消えた論文
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「……空想話はさておき、専任講師としてはキミが魔術についてどの程度知っているのか、把握しなければならない。そこでだ、キミの魔術に関する見識を教えてくれないか?」
ディアナ・カミルが微笑を浮かべ、俺に問う。
おかげで俺は、彼女が“みたび”であるかどうかを追求するタイミングを失した。
とはいえ俺自身、魔法や魔術に関して学びたいという気持ちは本物だ。彼女が選任講師としての仕事を果たしてくれる気になったのなら、俺は生徒として励むしかないだろう。
「俺が知っている魔術は、神に祈りを捧げることによって起こる奇跡。それしか……何しろ教会で育ったので。あとは異界の力の顕現であるとか、そういったことは本で読んだことがあります……最近では精霊による加護、という話も聞きました」
「うん、うん。どれも正解だね。だけど全部違う、とも云える」
ディアナが頷き、手招きしている。「こちらへ」
彼女が招いた先には、金属の台の上に乗った黒髪女の死体があった。出来れば近づきたくない。
「フヒヒ……良いモノを見せてあげるから、こっちへおいで」
「何をしている?」と急かすディアナは、本当に嬉しそうだ。
仕方なしに、俺は彼女の横に立った。
女の死体は、表情だけ見れば眠っているようだ。肌は白を通り越して青く見えるが、十分に美しさを保っている。
だが、顔から下はグロテスクだ。胸部から下腹部にかけて開かれ、伸びた皮が両脇の木版に止められている。木版は金属の台に固定されているようだ。近くには血の付いたノコギリやメスがある。
「うっぷ」
俺は両手で口を押さえ、涙目を天井に向けた。複雑な紋様が赤色で描かれた天井だ。中央には山羊の頭の絵が描かれている。悪魔の部屋か、ここは。
「目を逸らすなんて、生前の彼女に失礼だ。ましてやこの女性は修道女だったんだよ。間接的には、キミの恩人でもある」
知るか、そんなこと。生前がどうあれ、今は解剖された死体に過ぎない。ましてや腹を開けているから、匂いだって酷いんだ。
「キミは、臓器をどの程度知っている? 見て、言ってごらん」
「そりゃあ、心臓、肺、膵臓、肝臓、胃……小腸、大腸……」
これは勉強だと心を決めて、口を手で押さえながら死体の中身を見る。見たところ、今言った臓器の位置なら何となく分かった。人間なんだから、この世界でもあっちの世界でも同じに決まっている。
「おおよそは合っている。あとは、これが腎臓、副腎、胆嚢、膀胱、ほら、子宮っと……だけど、ここで重要なのは、この臓器だね。これこそ生きとし生けるモノの、魔力の源なのだよ」
さきほど小皿に置いた臓器を再び掴み、死体の赤黒い肺の裏にぴたりと付けてみせるディアナ。「ほら、さっき切り取った――これが、魔臓だ」
「魔臓? 聞いたこともない……」
得意気に胸を張り、ディアナが「フヒ」と笑う。それから再び魔臓を手にとり、メスで中央を斬った。肉を捲ってゆくと、中から白い石で出てくる。
気持ち悪いが、臓器の中から石が出てくる不思議に驚きつつ、俺は目を離すことが出来なかった。
「魔臓?」
「そう、魔臓」
そもそも人間には「魔臓」なんて無かったはずだ。それがこの世界の人間には「ある」ということか?
それが魔術や魔法と呼ばれるものの原因なら、納得出来ないこともないが……。
「そんなものがあったなんて……」
「知らなくて当然だよ。だってボクが沢山の死体を切り開いて、ここに魔力を宿す臓器があるって気付いたんだから」
「なっ!?」
絶句するしかない。
ディアナの言うことが真実なら、これは基礎ではなく最先端だ。
「さて、最初の質問に戻ろう。キミは魔術とは、神の奇跡だと言ったね。或は異界の力の顕現、とも」
「はい」
「真実は、その全てが異界の神……もしくは悪魔の力の顕現なのだよ。ああ、いや――神も悪魔も、便宜上、そう呼ぶに過ぎないとして、だ。ボク等が魔臓に溜め込んだ魔力は、要するに彼等に対する供物なわけなのだよ」
人差し指を立てて説明を続けるディアナ。
そこでふと、俺は疑問に思う。
「だとすると、帝国が認める唯一神の存在は、どうなるんです? 貴女の説明だと、神も悪魔も複数いることになるが……」
こめかみに指を当て、俺は思ったことをディアナに伝えた。
「当然、唯一神の存在は否定される。何より回復魔法だからといって、それが神の御業とは限らない。そもそも神とはなんぞや? という話になるからね。悪魔だって傷つくのは嫌さ。だから身体の損傷を回復させる力を持つ者もいる。だがしかし――回復の定義も難しい。医療とはそもそも、自己治癒能力をいかに発揮させるか、という点に尽きるのだから。いや、それはいいとして……」
「それはディアナ。貴女の学説ですか?」
「医療に関して?」
「いや、魔術や魔法に関して、です」
「もちろん、論文として提出した」
「なるほど……だとすると、ここ……この部屋に入ったのは、その後、ですね?」
人差し指を床に向け、言った。改めて見回すと、まともな神経の人間なら、ここで暮らすことなど出来ないだろう。間違いなく、そういう部屋に見える。
「……ん? ああ、そうだよ。それを裏付ける為にも、数多の死体を見なければ話にならないだろうと学長に言われて……」
