市場の出会い
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軍に望まない入隊をして二ヶ月後。五月という温暖な陽気は、軍隊を動かすには丁度良い。という訳で俺の所属する第六軍団も、晴れて出征することになった。毎年恒例の領土奪還戦だ。
俺、初陣である。すごく怖いんですけど。
そもそも俺が所属する軽歩兵という兵種とは、弓兵による遠距離攻撃の後、敵に接近。短槍の投擲によって敵に更なる打撃を与える――というものだ。
だから本来ならばヒット・アンド・ランで逃げればいいのだが……どういう訳か、装備した直剣で敵中に切り込み、しかる後に反転離脱という無茶な注文をされている。
上官曰く「少しでも敵の数を減らすことが貴様等の仕事」ということらしいが、そんなことをすれば当然こっちの数も減る。しょせん孤児なので、どんな使い方をされても文句を言う者さえいないのだ。
……やはり家族は大切だと、しみじみ思う。
ともあれ税金で今まで生き、軍に生殺与奪の全権を奪われた俺としては、どう足掻いても今の身分をどうこう出来るはずもない。
だからここは何としても兵役期間の二十年を全うし、その後の人生を平民としてつつがなく暮らしていくのがせめてもの望みだ。その中で百合っぷるを見つけ、愛でる。もはや楽しみはそれしかない。
とはいえ満期で退役出来れば、それなりのお金も貰える。何より孤児とはいえ、俺は一応ながら貴族の出身。生き残れば、国家にそれなりのポジションを用意してもらえる可能性もある。だから多少姑息でも、この戦争で死ぬ訳にはいかないのだ。
――――
晴れ渡った空に、鳶が飛んでいる。
俺は欠伸を噛み殺しつつ、荘厳な宮殿の中庭にいた。白亜の露台に立つ男は豪奢な緋色のマントを羽織り、黄金の冠を身につけている。皇帝バルダネス陛下だ。
「……諸君の忠勇に期待するや切である」
俺の部隊は戦場において最前線でも、皇帝陛下の訓示では最後尾だ。きっと大きな声で話しているんだろうが、大半が聞き取れない。
ここはペドリオン宮殿――中で暗殺された皇帝は数知れず、陰謀と謀略と権力の中枢だ。バルダネスはそんな中で曲がりなりにも二十年、皇帝として生きてきた。ならば無能とは程遠いのだろう――と思うが、遠くて彼の表情も見る事が出来なかった。
こんなことを考えてしまうのも、歴史好きな俺の悪いクセだ。彼が地球の君主だったら、どの程度の存在だろうか、と比べたくなる。
皇帝の訓示が終ると、今回の司令官である皇太子殿下が宣誓をした。「身命を賭して勝利いたします」的なことを言っていたと思う。
それらが終ると、すぐに俺達は行軍を始めた。
しばらく進むと軍は帝都ウォレンスの黄金門を抜け、北西へと向かう。
今回の目標は難攻不落を謳われる要塞、モンテフェラート。当面の目的地は、そこに接する属州、パンノニアだ。
パンノニアには三つの城塞都市があるが、そのうち二つまでもが敵将ガイナスに奪われていた。しかも奪還に向かった将軍達は今まで皆、敗れているという。
ガイナスというのは、名将の誉れ高い男だ。軍に入って以来、彼と戦って生き残ったという者に何人か会ったが、気がつけば負けていたという。
よくよく状況を聞けば、中央の兵を後退させてからの半包囲。それから騎兵を背面に向かわせての包囲殲滅。あるいは騎兵による側面攻撃からの半包囲など……戦術としてはハンニバルに近いという印象を受けた。
そこで満を持して第一皇子であるユリアヌス殿下が兵を率い、これの討伐に向かうという訳だ。
ユリアヌス殿下といえば、戦争の天才(自称)とのこと。
確かにこの手の戦術を打ち破る手はあるし、事実、戦争の天才なら打ち破るのも容易いだろう。
だがな……俺はさっき見たの太っちょ皇太子が、戦争の天才とは思えないのだが。
まあいい……この戦いで死ぬなら死ぬで仕方がない。それなら来世は、百合の愛を見守る係の天使にでもなりたいものだ。
