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シグマの血脈

 ◆


 アレクシオス達と別れ、ミネルヴァと二人きりになったディアナは厩舎の中で一頭の馬を見上げている。


「くさい……死んで骨だけの馬の方がマシ」


 自分の馬を引き、ディアナの側を通ったミネルヴァが怪訝そうに声をかけた。


「あなた、自分の馬はどこなの?」


「部屋。乗れないし、死んだから骨だけ残してる」


「は? じゃあ病院にどうやっていくつもりだったの?」


「乗り合い馬車」


「あのね、一刻を争うって分かってないの?」


「一刻を争ったところで、死人は蘇らないもの。慌てない、慌てない」


「そういう意味じゃなく、クロヴィスがペトルスの死体を焼くかもしれないでしょ! そうしたら証拠も何も残らないのよ……!」


「クロヴィスは証拠隠滅なんてしないね。むしろ死体を残して、ボクをおびき寄せようとしてるんじゃない?」


 馬を見上げてぶつぶつ答えるディアナの姿に、ミネルヴァは呆れた。


「何の為によ?」


「ボクを攫う為かもしれないし、そうすることも出来るぞって脅す目的かもしれないし……単純にアレクの策を見抜いて、阻止する為かもしれない。けど、そこは分からないよ」


「そう、確かにクロヴィスが貴女に執着していることは知っているけれど……だったらアレクシオスさまに言えば良かったじゃない。私達二人じゃ危険でしょ」


「別に。恭……アレクのことだから、どうせその辺のことも考えてるよ。あと人間は昇竜族に勝てないって言ってたけど本当のところ、どうなの? お姉さんには何か切り札が、ありそうな気がするんだよね。リーが変身するように、お姉さんも変身できるんじゃない? 眼の色だって変わるんだもの、不思議じゃないよね……フヒヒ、フヒヒ、その中身、どうなってるの? 見たいなぁ、ねぇ、見せてよ? 切っていい? どういう仕組みか知りたいんだぁ」


「き、切るって……ハァハァ……貴女ね……もういいわ。つまらないことを言っていないで、行くわよ。さ、後ろに乗りなさい」


 一瞬だけ恍惚とした表情を浮かべたミネルヴァは、しかし頭を左右に振って馬に飛び乗った。それからディアナの襟元をつかみ、ひょいと持ち上げ後ろに乗せる。

 その力は人間のものを上回る――とディアナは思った。しかしガブリエラの力もまた常規を逸しているようなので、こうしたことからも様々な推論ができる。

 ミネルヴァにしがみつき、ディアナは考えた。


 ――例えば勇者に戦神クラスの者の加護があったとして、ミネルヴァが人間ならそういう類の存在なのかな? だとしたら彼女と互角に戦うっていうガブリエラはどうなんだろう。

 いやいや、勇者はもっと上の者の加護があるのかもしれない。地を裂き海を割なんて、彼女達には到底無理だろうから。

 どっちにしろ、力の源である神々や悪魔を等級で分けた方がいい。やっぱり、異界の者と対話しないと……フヒヒ、フヒヒ、興味は尽きないね。


「ねぇ、後ろでフヒフヒ笑わないでくれる。気持ち悪いんだけど……」


 馬を走らせ街道をゆく中、常に薄笑みを浮かべるディアナにミネルヴァが言った。

 彼女としてはアレクシオスとガブリエラ、ディアナ、三人の絆が気になるだけに、同性でありガブリエラよりは理屈の通じそうなディアナと話してみたいと思っていたのだが……。


「ん? ボク笑ってた? フヒヒ。ちょっと研究したいことを見つけてね。ああ、それにしても綺麗な髪だね。顔もとっても綺麗。きっと中身も綺麗なんだろうねぇ……ミネルヴァさんはぁ……フヒヒヒヒ。はぁ、切ってみたいなぁ」


 ゾクリとして背中を丸めたミネルヴァは、しかし同時に切り刻まれたい――とも少し思った。真性ドMな性分が、ディアナへ対する不思議な好感情を生み出した瞬間である。


「き、切られても治してもらえるのかしら……?」


「ボクは医者だよ? もちろん治すし、たとえ死んでも骨だけにして復活させてあげるから」


「そ、そうなの、エヘヘ……それならいいかも……」


 「いいわけないだろ!」と言ってくれるツッコミ役が不在のため、二人の会話は百万光年の彼方へと逸れてゆく。

 だがしかし病院に到着するころ、二人の仲はすっかり親密なものとなっていた。


 ◆◆

 