ディアナの目が、僅かに泳いだ。切れ長の目の奥で、色の違う瞳が左右に揺れている。俺に対して、多くを語り過ぎた、とでも思っているのだろう。
「その説は、どれ程の人が目にしたのですか?」
「……学長、副学長、後は宮廷魔術師達――そこから先は知らない」
そうか、何となく状況が読めてきた。
もともと賢者の学院と教会の仲は悪い。なのにディアナの論文が世に出れば、その亀裂は決定的なものとなる。
ましてや帝国だって神聖を名乗るほど唯一神を信奉している。もちろん上層部が全てでは無いにしろ、ディアナの説が真実となれば、国体を揺るがす事態になることは避けられないだろう。
だが実際は、そうなっていない。だとすれば、論文は握りつぶされたのだ。
握りつぶした理由は、ディアナの狂気。
賢者の学院随一の天才が書いた論文となれば、衆目を集めること請け合いだ。しかし彼女が狂っているとすれば――。
だから学長は、ディアナに“死体好き”のレッテルを貼り、父親であるフィリピコス伯爵もそれを認めた。しかし論文が正しいと思えばこそ、二人は彼女にここで研究を続けさせている、ということだろう。
「ちなみにこれ、フィリピコスさんは何と?」
「ん? ああ、父上? お前の好きな道を行きなさい、私はどんな時も、お前の味方だよ、って」
はい、決まり。俺、またしても巻き込まれました。ろくでもないことに……。
◆◆
帰宅する頃には、すっかり雨も上がっていた。朱色の陽光が西から照りつけ、学院の誇る尖塔群が長い影を落としている。
ガブリエラから貰ったお弁当は死体を見まくったせいで食欲を失い、食べることが出来なかった。けれどディアナにあげてみたら首をコクコクと縦に振り、嬉しそうに食べてくれたのだった。
なんでもあまり外に出ないらしく、食事も二日ぶりだったとか。水は魔法で幾らでも作れるが、材料が無ければ料理が出来ない、とのことだった。
「さすがに切り刻んだ後、死体を美味しく食べたりはしないよ?」
と、彼女が修道女の腹部を閉じながら言ったのは、あまり冗談に聞こえなかったが。
自宅に帰ると、またもガブリエラが待っていた。お泊まりセットも持ち込んで、完全に居座るつもりらしい。
「どうだった?」
リビングのソファーに座り、茶を飲みながらガブリエラが言った。もちろん学院のことを聞いているのだろう。
「目から鱗だったよ。俺達の身体は、地球の人間とは違うってことが分かった。魔臓という臓器があって、それが体内で魔力を作り出しているらしい」
「ふ、ふうん」
足を組み、窓の外を眺めて頬を指で掻きながら、ガブリエラが引き攣った笑みを浮かべている。
「お、おれにもあるのかな? 魔臓」
「あるんじゃない? ディアナは今まで開けた全部の死体にあった――って言ってたよ」
「でもおれ、魔法が使えないんだけど。それってもしかして、おれの魔臓は無駄なのか……まさか、無いとか?」
何やらガブリエラは、ショックを受けているらしい。今度はお腹をポンポンと叩いている。だんだんと表情が曇り始め、泣き出しそうな雰囲気を醸し出していた。
うっかり笑いそうになったが、その辺の説明も受けたので、ちゃんと彼女にも説明をしてやろう。
「ガブリエラの場合は魔臓で作り出した魔力が、自動的に腕力に変わっているんだろうね。細かい説明は省くけど、神か悪魔か――君を好んで加護を与えている者がいるはずだよ。逆にいえば、そいつに魔力を常に吸われているせいで魔法が使えない、ってことらしい」
「へえ」
つまり、この世界に魔法の恩恵を受けていない生物など居ない、というのがディアナの理論だ。
家畜であれ獣であれ、魔臓はある。その魔臓が肥大化したり、中にある魔石が複数だったりする個体が魔獣と呼ばれたりする訳だ。
さらに言えばディアナの理論だと大気中に魔力が含まれていて、生き物はそれを取り込んで生きている。そもそもそれは毒で、濾過する為にこそ魔臓があるのではないか――とのことだ。
「じゃあ、精霊魔法はどう説明をするのかしら?」
ミネルヴァが俺に茶を運びながら、会話に参加した。
「それについては、結論が出ていないらしい。精霊が現世に存在することは厳然たる事実だ。けれど同時に特殊な能力も有するから、異界に属する存在でもあるのではないか――とディアナは考えているようだ。だから是非、精霊か妖精を解剖してみたいって……」
「そいつ、ご主人共々ぶっ殺すべきじゃねぇですか?」
夕食の支度を終えたらしい銀髪ロリエルフのルナが、白いエプロンで手を拭きながら言う。物騒な物言いだが、メイド服を着ているため咎める気にならない。
これは俺がデザインしてガブリエラに頼み、仕立て屋に半べそをかかせながら作成した逸品である。当然リナもこの装束を着ているので、俺は最近、二人を見るのが楽しくて仕方が無いのだ。
ただしミネルヴァだけは嫌がり、メイド服を着てくれなかった。今も無地の白いシャツに、黒いズボンを穿いている。男装という程ではないが、動き易さ重視で選んだ服らしい。
一方で元男のガブリエラは、女性用のトガを着ている。青い肌着を肩口から覗かせ、白いゆったりとした布で全身を覆っているのだ。
「そう言うな、ルナ。そいつはおれの友人かもしれん」
「ガブリエラさまが言うなら、殺さねぇでやってもいいです」
ていうか、リナもルナも日に日に俺の扱いが酷くなり、ガブリエラに対する敬意が上がっている。俺が居ない間に、いったい何が起きているんだ?
