序・ヘリザレクシア
青い空。白い雲。緑に煌めく草原を風が駆け抜ける。
長閑な光景が広がる街道、荷馬車二台が通れるくらいの道が一本。遥か遠くから続き、果てが見えない程に草原の先へと消えている。
周囲には山も無く、小高い丘もない。
ただただ見晴らしのいい足首くらいまでの草が生い茂る草原が風に揺れていた。
その草原の一角。街道から少し外に出た辺りに、そいつはいた。
真っ白な体躯、風が通るたびにぴくんと揺れる長い耳。残念ながら片耳が半分ほどで切り取られたように欠けていたが、愛らしさは全くと言っていいほど衰えていない。
真っ赤なお目々をパチクリしながら、3という文字を横にしたような口をもごもごと動かす小型生物。
そう、兎さんである。
兎さんが草を食んでもっきゅもっきゅしていた。
犬がお座りするような格好で、ただただ虚空を見つめてもっきゅもっきゅしていた。
「はぁ~癒されるでありますよぉ~」
そんな兎さんの前には一人の少女。
黒いメイド服を着た少女がしゃがみ込み、太ももに両肘乗せて、手首で顎を支えて兎さんをじぃっと見つめていた。
その顔は熱に浮かされたように幸福感が浮かんでおり、兎さんの耳が風に反応するたびに蕩けるような笑みに崩れる。
ご主人様が引っ込み思案な図書委員がいい。と言ったので。という訳のわからない理由で目元が隠れるほどの前髪とショートカットに頭頂部のアホ毛が一本。最近の少女お気に入りの髪型だ。前髪は薄めのせいだろう、合間から見える濡れた瞳がきらきらと輝きハートマークが覗いていた。
「はきゅ~ん。最高でありますご主人様ぁ。もごもごでありますよぉ。もきゅもきゅでありますよ。ふわふわもこもこもっきゅもきゅでありますよぉ~」
全身をくねらせ悶える少女は思いの丈をぶつけるべく、もう一人のパーティーメンバーへと視線を向ける。
背後にいたそいつに首だけ向けて、兎さんを指差し告げた。
「見てくださいアンゴルさん。我がご主人様を。もきゅもきゅしてるでありますよ。もっきゅもきゅにしてやんよでありますよっ!」
「あー、はいはい」
ため息交じりに返答したのは、かれこれ一時間、同じ問答を何度も繰り返しながらここに拘束されている不幸な男。
半身機械で出来たそいつは、少女に適当に返答しながら空を見上げる。
思えば遠くへ来たもんだ。彼は自分を取り巻く哀しい現実に一人涙する。
「ちょっとアンゴルさん、我がご主人様がもっきゅもきゅなのでありますよ!? なぜ魅了されないのでありますか。見てくださいこのもきゅもきゅ感を!!」
と、兎さんを持ち上げた少女は小さな両手の掌を上にして、その上にお座り状態の兎さんを乗せる。
そのままアンゴルさん、もといアンゴルモアという名の邪神に向けて兎さんを突きだした。
アンゴルモアの目の前に口をもごもご動かす兎さんが現れる。
「あーそうだな。もきゅもきゅしてんな。ンでピスカだっけ?」
呆れながらも、自分の胸元くらいの背丈しかない小柄な少女に視線を向ける。
兎をご主人様と豪語する謎の少女と彼、アンゴルモアが出会ったのは、彼がこの世界に邪神として召喚された時である。
兎を頭に乗せて呆然と自分を見つめていた少女と、アンゴルモアを邪神とのたまい世界をどうこうしようとする白衣の男。どっちに味方するかと考えて、とりあえず白衣の男を駆除したアンゴルモアだったが、正直選択を誤ったかもしれないと今更ながらに後悔していた。
「正式名称PS2037-K、通称ピスカであります。なんでしょうアンゴルさん」
本名、三神照之。それが彼、アンゴルモアの本当の名前だ。残念ながら不幸な彼の特性上、周囲の人間には忘れ去られてしまう名前なので、アンゴルモアという名前の方が彼の本名になりつつあるのだが、そんな彼は自分の不幸に嘆きながらも少女に告げる。
「さっきの話聞いただろ。女神勇者とかいうのがこの世界に四体くらい降りて来たってよ」
「はい。お聞きしているであります」
「お前ら神様から直で闘ってくれって言われたよな」
「そうでありますね。ご主人様に神が直で言って来ましたであります。さすがご主人様、神に頼まれる程に重用されているのでありますよぉ」
さすがですご主人様ぁ。といいながら手に持ったままの兎さんを高く掲げでくるくると回りだすピスカ。兎さんが迷惑そうにしているのは気のせいではないだろう。
ご覧頂けるだろうか。ここまで人間味のある少女、実は人間ではなく機械少女なのである。
アンゴルモアからすれば少女一人とマスコットキャラの兎がいるだけであり、兎がご主人様だとかは彼女が電波さんなだけだろうと思っているのだが、兎は兎で結構人っぽい行動をする。
たとえば休憩中はピスカの胸や尻を触ったり、太ももでお昼ねしたり、この前はキスしていたりした。といってもピスカから可愛いですご主人様~とか言いながらではあったが。
羨ましすぎる小動物だ。
そしてこんな一匹と一人と共に女神の勇者とやらを退治に行かなければならない自分の不幸さが極まっていることに泣けるアンゴルモアだった。
「凛と命……元気してっかなぁ。ああ、不幸だ……」
地球で離ればなれになってしまった妻子を思い浮かべ、不幸な英雄は今日も己の不幸を嘆くのだった。




