黒い尖塔
※残酷な描写があります
◆
アルカディウス歴一〇五三年九月十日。今日から俺は、賢者の学院に編入される。生まれて初めて自分の意志で、どこかに所属するという晴れの日だ。
といっても、普通の学生ではない。軍から派遣された研修生といった扱いである。こういった事例は時々あるらしく、これに選ばれた者は大体が軍の幹部になってゆくという。
特に平民や下級貴族上がりで将軍と呼ばれる為には、絶対に通らなければならない道らしい。だとすると軍から距離を取りたのに、いっそう離れられなくなるのだろうか。
空模様は生憎の雨で、曇天からは冷たい雨が降っている。
俺は褐色のローブを着てフードをすっぽりと被り、栗毛の馬に跨がった。厩舎から門までの間、轡をとるのはリナ・ハーベスト。褐色肌で青髪赤目のロリエルフだ。
「ご主人におかれましては、今日も今日とて暢気そうなご尊顔。敬服するあまり、緩んだ表情筋もろとも、その首を斬り落としたくなってきてしまいました。よろしいでしょうか?」
馬がリナの殺気にあてられたのか、小さく嘶いた。その首に掌を当て、落ち着かせる。「どう、どう」
それからリナを宥めるように微笑を作って、室内へ入るよう促す。
「……よろしい訳が無い。俺の首は是非、このまま胴体と一緒にいさせて欲しい。さ、リナは家の中で待っていて。雨に濡れたら、せっかくの蒼くて綺麗な髪が台無しだよ」
「む? ご主人が濡れた私に欲情いたしました、どうしましょう。やっぱり首を刎ねるしかないですね。もう、許可など頂きません」
長い耳がピクリと動き、細い眉を顰めるリナ。そのとき……
「待て、アレク。忘れ物だ」
玄関から顔を出したガブリエラが、パシャパシャと地面の水を弾きながら寄ってきた。手には籐で編まれたバスケットを持っている。
「ん?」
「弁当だ」
バスケットは、濡れないように布が掛けられていた。捲って中を見ると、自家製のライ麦パン、チーズ、干し肉、水筒が入っている。
パンはルナが昨日焼いたものの残りだが、あとは色々とガブリエラが見繕って詰め込んだのだろう。
有り難いと言えば有り難いが、しかし賢者の学院には食堂もあると聞く。となれば無用の長物になる可能性が高いのだが……。
「聞いて下さい、ガブリエラさま。ご主人が私に欲情しました」
仏頂面のガブリエラの服を摘み、リナが不平を言う。
瞬く間に、自称“ウォレンスの蒼き獅子”の柳眉が跳ね上がった。
「なにっ!? 首を刎ねるか!?」
「そうしましょう」
何故かリナと息の合うガブリエラ。二人が腰の得物を抜き、銀の刃が雨粒を弾いている。
馬が竿立ちになり、“ヒヒン”と嘶いた。そのまま俺は馬腹を蹴って駆け出す。こんな全身凶器の二人を相手に出来るか、馬鹿馬鹿しい。そこで仲良く百合っていろ。ふふふ。
と、その前に。
「貰っていくよ」
ガブリエラの手から、バスケットを奪うのは忘れない。せっかく親友が用意してくれたんだ、貰っていかなきゃね。
ガブリエラは最近、三日と空けずうちに泊まっている。もっとも、彼女の寝所は廊下だ。最初はミネルヴァの部屋に泊まっていたが、ある日、顔を真っ赤にして俺の部屋に来た。
「お、おれとミネルヴァが一緒に寝るのって、ヤバくないか? だっておれ、男だろ?」
そして俺の寝台に潜り込み、「フーフー!」と荒い息をしていたガブリエラ。だがしかし、ふと寝返りを打った時、俺と視線が合わさると……再び顔を真っ赤にして、
「お前、どうして裸で寝てるんだ? まさかおれに欲情を……?」
と言い始めた。
俺としては、まだ暑いこの季節、上半身裸で寝たかっただけなのだが。
今度は「ううぅぁぁ!」と唸り声を上げて、廊下に出て行ったガブリエラ。結果、そこが彼女の寝室になったという次第である。公爵令嬢でありながら、どこでも眠れる彼女ならではだろう。
