魔術師たち
◆
俺が頭に乗せた皿を床に叩き付け、目の前の男が再び向かってくる。
相手の豪腕が唸った。
俺はしゃがみ込んで拳をかわすと、そのままタックルをした。
敵は皆、緑色のトガを着ている。イーラ家の家紋は、緑地に赤い薔薇。だから衣服の何処かに、薔薇の刺繍もあるのだろう。これの意味するところはイーラ家が四公爵家の一つ、ロサ家に連なる者だということ。つまりは俺のような名ばかりの貴族とは違う、生粋の名家というやつだ。
だが、そんなことは関係ない。いざとなればガブリエラに頼み、レオ家の威光をかさに着るのだ。社会的弱者が虎の威を借りることは決して恥じゃない、多分。
俺は相手を持ち上げ、別の敵に投げ飛ばしてやった。
「や、やめろっ!」
持ち上げられた男が喚く。
手足をばたつかせているが、あまり抵抗されている感じではなかった。どうも、戦いに慣れていないらしい。ティグリスもつまらなそうに敵の鼻面を叩き、簡単に倒している。
「おいおい、ペトルス。アレクシオスは武人だぞ。それをこんな素人ばかり連れて来て、どうするつもりだったんだ? まったく、手応が無さ過ぎてつまらんぞ」
「ならば私が相手になろう!」
ひときわ体格の良い男が躍り出て、ティグリスに掴み掛かる。
「おっと! 強そうなのもいたかっ!」
二周りは大きいだろう男の腕をかいくぐり、背後から手刀を叩き込むティグリス。しかし男はびくともせず、裏拳を放つ。
唸りを生じた男の右拳を後ろに飛んで避け、がら空きの胴にティグリスが蹴りを放つ。しかし効かない。
「武器を持たない騎兵など、脆弱なものだ」
「言ってくれるね、アンタ、イーラ家の私兵かい?」
「……元重装歩兵だ」
「はっ、そりゃ戦場へ行くより、ガキのお守りをしている方が楽だもんなっ!」
「ぬかせ、若造が」
「来いよ。素手でも、歩兵じゃ騎兵に勝てないって教えてやるぜ」
好敵手を見つけてご満悦のティグリスが、ペロリと上唇を舐めている。余裕の表情だ。
一方アントニアは趣旨が変わって、一人の男に絡み付いている。背後に回って手首を極めている、という体だが、実際は相手の耳たぶを甘噛みしていた。
「あら貴方、いい男ね」
「ひぃぃ」
そりゃ怖いだろう。アントニアに捕まった褐色肌のイケメンが、首を左右に振っている。
「ふん。アレクシオス・セルジュークが武人だということぐらい、私だって分かっている。動きが止められれば、それで十分だ」
少し離れた場所でペトルスが、冷笑を浮かべていた。フード付きのローブを身に纏い、大きな賢者の杖を持っている。朝と同じ服装だ。
「見えざる弓よ、矢よ。我が手に来りて敵を射て」
杖を持った左手を前に出し、右手で矢を番えるような仕草をペトルスがした。歪な球形をした杖の先端が、淡く光っている。
「おいっ! ここで魔法を使う気か、ペトルスッ!」
ティグリスが跳躍し、駆ける。巨体の男も追ったが、速度においては完全に彼の方が上だ。「アレクシオス、逃げろっ!」
ペトルスと目が合った。彼は唇の端を吊り上げている。ゾクリと背筋が冷えた。「死ね、アレクシオス・セルジューク。私は、お前を殺す許可を頂いた。ふはははは! 光矢」
金色に輝く光の矢が、ペトルスから放たれた。それは一直線に、俺へと向かってくる。身近なもので、アレが防げるだろうか? いや、考えている時間はない。
その時――
「風盾」
くぐもった声と共に、目の前で突風が吹いた。同時にターバンを巻いたミネルヴァが現れる。仮面をつけたまま、剣を抜き放っていた。
光の矢が何も無い壁に弾かれ、消失する。同時に直剣の先端が、ペトルスを向いていた。
