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レオ家の浴場

 ◆


 帰宅した俺を迎えたのは、セルティウスさんと剣術の稽古に励むガブリエラだった。メディアも一生懸命、双剣の練習に励んでいる。ただし全員、我が家の中庭で勝手に。


 いったい何時、ガブリエラは俺の家の鍵を手に入れたのだろうか。そんな疑問がふと過ったが、何の事は無い、単純に門も扉も壊されていただけだ。これは酷い……。


「ガブリエラ様の場合は力の使い方次第で、今よりも遥かに強くなりましょう」


 剣を弾き飛ばされ、悔しそうに歯噛みしているガブリエラにセルティウスさんが言う。俺はどっちかと言えば、頭の使い方の方が問題だと思うが。


「父上、私はっ!?」


 メディアが二本の剣を巧みに使い、型を披露する。

 流麗な動作は、見る者の目を釘付けにした。しかし、剣聖であるセルティウスさんは一刀両断。


「メディア、お前に剣の才能は無い。大人しく弓を使っていなさい」


「ふえぇぇ……」


 がっくりと地面に膝をつき、項垂れるメディア。そうはいっても、彼女だって並の男には負けない。ただガブリエラの強さが際立っているから、非才に見えるだけなのだ。


 俺は廊下を通って皆に挨拶をした。ミネルヴァが俺の代わりに文句を言ってくれる。


「ちょっと、ガブリエラさま。門と扉の鍵を壊さないでくれる? 直すのにいくら掛かると思ってるのよ。アレクの稼ぎを考えて頂戴! この人、甲斐性なしなんだからっ!」


 何となくミネルヴァの発言に悪意を感じ、俺は白目になった。甲斐性なしって酷くない? ねえ。そりゃあ給料安いけど……君の将軍時代の方が稼いでいたけど。


「ん、なんだ? ああ、これはこれは。その甲斐性なしに助力を求め、あまつさえ一つ屋根の下に住み始めた、奴隷のミネルヴァさんではないか」


 言ってやったと云わんばかりのドヤ顔で、ガブリエラがニヤニヤと笑う。


「そうね。だから肉奴隷になった私とアレクシオスさまが営んでいる最中、誰かが入ってくると困るのよ……わかる? その為にも鍵は必要だし、ちゃんと直してくれるかしら? 直さないと私とアレクさまの間に、金髪の公爵令嬢あたりが勝手に入ってきそうで心配だわぁ」


 ターバンをとって銀色の髪を指で梳きながら、ミネルヴァが言う。彼女の香水だろうか。周囲に甘い香りが漂った。ガブリエラも鼻をヒクヒクとさせて、匂いの正体を探っている。


「なっ、なっ……なんだ。そんなのだったらもう、ずっと鍵などいらんっ! だ、だけど、アレクはお前と寝たいなんて言ってないからなっ!」


 ミネルヴァの文句は、まったくの逆効果だった。


「そう? じゃあガブリエラさまがアレクシオスさまと営んでいるとき、誰かが入ってきたらどうするの? 見られちゃうわよ、貴女のあられもない姿……うふふ」 


「ふぁっ!? お、おれがっ? アレクとっ?」


 顔を真っ赤にして剣を落としたガブリエラが、中庭の隅にある大きな木の周りをグルグルと回っている。


「わぁぁぁ! 想像しちゃっただろっ! ……でも、でもっ……その、やっぱり鍵は直す……うん、直すからっ!」


 立ち止まって仁王立ちになり、人差し指をミネルヴァへ向けるガブリエラ。俺がチラリと見たら、慌てて目を逸らしていた。


「そ、そんなことよりさ、これからウチに来ないか、アレク。おれも汗をかいたし、お前だって風呂に入りたいだろう?」


 白いシャツの胸元を開けてパタパタと手で仰ぎながら、ガブリエラが俺の側に寄ってくる。ときどき自分の匂いを嗅ぐ仕草をしているのは、ミネルヴァの匂いと比較しているからだろうか。

