醜く足掻く
レイが再び動き始めたのは、あの化物が去ってから数時間後だった。日が傾き、もうすぐ夜が訪れる。夜になれば、夜行性の魔物が活発に動き出す。その前に森からでなければ、不味いことになる。
魔物は基本的に肉食のものばかりだが、夜行性の魔物のはさらに獰猛であることが多い。一度見つけた獲物はその獲物が死ぬか、自分が死ぬまでは決して止まらない。
だからこそ、夜になる前に森から出るべきなのだ。
途中で遭遇した魔物と相対すること無く、全力で袋を隠した場所へと走った。
化物がいたのは、東の森。ならば、あの死体は調査に来ていた上位ランクの冒険者の可能性が高い。その二人が手傷すら負わせる事無く殺られたのであれば、あの化物にレイが太刀打ちできるはずがない。
そのまま東の森を突っ切って、化物に遭遇するよりは、日が落ちるリスクを侵してでも、南の森から街に戻る方がいい。それに、レイがいたのは、南の森のすぐ近くだ。袋を回収してから街に戻ってもギリギリ夜にはならないだろう。
疲労で止まりそうになる足を、全力で動かし続ける。もしも一回でも立ち止まれば、あの化物に追い付かれるかもしれない。実際には、化物が追って来てはいないのだが、化物に対する恐怖心がレイの体を動かしていた。
そして、それからまもなく薬草袋を回収できた。上がる息を整え、街の方がへ走り出す。
だが、森は簡単にはレイを返してくれなかった。レイが背負っているのは光草。夜になると魔力を光に変えて放つ。日没間際に淡い光を放ち始めた大量の草は、袋に入っていようとその光を抑えられない。
今、レイの目の前には数匹の魔物が集まっていた。背後に魔物はいないが、そっちは東の森。
退路をたたれ、レイは戦う決意をする。ただ、全てを相手にするつもりはない。魔物達が怯んだ隙をついて、全力で街の方へ向かう。それがレイが思い浮かべたプランだ。
ここは学園じゃない。死んだら負けで、それ以外はレイの勝ちだ。なら、真正面から戦う必要など最初からない。
レイは袋を背負ったまま、剣を構える。できればこのまま袋を担いで行きたいが、おそらくそれはできないだろう。なら、使えるタイミングを待つ。
動かないレイに痺れを切らしたのか、正面にいた人間並の大きさを持つダイダイカマキリが向かってきた。
ダイダイカマキリの特徴は手の代わりに生えている大きな鎌と高速で飛翔できる羽だ。冷静に見切らなければ、たちまち頭が切り落とされるだろう。
レイは右手に剣を、左手にナイフをもって、ハの字に構える。そして、そのまましゃがみこんだ。
ダイダイカマキリと激突する瞬間、レイは足に魔力を込める。そして、振り下ろされた鎌にナイフを滑らせ、全力でカマキリの懐へ飛ぶ。右手を一気に振り抜き、ダイダイカマキリの胴体を真っ二つに切り捨てた。
剣を地面突き立て、勢いを殺す。そして、回り警戒しながら、すぐに立ち上がり構え直した。ダイダイカマキリが殺られたのを見て、回りの魔物達は散るどころか、一斉に襲いかかってきた。
一番最初に攻撃が届いたのは、デッドリースパイダーの糸だ。強烈な粘着力で、相手の動きを封じる。これに当たれば、確実に機動力を消され、たちまち魔物達に食い殺されるだろう。
レイは咄嗟に薬草袋を盾にして、糸を防いだ。瞬間、とてつもない力で薬草袋を引っ張られる。体が持ち上がる直前で、薬草袋につけていた紐を切り離すことで、何とか宙吊りにされることは避けられたが、すでに二匹の魔物が迫っていた。右側からホールドスネーク、正面からラビットナイフ。
ホールドスネークの体表はヤスリのようになっていて、捕まれば容易に逃げる事は難しい。また、ラビットナイフは額にナイフのような角を生やしていて、腹に体当たりをされれば、致命傷になりかねない。
レイは剣をかざしながら左前に飛ぶことで、ホールドスネークをかわして、ラビットナイフの角を防いだ。転がりながら距離を取り、すぐさま立ち上がる。
警戒をしていたレイの頭に木の実があたり、直感的にレイは全力で足に魔力を込めてその場から飛び退いた。
上からスローベアが降ってきて、レイがいた場所に小さなクレーターを作り出す。
間一髪避けきったレイは、とてつもなく疲弊していた。絶え間ない魔物達の猛攻に、息つく隙もない。
けれど、動きを止めればそこで終わりだ。レイは集中力を研ぎ澄まし、もてうる力を全て使って、襲いくる魔物達の猛攻をかわし続けていった。
だが、レイは天才ではない。秀才にもなれない。何もかもが凡人以下なのだ。すでに、まだ生きていること自体が奇跡の状態。死にたくないという一心で、限界を少しだけ越えていただけの事。終わりは唐突にやって来た。
ラビットナイフの体当たりを避けようとした瞬間、膝の力が抜けてしまい、ラビットナイフの角をかわしきれなかった。
「…………ッ! 」
左足に角が掠め、痛みで力が入らない。いや、体力的にも、精神的にも終わりが来たのだ。
ここまでやれば十分なんじゃないのか?
その言葉が頭を掠める。レイのこれまでの短い人生で、何度も浮かんだ問い。
だが、レイは一度たりとも逃げなかった。何度倒れても立ち上がる。それがレイ.グレイブという人間の在り方だ。これまでも、これからも。
レイは立ち上がっていた。だが、すでに死にかけの体、本来であれば動くはずのない体を意思の力で動かす。
魔物達は知らず知らずのうちに後ずさっていた。それはレイに対して本能が感じた恐怖。この人間は何かがおかしいと感じてしまった。これだけ傷つければ、死に恐怖し絶望するか、諦めて死を受け入れるかのどちらかが常であり、どちらも魔物達の餌である。けれど、目の前にいる人間はどうか。怪我で動きは遅く、元々多くない魔力も底をついている。ではなぜ動けるのか。得たいの知れないものに、生き物は恐怖を抱く。それは魔物も例外ではない。
レイが一歩、また一歩と遅い歩みを進めていく度に、魔物達は後退していく。そして、異様な雰囲気に耐えきれなくなった魔物がレイに襲いかかろうとしたその時、それは起こった。
魔物達が一斉に振り返り、一様に同じ方向に顔を向けた。そして、微かに何かの声が聞こえた瞬間、魔物達は声の聞こえた方角と真逆の方へ全力で逃げ出していく。
すでに日は落ち、森は暗闇に覆われているため、レイには何がいるのかはわからない。けれど、あの声は、この気配は、あの化物のものに違いないだろう。
未だに助かったとはいえない。早くこの場を離れなければ、次はあの化物がくる。
しかし、すでに限界を越えていたレイの意識は、闇の中へと沈んでいく。
(ダイ兄さん、ロイ兄さん……、リリシア……。もう一度会いたかった)
そして、木にもたれかかり、意識を手放した。