろう。頑張れ、クラン。


「おい、どけ! これから試合を始める。側にいて剣撃に巻き込まれてもしらねぇぞっ!」


 ずんずんと歩き周囲の人々を追い散らすと、テオドラは腰の剣を抜いた。クランも剣を抜く。


「来いよ、サーペンス」


 無造作に構えた剣の平を上に向け、上下に揺らしてテオドラが挑発する。

 クランはゆっくりと間合いを詰め、軽くフェイントをして様子を見るようだ。


「面白くねぇヤツだな」


「姫の雷光石火の剣は、よく存じておりますので」


「ちっ……」


 焦れたのか、テオドラが動く。鋭い踏み込みからの三連――頭を狙い、それから右肩、腹――と、どれも当たれば致命となる攻撃だ。


「殺す気か?」


 ガブリエラも驚き、眉を寄せている。「だが……速い」

 しかしクランは飛び下がってかわすと、剣を振り上げ攻撃に転じようとしている。こちらの腕も上々だ。


「ざーんねん!」


 だがテオドラの攻撃は終っていなかった。突きの終った身体を捻り込むと、右足を軸にして大きく蹴り上げる。まるでサッカーボールキックだ。

 スカートがふわりと開き、テオドラの白い下着が覗いて見える。クランの視線は、思わず釘付けになった。

 テオドラがクランの股間を蹴り上げ、ゲラゲラと笑っている。


「うわ……あれは酷い」


 ガブリエラが何故か両手で身体を抱え込み、身震いしている。男だった頃を思い出しているのかもしれない。


「クランさまっ!」


 クランの従者が慌てて駆け寄り、彼を助け起こしている。


 テオドラは更に笑い、「次はいねぇか!?」と叫んでいる。

 だが、流石に先ほどの戦いを見て、彼女に挑もうという男はいない。

 クランの腕は、きっと一流だった。少なくとも、俺より強いことは間違いない。

 それなのに……。


「いねぇなら、あたしが指名するぞ! アレクシオス・セルジューク! 来い! あたしと戦えっ!」


 俺はガブリエラを見つめ、涙を流した。

 クラン・サーペンスと戦ったことで、俺と戦うことなんて忘れてくれれば良かったのに。

 

「なあ……やっぱり俺も蹴られると思うか?」


「……そうなったら、お前も女になるな」


 ガブリエラは俺の目を見ず、肩を揺らしている。

 あ……コイツ、笑ってやがる。

 人の不幸をなんだと思ってるんだ。親友なら助けろよ。

 多分この場でテオドラに勝てるの、お前だけなんだからさ……!

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