エピローグ・ヘリザレクシア
「ご主人様ぁーっ」
遥か遠方より、ピスカが降りてくる。
「おー、終わったのか」
「見てくださったでありますか! ピスカ頑張りました!」
ウサギはああ、うん、見てた。と呆れたような顔をしていたが、すぐに悟られないように表情を変え、頷く。
「はきゅーんっ。ご主人様らぶりぃ過ぎますっ。持ち上げていいでありますか!? というかもう抱きしめちゃいますけどいいでありますか! もちろん胸は好きに揉んでくれていいでありますよぉ」
ウサギを持ち上げぐるんぐるん自分ごと回りながらワルツでも踊るように草原を移動し始めるピスカ。
地面に倒れた状態で、アンゴルモアはそんな一人と一匹を呆れた顔で見ていた。
「おいおい、あのウサ公本当に胸触ってんじゃねーか……」
呆れる行動をしているウサギに溜息吐いて、うつ伏せ状態のままアンゴルモアは溜息を吐く。
「はぁ……誰か、起こしてくれないかなぁ」
半身の機械が不調をきたしたようで、動けなくなったアンゴルモアは頭の上に砕けた隕石を乗せたまま、その場に倒れ続けた。
ウサギと踊りまくるピスカがこれに気付くのは、一時間踊ったあとであったという。
「ふぅ、随分と不思議な現象だったな」
部屋から全身窓の外を見上げ、リオンは呟いた。
「そうですね」
リクライニングチェアーに腰掛けた女性が膨れたお腹をいとおしそうに撫でながらくすりと笑う。
「あの隕石は確実に我が家に降ってくる軌道だった。あの魔法陣はなんだったのか……」
「まぁ、過ぎたことはいいではありませんか」
「いや、しかしだねディアーネ」
「私は、この子が私達を守ってくれたんだと思います。ふふ、動いた」
「むぅ……」
そんな訳があるはずないではないか。そう思ったリオンだったが愛する妻に意味の無い言葉を投げかけたところで問題が解明される訳でもない。
「そうだな。どこかの誰かが救ってくれた。それでいいか」
できるならば召抱え自宅のお抱え魔術師になって貰いたかったが、流石にそれは無理な相談か。
一人納得して思考のゴミ箱へと投げ入れる。
ゆっくりとディアーネに近づくと彼女のお腹に耳を押し当てる。
「ふふ、ディアリオは分かるのかしら。ここにいるのはお父さんよ?」
「ああ、父さんだよディアリオ。君が生まれてくるのを今か今かと待っているんだ。愛してるよディアリオ」
ディアーネのお腹にキスをして、リオンは立ち上がる。
「さて、そろそろ評議会に行かねばならんか」
「あなた……行ってらっしゃい」
「ああ。行って来るよディアーネ。愛してる」
「私もよリオン。しっかりね」
愛する夫と行ってらっしゃいの口付けを交わし、リオンを送りだす。
「ふふ。お父さんったら気合い入っちゃってるわね。ねぇディアリオ……」
自分のお腹に視線を向けて、優しげに微笑む。
キィと椅子がきしみをあげた。
「ありがとう、皆を守ってくれて。だから、あなたは私が守ってあげるわ。私の愛しいディアリオ」
母になる。その決意を固めたディアーネは、生まれ来る子供に愛情を存分に注ぎ込むのだと意識を改めふふっと優しい顔をするのだった。
参ったな……
子宮の中で、ディアリオは困っていた。
母親からの愛情というモノを知らなかった彼はこの無償の愛に戸惑いを覚えていた。
何と反応すべきか、どう表現したらいいのか分からない。
くすぐったいような嬉しいような。なんともいいがたい感情だ。
相手の感情が読み取れる彼だからこそ未知の感情にどう反応したらいいのか分からないのである。
愛情というモノを知らない彼には母の愛は強過ぎるのだ。
昔は、そう、昔は愛してくれた女が居たには居た。しかしディアリオの前世は感情を読み解く術を持っていなかったため、彼女の愛情に気付くことができず、気付いた時には彼女はもう死んだ後だった。
今ならば分かる、自分は随分と酷い事をしてしまったのだということが。
あの女性に謝れるのならば謝っておきたいところだが、それが行えることは今後一生来ることは無いだろう。
ならばこそ、今からの未来はこの自分に与えられた母と父という家族の為に、自分が出来ることからやって行こう。
あまりやり過ぎて悪魔の子と言われぬように、聞きわけの言い愛すべき子供を演じよう。
いや、演じるというのも語弊があるか。
ディアリオは困っていた。
この無償の愛情に報いる術を、自分が持っていないことに。
生まれるのが怖い。この先、彼らの愛情を一身に受けるだろう未来が恐い。
その愛情に形の無い何かを返せる自信が無い。
感情が乏しい自分を自覚することがこれ程の恥になるとは。
ディアリオは羊水に満たされながら溜息を吐く。
恐い。生まれるのが怖い。だが、とても……待ち遠しい。




