夜陰の戦い
◆
地球でもここでも、初夏の夜というのは虫の音がうるさい。
今日は新月で、空に輝くのは星ばかり。ということは、ここが何らかの恒星系に属す惑星であり、地球と同じような周期で公転しているだろうことを示している。
そう、この世界には月もある。つまりこの惑星は衛星を持っていることも明らかなのだが……この世界の住民は皆、天動説を信じていた。
もっとも俺は、彼等の蒙昧を訂正してやる気持ちなどこれっぽっちも無い。実際に宇宙へ行ける方法がある訳でも無し、地動説を説いた所で証明する手段が俺にはないのだ。
仮に複雑な計算をして証明したところで、帝国の国教に反する結果となる為、投獄されるのがオチだろう。
「それでも世界は回っている」などと言えるほど、俺は地動説に命を賭ける気にはならないのだ。
さて、今日はいよいよ敵の仕掛けた魔法が発動する。
ガイナスの狙いは、ある意味で定石通り。月明かりの無い夜の方が、夜襲には最適だ。その中で火災が発生すれば、とても良い目印になるだろう。
加えて他が暗ければ、味方の中に敵が紛れても気がつきにくい。そう考えているのが見え見えだ。
“ドウッ”
考えているそばから、遠くで火柱が上がった。そこが俺の鎧を置いた場所であることは、間違いない。同時に、「敵襲か!?」と叫ぶ大根役者なガブリエラの声が聞こえる。
篝火を倒し、炎をわざと広げているはずだ。「わーわー!」という怒声や悲鳴を響かせて、一帯は瞬く間に騒々しくなる。
「そろそろだな」
俺は地面に耳を付けた。地響きが聞こえる。予想通り、敵の騎馬隊が迫っているのだろう。
「迎撃用意」
俺が言うと、周囲は頷いた。
「松明を掲げろ」
副長のドムトが、緊迫した面持ちで告げる。けれど俺は首を左右に振った。
「まだだ。ギリギリまで引き付けろ。迎撃用意をしつつ混乱を装え」
後方に控える弓隊の面々が、表情に焦りを浮かべている。だが、今は待って欲しい。ガブリエラが一隊を率い、山を下り始めた頃だろう。今日を凌げば、戦況はこちらの優位に変わるはず。
逆に焦って行動を起こせば、全てを悟られる。そうならない為にも、今は我慢が必要なのだ。
しばらくすると、息を殺して馬を走らせて来た敵の部隊が現れた。
「突撃っ!」
敵指揮官の命令が夜気を切り裂く。
「未だ! 松明を掲げろ! 弓隊、構えっ!」
朱色の明かりが整然と並び、弓隊が矢をつがえる。うっかり俺が命令をしてしまったが、どうやら問題は無かったらしい。
「……罠だっ! 引き返せっ!」
槍を構えた軽装の敵騎兵が、慌てて後ろを振り返っている。しかし馬は急に止まれない。仮に止まったところで、後方から迫る味方が激突するだけだ。
「う、射てっ!」
弓隊の指揮官が叫ぶ。
朱色の明かりに照らされて、無数の矢が上空に放たれた。
面白いように、矢が敵へと吸い込まれてゆく。
バタバタと落馬する敵兵を見て、槍を投げるまでもないか――と考えたその時、夜でも輝く銀髪の女を見つけた。
「盾を頭上に掲げよ! 敵弓兵とは距離がある! 正面から矢は来ないっ! 慌てて混乱するな! 敵の思う壷だぞっ!」
ミネルヴァだ。そしてご名答。しかしだな――
俺は手持ちの槍を構え、力一杯に投擲した。矢が正面から来なくても、お前達の目の前にいるのは軽装歩兵だ。油断してると槍が正面から飛んでくるってこと、教えてやるよ。
「ぐっ!?」
ミネルヴァは寸でのところで槍に気付いたらしい。慌てて盾を下げ、自身の身体を守った。だが体勢が不十分だったのだろう。槍が彼女の盾を弾き飛ばし、馬をよろめかせた。
「弓隊、あの女が指揮官だ。狙ってくれ」
勝った。そしてミネルヴァを討ち取れる――俺はそう確信した。
「貴様っ、十人隊長ごときが我等に命令するなっ! ましてや軽装歩兵であろうがっ!」
しかし弓隊の指揮官が、どうやらご立腹だ。すごい剣幕で、俺を睨んでいる。しかも腰の剣に手をかけて、だ。
「お、おろ……?」
俺は後ずさり、冷や汗を浮かべた。ここで仲間割れをしている場合じゃないのに。
今射てば、手強い敵将を討ち取れるよ? なんで射たないの? 俺の地位が問題か? 所属が問題か?