「高位の魔術師が魔法を使うとあらば、それは剣士が剣を抜くに等しい。我が主を守るため、ここからは命のやり取りとなるが、如何?」
実にかっこいい登場のミネルヴァだ。問題は、左手にスープの入った皿を持っていることくらいか。しかしこの際、そういったポンコツぶりには目を瞑ろう。
それにしても、コイツとガブリエラは妙なところで似ている。食べ物だいじ――とかそういう部分が特に。
「やったね……ペトルス。アレクを殺そうとした……現世におけるあらゆる恐怖と苦痛を与え、殺してやるよ……フヒ、フヒヒヒヒ……」
振り返ると、白衣のディアナがユラユラと揺れていた。全身から蒸気のようなオーラが立ち上り、赤い方の瞳が輝いている。
「イーラ・イース・ラ・モンド。魔神よ、ボクの声が聞こえるかい……」
床板がパキリとひび割れ、建物が揺れている。
“ゴゴゴゴゴ”
「まさしく魔術師が魔法を使って戦うなら――それは殺し合いだ。フヒヒヒ……ペトルス、キミはこれから魔神に、もっとも残虐で、もっとも惨めに殺されることだろう……オマエなんか、研究材料にもしてやらない。家畜の喰らう餌の肥料にでもなるがいいさ……フヒヒヒ」
「や、やめてくれ、ディアナ! わ、私はただ、貴女の為を思ってっ!」
僅かに後ずさるペトルス。彼の取り巻きは、三人を残して既に逃げ散っている。
「若、危険です。ここは一旦、お退き下さい」
眼光の鋭い男が、ペトルスを庇うように前に出た。しかし彼は聞き入れず「アイツがいるから……」と俺を睨んでいる。
とはいえ――流石にディアナの魔力の高まりはヤバい。建物を震わせる勢いなのだから、本当にペトルスを殺しかねない。
「ミネルヴァ。ディアナを止められるかい?」
「今なら、まだ」
「頼む。これ以上、事態を複雑にしたくない」
俺の言葉に頷き、ミネルヴァが剣を鞘に納めた。それからディアナの背後に回り、口を手で塞ぐ。
「モガ、モガッ! モガーッ!」
荒れ狂うディアナだが、根本的な力でミネルヴァに劣っている。というかガブリエラにも力負けしないミネルヴァだ、常人の敵うところではない。
「さて……ペトルスどの。誤解があったようだが、俺は彼女の恋人ではないよ。だけど、貴方のことをディアナが受け入れる事もないだろう。だから今回の件は不幸な行き違いの結果ということで、これ以上ことを荒立てないように、ここで収めませんか?」
「黙れ、黙れ、下賎の身でっ! 私はイーラ家の者! たかが騎士爵程度の者が、意見などするなぁっ!」
ペトルスが賢者の杖を投げ捨て、懐から短刀を取り出した。刃渡りは短いものの、あれで刺されたらきっと死ねる。
やばいな……徒手格闘って、本当に苦手なんだよ。ええと――短刀のあしらい方は、どうやるんだっけ。
仕方なしに俺が身構えていると、アントニアが横から飛び込んできた。
「我が侭言ってんじゃないわよっ!」
ペトルスの横面を思い切り殴りつけ、数メートルを吹き飛ばす。激しく床に叩き付けられた彼は、「ぐぅ」と唸って動かなくなった。手には短刀を握ったまま……。
「なんだよ、アントニーのやつ。良いところを持って行きやがって」
不貞腐れたようにティグリスが言って、アントニアの肩を叩く。「あそこの三人が相手をしてくれりゃ、俺も楽しいんだが」
指をパキパキと鳴らし、残ったペトルスの従者に向けて歩むティグリス。
「主がご無礼を……この件はペトルスさまの父君であるイーラ子爵に免じて、平にご容赦願いたい」
一人、もっとも精悍な従者がティグリスに謝罪した。途中まで彼と互角の戦いをしていた男だ。そもそも、今回の仕事を快く思っていなかったらしい。
