桜の王子様 7
実は俺の家は、
この花屋から徒歩10分くらいの場所にある。
そのことを言うと、桑野くんは
「なんだよ、近ぇのかよ」とぶつぶつ言っていたけど、
結局こうして送ってくれていた。
夜の帰り道。
特に会話もなく、
ただ並んで歩く。
俺は何度か話しかけようとしたけれど、
何を話せばいいのかわからなかった。
だって、数日前まで
お互い存在すら認識していなかったんだから。
・・・これで相手が女性なら、
会話を弾ませる自信があるのに。
家まであと少し。
このまま着いて別れるんだろうと思っていたとき、
桑野くんが口を開いた。
「おい」
「な、なに?」
「・・・桐雄」
き、り・・・お?
「桑野だったら妹と混ざんだろ。俺は下の名前でいい」
あ、なるほど。
どうやら呼び方のことを言っているみたいだ。
「でも妹さんのことは、紅ちゃんって呼んでるから大丈夫だよ」
「・・・・・・あっそ」
不機嫌な声が返ってきて、
そこからまた無言の空間が続く。
家に着くと、桑野くんは「じゃ」と言って来た道を戻っていった。
・・・いったい、どういうことなんだろう。
女性なら、もしかして俺のことを好きになってくれたのかな?とか予想できるのに、
桑野くんの考えていることがまったくわからない。
粗野で乱暴者で無口で捻くれている。
そんな桑野くんの気持ちなんて、俺にはさっぱり理解不能だった。
だけど、
それから毎日、桑野くんは俺を送ってくれた。
閉店前にお店に来て、
美華さんと口喧嘩をしながら片づけを手伝って、
夜の歩道を無言で歩く。
こうも毎日続くと、
もう、理由なんてどうでもいいと思っている自分がいた。
・・・ちょっとだけ、あの無言で歩く雰囲気が、
好きになりつつあるのかもしれない。
でも、1週間くらい経ったある日、
俺は桑野くんに怒られることになる。
いつものように女子生徒と昼食をとっていると、
桑野くんが近づいてくるのが見えた。
そして俺の前で止まると、
「ちょっと来い」
と、俺を見下ろして睨みつけた。
・・・なんだろう。怖い。
でも、女の子たちを怯えさせるわけにはいかない。
「うん、わかった」
俺は笑顔を作り、桑野くんに着いて行った。
いつもの階段の踊り場まで来ると、
桑野くんは向き直って何かを取り出す。
携帯電話だ。
「お前の連絡先、教えとけ」
「・・・え?」
どうして、突然連絡先なんて・・・
「で、バイト休むときは連絡しろ」
あ、なるほど。
俺は桑野くんの行動の理由がわかった。
昨日はバイトが休みだった。
でも桑野くんは、
いつものようにお店に来てくれたんだろう。
急いで俺も携帯電話を取り出し、画面に触れる。
「どうすればいいかな」
「コード読み取りゃいけんだろ」
「そっか。今表示するね・・・・あれ?」
表示させようとするけど、なかなか出てこない。
どの項目から進めばいいんだろう。
「どこ開いてんだよ」
「・・・っ!」
桑野くんが俺の画面を覗き込むと同時に、
俺は反射的に後ずさってしまう。
「あ・・・」
桑野くんの舌打ちが聞こえた。
「・・・ビビってんじゃねぇよ」
そして、不機嫌な呟きも。
桑野くんが怒るのはもっともだ。
どうして俺は、こんなにも桑野くんに怯えているんだろう。
もう、いきなり殴られたりしないはずなのに。
「早くしろ」
桑野くんが俺に向かって画面を見せる。
まるで印籠を見せるかのように。
ようやく画面を表示できた俺は、
コードを読み取ることができた。
「今日はバイトあるのか?」
「あ、うん、あるよ」
それを聞くと、桑野くんは携帯電話をしまって、
階段を降りて行ってしまう。
きっと今日も桑野くんは、
俺を家まで送ってくれるんだろう。
そう思うだけで、
バイトの終わる時間が待ち遠しくなった。