 ガブリエラの落とした剣は、メディアが拾っていた。大事な武器を落としてウロウロしているのは、まだ彼女が動揺しているからかもしれない。

 セルティウスさんは一礼して、姿を消した。馬車を用意しに行ったのだろう。あるいは、鍵を直す手配かもしれない。


 暫く外で話していたが、暗くなってきたので部屋の中に入った。一応、学院であったことを伝えると、ガブリエラは快くリナ、ルナを待つと言ってくれたのだ。


「だけど遅いな、あいつ等」


 窓から外を眺めつつ、ガブリエラが言う。外といっても街路との間に塀がある為、見えるのは前庭だけだ。


「なあ、おれ、汗臭くないか? 大丈夫か?」


 長椅子に座って寛いでいると、外を見るのに飽きたらしく、ガブリエラが寄ってきた。それから俺の鼻先に脇を近づけ、匂いを嗅げと言い放つ。


「や、やめろ! 胸が! 胸が脇と服の間から見えてる! 何してんだ、馬鹿っ!」


「お? おお?」


 服をひっぱり、さらなる胸チラを敢行するガブリエラは、自分の身体の破壊力を理解していないようだ。ミネルヴァがすかさず間に入り、彼女の全身をクンクンと嗅ぐ。

 

「少し臭うわね……だけどいいんじゃない、動けば誰だって汗の匂いくらいはするもの」


「そういう割に、お前はいい匂いじゃないか、ミネルヴァ」


「だって私、香水パルフムを使っているもの」


香水パルフム?」


「知らないの?」


 ガブリエラのアホ毛が、ゆらゆらと揺れている。「はて?」という風に首を傾げていた。


「薔薇湯とかなら入るぞ。嫌だけど……でも、そういうのとも違うよな」


 ミネルヴァの首筋や胸元に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぐガブリエラ。しかし重要な点は、彼女がミネルヴァの左手を握りしめ、動かないようにしていることだろう。

 一方で背筋を逸らしガブリエラから身をかわしつつも、完全なる拒否はしないミネルヴァ。うーん……尊い。


「私だってそんなに近くで匂いを嗅がれたら、少しくらいは匂うわよ……今日は動いたから……だからやめて、嫌よ」


「そうか? 良い匂いしかしないぞ。ここはどうだ?」


「あっ、やめなさい、ガブリエラさまっ、そんなとこ触らないで」


 実に眼福である。二人の美女が手取り足取り触れ合って、あーでもない、こーでもないとやっているのだから。デュフフ……。


「あの二人の間って、何だか入りにくいわよね?」


 メディアが俺に蜂蜜水を差し出し、肩を竦めている。

 彼女は今まで、部屋の明かりを灯してくれていた。それから井戸水を汲み、蜂蜜を混ぜた飲み物を作ってくれたのだ。

 家事担当の奴隷が二人とも居ない為、彼女に迷惑をかけた次第である。


「うん、そうだね。だが、それがいい」


 俺は頷き、少し横にずれた。メディアが苦笑しつつ、隣に座る。自分の分の蜂蜜水も用意していたらしく、両手で抱えるように杯を持っていた。あと二つは、側の小卓に置いてある。


「だけどもしも間に入ってどちらかを取るのなら、きっとあの二人に負けないくらい特別なひとなんでしょうね。私なんかには勿体ないくらいの……」


「そんなこと無いさ、メディア。キミだって十分に特別な女性ひとだよ。彼女達に負けてないから、大丈夫」


 俺はめいっぱいの笑顔をメディアに向けて、杯を掲げた。入っているのは蜂蜜水だが、気にしない。乾杯だ。

 ガブリエラ、ミネルヴァ、メディアの三つどもえ百合なら、金髪、銀髪、赤毛と揃う。これを見たく無い訳がないだろう。これぞロマンだ。つまり最高だ。


「そうかな? 私も、あの二人に並んでいいの?」


「ああ、メディア。キミには是非、あの二人に並んで欲しい」


「そりゃあ、だけどあの二人は美人だし……私なんかじゃとても……そばかすだってあるし……」


「そう、だが、それがいい!」


「そう?……だったら、だったら私にも機会チャンス、あるのかな? 信じていいの、アレクシオス?」


 二人を眩しそうに見つめながら、メディアが寂しそうに呟いた。明るく輝いていたはずの赤毛が、まるで沈みかけの夕日に見える。ちょうど外も、そんな具合だ。

 きっとメディアは、ガブリエラをミネルヴァに取られたくないのだろう。俺は彼女の肩を軽く抱いてやり、「メディアにはメディアにしか無い魅力がある。剣が駄目でも弓があるし、何より君は土木工事に優れているじゃないか」と言った。