「あんた、弓隊の百人隊長さんかい? 言い分はわかるが、あんたが腰のもんを抜くってんなら、俺は大将を守らなきゃなんねぇ」
真新しい頬の傷を歪めて、副長のドムトがニッと笑う。彼も腰の剣に手を掛けて、俺と弓隊指揮官の間に割って入った。
「貴様……雷光のドムト……! またも上官に楯突くかっ!」
「別に楯突いてる訳じゃねぇや。むしろ守ろうとしてんだがねぇ」
なにやらドムトには、中二くさい異名があったらしい。彼の経歴を詳しくは知らないが、確かにドムトは他の兵と比べて異質だった。
槍の腕も剣の腕も良く、巧みに馬さえも操るのだ。それなのに軽装歩兵でいるのは、多分、俺と同じように没落貴族なのだろうと思っていた。けれど弓隊指揮官との会話を聞けば、どうやら事情がありそうだ。
ドムトと弓隊の百人隊長が一触即発。そんな中、いつまでも弓を射ようとしない弓隊に業を煮やしたのか、重装歩兵のお偉いさんが現れた。馬に股がり、俺達を見下ろしている。
「弓隊、下がれ! 軽装歩兵も弓隊も大差ないわっ! 貴様等に大きな面をされるなど、我慢ならんっ!」
「おろろ?」
何ということだ。彼は確か、第四重装歩兵団の団長。
だけど、ここは彼の持ち場ではない。となれば、これは明らかにガブリエラの命令を無視している。
「我慢ならないのは結構ですが、貴殿がこちらにおられるのは、明らかな命令違反では?」
こんな時に我が侭ばっかり言いやがって。思わずイラっとした俺は、反論した。
「何を言うか、小僧。今、この場にいる最上位者は誰か?」
何が小僧だ。お前だって二十代前半ってとこだろ。俺とあんまり変わらないクセに……とは言えない。
「貴方でしょうね」
「そうだ。重装歩兵団千人隊長たる私、ドライスである」
銀色の兜が松明の光を浴びて、黄金色に輝いている。頭上の赤い総飾りが、風で揺れていた。アルカディウス帝国兵なら、誰もが憧れるであろう銀の兜と赤い総飾り。それは、千人隊長以上の将軍と呼ばれる者だけが着用を許されたものだ。
同時に彼はクラミスと呼ばれる、肩で留める短い外套を右肩に羽織っている。白地に描かれた赤の雄牛は家紋で、彼が元老院議員を輩出する程の名家出身であることを示していた。
ちなみにガブリエラの家紋は、金の獅子。彼女自身の家紋はまだ無いから、父親であるオクタヴィアンの家紋を借りているのだ。
この、自らの家紋を得る――ということも帝国臣民の憧れなのである。
「はぁ。ですが軍規に則れば、軍団長たるガブリエラさまの命令は絶対。破ればドライスさまが処刑とあいなりますが?」
「はんっ! 今回が初陣の金髪の小娘に、一体何が出来るというのかっ! そもそも命令違反と言うなら、あの小娘とて皇太子殿下のご命令を守っておらぬではないかっ!」
まあ、そういう見方は確かにできる。
とはいえガブリエラが一旦不在となれば、こうまで軍規が乱れるものなのか。
これが今の軍のありようだとすれば、ちょっと改善しなきゃいけないよな。
「出撃だ、出るぞ!」
ドライスはもはや俺などに構っている気も無いらしく、部下達に叫んでいる。
本当に、何をバカな……って感じだ。この暗がりで陣営の外に出たら、間違いなく同士討ちになる。
「待て、出るな! 同士討ちをするだけだぞっ!」
「黙れ、雑兵っ! 貴様がガブリエラさまのお気に入りでなければ、首を刎ねているところだっ!」
俺は槍で頬を叩かれ、兜を飛ばしてしまった。
「こ、この野郎っ!」と思ったが、俺は言わない。言って本当に首を刎ねられたくないからな。
その時、ハッとミネルヴァが俺の方を向いて唇を真一文字に結び、目を見開いた。
「生きていた? それで……」
彼女の表情は驚き、次いで納得したように見える。
「突撃っ!」
ドライスが兵を率いて、柵から飛び出してゆく。自身と供回りだけが騎馬兵だ。
ミネルヴァは馬首を返し、退く素振りを見せた。俺に向けて、何事かを呟いている。口の動きを見ていたら、こう言ったように思えた。
「無能な味方は、敵よりもタチが悪いものだわ。キミの苦労が台無しね」
こちらの部隊は愚かな将軍の後に続き、陣を乱して敵を追う。
俺はその間に、第一〇九軽装歩兵団の団長に声を掛けた。
団長は五十がらみの初老の男。平民上がりでは、ここが出世の頂点だろう。とはいえ軽装歩兵の千人隊長では、将軍と呼ばれない。爵位も上騎士爵止まりで、舞踏会への出席も出来なかった。
「団長。おそらく、あの千人隊は殲滅されるでしょう。防御陣を再び敷いて、誰も陣の中へは入れないようにして下さい」
「……このフォティオスに味方を、しかも騎士や市民兵を見捨てろと言うのか?」
鋭い眼光を俺に向ける団長は、浅黒い肌の奥の瞳に何らの光も宿していない。無感動、無感情といったところだ。
本来なら、十人隊長が百人隊長を通り越して千人隊長へ意見することなど許されない。しかし俺は、そもそもガブリエラと直接話が出来る身だ。かなりの融通が利く――という雰囲気でいこう。
「はい、騎士達は自分で死地に飛び込んだのです。どうしてその巻き添えを、俺達が食わなきゃいけないんですか? 市民兵というなら、俺達だって市民でしょう? 団長は死にたいんですか?