 ユリアヌス麾下に属する第二軍団の病院施設は、公衆浴場だったものを使用している。

 石造りで三階建てのそれは、今のところ溢れるほどの人数を収容してはいない。先の戦いで負傷したものは大半が死ぬか軽症だったので、数ヶ月に渡る入院を要する者は少なかったのだ。

 

 ミネルヴァは近場の木に愛馬の手綱を結び、ディアナの手をとり馬から下ろす。それから門衛の下へ行って用件を告げた。

 ここは第二軍団の施設といっても、平時は民間にも解放された病院である。入院患者の見舞いだったり、行方不明者を探す為に死体安置所を訪れる人も少なくないのだ。

 ゆえにディアナとミネルヴァはすんなりと施設の中へ入り、目的の場所を目指すことが出来た。


「死体は地下にあると聞いたけれど……」

 

 ミネルヴァは地下へと続く階段を見つけたものの、どうも様子がおかしい。半裸の男達が行き交い、笑い声を上げているからだ。


「あっちは温浴施設だね。病院といっても、もとは風呂だから。あの地下はたぶんお湯を湧かす場所だよ。ちょっと待って」


 大きな柱の影に行き、ディアナが眼を瞑る。ボソボソと呪文を唱えると、彼女の周りを冷気が覆った。薄く唇を開いたディアナの口から、「オオオォ、私を捜してくれているのか、ディアナァァ」とおぞましい声が聞こえてくる。


「無念だったろうね、ペトルス。今はどこにいるの?」


「……クロヴィス、クロヴィス、クロヴィスゥゥゥ……!」


「答えなさい、ペトルス」


「暗い……暗い闇の中……」


 大きく右手を振り、ディアナが振り返って歩き出す。一方の赤い瞳が怪し気に輝き、対をなす緑眼との陰影がより際立つ。その姿はまさに幽玄の美を思わせた。

 周囲の男達がディアナの姿を認め、視線を向ける。それを隠す様に仮面のミネルヴァが横に並び、大きな圧を放った。それでも近づく男達に、「それ以上寄らば、命の保証はせぬ」と言い放ち、冷然とした紫眼を向ける。

 彼女もまた圧倒的な美貌を持っているにも関わらず、男達は仮面を取れと言う事も出来ない。彼等は皆、引き攣った笑みを浮かべて足早に去ってゆくのみだった。


 向かった先は回廊を大きく迂回し、中庭を越えた反対側の地下だ。

 中庭では幾人もの患者がリハビリを行っており、医師達が見守っていた。

 主に手足を失った者が義手や義足の調整を行っているのだが、魔法による補助がある為、性能は極めて良い。むしろ義手にした方が力が強くなったり、足が速くなったりするケースが多いのだ。

 とはいえ込めた魔力にも寿命がある為、万能という訳にはいかない。定期的なメンテナンスが必要となるので、あえて義手や義足を望む者もいなかった。


「……極端な話、脳機能さえ維持できれば命を繋ぐことは出来るんだよ。フヒヒヒ……」


「帝国の医療は、そこまで進んでいるの?」


 歩きながら義手を眺めてディアナが言うと、ミネルヴァが目を丸くして驚く。


「まさか。脳機能だけを維持することが難しい。酸素を送らなきゃいけないし、その為には血液の循環が不可欠。そうなると必然、血液を濾過が必要で栄養分を取り込む必要もある。すると、あらゆる臓器が必要になる道理……」


「それを魔法や魔術で代用しようと研究しているの……?」


「代用、というと語弊がある……再生、あるいは強化再生……だからといって人が不死になることは望ましくないから……ボクの可愛い死体ちゃんがなくなるなんて考えられないし……」