「はは……それ、女の魅力じゃないよ、アレクシオス。だけどそうだね、元気が出た! 今度こそ勝負で、お前に勝ってやるからねっ!」


 そのとき、不意に薔薇の香りが鼻孔をくすぐった。


「……あれ、メディア。これって香水パルフム?」


「そりゃあ、少しくらいは魅力的って思って欲しいから……そのくらい使うよ」


 いじらしい努力だ。メディアはこうまでしてガブリエラの気を惹きたいのに、アイツときたら……。


「キミは女性として、十分魅力的だよ。うん」


 メディアの両手を握って伝えると、何故か背後から二つの殺気を感じた。

 ガブリエラが拳を振り上げ、ミネルヴァが剣を抜き放っている。


「アレクシオス……あまりおれのモノに気安く触るなよ……」


「ご主人さまは、私に触れようとすらしないのに……」


 なぜ怒っているんだ、コイツら。メディアを俺に取られるとでも思っているのか? ふざけるなよ。

 俺は立ち上がるとミネルヴァの剣をとり上げ、ガブリエラの肩をポンと叩いた。

 

「お前達、メディアも仲間に入れてやれよ。二人でイチャイチャ楽しんで……俺はいいけど、悲しむ子だっているんだぞ!」


「え、ええぇー? 違っ……アレクシオス……!?」


 眼を見開いて、首を左右に振るメディア。 


「寂しかったんだろ、メディア」


「だから、違くて……!」


「うむ、みなまで言うな」


 いいんだ、大丈夫。


「とはいえ、女の中に男が居るべきじゃない。俺は出かける準備をするから、あとは三人で宜しく」


 踵を返すと、俺は自室へと向かった。


「ま、まて、アレク。リナとルナは?」


 呆気にとられたガブリエラが、俺の後に付いてくる。


「手紙を書いておく。邸で合流すればいい。それからガブリエラ。ミネルヴァと仲良くするのもいいが、お前を最も近くで見て、最も愛している存在がいること、決して忘ちゃいけないよ?」


「え? あ……そ、そんな風にいわれると、おれ……どうしたらいいか、どう思ったらいいのか……おれだって一番、あいして……その……」


 もじもじとするガブリエラが、目を潤ませていた。


 ふふ……百合さんぴーを見る日も近いぞ……デュフフフフ……。


「だからアレクシオス……違っ……私はガブリエラさまじゃなく……!」


 メディアが膝から崩れ落ちた。ふっ、そんなに有り難がらなくてもいいんだ。俺は観葉植物として、やるべきことをやっただけなんだから。


 ◆◆


 ガブリエラの邸は、いつ来ても立派だ。磨き抜かれた大理石の床なんて、鏡のように輝いている。下に目を向ければ、俺の顔がしっかりと映る程だ。

 俺はさっそくセルティウスさんに案内をされて、浴場へと向かった。何度も来ているから、勝手知ったる我が家のようなもの――というのは少し言い過ぎだが、浴場の場所くらいは知っている。

 それでも彼がわざわざ案内してくれるのは、大貴族の作法というヤツだろう。加えてガブリエラは、俺が危機にさらされる事を極端に恐れている。だから自分が側にいない時は、なるべく強者を付けてくれるのだ。


 案内された先は、湯煙の漂う大浴場。それは公衆浴場にも匹敵する広さを持ち、レオ家の者だけが使う事を許されているという高級品である。

 もっともガブリエラはそのような風習を嫌って、かなり下位の者にも解放しているらしいが。


 獅子の口から大量の湯が吐き出され、それが浴槽に落ちている。おそらく水を循環させることで、湯の温度を一定に保っているのだろう。動力が薪なのか、魔法なのかは分からない。

 俺はさっさと身体を洗い、大きな浴槽に浸かった。今日あった嫌な事が洗い流され、明日への活力が湧いてくるようだ。


「おーい、恭弥!」


 凛とした、甲高い声が聞こえた。俺を恭弥と呼ぶのは、間違いなくガブリエラだ。

 湯気の向こうに人影が一つ。それがダッシュで、こちらに向かってくる。果ては目の前で大ジャンプ。

 バシャリとお湯が跳ね、俺の髪をびっしょりと濡らす。コイツは一体、何を考えているのだろう? 何も考えていないに違いない。


「おい、ガブリエラ……堂々と来るなよ……」


「何言ってんだ。市井において風呂は、混浴だと聞いたぞ」


「混浴の場所もあるが、大体は時間で分けられている。日暮れ前までが女で、それ以降が男――そんな感じで」


「まあいいや、言ってみただけだ。だいたいおれ達は親友だろ、関係あるか。それにさ、さっきの話のつづきだけど……」


 関係あるか――なんて言いながら、大きな白い布でしっかりと胸を隠すガブリエラ。ほんのりと上気した頬が色っぽい。


「ああ、リナとルナの調査の件か……」


「じゃなくて……お前がその……おれのこと、あ、あ、あい、あいし……うぅぅ……」


「哀愁? なにそれ?」


 ガブリエラの顔が、湯船の中に沈んでゆく。数秒後、ざばりと顔を出し、まったく違うことを彼女は口にした。


「なあ、覚えてるか、修学旅行の日のこと」


「思い出したくも無いけど……」


「お前、石けんで滑ってさ、転びそうになったところで“みたび”のアレ、掴んじゃったよな!」


「……ああ、あの時は悪い事をした。普段は無表情なアイツが、酷く歪んだ顔をしたから」


「アハハハ! そうそう、面白かったよなぁ! しかも“みたび”がさ、伸びる! もげる! 千切れるぅー! って叫んでさ、アハハ。今じゃ本当に千切れたのか、女になっちゃったんだろう? アハハ!」