朝になるとだいたいメディアが迎えにきて、散々に文句を言われながら家路についている。
「またこっそり抜け出してっ!」
「すまんすまん。今度はお前も誘うから。な、お前もここに泊まれば、文句は無いだろう?」
「そ、そ、そんなっ、嫁入り前なんですよ、私だってっ! だいたい姫さま、こんな事が世間に知れたら、大変なことになるんですからねっ! 自重していただきませんとっ!」
「そうかなぁ? そうなのかなぁ?」
という具合に。
――――
俺はそのまま馬を進め、貴族街と平民街を隔てる大通りに出た。帝都の中程をぐるりと回る環状の道路は、丁寧に石畳で舗装されている。道幅も大型の馬車が四台、同時に通行することが出来くらい広い。
これを南へと向かう。賢者の学院は、この通り沿いにあるのだ。
ちなみに、北へ進めば大聖堂がある。このように貴族、平民を問わず利用する大型の施設は、この道路の沿線にだいたいあった。
暫く進むと、巨大な尖塔を持った建物群が見えてくる。屋根の色は灰色や黒で、壮麗でありながら禍々しさをも備えている。これが賢者の学院だ。
魔術を扱わない者には畏怖と敬意を、扱う者には誇りと矜持を与える色彩だと云う。
学院の門に到着すると褐色のローブを着た門衛が、併設された詰め所で本を読んでいる。俺は馬を下り、窓越しに声を掛けた。
「すみません。中に入っても大丈夫ですか?」
門衛は顔も上げず、指だけを学院の中へ向けた。入れということらしいが、余りに不用心ではないだろうか。
「あの、紹介状とか通行証とか、見る必要はないのでしょうか? 俺はいいですけど、こんな有様じゃあ余りに不用心だと思うのですが」
「……ここは世界に冠たる魔導の学府。招かれざる者が入れば、生きて出ること能わず。また異能の者が入れば、研究者達は狂気するであろう。だいいち我は見ておるぞ、アレクシオス・セルジューク。ディアナ・カミルは黒の塔の地下に、己の研究室を構えておる。わかったら、さっさと行くがよい」
パタンと本を閉じたローブの門衛が、ゆったりとした動作で立ち上がった。
目深に被ったフードのせいで表情は読み取れないが、口元を覆う髭は長く白い。身長は俺よりも十センチほど低いが、妙な威圧感があって小さくは見えなかった。
朗々とした口調は老人と言うには若々しく、といって中年というには達観しているように聞こえる。
さすが、アルカディウスの最高学府。門衛の男でさえ、この偉容。その手に持った本が気になるぞ。
「その本は?」
「ああ、これか……ふっ」
口元の髭が揺れる。ニヤリと男が笑った。その双眸には不気味な情念が宿り、黒く輝いている。両手で本を俺の前に差し出し、金色で書かれた表紙の文字を見せてくれた。
なになに――アルカディウス美女図鑑――だと? なんだ、このジジイ。
「我はな、ディアナ・カミルやガブリエラ・レオも入れるべきだと思うのだ。しかし社交界に出ておらぬ女は入れぬと著者がぬかしおってな、彼女等は選外なのだ。魔術師や軍人は女ではないというのか! おかしいだろう! なあ、おかしいと思わんか、この国は! おお、神よっ! あ、違った、我は魔術師。ゆえに神さえも凌駕する者! ああ、我よっ!」
本の表紙を“バン”と叩きながら、ジジイが言った。この国がおかしいと思う点は同意するが、ポイントが違う。あと、お前の頭もおかしいぞ。
「――ああ、まあ、おかしな国ですね」
「であろう! なればこそ我が学院は、志ある者を歓迎するっ!」
「あー、そうっすか。ありがとうございます」
礼を言い、さっさと立ち去る。俺には志なんて無いし、妙なジジイに同志と思われたら困るからな。しかしピンポイントでガブリエラとディアナの名前を出すなんて、怖いジジイでもあるよ、まったく。
「ふむ……馬は厩舎に預けるがよい、奇妙な性癖を持つ者よ」