 顎に指を当てて歩を進めるディアナは思考の渦に飲まれてしまったのか、何も無いところで躓きよろけている。大きく揺れた黒髪から、仄かに薔薇の香りがした。


「あら、香水? 気にするような人には見えなかったけれど」


 ミネルヴァをじろりと睨み、ディアナが言う。


「気にしてなんかいないけど、最近はアレクが毎日くるから……」


 呟いたミネルヴァは狂気じみた少女の横顔が、ほんのりと赤く染まる様を見た。案外コイツもライバルなのかと思うと、殴りたくなってくる。

 そもそも、アレクシオスの好みがまったく分からない。今まで自分が言い寄って、靡かなかった男など見た事のないミネルヴァだ。容姿に対してそれなりの自負もある。なのにアレクシオスは、奴隷となった自分に手を出そうともしない。

 百合がどうのこうのと言っているが、女同士が仲良くしている様を見ているだけで喜ぶ男など、本当にいるのだろうか? 上手く逃れているだけの様な気がする。だとすれば、自分に魅力が無いと言われているようなもの……。

 当初はアレクシオスを利用しようと考えていただけだったが、今ではまったく手を出そうとしないことが癪に触る。今では本当に抱かれても良いと考えていた。

 というより本人も気付かないうち、本心からアレクシオスに恋をしてしまったらしい。だからこそミネルヴァは、ここで余計なことを言った。


「へぇ。だけどそれは、貴女の為に来ているんじゃないわ。あくまでも彼は魔法を学びたいから……それに、それが私の為にもなるからなのよ」


「は? アレクが貴女の為に……? なんで?」


 唇の端を僅かに持ち上げたミネルヴァだが、仮面に隠れてその様はディアナに見えない。そして見れば見るほどディアナの美貌が刺さるように痛い。

 容姿で勝てない可能性のある相手が、こうも身近に二人もいて良いのか? しかもその二人が共にライバルだとしたら、余りにも辛過ぎる。


「今のところ貴女には関係ないわ。これは私と彼の約束事だもの。だからほら、こうして私は彼の肉奴隷になっているってわけ。彼もそれを認めているわ。この意味、分かるかしら?」


 言いながら、ミネルヴァは自らの余裕の無さに驚いた。

 こんなにも必至に自分がアレクシオスとの関係性を伝えていることを父に聞かれでもしたら――ハァハァ――逆に興奮する。


「……肉……奴隷。それってアレクと? フヒ、フヒヒ……いいなぁ、アレク。こんな美人と……フヒ、フヒヒヒ。さ、ミネルヴァさん、もうすぐだよ。この階段を下った先に、ペトルスの死体がある。嫌なヤツだったけど、死体になったら可愛いもんだよねぇ、フヒヒ」


 しかし死体に意識を移したディアナは、もはや命ある男に一切の興味を示そうとしない。

 ミネルヴァは安心したが、しかし安心したことで自らの気持ちに本当の意味で気付いてしまった。仮面の奥で下唇を噛み、「私、本気なの……?」と頭を振る。


 階段を下りると、薄暗い空間に出た。広間というには柱が多く、廊下というには広い場所だ。

 左右に立ち並ぶ柱の奥には無数の台が置かれ、その一つ一つに死体が載っている。気温がぐっと下がっているのは地下であることに加えて、魔術的な要素も加わっているからだ。それでも僅かに湿ったカビの匂いと、腐敗し始めた肉体が放つ異臭が漂っている。

 そんな中、黒いローブを纏った陰気な老人が近づいてきて、ここの管理者だと名乗った。


「ディアナさまですな? クロヴィス卿よりご案内するよう承っております」


 横目でミネルヴァを見つめ、「ほらね」とディアナが言う。


 この空間は、他に六つの部屋がある。流石に貴族の死体が平民と共にある、という訳にはいかないらしく、身分に応じて置かれる部屋が違うとの説明を、老人は歩きながらディアナに語った。


 老人が案内した部屋には、四つの篝火に囲まれて横たわるペトルスの死体があった。ここは周囲と隔絶しており、個室になっている。奥にはささやかな祭壇があって、死体は唯一神に見守られる格好だ。

