涙
暗い暗い森の中、僕は一人何も持たずに立っていた。
「……ここは」
僕はわけがわからずに、周りを見渡すと、突如、周りを火が囲った。
火はあっという間に勢いを増し、僕は逃げ道を失う。
「う、うわっ」
僕が一歩後ろへ引くと、何かが目の前に振って来た。
「ガ、ガルド」
それは角を生やした魔物。僕の最も恐怖する魔物。
ガルドは不気味な笑みで近づいてくる。
僕は恐怖から、声を発することも、逃げ出すこともできず、その場に立ち尽くした。
ガルドが手を伸ばし、僕の頭に触れる瞬間、僕は目を覚ました。
◆
「うわあああぁぁぁ!!」
僕は叫び声をあげて、ベッドから飛び起きた。
冷や汗が滴り、服を濡らしていく。
ふと、視線をあげると、扉の前に子供が布と水桶を持ったまま、固まっている。長い髪が顔を隠しているが、髪の隙間から見える目が、こちらに釘付けになっているのがわかった。
「……君は」
僕が声をかけると、子供は扉から出ていってしまった。
「あの子は、川辺にいた……」
そこまで呟いてはっと気づく。
ここはギルドの大広間ではない。
それに、僕は川辺で採集をしていて、そこでタミアスにあってそれから……。
そこまで思い出して、自分が為すすべもなく小型の、それも最底辺に位置する魔物に嬲られたことを思い出し、拳を固く握りしめる。
そこへノックの音が聞こえてきた。
「ようやく起きたようだね」
扉の方を向くと、見知った顔の女性が立っていた。
「ギルド長……」
「ここでは院長だね。とりあえず、これでも飲んで落ち着きな」
気さくに笑ったギルド長は、湯気の立ったカップを差し出してきた。
僕はそれを受け取り、お礼を言って、一口含む。
「……おいしい」
「それはよかったよ」
カップの中身は暖められたミルクだった。少しだけ砂糖が入っていて、程よい甘みが口の中に広がる。
僕はそれを飲み干すと、ギルド長へとカップを返した。
「ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」
「それはよかった」
ギルド長はカップを机の上に置くと、僕のほうへ向いて姿勢を正した。つられて、僕も姿勢をなおす。
「うちの子を助けてくれてありがとうね。あんたがいなけりゃ間に合わなかった。本当にありがとう」
ギルド長は僕に深々と頭を下げる。
僕は慌ててそれを制止する。
「や、やめてください。僕はお礼を言われるようなことはできませんでした。僕のほうこそ助けていただいてお礼を言わなきゃいけないのに」
僕の言葉に、ギルド長は頭を上げて、僕の目をまっすぐに見つめてくる。
その瞳はあまりにもまっすぐで、僕は視線を逸らすこともできなかった。
「いや、あんたがあの場に居合わせなけりゃ、まず間違いなくあの子は死んでいたよ。それは紛れもない事実だ。あんたはあの子を助けた、それは間違いなく誇っていい」
ギルド長の言葉を聞き、思わず俯く。
「……あんたは自力で倒せなかったことを悔いているようだね。タミアスは集団で襲ってくるが、速さだけで脅威はほとんどない。訓練場での動きを見てる限り、あんたならてこずる相手じゃなかったはずだ」
最後の一言を聞いた瞬間、先ほどとは逆に勢いよく顔を上げた。
確かにギルド長はたまに訓練場に顔を出していたが、それはパーティーメンバーとの訓練だけで、僕が話をしたことは一度としてなかった。
戸惑いながらも僕は尋ねる。
「……なぜ、僕のことを?」
「あんた、グレイス家の子だろ?」
僕は雷に打たれたような衝撃が走る。
ギルド長なら知っていて当然だ。なら、僕が魔法学園を追放されたことも知っているのだろう。
上げた顔が、再び下がっていく。
そんな僕の肩をギルド長がつかんだ。
「別に私はあんたのことをを言いふらしたりなんてしないさ。ただ、ほっとけなかったんだ。
……あんた、あの日バーンが魔族と戦っていた場所に居合わせたんだろ?」
僕は軽くうなずいた。それを見るとギルド長は話しを続けた。
「正直ね、私はあんたが冒険者を続けていることが、……戦いの場に出られていることが不思議で仕方ないんだ。あんたはあの戦いが怖くなかったのかい?」
ギルド長の質問を聞いて、僕は自然と拳を握っていた。
あの日、あの時の感情を呼び起こし、僕は問に答える。
「……確かに、怖かった。今思い出しても震えるほどに……」
さらにきつく拳を締め付け、ついには血が零れ落ち始めていた。
「……あんた」
「でも!」
ギルド長が血に気づき、止めようとしたのを、俺は彼女の瞳を見返すことで、制止した。
「それ以上に、僕は成りたいと思ったんだ。あんな風に成りたいって思ったんだ!彼らのように!!