 楽しそうに笑うガブリエラだったが、浴槽の中を見つめると、寂しそうに呟いた。


「ま、おれも無くなっちゃったんだから、人のことは言えないけど――その点、お前はずるいよな」


 そう言って、俺の股間をまじまじと見つめるガブリエラ。ちょ、まて……胸が当たってる……。


「おお……人種が変わったからなのか? 恭弥の、前世よりおっきくなってないか? あれ? あれ? どんどん大きく……」


「だああああ! 離れろ! 馬鹿野郎っ!」


 慌ててガブリエラから離れると、俺は布を股間に当てて隠した。


「おまえ、もしかして」


 ニヤリとしたガブリエラは、とても悪い事を考えていそうだ。


「ふふふ、親友のよしみだ。触らせてやらんこともない……が、もしも触ったなら今後いっさい、おれ以外の女に触れることは許さないぞ。どうだ、触るか? ふふふ、ホレホレ」


「や、柔らかそうだ……確かに触りたい。しかし……!」


 確かに今は圧倒的に美しい女だが、根本的にえんじゅは男。静まれ、俺のキャノン砲! 


「え、えんじゅ、いいのか、お前。今、自分で自分のことを女だと認めているぞ……もしも俺に触られて、感じちゃったりしたらどうするつもりだ?」


「なに? おれが男に触られて感じる、だと? あ、あり得ない。絶対にあり得ないさ……!」


 僅かに後ずさるガブリエラ。頭を振ると、前髪だけが揺れた。今、彼女は頭に布を巻いて、髪の毛がお湯につからない様にしている。このような姿は、誰がどう見ても女だ。

 

「あり得ない……だから、試してやる。だけど――もしも感じたら、そのときは……」


 ガブリエラが再び俺に身を寄せてきた。今度は身体に巻き付けた布を全て取っている。辛うじて水蒸気が邪魔をし、彼女の胸の先端を見ずに済んでいた。それでも、色の違いは分かる……ピンク色の……う、うぅ……。


「ほら、触れ、恭弥」


 俺の手を掴み、胸元へと引き寄せるガブリエラの目は潤んでいた。長い睫毛に水滴がついて、まるで泣いているみたいだ。

 俺も、抵抗できない。触りたくない――という理性を破壊するだけの美貌と肉体を、確かにガブリエラは持っていた。


「あっ……」


 思わず、彼女を抱き寄せてしまった。しばらくじっとしていたガブリエラが、静かに目を閉じた。濡れた唇が、小さく震えている。


「いいぞ……お前の好きなようにしてみろよ」


 なるようになれ! そう思った瞬間、“バン”と浴場の扉が開いた。

 弾かれたようにガブリエラは浴槽の隅へ行き、俺は反対側の隅に行く。お互い多分、顔が真っ赤だろう。


「フンフンフン」


 鼻歌を歌いながら、ミネルヴァが入ってきた。

 彼女はまずガブリエラの側へ行き、その額に手を触れた。尊い。


 これだ、これなんだ、俺の求めているものは。危うく、取り返しのつかない過ちを犯すところだった。


「あら、のぼせたの? リナとルナがまだ戻らないから先に入ろうと思ったのだけれど、ちょうど良かったみたいね」


「きゅううぅ」


 ガブリエラはフラフラと浴槽から上がり、冷たい床の上に寝転がった。


 それからミネルヴァは俺の方にくると、


「ご主人さまも、顔が真っ赤よ。いったん上がりなさいな」


 そういって、俺の手を掴む。


「気にしないでくれ」


 そう言って、俺はミネルヴァから目を逸らした。今は絶対に立ち上がれないのだ。というか、ある意味では立ち上がっているので、放っておいて頂きたい。

 そもそも、ミネルヴァだって酷い。布で前を隠しているけど、僅かにズレているせいで見えているのだ、双丘の先端が。

 これで俺の小さな巨人が起立しないなど、あり得ないことじゃないか。

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