リナがガブエイエラの側に行き、会釈をした。その頭上に白魚の様なガブリエラの手が乗せられ、軽く撫でる。
「ルナ、良い子だ」
俺は唖然としつつ、眼福だと感じた。見た目、完全におねロリである。
「で、アレク。ディアナは“みたび”だったのか?」
「あ、ああ。恐らくは、“みたび”だ。――だけど彼女は、そのことを隠している」
「どうして?」
「これは推論だけど、ディアナは何らかの陰謀に巻き込まれているのだろう。だから身の危険を感じているはずだ。もしも自分が“みたび”だと告げれば、俺を巻き込むことになる。それを恐れているんじゃないかな」
「もう遅いけど……」という言葉は飲み込んだ。
ガブリエラの口角が上がった。茶を飲み干し、不敵な笑みを浮かべている。
「何を水臭い。みたびの為なら、どんな陰謀でも蹴散らしてやろう。なあ、恭弥」
はぁ……脳筋は気楽でいいな。
「そう簡単な話でもないんでしょう?」
ミネルヴァが、“クスッ”と笑っている。
「そうだね、簡単じゃないよ。ディアナの学説は目下のところ、世に出ていない。彼女にしても最初は何も考えず、自分の考えを論文にしたのだろう。だけどディアナはあるとき気がついたんだ。これほど真実に近づいた説が、なぜ世にでないのか、と。
当然だ。この説が正しければ神の絶対性が失われ、それを依って立つ所とした帝国の正当性も風化する。恐怖したのは、帝国の上層部だろう。賢者の学院が誇る天才が、帝国の存在意義を根底から覆す学説を書いたのだから。だからこそ彼女を守りたい者は彼女に狂人のレッテルを張り、死体と共に閉じ込めるしかなかった……と。まあ、半分は彼女も望んでいるようだったけど……本当に死体が好きみたいだし」
「だが、だとしたらどうしてディアナは、アレク――お前の専任講師になったんだ?」
「おそらくは――」
溜め息をつき、言うべきか迷った。
これは俺の思い上がりかもしれないし、言ったところでどうなるモノでもないだろう。
「限界だったんでしょうね……ディアナ・カミルを生かす側も、殺そうとする側も。その上で両者の思惑が、奇妙なところで一致した結果だわ」
腕組みをし、俺の隣に座ったミネルヴァが言う。勝手に俺の茶を飲み、砂糖菓子を頬張った。ポリポリと音が聞こえる。
首を捻るガブリエラに、ミネルヴァが続けた。
「つまり、ガブリエラさまに纏わりつく害虫と国体を揺るがしかねない二人を結びつけ、共に亡き者にしたい人がいる。逆に先の戦いでガイナス軍を撤退に追い込んだ男なら、渦中の姫君を助けることが出来るかもしれない、と踏んだ者がいる――違う?」
「ま、ユリアヌス皇子自らが直接手を回したって訳じゃないだろうけど……彼が俺を目障りだと思っているのは事実だろうねぇ。だから点数を稼ぎたい側近でもいるんじゃない? 俺を消せば、殿下が喜ぶ――ってさ」
がっくりと肩を落としながら、両手で髪の毛を掻き回す。それから、思いっきり恨めしそうにガブリエラを見てやった。
彼女は仏頂面をしていたが意味が分からないせいか、何故か微笑を返してくる。
「これって半分はお前が殿下主催の晩餐会も舞踏会も出席せず、俺の家にばっかり来ているからなんだぞ!」と言いたいが、それでガブリエラに辛い思いもさせたくはない。
はぁ……軍から離れることが出来ないとしても、せめて戦場からは離れられると思ったら、今度は陰謀の渦中に入ってしまった。
だいたい考えてみれば、フィリピコス伯爵だって一人の父親だ。それが見ず知らずの男に「娘を頼む」と言う方がおかしい。
もちろん陰謀の渦中にある娘を助けてくれと言われたら、絶対に断る。だが今回は娘が他ならぬ“みたび”だしな。多分。
だったら、何とかするしかないじゃないか……まったく。次から次に問題ばっかり。俺の平和が遠のいてゆく。