…………僕だって分不相応だって思ってます。僕は天才じゃない。彼らのようには成れない。彼らのようになれるのは、最初から才能が有って、なおかつ努力を続ける、……そう、フィレイアさんのような人だ」
口惜しさと、恥ずかしさで視線を下げようとしたとき、ギルド長が僕の顎をつかんでそれを阻止した。
熱い。ギルド長の瞳は燃えているように見える。その熱が僕の中へ伝わってくる。
「あんたは自分に才能がないって思っているんだね。確かに、あんたには魔力も身体能力もない。あんたは一見すれば普通の子供さ。けれど、それでは説明がつかない」
「……説明?なんの…………?」
「あんたが今生きていることさ。あの日ここにやってきた魔族はAランク三人、Bランクが十七人死んでいる。あいつは自分の腹を満たすためではなく、いたぶって殺すためにやってきた。そう、狩りを楽しむように。それなのにあんたは生き残った。あいつはあんたの中に何かを見出したんだ。それが何なのか、私は知りたい」
わからない。僕に何があるっていうんだ。学園すら卒業できない僕に、実家から追い出される僕に、たかがタミアスに負ける僕に、何が!わからない。
いくら考えても出てこない答えを探していると、ギルド長は僕の肩をそっと叩いた。
「余計なことを言ってすまなかったね。無理に聞き出そうってわけじゃないだ。あんた自身、わかっていないようだしね。さ、手をお出し。手当をしないとね。メル!塗り薬と包帯を取っておくれ」
ギルド長が声をかけると、トタトタトタと小さな足音があっちへいって、また戻ってきた。
ゆっくりと扉が開く。扉からひょっこり頭が飛び出す。それは、僕が目覚めたときに水桶を持ってきてくれた子だった。
「いんちょー、はい」
「ありがとう、メル」
ギルド長は僕の手を取り、塗り薬を手のひらに塗っていく。そんな中、メルはもじもじと手をすり合わせて、動こうとしない。そんな様子に、ギルド長が気が付いた。
「ん、どうしたんだい、メル。……あぁ、そういうことかい。ほら、こっちへおいで」
ギルド長は一人納得し、メルを僕の前へ出すように背中を押した。
それでも、メルは何も言わず俯いたまま、手をもじもじさせている。
そんなメルにギルド長は声をかけた。
「ほーら、メル」
メルはギルド長に声をかけられ、きゅっと服を握った。
そして、少しだけ顔を上げて、上目遣いに僕の目を見る。
「……助けてくれて、ありがとう、お兄ちゃん」
ほんの、小さな声。ちゃんと聞いていなければ、聞き逃してしまいそうなほど小さな声。
けれど、その声は思いのほか大きく、はっきりと僕の耳へと届いた。
「…………え?」
僕の顔からぽたぽたと水が零れ落ちる。僕は思わず、自分の顔を触れると、温かい水が目から流れ落ちていた。
「あ……、れ……?」
拭っても拭っても水はとめどなく流れていく。それは、川のように止まることを知らない。
「あ、あ、あ」
口から嗚咽も漏れ出し、僕は顔を覆って、小さな子供のように泣きじゃくった。
「……った、よかっ……た、よかった」
「……う、うわーーーーーーん、わあぁーーーーーー!」
僕の泣いた姿を見たメルも一緒に泣き始める。
そんな僕たちをあやすように、ギルド長が抱きしめてくれた。
僕たちが泣き止むまで、抱きしめ続けてくれていた。
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