とはいえ我が軍は第二、第五、第六の三軍で三三〇〇〇の大兵力。対して敵は全軍でも二〇〇〇〇。この兵力差で押し切れば、いくら相手が名将でも勝てるかもしれない。
それに我が第六軍団を率いるのは、なんと俺と同い年の公爵令嬢ガブリエラ・レオさまだとか。
彼女は太陽の女神と呼ばれる程に輝く美しさを持った、金髪碧眼の美女だって話だ。簡単に負けて死んで欲しくない。彼女と皇女のイチャラブとか、想像するだけで尊いよ。ハアハア。
もっとも捨て駒要員で構成されるウチの部隊は、全軍の先頭を貧弱な装備で進む。やはり現実を考えれば、俺の死ぬ可能性はけっこう高い。
そして六月。
緑が萌えるように青々と茂る草原の中、広々とした街道を通りパンノニアに唯一残った都市であるバッコスに俺達は入った。
石造りで二層の城壁を持った都市は、帝都ウォレンスを三周りほど小さくしたような作りだ。
街の中心には教会があり、行政長官の屋敷がり、駐屯軍の兵舎がある。それらを囲むように住宅街が広がり、もっとも外に近い場所に市場があった。
俺達が規則正しく街の中に入ると住民は皆、顔を背けている。どうやら歓迎されていないようだ。
それもそうだろう――敵は解放軍と自称し、民衆の味方だと言っている。一方で我々帝国軍は、属州を一段下に見なしているのだ。
駐屯軍にしても、我々正規軍と同じ扱いではない。いわゆる補助軍と呼ばれて、俺達よりも低レベルな装備しか与えられていないのだ。我々が来なければ、さっさと寝返りたかったのかもしれない。
街に着くと、俺達は二日の休暇を与えられた。つまり三日後には再び行軍し、戦地に向かうということだ。少ないながらも賃金を貰い、隊長からは「自由にしていい。なんなら、男になってこい」と言われた。
たぶんきっと夜の街に繰り出せば、優しいお姉さんが俺の童貞を奪ってくれるのだろう。お金次第で。
とはいえ、俺はプロの童貞だ。男と女のおせっせなどに興味はない。女と女が合体してこそ、世界に意味が生まれる。それが俗物どもには分からんのだ。
という訳で俺は広場に設置した天幕に武具の類を置き、颯爽と街へ出た。辺りは良い具合に朱色に染まり、夜の帳が降りようとしている。
そんなことより、何はともあれ買い食いがしたい。今日は俺の意思で、俺の食いたいモノが食えるのだ。嬉しい。
何しろ今までの俺は金に縁がなかったし、自由にも縁がなかった。
孤児院にいた頃にはお金なんて貰えるはずが無く、軍に入ってからは二回ほど給料を貰ったが、宿舎から一日も出られなかったのだから。
そういう意味で俺は今回の人生で初めて、ようやく自由を味わい金を使う時間を得たのである。
◆◆
お金を持った俺がまず向かったのは、街の外れにある市場だ。
道路に面して並んだ飲食店の一帯を見つけると、一つ一つ丹念に中を覗いてゆく。
「いらっしゃい!」
「うちのスープは美味いよ!」
この辺りは内陸だから、魚料理は少ない。しかし子やぎ肉の串焼きや、豆を煮込んだスープなど、魅力的な料理の匂いが俺の鼻孔をくすぐった。
特に串焼きなんて軒先から立ち上る煙のせいで、足がうっかりそちらへ向いてしまう。
“とん”
鼻をヒクヒクさせながら歩いていると、思わず人にぶつかってしまった。それなりの人通りがあって、混んでいたというのもある。
それに軒の上に連なった看板をキョロキョロと眺めていたから、自分よりも十センチくらい低い身長の相手が見えなかった。
ちなみに俺の身長は、百八〇センチくらい。この国では大きい部類に入るし、黒髪黒目という特徴も珍しい。魔族の血が混ざっているんじゃないか、なんて孤児院ではよく言われていた。
「すみません」
俺が丁重に頭を下げると、相手はややつり上がった青い目で俺を睨んでいた。小さいけれど、気が強そうだ。
「おい、おれの串焼きが落ちただろうが」
相手はフードを被っていて輪郭が隠れている。まるで鈴の音のような声は、女性のようだ。というかローブのような衣服を着ていても、胸に膨らみがある。間違いない、女性だった。