がくりと膝が折れた。数奇な運命とか、そういうことを言われたなら「はっ」として振り返ったかもしれない。そういったことを言いそうな雰囲気も、確かにこのジジイにはある。
しかし「奇妙な性癖」とはどういうことか。合っているだけに、ぜったい振り返りたくなかった。
◆◆
黒い屋根の尖塔に入ると、黒いローブを着た人が数人いた。窓から入る明かりも少なく、壁には無数の松明が掲げられている。それでも室温が一定に保たれているのは、魔法の成果なのだろう。
ここは死霊魔術の研究を扱う施設だから、死体の腐敗が進まないよう温度管理が徹底されている、とのことだった。
建物は五階建てで、一階部分は事務室、ホールと実験室だ。二階、三階が教室で四階が研究室、五階には学部長や幹部の部屋があるという。
地下は本来、素材となる死体を安置している場所なのだが、ディアナ・カミルは「四階の研究室へ死体を運ぶ手間が無駄」とのことで、ここの安置所を一つ、自分の研究室にしてしまったらしい。しかも寝泊まりまでしているというから、筋金入りの死体好きだ。
建物に入り右側にあった事務室でいろいろ説明を受けたあと、俺はディアナの研究室へ向かった。
地下に足を運ぶと、ひんやりとした空気が漂ってくる。黒い壁には様々な魔術紋が描かれているが、大半の意味は分からなかった。
すぐに目的の部屋は見つかった。廊下を歩く“死体”に道を尋ねると、快く案内をしてくれたからだ。
白骨死体の彼は、死体の腐乱状態をチェックするのが仕事だと言う。流暢に喋りカラカラと笑うその姿は、生前の陽気さを思わせた。
「私が何で死んだと思います? 浮気がバレましてね! 妻にナイフで刺されそうになって逃げたら、なんと屋上から落ちまして! 転落死ですよ! いやぁ、たまりませんね! だって別にいいと思いませんか、浮気の十回や二十回! 世の中には側室を百人も持っている大貴族だっているんですよ!? だけどまぁディアナさまにこうして復活させて貰いまして、自殺って証言したんですよ、私! これでもね、妻を愛していましたからっ! 元平民の妻が貴族の私を殺したとあっては、死罪になって――」
いい加減うるさくなったので俺は心を鬼にし、白骨死体さんに言った。
「うん、黙ってくれるかな。仕事に戻って」
「……はい」
どうやら白骨死体さんは、人間の命令に絶対服従のようだ。空洞の眼孔に青白い焰を灯したかと思うと、踵を返して俺の側から離れてゆく。
さて――目的の人物は、この扉の先か。
“カンカン”
重厚な金属製の扉をノックし、中からの反応を待つ。
「フヒ、フヒヒ……これはおっきいなぁ。いいね、いいね……」
小さな声と、ピチャピチャという粘着質な音が聞こえる。
“カンカンカン”
もう一度ノックし、中の様子をうかがった。
「うるさいな、開いてるよ……」
“ギィ”と軋む扉を開けて中に入ると、むせ返るような血の匂いがした。
部屋は四方に松明が置かれ、朱色の明かりで照らし出されている。壁際には無数の白骨死体が様々なポーズをとって飾られていた。それは人間だけでなく、中には動物や魔物の骨もあった。
その他に部屋の中央では、小さな光の球体が浮かんでいる。この光は指向性を持っているらしく、その直下――こちらに後ろを向けたままの黒髪の女と、奥の台に横たわる死体を照らしてた。
先程のピチャピチャという音は、彼女が死体を切り刻む音だったらしい。
「フヒ、フヒヒ」
血に塗れた手を小さな光にかざし、手の中にある臓器を見つめている。――あれがディアナ・カミルか。
正直、先が思いやられる。彼女が「楓川みたび」だとしたら、ある意味で夢を叶えたということだろう。人体を好きなように解剖し、その中身を見ることが出来ているのだから。
しかしそうなると、「人体の解剖」を渇望していた「みたび」ではない。何故なら彼女はもはや、その先にいる存在だからだ。ならば、もっとグロテスクな何かに変わってしまったのだろうか。
