皇女殿下
◆
あれから一週間――日々ガブリエラに踊りの練習を付き合わされた俺は、ヘトヘトだ。
もちろんミネルヴァにも、練習の手伝いはしてもらった。しかし彼女は逆に上手過ぎて、ガブリエラがまるでついて行けない。
それに密着したがゆえに深い話をしてしまったらしく、それがガブリエラの精神状態を悪化させた。
「ミネルヴァ! お前、どうして躍れるんだ!?」
「私、婚約者がいたから。それなりに殿方の相手は出来るのよ」
瞼を忙しなく瞬いて、ガブリエラはきょとんとしていた。
「こんやく?」
「だいたい貴女が変なのよ。公爵令嬢でありながら、婚約者の一人もいないなんて」
「お、おれはだって、男に興味ないから……」
「興味の有る無しの問題じゃないわ。家の為には必要な事じゃない。ましてや貴女は一人娘なんでしょう?」
「う、うるさい! 腹違いの弟だったらいるし、いざとなったら従兄弟だっている。家のことは大丈夫だ!」
「そうだとしても、貴女は少し我が侭ね」
「どうしても、出来ないことだってある……もういい、アレク! やっぱりお前が練習に付き合え!」
どうもガブリエラはミネルヴァに、自分がTSしたことを伝えていないらしい。どういうつもりか知らないが、彼女の前では生粋の女として振る舞っているようだ。
そんな訳で、密着するガブリエラとミネルヴァを見る事が出来たのは眼福だったが、結局のところミネルヴァが指導し、俺がガブリエラの相手役を務めることになってしまった。
お陰で俺まで踊れるようになってしまったのは、ささやかな副作用であろう。
――――
今日は舞踏会当日。
ガブリエラは着慣れないドレスを着て髪を飾りを付け、出かける準備に勤しんでいる……らしい。そんな中、どういう訳か俺がエスコート役ということになってしまった。
確かに彼女を会場に送る役は男だ。しかし、それはセルティウスさんに任せればいいのではないだろうか? そう思っていたのだが、ガブリエラの「よろしく頼む」の一言で俺に決まってしまったのだ。
なので俺は一応、騎士爵の正装――いわゆる緑の長衣に剣を佩き、青いクラミスという服装でガブリエラを待っている。対してガブリエラは、公爵令嬢に相応しい盛装で現れた。
長い髪は後ろで丁寧に纏められ、銀のティアラを頭に乗せている。ドレスは腰を絞ったいわゆる中世的なものではないが――ゆったりとした、青に銀の刺繍を鏤めた鮮やかで華やかな衣服だ。
これは彼女が女を強調するデザインを嫌ったというよりも、時代の流行だろう。肘の先で白いヒラヒラとした袖口が揺れている。
「剣、おれの剣は!?」
邸の玄関から出るなり、ガブリエラが喚いた。メディアがあきれ顔で見つめ、頭を左右に振っている。
「女性の帯剣は、許されておりません」
「お、おれはおれだぞ!」
地団駄を踏むガブリエラだが、誰がどう見ても絶世の美女なので剣は貰えなかった。
俺は二頭立ての馬車の扉を開き、ガブリエラに視線を送る。元男なのに、哀れな――としか思えない。だけど驚く程に綺麗なのは、せめてもの慰めだろうか……。
車寄せまでやってくると、頬を紅潮させたガブリエラが俺を見て喚く。既に泣きそうな顔だ。
「一曲踊ったら、すぐに帰るからな……!」
ほんのりと薔薇の香りが漂ってくる。香水も付けられてしまったのだろう。御愁傷様なガブリエラだ。可哀想なので頷き、馬車の中へと彼女を促した。
スカートの裾を持って階段を上る彼女は、今や誰が見ても淑女である。
「行こう」
御者に声を掛け、前後を確認した。前はセルティウスとメディアが護衛に付き、後ろはヴァレンスがレオ家お抱えの魔術師と共に守るのだ。既に四人は馬上で待機し、出発を待っている。ガブリエラの準備が少し遅れたせいだ。
ここで「女は準備に時間が掛かるから」なんて言えば、きっとガブリエラは発狂するだろう。
ちなみに俺がガブリエラと同じ馬車に乗るのは、彼女たっての願いだからだ。
「エスコートだろ。同じ馬車に決まってる」
という訳で、侍女と共に俺もガブリエラの馬車に乗ることとなっていた。
「あ、言っておくけど俺、会場までは入れないから。エスコートはその手前までだから」
馬車の扉を閉じ、ガブリエラの隣に座ってから言う。なるべく彼女の顔を見ない様に、見ない様に……。
「はぁ? それじゃ意味がないだろう?」