そして地面に目を向ければ、確かに串焼きが落ちている。女性の怒りの原因は、コレらしい。
「あ、ああ……じゃあ、新しいのを買います」
「そういう問題じゃない。子やぎの命を無駄にしやがって」
命って、あーた。落ちたってアリさん達が食べてくれれば、無駄にはなりませんよ。と思ったものの……恐ろしい剣幕で睨まれて、心の弱い俺は色々と折れた。
「あ、ああ……じゃあ、食います」
俺は落ちた串焼きを口の中に入れた。多少、砂のジャリジャリ感があったが、食べられないほどじゃない。
日本人であったころの俺なら遠慮しただろうが、孤児院育ちの新米軽歩兵を舐めんなよ。
女性の目力に涙目になりながらも、俺は串焼きを完食した。
それから俺は店で串焼きを一本買うと、怒っていたフードの人物にそれを渡す。怒りを鎮め給え……。
「ど、どうぞ」
「いや……何もそこまでしなくても……。その、怒ってすまない……君がわざとおれにぶつかったのかと思ったから。どうやら、悪気は無かったようだな」
雑踏の中、フードの人物が頭を下げる。人ごみの中には、俺と同じ兵士が多い。それは鉄板を部分的に貼付けた簡易鎧を脱いだだけの、くすんだ麻服を着た人々の多さを見れば一目瞭然だ。もちろん俺も死んだ誰かのお古である、くすんだ麻服を着ている。
「いえ、いいんです」
俺が手を振って「気にしていない」アピールをしていると、いきなり悲鳴が聞こえてきた。
「キャー!」
兵士のいるところ、トラブルあり。まあね、日本人だった頃でさえ、米軍の問題があったんだもの。この文化レベルの兵士が駐屯して、街で問題が起きないはずも無い。
どうせ猛り狂った兵士が、女性にちょっかいを出したんだろう。馬鹿が。
「こらぁ、女ぁ! こっちにこいー!」
道路の反対側に目を向けると、同じ麻でも俺よりはマシな服を着た男が女性の腕を掴んでいる。あれは重装歩兵だ。いわゆる中産階級出身者で、指揮官は必ず騎士爵以上の者がなる。だからこそ属州を下に見て、住民に対し暴挙に及ぶのだろう。騎士爵が聞いて呆れる。
俺は溜め息をついて、そっと眠りの魔法を唱える。
「ヒュノプスよ、かの者を安らかなる夢の世界へ誘い給え……」
途端、男の膝がガクリと揺れて、石の地面にキスをした。周囲の者はざわめき、女は逃げる。
俺は素知らぬ顔でフードの人物に「じゃ」と告げると、今度は俺が腕を掴まれた。
「お前、ちょっと来い」
なんで?
「魔法を使っただろ?」
え? バレた? 小声で呪文を唱えたし、この格好なら魔法を使いそうには見えないと思うんだけど。
「いや、使ってないっす」
「いいから来いっ!」
うわ、この子。女性なのにすごい力だ。俺だってそれなりの力を付けたつもりなのに、まったく抵抗できない。
俺は腕を引かれたまま、一軒の店に入った。“銀竜亭”という看板がある。強そうな店だ。
実際に石造りのこの店は、随分と頑丈そうである。一階がレストランになっていて、二階と三階部分が宿のようだ。
女性は勝手知ったる場所なのか、スタスタと足を奥へ――三階まで進める。そこは個室になっていて、それなりに高そうな部屋に見えた。
まさか彼女は売春婦? むむ……だがもしかしたら、男の娘という可能性もあるぞ。ならば、あの力強さも納得できる。
ともあれ俺は三銀貨しか持ってないので、支払いがとても不安になった。
「あの、おいくらで相手をしてもらえるのでしょうか? 私は童貞でして、本来ならば百合に全てを捧げておりますゆえ、あまりこういうのは……お金もあまり持ち合わせが……」
「何を勘違いしている! 殺すぞ!」
「ひぃぃ」
「……くだらない芝居はやめろ。お前、兵士だろう? それなのに魔法が使えるなんて、おかしいじゃないか? 皇帝陛下直属の密偵ではないか? ならば伝えたいことがある」
個室に入るとフードをとって矢継ぎ早に質問を俺に浴びせる人物は、やはり女だった。背中まで届きそうな金髪を後頭部で纏め、垂らしている。いわゆるポニーテールだが、アホ毛が一房揺れていた。