 ただし部屋には先客がおり、それはクロヴィスとリー・シェロンであった。


「ここにいれば、また会えると思っていたよ、ディアナ」


 死体安置所には不釣り合いな微笑を浮かべ、クロヴィスが歩み寄る。ディアナは二歩、三歩と下がったが、残念ながら扉が閉ざされた。

 代わりにミネルヴァが進みでて、クロヴィスの歩みを止める。


「帝国貴族とは場所の分別もわきまえず、盛りの付いた犬のごとく女にすりよってゆくのですか?」


「ぶぷーーっ! クロヴィスさま、犬アル! 発情期の犬アル!」


「リー、五月蝿いぞ。発情期とまでは言われておらん!」


「えー!」


 リーはムクれて、顔をぷいっと背けている。それでも身体から溢れるオーラは隠そうとせず、しかも殺気を孕んでいた。


「だったら何の用かな? 話ならとっくについている筈だけど」


 嫌悪に満ちた表情でディアナが言う。肩を竦めたクロヴィスが、苦笑していた。


「……約を違えるつもりなど無い。いや、約を違えているのは、そちらではないかな? この件は闇に葬ると約束したはずだが?」


「別に、公にした訳じゃない。ただここに来ただけだよ」


「何の為かな?」


「闇に葬られる前に、記録を残そうと思ってね」


「私に不利な記録を、かな?」


「ま、そうなるね。だけどもちろん約束を破らなければ、こちらがそれを使うことはないから安心して」


「酷いな」


「だったらさっさと死体を燃やせば良かったでしょ」


「ディアナ、それでは本末転倒だ。そういう男を、君は好きかね?」


「そもそも男を好きじゃない」


「私の妻になれ。ディアナ・カミル」


「……キミの耳は、なんの為についているの? クロヴィス卿」


「ディアナ・カミル……今のお前に選択肢は無い、理解しろ。共にいる女を助けたくば、私と共に来い」


 クロヴィスは自身の髪を指で弄んでいる。ミネルヴァは剣の柄に手を掛け、周囲を見回した。剣を振り回すには余りにも狭い。ここでは徒手格闘に秀でているだろうリーが、圧倒的に優位だ。


「あー、そっか。そうだよね、やっぱりねぇ。アレクー? ほらボク、けっこうピンチなんだけど? 備えはー? ミネルヴァさんだけってこと無いよねー?」


 溜め息混じりで周囲を見渡したディアナが、何かを探す仕草をしている。衣服をパタパタと動かしているのは、単なる愛嬌だろう。

 そのとき後ろの扉がゆっくりと開き、巨漢の男が入って来た。後ろに二人の屈強そうな男を引き連れている。

 これが敵なら万事休すだが、ディアナはニヤリと笑って「遅いね、アレクの指図、だよね?」と言った。


「いや、別に迷った訳じゃねぇし丁度いい機会を狙ってた訳でもねぇけどよ……まさか呼ばれるとも思わなかったぜ……」


 頬に刀傷を作った浅黒い肌の巨漢は、短く刈り込んだ金髪をガシガシと掻いている。ミネルヴァは彼を見上げ、「あっ」と思わず声を上げた。

 彼はアレクシオス隊の副長ドムトであり、従える二人は配下の十人隊長達である。つまり、確かにアレクシオスはこのことも予見していた――ということだ。

 さらに二人の十人隊長は、既に弓に矢を番えてクロヴィスとリーに狙いを定めている。


「ほう。そんなもので我らを殺せるとでも?」


「さあ、それはやってみなきゃ分かりませんや」


 飄々と答えるドムトは、リーから目を逸らさない。彼もまた、一流の戦士だ。リーの放つただならぬ殺気を感じ、極太の指をゴキリと鳴らしていた。


「待ちなさい、ドムト。ここで戦えとアレクシオスさまから命令を受けたの?」


 ミネルヴァが口を開き、間に入る。


「いーや、違いまさぁ。隊長からの伝言はこうです。あー……親愛なるクロヴィス卿、冷気と湿気の漂う死者の部屋は、貴方のような高貴なお方には相応しくありません。どうか何も仰らず、お引き取りを……さもなくば私も、本当に貴方の敵にならざるを得ません」


 クロヴィスは「ククッ」と含み笑いを漏らす。


「なるほど、全てお見通しなのはヤツの方か。しかしディアナ、私は君自身の気持ちも聞きたいものだな。アレクシオス・セルジュークをどう思っている? 私をさえこうして手玉にとる男だ、君だって道具として扱われているだけなのかもしれないぞ?」