それに、ここを守りきれなかったら何の為にガブリエラさまが出て行ったのか、分からないでしょう」
団長は顎髭を軽く撫で、「ふうむ」と唸る。
彼は軽装歩兵として生き延び続け、今日に至っている。思慮も深ければ無茶もしない、誰から見ても無難な中間管理職といった雰囲気の人だった。
その彼に、無茶な提案をしている。俺の意見を汲めば、彼は上官を見捨てることになるのだ。しかし汲まなければ、部下と自分の命を失うこととなる。
「お前とガブリエラさまの繋がりは、一体何なのだ? 私はあと一年間の軍務を終えれば、つつがない余生が送れるだろう。貴族としては下級でも、家に帰れば八人の孫がおる。判断を誤り処刑などされれば、家族にも類が及ぶのだ」
なるほど、この期に及んで保身ですか。だけどまぁ、これが本音だろう。仕方ない。彼は今までの人生で頑張ったのだ。それでようやく手に入れた幸せを、放棄せざる得ない可能性のある提案をしているのだから。
とはいえそれなら、話は簡単だ。俺は彼が最も望む答えを提示してやればいい。
「……私はガブリエラ・レオの軍師だ。素性を明かさなかったのは、下々の動きをこの目で確かめんが為。私の言葉に従っていれば、貴方を悪いようにはせぬ」
十六歳の小僧に言われても、ピンとこないだろうか?
内心でドキドキしながら、俺は団長の目をしっかりと見て言った。ついでにガブリエラから貰った家紋入りの袋を見せて、真実味を増加させる。
「さ、然様でしたか。しからば、ご命令通りに!」
団長は片膝を地面に付け、俺の命令に服した。こうして、何とか陣を立て直す事に成功したのだった。
◆◆
やはりドライスは討ち取られたのだろう。純白の鎧に鮮やかな赤い血糊を付けたミネルヴァが、再び俺の前に現れた。
俺は槍を構え、敵の出方を待つ。
「アレクシオス・セルジューク。父の策略を利用し、ガブリエラ・レオを本営へ送り込む手腕、見事だったわ。今日は引き分けということにしておいてあげる……再戦の日を楽しみにしているわね」
ミネルヴァは首を一つ、俺の方へ放ってよこした。それは先程飛び出した千人隊長のもので、目を見開き、信じられない、といった驚きの表情を浮かべている。
きっとミネルヴァを女と侮って戦い、あっさりと敗れたのだろう。
彼女はあんな感じだけど、もしかしたらガイナス本人よりも手強いのかもしれない。というか、ガブリエラは大丈夫なんだろうか?
いや、大丈夫だろう。きっとミネルヴァがさっさと帰る理由は、本営が危ないからに違いない。それでもわざわざここに来たのは、自身のプライドの為か。
俺はミネルヴァに丁重なおじぎをして見せ、ニッコリと微笑んだ。とはいえ再戦なんてしたくないから、何も言葉をかけなかった。
ミネルヴァは不満だったのか、長い髪をかきあげながら言う。
「キミには早く地位を上げて欲しいわ。こんな俗物の下にいる男と私が互角なんて、我慢ならないもの」
「それはそれは、期待に応えられず申し訳ない。だけど俺と貴女は互角なんかじゃないよ」
「……そ、それは、私ごときではキミの相手にならないってこと?」
俺の言葉で、ミネルヴァが身体を震わせた。あれ? この人、本当にドMなの? 演技じゃなかったの?
