プロローグ
「そろそろ楽になればどうだ?」
「.......」
「はっ、声も出ないのか?さっきまでの威勢はどうした?」
拘束具にかけられた少年の足元にはバケツいっぱいの血が波を打つ。整備の行き届かない腐った地面の上に黒ずんだ爪の様なものが山ほど散らばっている。バケツの中身に目を向けると、少年のものらしき足の指が複数浮かんでいた。それらからは呼吸すらも苦痛になる程の悪臭が漂う中、電気が点滅する狭くて暗い部屋の中の二人はそれを気にする様子もなく対峙していた。もっとも少年の方は意識を保つだけで精一杯であったが。
大バサミを持った軍服の男性がならばもう一本、と錆びた大ハサミに唐辛子の油をかけて、手で虐げられている少年の足の爪を剥がし、大ハサミで足の指を切った。
それでも、頭を垂れる少年からは沈黙以外の反応が帰ってくることもなく、静粛が小部屋を支配していた。
「また気絶でもしたのか?コイツは。『悪魔』って大層な名前してただのガキじゃねぇか」
すると何時間か前に大バサミで切られた少年の足の指が少し生えてくる。あくまで少年が再生能力者であることを証明するように。どうも足指一本回復するのにそれなりの時間を必要とするようだ。
「しっかしこんな辛気臭せぇガキが街一個潰した『悪魔』とはね。とてもそうには見えねぇんだが、」
拷問している男は軍に所属している。それも能力犯罪対策軍の大佐にまで登りついた人物である。能力犯罪対策軍は基本的に自衛軍の中で能力が発現した者をかき集めた能力者対策部隊で、あくまで能力者による犯罪を抑えるために結成された部隊であるが、時には大きな犯罪組織の制圧にも関わっていたりする。その制圧途中でこの『悪魔』が気絶の状態で見つかったというが、どうも信じがたい。
「......ぁ.......」
少年から声にならない声が漏れた。かすかに少年の瞼から涙が流れたが、大佐の男はそれに気づくことはない。
この『悪魔』、発見以来まともに話せたことは一度もないが、ただ気がつくといつもくぐもった大きな声で叫ぶ。それが気がすむとだんまりである。
「あ〜、こりゃダメだ。しぶといね君〜。もう一週間だよ。そろそろ君の秘密とやらを教えてくれてもいいんじゃないか?」
『悪魔』はあくまでも再生能力者である。そして能力者は基本一つしか能力を保持できない。稀にセカンダーと呼ばれる二つのスキルを所持する者もいるが、ヨーロッパに多く、日本にはまだ出現していない。『悪魔』がもしセカンダーであれば日本初になる。男は少年がセカンダーだとほぼ確信しているようだが、根拠がある。再生能力はあくまでも自身の体を癒す能力であり、攻撃性はない。それに再生能力者はそこまで稀有な存在ではない。現に大佐の男の息子がそうである。そんなありふれた再生能力者である『悪魔』が単身で街一つを壊滅させたとは考えにくい。
本当に気絶したのか、少年はビクリとも動かない。
痺れを切らした大佐は少年の頭に蹴りを入れる。
それでも少年は死体のようになされるがままに揺れていた。
不審に思った大佐は少年の生死を確かめようと、少年の顔に手を伸ばした。この時、初めて男が少年に普通に触ろうとしたのだった。男は手で少年の顔を持ち上げる。
その時、幻覚が解かれたように少年は別人になっていた。
大佐にとっては非常に見なれた顔だった。
ただし口元が溶かされていて非常に不気味な顔立ちになってしまっているが。
大佐の息子だった。
一週間。
7日もの間、大佐の男はたった一人の自身の愛する息子に非人道な拷問を続け、挙げ句の果てに殺してしまったのだ。
ことの重大さが理解できずに固まって息もできない男は静かに手を少年の鼻の下に当てたが、すでに息子の息はない。
間もなく、大佐は変な声をあげながら膝から崩れ落ちた。
胸がはちきれそうだ。罪悪感、憎悪、愛情、絶望、それらの感傷による副作用を体感するよりも先に、息子を自身の手でかけてしまったショックで大佐に意識はない。目の光が消え、意識がなくとも大佐の涙は止まらなかった。そこには壊れた人形がただただ声にならない慟哭を誰かが来るまで永遠に続いた。
そして男は誓った。悪は絶たねばと。
ただただそれを心の中に刻んだ。