「ちっ……謝る相手が違うぜ。俺じゃなく、狙われたアレクシオスだろう」
ティグリスに言われた為か、従者が俺にも頭を下げ、「本来なら邸にお連れした後、御館様に願い、セルジューク殿には帰宅して頂くつもりでした。そもそも、ペトルスさまには許嫁がおります。ゆえにディアナ・カミルに固執することは、御館様も望んでおられぬはずですから。それが、まさかペトルスさまが魔法を使おうなどとは……」と言う。
俺は頭を左右に振って、従者に告げた。
「あなた方はペトルスを含め、利用されているだけです……ただ盲目に主に従うだけなら、家畜でも出来るでしょう。あなたが本当にイーラ家の若君を守りたいなら、戦わなければならない相手は別にいるはず」
怪訝そうに俺を見る従者だったが、背後から掛けられた声に反応して、「まさか」と呟いた。
「これは、どうしたことでしょう?」
金の刺繍を鏤めた白いローブを身に纏い、同じく白いローブを纏った集団を引き連れた男がペトルスを見下ろしている。
「これは、クロヴィスさま。若君も、このような姿を晒すつもりでは御座いませんでしたが……」
「私は、どうしたことかと聞いているのですよ?」
クロヴィスと呼ばれた男は、カツン、と賢者の杖で床を叩きながら、ペトルスの従者に微笑んでいる。だが灰色の瞳は少しも笑っていなかった。
◆◆
「なるほど。逆恨みですか」
細い顎に指を当て、「ふむ」とクロヴィスが呟いた。癖のある薄い茶色の髪は長く、肩にかかっている。はっきりとした目鼻立ちは、十分にイケメンと称するに足るだろう。薄い唇が、やや酷薄そうな印象を与えるが。
確かコイツがユリアヌス皇子の親友で、ペトルスの背後にいる人物だったな。そしてペトルスは言っていた――「俺を殺す許可を頂いた」と。
だとすれば、今回の黒幕はコイツということになる。しかしクロヴィスは微笑を浮かべて、俺に右手を差し出してきた。
「災難でしたね、アレクシオス卿。ですが私が来たからには、もう心配はありません。彼のことは、万事お任せ下さい」
ミネルヴァから解放されたディアナは鼻息も荒く、「家畜の餌の肥料だよ、こんなヤツは。あ、オマエモナー」と、文句を言っている。
「カミル先生、貴女にも問題がありますよ。ここに悪魔を呼ぼうとしたでしょう? 場所を選ばない悪魔召還は、禁忌です」
「悪魔じゃなく――魔神だよ」
「また魔神などと……神とは唯一にして絶対です。いい加減、貴女も理解なさって下さい」
「そっちこそ頭が固い。だから、ずっと二位だったんだ」
「今は全学年で一位ですよ、先生」
「ボクが講師になったからでしょ、フヒ」
“ゴーン、ゴーン、ゴーン”
大きな鐘の音だ。昼の休憩時間が終わりを告げたらしい。ティグリスとアントニアが慌ただしく駆け出し、手を振っている。
「それじゃあ会長、悪いが後始末をお任せするっ!」
遠ざかるティグリスの声が聞こえた。
「ええ、お任せを……適切な処置をいたしますとも」
口元を抑え、クロヴィスが答えた。口の端が大きく吊り上がっている。
「ボクたちも戻ろう、すっかり注目の的だ」
――――
俺達はディアナの研究室に戻ると、部屋の隅にある椅子に座った。元々は骨が散乱していた場所だが、掃除をした後、丁寧に埃を払った応接セットを置いたのだ。
これにより相変わらず悪趣味ではあるが、一応、生きている人間も招くことの出来る部屋へと変貌を遂げている。
テーブルの上にはカップが三つ。けれど給仕はいない。
ディアナが指で中空に紋様を描くと何も無い空間から紅茶が生まれ、カップに注がれた。
「全ての事柄は変換、分解、生成に過ぎない。だから異界の物質であれ同様の成分を含んでいれば、お茶を作るなんて容易いのさ」