――いや。そもそも彼女が「みたび」だと決まった訳じゃない。というか正直、あんなのが「みたび」であってほしくはない。だからこそ、確かめなければ……。
とはいえ娘がこんな感じじゃ、フィリピコス伯爵の心労も理解できる。さすがに、ここまで狂ってるとは思わなかった。
「きれい……」
人差し指と親指で謎の臓器を摘み、ディアナ・カミルが呟く。
俺は咳払いを一つして、「今日からお世話になります、アレクシオス・セルジュークです」と頭を下げた。
ディアナ・カミルが首を捻り、左目をこちらに向けた。紅い。うちのリナとルナも紅い瞳だが、それよりももっと、濃い赤色だ。
「ふぅん……」
首を傾げたままのディアナが、手に持った臓器を側の小皿の上に置く。それから全身をこちらに向け、「フヒヒヒヒヒヒ……キミの中身……見てみたいなぁ」と言う。怖い。
だが同時に、血に塗れた白いローブを着ているにも関わらず、魔性の美しさも漂わせていた。それによく見ると、右目は緑色だ。
黒く長い睫毛をゆっくりと上下に動かし、ディアナ・カミルが俺に近づいてきた。
「ねぇ、開けていい? キミのカラダ……なんだかとってもキレイな気がするんだぁ」
「はは、レントゲンでもあれば、見せてあげられるんですが……MRIの方がいいかな?」
軽くジャブだ。この世界しか知らない人間であれば、レントゲンやMRIという言葉に反応することは無いだろう。
「レントゲン? エムアールアイ? なにかな、それは。魔法かな?」
血の付いた指を頬に当て、首を傾げるディアナ。それから俺を見上げ、血でも舐めたのかと思わせる程に紅い唇を横に広げて笑う。
彼女の舌ったらずな喋り方は、年齢よりも子供っぽく聞こえた。見た目は完全に猟奇的なクールビューティーだから、その落差は激しい。
「知りませんか?」
「ボクは確かに講師だけれど、未だ人も世界も知らない未熟者。だからレントゲンもエムアールアイとやらも、教えて貰えると有り難いね」
「……レントゲンは電磁波の一種で、目には見えないもの。エックス線とも呼ばれています。その特性を利用すれば、人体を透視することもできます。もっとも、弊害もありますけどね。MRIの方は、高周波の磁場を人体に与ると、体内の水素原子が共鳴現象を起こすんです。その際に発生する電波をデータに変換してから、画像にするんですよ。だから水分量が多い部位を見るなら、こっちです。頭の中とかね。どちらも別の世界の医療では、常識ですよ」
たしか、こんなんだったよな……? ディアナが「みたび」であったなら、俺よりも詳しく知っているはずだ。
「へぇ。別の世界、とは?」
ディアナの笑みが消えた。代わりに、睨むように俺を見上げている。よく見れば、背が低い。百六十センチ程度だろうか。それから、胸もあまり大きくないようだ。
だが、興味は示している。向こうも俺を探っているのだろうか。ならば――
「地球、日本……転生。俺はかつて、陵蘭恭弥だった者です」
ディアナの肩が、僅かに震えた。だが、そのことを隠すように腕を組み、口をへの字に結ぶ。
俺は更に言葉を続けた。
「貴方は楓川みたび……だったんじゃないか?」
たっぷり十秒ほど間を置いて、ディアナが再び口元に笑みを浮かべる。
「随分と突拍子も無い空想をするね、キミは。だけど魔術師にとって想像力は、とても大切なものだよ。その意味でキミは、大いなる魔術師になる素質を持っているのかもしれない。歓迎する、ボクはディアナ・カミル。それ以上でも、それ以下でも――ましてやキミの親友だった“楓川みたび”でもないけど、ね。フヒヒッ」
なるほど、否定するか。
だけど、ディアナ。俺は「みたび」が親友だなんて、一言も言っていないぞ。それを自分から親友って言うなら、お前はもう“みたび”で間違いないだろう。どうして隠すのかは知らないけどな。