ガブリエラが顔を寄せてきた。左右の眉を非対称にした、不快感を表す表情をして。侍女が「姫さま、はしたない」と嗜めている。
大丈夫、コイツの九割ははしたなさで出来ているから。
「仕方ないだろう。俺は騎士爵、お前は公爵令嬢なんだぞ?」
「同じ貴族じゃないか」
「帝国に四つしか無い家と万の単位である家とじゃ、格がまったく違う」
「じゃあ、おれに一人で皇太子と躍れっていうのか!」
「もともと一対一で躍るもんだろ。いまさら騒ぐなよ」
「うう……今まで社交界とか、避けてきたのに……」
「……ま、せいぜいクロヴィスどのに見せつけてくれ。皇太子とレオ家の蜜月ぶりを」
「やだ」
「やだって、お前……」
やだと言ったきり、窓の外を見つめるガブリエラ。整えられた街路樹が月明かりに照らされて、ひっそりと佇んでいる。
四公爵家たるレオ家の邸から皇宮まではすぐだし、その内部にある皇太子の邸へも、数分の距離だ。獅子の紋章を掲げた馬車を止める者は、誰もいない。
俺も反対側の窓から外を見つめ、溜め息をつく。最近のガブリエラは、何だか少し我が侭だ。
「お前も中に入れるよう、頼んでみる。護衛として……」
「いや、お前に護衛なんて必要あるのか?」
「今日は剣、持ってない。おれに何かあったら、お前はどうするんだ」
「どうって……後悔くらいはする」
「ふ、ふうん、後悔くらい、なんだな! そうだ、ディアナやミネルヴァがいるもんな。どうせそのうち、おれの事なんか忘れて楽しくやるんだろうさ!」
「馬鹿な事を言うなよ。お前に何かあって、そのあと楽しいはず無いだろ」
「……だったら、一緒に来てくれよ」
不安そうな顔で俺を見つめるガブリエラ。流石に邪険には出来ない。
「じゃあ、許可が下りたら……」
暗い馬車内でも分かる程、ガブリエラの表情は不安に満ちている。俺は彼女の肩を軽く叩いて、戯けてみせた。
「別に何をされるってことも無い。皇太子殿下は、お前とお近づきになりたいだけだ」
「おれは誰ともお近づきになりたくない! おれはお前がいれば、それで……」
「それは……俺だってだけど」
なんだか意味深に、侍女が俺達から目を逸らしている。いや、だから――別にそういう関係ではなくて、だね。
◆◆
皇太子の邸に到着して早々、俺はガブリエラの手を引いて広く長い階段を上る。
エスコート役だから当然だが、周囲の人々が彼女の姿を認めて溜め息をついていた。
「あれがレオ家の……初めてのお目見えですわね」
「ほう……たいそうお美しいと聞いていたが、これ程とは……」
「テオドラさまに勝るとも劣らぬ」
「しっ……今日はテオドラさまも来られるのだから、めったなことを言うものではありません」
確かにガブリエラは、端から見れば絶世の美女。だけどそれに勝るとも劣らないというテオドラっていうのは、本当なのか?
アルカディア美女図鑑にも筆頭に載ってるらしいけど、皇室効果で言われているだけじゃないのか?
こんなことを考えていたら、さっそくガブリエラが門衛の一人と話を始めた。当然、俺の同伴が目的らしい。
三メートル程もある赤い扉が今は閉ざされているのは、俺の処遇をどうするか決めかねているせいだった。
後ろには、この国有数の貴族達が列を作って待っている。ガブリエラは気にする素振りも見せないが、それが出来るのも彼女が四公爵家の一角を占めるレオ家の令嬢だからであろう。
ヒシヒシと殺気を感じる俺としては、頭を掻きながら誤摩化す他に手を見つけられないのだ
が。
「今日の主賓のお一人であられるガブリエラさまのお頼みとあらば、お通しするようにとの殿下よりのお達し。されどセルジュークどの。騎士爵の身分で中へ入るなど異例のことなれば、言動には慎みをもたれよ」
「はっ。御配慮、感謝いたします」
「なんの、私に礼を言わずともよい。これはガブリエラどのと貴殿への、殿下よりの特別な御配慮である。以後、忠誠を尽くせよ、ガイナス破りの英雄どの」
なんだか、変なところで名前が一人歩きしている。きっと伝言ゲームのように、どんどん尾ひれがついているんだろうな。
門衛の男がガシャリと音を立て、俺の肩に手を置いた。
邸の中に入ると、エントランスが巨大なホールになっていた。その先は中庭に繋がり、篝火が焚かれていて昼間のように明るい。
音楽は既に流れていた。といってもクラシックのような楽団が居る訳でもなく、皇室お抱えの吟遊詩人達がそれぞれに楽器を手にしている状態だ。