「ふぅん……うわ……」
俺は注がれた紅茶を飲み、顔を顰めた。
「ただし、美味しいとは言ってない」
「フヒヒ」と笑うディアナも、顔を顰めながら紅茶を飲んでいる。だったら普通の水を出してくれ、と思うぞ。
それにしても、気になるのはペトルスの言葉だ。
ヤツは俺を殺すつもりで来ていた。ならば許可を与えたのはクロヴィスだろう。しかしヤツが俺の殺害を、皇太子に依頼されたかどうかは定かではない。
だが――少なくとも皇太子が俺を疎ましく思っていることくらいは、知っているはずだ。
しかし、そうするとクロヴィスの意図が見えない。
皇太子と親友でありながら、点数稼ぎの為に俺を殺す? 無いとは言えないが、そういう関係では親友とは呼べない。
またヤツは、総大主教の息子でもある。その立場からすれば、ディアナの監視役である可能性も高い。彼女がおかしな動きをすれば、逐一教会に知らせる。その程度のことは、やっているだろう。
「ふむ……」
「ねえ、アレク。紅茶がまずくて怒ったの? ボクのおっぱい触る?」
ディアナが俺の横に来て、肩を揺すっている。邪魔だ。
「なっ、なんて下品なっ!」
ミネルヴァがディアナを羽交い締めにし、俺から引き離す。
よし。美女二人が密着したぞい……ではなく。
「ディアナ。クロヴィス・アルビヌスというのは、どういった人物なのかな?」
羽交い締めにされ、口から魂を出していたディアナが顔を上げた。
「ボク達より二歳上で、彼もまた天才と呼ばれていたね。だけどボクが入ってからは、万年二位さ。もっともボクが講師になったから、また一位に返り咲いたみたいだね。あとは……そういえば、結婚してくれって何度も言われてる。もちろん、断っているよ? そうこうしてるうちにボクがあの論文を書いて――それ以降は言われてないかな」
「なるほど……」
もう一度、まずい紅茶を啜る。考えを纏める為だ。
クロヴィスの目的がディアナとの結婚だとすると――まず俺を殺してユリアヌスに貸しを作る。それからディアナの論文を、皇太子の権力をもって闇に葬る。その際、ディアナがしっかりと唯一神に帰依していることが条件だ。
そして彼女を妻に迎えることが出来れば、俺という邪魔者の居なくなったユリアヌスもガブリエラを妻に出来るという訳か。
なんだこれ。俺の親友共が、揃って未来の権力者にモテている。むしろ彼等に真実を告げれば、「やっぱり遠慮します」ってなるような気もするが……どうなのだろう。
ともあれ、そういう事情なら一先ず安心だ。
今後、俺が狙われることは確定だが、確かにディアナの身は安全。
敵が次に打ってくる手を見定めつつ、こちらはさっさと論文の在処を確かめさせてもおう。
その上で、クロヴィスを脅すか。
彼の身の安全と引き換えにすれば、教会に対してディアナの自由と俺の命も当面の間は保証されるだろう。
しかし――それは論文が教会にあり、クロヴィスが深く関わる立場にあった場合のこと。まだ可能性に過ぎない。
「アレク、そろそろ授業を始めるよ。お茶を飲んでぼんやりする為に、ここに居るんじゃないでしょう?」
「しっ……ディアナ、分からないの? 彼の目が何も見ていない時は、ずっとずっと遠くを見ているってことが」
「あっ……」
ミネルヴァの言葉にディアナは頷き、「そっか……フヒヒ。じゃあボク、死体をとってくる」と言って部屋から出ていった。
「手伝うわ……手伝いたく無いけど」
ミネルヴァも席を立ち、嫌々ながらディアナの後に続く。
とりあえず家に戻ったら、リナ、ルナの報告を聞いて、結論はそれからにしよう。




