十六次元世界
そこは長閑な田舎と言える農村だった。
太陽は頂点に差しかかる手前と言ったところであり、少年の身体をじりじりと照らしていた。
まだ十代に満たない少年は、溜息と共に手に持っていたナタを振る。
ダンッと振り下ろされたナタにより二つに裂かれる丸太。
切り株の上に乗せられた丸太をさらに立て、四つ裂きにする。
薪用の薪割りだ。面倒だが彼の仕事なのでやらざるをえない。
「なぁーあとーっ」
不意に、面倒臭そうにナタを振り下ろす彼に向け、背後から誰かが飛びかかった。
ぎゅっと細い腕が絡みつき喉を万力のように絞め上げる。
「やめろアホ。暑苦しい」
身体を折り曲げ背後の誰かを背負い投げ。
相手は突き立ったままの薪の上に背中から落下し、さらに少年が振り下ろしたナタがそいつに襲いかかった。
「きゃうん」
だが、薪の上に落ちた背骨が砕けることはなく、ナタが彼女の額をカチ割ることはなかった。
全て彼女の身体に触れる直前で止まってしまっている。むしろ彼女の硬度に耐えきれなかった薪が粉砕し、ナタが折れ曲がる。
「あー、もー。ナート今日も激しいんだからーっ」
いやんっとシナを作るのは、ショートカットの少女。緩いウェーブのかかった髪を揺らし、彼女は起き上がる。
「うぜぇ。俺は慣れ合う気はねぇぞ?」
「ナートは照れ屋だもんねー」
などと告げる少女は背中に着いた木くずを払いのけ、屈託のない笑みを向けた。
「アレでしょー。また俺はもともと地球の学生で、殺人鬼で、枯木直人様だーっていう設定なんでしょ?」
「設定じゃねー。事実だ」
彼、ナートは転生者だ。
元の名は枯木直人。武藤薬藻のクラスメイトの一人であり、殺人狂であり、クラスメイトを殺そうとした人物。悔しいが手塚至宝により元の身体は消し飛ばされ、気付いた時にはこの世界に生まれ落ちていた。
最初は、驚いたが納得したのだ。
異世界に転生したのならばこちらで好きなだけ殺人を行おうと。
殺しまくれるならそれはそれでいい人生だ。そう、思っていた。
だが、彼は一歳の時、親を毒殺しようと画策、有毒物質をこれでもかと食事に混ぜたが親は全く気にせず全て平らげた。
食事が美味かったらしく、その日からナートが食事当番をやらされることになった。一歳で家族の料理番である。正直ふざけるなとしか思えない。
二歳の時、刃物を使って祖母を殺そうとした。包丁で祖母を突き刺したまでは良かったが、包丁が曲がってしまい殺せなかった。
祖母は殺されかけたことに気付きもせず、もうナートはやんちゃしてぇ。とカラカラ笑う程である。意味が分からず混乱した。
三歳の時、遊びに来た隣の女の子の首を絞めて殺そうとした。
遊びと勘違いされて以降熱烈にアタックされ続けている。幼馴染のキチガイが、今目の前にいるコイツだった。
四歳の時、彼はようやくこの世界の異常さを理解した。
そう、この世界の人間は等しく死なないのだ。
否、寿命で死ぬことはある。だがそれ以外では何者も彼らを殺すことは出来ないのである。
身体は強靭、毒物無効、無病息災。拳一つで山を消し飛ばし、蹴り一つで海を割る、超人チートしか居ない世界だったのである。
当然、ナート自身も超人だったが、相手も同じ状況であれば殺すことなど出来はしない。
どれ程手を尽くそうと、弱い筈の子供である幼馴染の少女すら殺せないのだ。
だから彼は、諦めた。
この世界で人を殺すという趣味を諦めたのだ。
結果、今回の人生は寿命で死ぬまで無為な人生となったのだ。
平均寿命は80年程。まだ70年以上残っている。
もはや絶望しかない世界だ。平和過ぎて反吐が出る。
虫やら動物は普通に殺せるのだが、それではただの狩りや弱い者いじめでしかなく、殺人という快楽に酔うことはできない。
だから、これはきっと罰なのだろう。彼の意識を残したまま80余年を無為に過ごせ、そういう罰なのだ。クラスメイトに手を掛けようとして被った、彼の……
「あれ? ナートナート、あれ、何かな?」
幼馴染の少女が告げる。
何がだよ? 面倒臭そうに彼女が指差す方を見たナートは目を見開く。
魔法陣が広がっていた。
「まさかっ!」
予感に、彼は走り出した。
「ちょっと、ナート?」
「お前は来んな! 楽しみが減る!!」
そう、それはきっとナートの為に誰かが用意した暇つぶしの楽しみだ。
光が収まった先に、三人の男女が姿を露わした。
「あれ? あの三人組どこ行った?」
「いや、つーか、ここどこだよ?」
「あー、もしかしてさっきの転移魔法じゃないかなー」
ふふ。思わずナートの口元から笑みが零れる。
誰かは知らないが感謝しよう。するしかない。
だって、この世界ではないどこかから、わざわざ獲物を送ってくれたのだから!
「やぁ、お兄さんたち」
「ん? 子供?」
「おぅ、小僧。俺は破斧の勇者ってんだ。こっちは剣聖でそっちのが神槍の勇者。ここはペンデなんとかっつー世界でいいんだよな?」
「さぁ? 世界の事なんてどうでもいいよ。それよりも……ようこそ、哀れな贄共。チートしかいない世界へ」
両手を広げ、獲物の到来を彼は喜んで出迎えた。
その後、勇者たちを見た者は、誰も……居ない……