今は彼等が貴族達の輪の中心に入り、様々な詩を語っている。
ある者は四行詩で魔族の儚さを歌い、ある者は東方の詩で昇竜族の悲哀を物語る。
今は雑多な人々が歓談に興じている――といった雰囲気だ。ちょうどクロヴィスに会ったので、いつダンスが始まるのか聞いてみた。
「ほう? 卿も来たのか。殿下も太っ腹なことだ。騎士爵に過ぎぬ者を入れるなど」
「殿下はきっと、開明的な君主におなりあそばすでしょう」
「ふん……帝国が開明的な君主を許せばな」
「……それよりもクロヴィスどの。お聞きしたいことがあるのですが」
「答えられることと答えられぬことがあるが……」
「いつ、踊り始めるのでしょうか?」
「そんなことか」
踊る時は、吟遊詩人達が一斉に同じ曲を奏でるのだという。作法という作法があまり存在しないのは、今の皇妃が平民出身であることにも関係しているのかもしれない――とのこと。
「――なるほど、ありがとうございます」
俺はクロヴィスに挨拶をして、その場を離れた。ガブリエラはずっとそっぽを向いて、彼を見ようともしない。
もっともクロヴィスはディアナに執心しているので、ガブリエラに無視されてもまったく平気なようだった。
今日は舞踏会ということで、食べ物はあまり供されないようだ。その代わり飲み物を銀盆に乗せた給仕が辺りに侍り、客をもてなしている。
食べ物は胡桃やナッツなど、かわきもの程度ならあるようだ。
多分だが、ガブリエラが晩餐会を嫌ったのは、この国の文化である「ベッドで寝ながら食事」の風習だろう。皇太子と隣り合って、ベッドで横になりたい訳が無い。それなら躍る方がマシ、といったところか。気持ちは理解できる。
やがてファンファーレのような音が鳴り、皇子が中二階の踊り場へ姿を現した。
相変わらず赤い衣服だが、僅かばかり体重が減ったのかもしれない。ポッコリお腹が少しだけ凹んでいる。
腰に佩いた剣は黄金色の鞘で、装飾もケバケバしい。ガブリエラが隣で、
「絶対斬れないぞ、あの剣」などとぶつぶつ言っていた。
「やあやあ、諸君。今日はよく来てくれた! 特にガブリエラどのに重い腰を上げてもらえて、余は胸もはち切れんばかりの嬉しさであるぞ!」
皇太子の挨拶に、悪態をつくガブリエラの言葉は止まらない。「はち切れるのは腹だ、腹」
「ともあれ、日頃の苦労を忘れ、今宵は存分に楽しんで欲しい!」
満面に笑みを浮かべる皇太子は、下方に立つガブリエラを見つけると手を振った。その間に豪奢なドレスを着た女性が進みでて、彼に金色の杯を手渡す。
赤銅色の髪の彼女は、ユリアヌス皇子と同じく赤い服を身に纏っている。何より、もの凄く美人だ。比べる訳ではないが、ガブリエラと並んでも引けを取らないほどに美しい。
「おお、そうだ、紹介しよう。今日は我が妹――テオドラも来ているのだ。彼女ももう十六、良き伴侶を見つけねばと思っておるようでな。皆の者、テオドラと話をしてやってくれ!」
「ヴァーカ! あたしがそんなこと思う訳ねぇだろ! 冗談は腹だけにしろよ、馬鹿兄貴! 話なんて、誰もともしたくねぇよ! 公務だっていうから来たんじゃねぇか! ふざけやがって!」
だが、テオドラさまはとても口が悪いようだ。兄のたるんだ腹部を摘むと、揺すりながら文句を言っている。
「言っとくが、あたしは誰の妻にもならねぇ! しいていうなら剣術だけが恋人だ。我と思わんものは掛かって来い。あたしに勝てたら、少しだけ考えてやらぁ!」
袖をたくし上げ、何故か腰に佩いていた剣を抜くテオドラさま。俺の隣でガブリエラがプルプルと震えている。
「あの女! 剣を持ち込んで……!」
「いやまあ、皇女だから。公爵令嬢より皇女の方が上だし、羨ましいだろうけど、ちかたないね」
「ぶっ殺してやる、あの女」
「ん? 剣で勝負するの? だけどガブリエラ。勝ったら彼女と結婚とかなるかもよ?」
「いるか、あんな男女!」
「それを、お前が言っちゃう?」
アイスブルーの瞳でテオドラを睨みつけ、ギリギリと奥歯を鳴らすガブリエラ。それに気付いたのか、テオドラがこちらを見下ろし、口元に冷笑を浮かべている。
ふと、テオドラが俺に目を向けた。「ほう」と口元が動く。
「で、では、ともあれ今日は楽しんでくれ、皆の者!」
皇太子が杯を高く掲げると、皆も手に持った杯を掲げる。俺も同じくだ。
こうして、なにやら不穏な舞踏会は始まったのである。