「いや、そういう意味じゃあないけど」
「……もう行くわ。貴方の放った猪が、お父様を苦しめているから。苦しめるのは、私だけでいいのにね……うふふ」
うわ、猪ってガブリエラのことかな? ひどいなぁ。でも確かにあれは猪だな。自分じゃ獅子とか言ってたけども、猪の方が合ってるよ。
再び馬首を返したミネルヴァは、怪し気なことを呟きながらも颯爽と姿を消した。
暫くすると、山裾の方から鴇の声が響いてくる。ガブリエラとミネルヴァが激突したのだろう。
「頃合いだな」
俺は空を見上げ、ガブリエラの為に祈った。
これ以上の戦闘は、意味が無い。彼女が無駄に戦わないよう――そして無事に帰ってくるように。
――――
夜明けと共に帰ってきたガブリエラは、えらく上機嫌で俺を自分の天幕へと招くのだった。
「アレク、アレク! 後一歩の所まで、ガイナスを追いつめてやったぞ! だけどな、あのメスブタが帰ってきたから、おれは仕方なく撤退したんだ!
あいつ、とんでもないぞ! ばんばん魔法をぶっ放すし剣の腕も相当だ、いつか殺してやらなきゃな! 本当は今殺したいけどっ!」
朝日が天幕の隙間から入り、光の筋を作っている。俺はそんな中、ガブリエラの向かいに座って茶を飲んでいた。
ガブリエラは全身の返り血をメディアに拭かせて、俺に色々と熱く語っている。金髪美女の全身をくまなく拭く、赤毛の美少女……デュフフ、尊い。思わずホッコリ、俺の目尻は際限なく下がった。
それはともかく、実際にガブリエラは敵将のガイナスと一騎打ちをしたらしい。
メディアによれば、それは凄まじい剣戟の応酬だったとのこと。もっとも、実力においてはややガイナスが有利だったらしい。途中からセルティウスも加わり、なんとかガイナスを追いつめていったそうだ。
そこへミネルヴァが戻り、形勢が逆転。ガブリエラがガイナスから離れ、ミネルヴァと一騎打ちをしたという。そこで何故か……
「アレクシオスを私に渡しなさいっ!」とミネルヴァが叫び、「あれはおれのものだ!」とガブリエラが言ったとか。
「その話、おかしいよな?」と、俺がメディアに聞くと、彼女はプイッと顔を背けてしまった。
「ともあれ、皆が無事でようございました。聞く所によりますれば、公爵閣下の軍勢も間もなくカプスへ到着なさる由。近々敵も撤退いたしましょう」
執事然としたセルティウスが、小さく頷いている。彼もガイナスと死闘を演じたはずなのだが、全く衣服が乱れていない。というか鎧すら装備せず、黒い平服のまま戦場に出たのだろうか?
俺は少しだけ疑問を口にした。
「セルティウスさん、鎧は?」
「父上は剣聖だぞ! 鎧なんて着るかっ!」
メディアが何故か怒っている。彼女も無傷だったが、代わりに返り血も無い。まあ、彼女の力であれば、その理由は察することが出来る。
「なに、闇夜に紛れるにはこれが一番。何より歳をとってしまうと、鎧を着るのも些か億劫でしてな」
「なるほど。反対にメディアどのは鎧が重く、敵を一人も倒せなかった……と」
「お、おまっ! 言っていいことと悪い事ぎゃ……!」
あ、メディアが噛んだ。口を両手で押さえ、目に涙を浮かべている。
「私はそもそも弓兵だ! 弓の扱いだったら誰にも負けないんだからなっ!」
「それなら何で二刀流なんだ?」
「そ、それはほら、カッコいいから……だし! そ、そうだ、今度は弓で勝負だ、アレクシオスッ!」
文句ばかり言っているメディアを無視して、俺は天幕を出た。
セルティウスの言うことが事実なら、最悪の事態はどうやら避けることが出来たようだ。
カプスが包囲されれば、ガイナスは退かざるをえないだろう。
これを勝利とは言えないだろうが、少なくとも死なずにはすみそうだ。
俺は自分の陣地に帰ると、皆と共にマントにくるまった。昨日は一睡もしていないので、すぐに睡魔が訪れる。
「起きろ、起きろ、アレクシオス!」
「ん……? なんだ……?」
「大変だ!」
あまり眠る時間も無かったが、正午過ぎには慌てふためく明るい声で起こされた。
目の前には青い瞳に涙を溜める、メディアの美貌が迫っている。
「のわっ!」
思わず転がり、近くの木の影に身体を隠す俺。女子に近づかれると、どうにも溶けそうな気分になる。
「やっと起きたか、アレクシオス。こ、こ、こ、皇太子殿下がご到着なされたぞっ! どうする? どうすればいい? 今、ガブリエラさまが対応しておられるのだが、私達の命令違反の件は……一体どうなるのだ?」