ローブの下から覗く衣服は上質の絹で、海を思わせる青色をしていた。よく見れば腰に剣を吊るしているから、間違いなく彼女は貴族だろう。
だとすると、どこかの隊の指揮官か。もしかしてさっき眠らせたヤツの上官とか。だとしたらヤバいけど……。
けれど俺を“密偵”と勘違いして、話したがっているようだ。それなら咎められる訳じゃないだろうな。だったら嘘をつく意味も無い。正直に言おう。
「いえ、密偵じゃありません。教会で育ちました、魔法の素養があったようです。だから教えてもらったんですが、簡単な魔法しか使えません」
「密偵じゃない? 何を馬鹿なことを。魔法が使えるだけで、帝国は優遇措置をとっているはずだ。それなのに……その姿は軽歩兵のもの。そんな馬鹿なことが……」
「早くに父を亡くしました。孤児院で育った者には、そのような機会すら与えられません。そんな馬鹿なことが起こるのが、今、この国の現状でしょう」
「……なるほど。だったら、おれの部下になれ。魔法使いなんて、そうそういるものではない。優遇してやる。国の現状は変わらなくても、お前の境遇は良くなるはずだ。賢者の学院にだって通わせてやる! どうだ?」
なんだろう、この子。すごい美人なんだけど、アホの子なのかな?
初対面の相手なのに、熱烈な勧誘をしてくる。だいたい誰なんだ? 随分と偉そうだし。
そもそも魔法使いと云っても、ピンキリだ。俺の力なんて、睡眠薬と絆創膏程度のものなんだぞ。隕石を呼んじゃうレベルの人と比べれば、塵とロケットくらい違うのだ。
それに賢者の学院に行っても、今更だろう。魔力が伸びるのは、だいたい十五歳くらいまで。その期間はもう過ぎているし。
いや……だけど魔法体系は少し知りたいかも……うーん。本当に通わせてくれるのかな……?
「貴方の部下って……俺、貴方の名前も知らないんですよ? それに俺の力は眠りと小回復限定でして……何より魔法使いとして力を伸ばすには、もう遅いんですが……」
「そ、そうか、そうだな、すまない! おれの名はガブリエラ・レオ。おれは魔法がまったく使えないんだ。それで魔法を使えるヤツをみるとつい、尊敬してしまう!
もっとも武の道を究めるのに魔法など必要ないとは思うが……なんというか、憧れというか……」
頬を指でポリポリと掻きながら、照れくさそうに彼女が言う。
ていうか、ガブリエラ・レオだって? それならこの人、第六軍の司令官じゃないか。
串焼き落とした位で怒ったりして、何を考えてんだ。
だけど……他人とは思えないんだよな。
目付きとか、雰囲気とか……何となく見覚えがある。なんだろう……。
「それにな、お前がおれにぶつかってきた時から、他人という気がしなかったのだ。お前と話をしなければならないと思った。それであんな物言いをしたが……それも重ねて謝る」
俺は首をひねり、考えた。
こんな美人の知り合いなんていない。
そもそも孤児院で知り合った幼なじみの女子が、仮に何かのきっかけで公爵家に引き取られていたとしよう。ならば……彼女はふくよかな体型だったはず。
「あの、ガブリエラさま。もしかして五十キロくらい痩せました?」
「キロ!?」
「あ……えと、二アンフォラ」
「お前、キロと言ったな!? 何のつもりだ」
「ええと……遥か遠い未来、或は過去の重さの単位と申しましょうか……」
「お前、この言葉を知っているか? “トウキョウ”」
もの凄く真剣な目で、ガブリエラさまが言った。その言葉は俺の前世で首都だった場所。つまり――
「ガブリエラさまも転生者なんですか?」
「……そうだ。日本人の男だった」
俺は思わず、ニヤリと笑った。TSだ。こんなに美味しい話は無い。しかもトウキョウの名が出るなら、少なくとも明治時代以降に生きた日本人だ。
「ブラボー、TS転生者ゲット」
ガブリエラさまが拳を握りしめ、今にも俺を殴りそうになっていた。