「それは、無いね」


「随分と自信があるようだな?」


「当然だよ、だってボクたちは……」


 そこで言葉に詰まったディアナは、ふとガブリエラの表情を思い出した。

 自分と恭弥は、確かに親友だった。えんじゅも同じく。しかし、ガブリエラとなった彼はどうだ。アレは間違いなく、アレクシオスに恋をしている――そう思った。

 だとすれば、このまま親友でいられるのだろうか。不安が過る。自分がアレクシオスを好きにならない、とは断言できない。現に意識している自覚なら、あった。

 好きになってしまったら、もう親友ではいられないかもしれない。そんな思いが彼女の心を縛り付ける。


「まあいい、ここは私の負けだ。とはいえディアナ、君は変わりつつあるな? 以前のように私を蔑んでいない――ならば、私はいつでも君の来訪を待っているよ」

 

 ディアナは何も答えず、ペトルスの死体に触れる。

 他の者には聞き取れない死者の声を聞き、首筋の痣にそっと触れた。


「苦しかったね……ペトルス。もしももう一度生まれ変わるなら、もっとマシな人生を……貴族に生まれついたのが、キミの不運さ」


 懐から取り出した水晶にペトルスの死体を映し、二言、三言の呪文を唱えるディアナ。それが終るとようやくクロヴィスに向き直り、眉を顰めて見せる。


「人を道具にしているのは、貴方の方じゃないか。学友だってこうして殺して……良心は傷まないのかい? どんな野心があるのか知らないけど、そんなものにボクを巻き込まないで欲しいね。だけどもし貴方が死んだら、死体は貰うよ。ボク、その綺麗な顔だけは好きだから。その皮をはいで、標本にするからさ……ヒヒヒヒ……」


 唇の両端を吊り上げて笑うディアナ。それは美し過ぎるがゆえに、見る者を不安に陥れる笑顔だった。

 しかしクロヴィスは手をディアナの頬に添え、頷いている。


「私が死ねば、死体をどうしようが君の自由だ。その程度の覚悟も無く、君を欲しいなどとは言わない」


 唖然としたディアナは三度瞬きをして、クロヴィスの手を振り払った。


「か、帰ろう、用事は終ったから」


 早足に部屋を出ると、ディアナはさっさと地上へ行ってしまう。ドムトと配下の二人はゆっくりと矢を構えたまま後ずさり、ミネルヴァと共に部屋を後にした。

 ミネルヴァは最後に振り返ると、クロヴィスに問う。


「貴方の本当の目的は何?」


「良い質問だな、ミネルヴァ・シグマ。貴様が何故この場にいるのか、それは聞くまい。だが、貴様だけが世界を広く見ていることは理解できる。ゆえに答えよう。私は世界を統一し、魔法による秩序を構築したい。今は全てが腐っているのだ。国々は互いに争い、政治は腐敗してゆく。挙げ句の果てに妄想が生み出した宗教が跋扈し、現実の力たる魔法が蔑ろにされるのだ。アレクシオス・セルジュークにも伝えるがいい、私の臣下になれ、と。それが世界の――万民の為になるのだ。むろん貴様と貴様の父も、私は拒まぬぞ」


 ミネルヴァは仮面を外し、冷笑を浮かべた。


「私の正体を知っていたこと――それは褒めてあげる。けれど、貴方には過ぎた望みだわ」


「……ほう? それは視る者――シグマの血脈としての返答か?」


「どうかしら? 想像に任せるわ」


 ミネルヴァは身を翻し、冷たい部屋を後にした。


「ふん……シグマだからって、何でも視える訳じゃない」


 彼女の言葉は口の中で消え、誰の耳にも届かない。ドムトは頭を掻きながら「頭脳戦ってのは、まったく分からねぇな」と言っている。


「お互い、弱点を見せない様にしているだけよ。いつか戦う時に備えて、ね」


 ミネルヴァはドムトに追いつき、彼の大きな背中をパンと平手で打った。「そんなことより、いるならいるって教えて頂戴!」


 ドムトは笑い、事情を語った。


「ウチの大将がよ、相手の反応が知りたいからギリギリまで出るなってよ!」


 ミネルヴァはこの時、自分も手玉に取られていたのだと理解する。けれどそれが故に、アレクシオス・セルジュークという男を心の中で神格化してゆくのだった。

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