桜の王子様 13
紅ちゃんは言っていた。
桑野くんは熱を出しているって。
それなのにどうして・・・
「く、桑野くん!」
「あ?」
桑野くんが店の中に入ってきて、ようやくわかる。
顔が赤いことが。
「紅ちゃんから聞いたよ。熱があるって」
「・・・で?」
「それなら来なくてもいいのに、どうして来たの?」
「アホか。昨日の今日で来ないわけにいかねぇだろ」
「昨日?」
美華さんが首を傾げる。
俺が言うのを躊躇っていると、桑野くんが口を開いた。
「こいつ、昨日襲われてた。こいつのこと恨んでるやつに」
「えっ、大丈夫?那智くん」
「は、はい。桑野くんが助けてくれたから」
桑野くんの方を見ると、
やっぱりどこか調子が悪そうだ。
きっと、熱も下がっていないんだろう。
「那智くん、もう上がっていいわ」
「えっ」
「そこのバカは那智くんを送りに来たんでしょ?
これ以上ここにいると悪化する一方よ」
まだ、店にいたい。
きちんと片づけをしてから帰りたい。
でもそれだと、桑野くんの体調が悪化していく。
「すみません、美華さん。お言葉に甘えて失礼します」
「はいはい」
俺は美華さんに頭を下げて、
桑野くんと一緒に店を出た。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
暗い道路に、
桑野くんの荒い呼吸だけが響く。
少し距離があるのに、辛そうなのが伝わってくる。
どうしよう。
どうすれば、桑野くんは楽になるんだろう。
「・・・っ」
「あっ」
桑野くんがふらついて、転びそうになる。
俺は慌てて桑野くんの身体を支えた。
「だ、大丈夫?」
「・・・放せ」
赤い顔の桑野くんに、腕を解かれてしまう。
俺に触られるのが嫌なのかと思ったけど、理由は別にあった。
「うつんだろ、風邪」
・・・俺に風邪をうつしたくない、ってことかな。
だから離れて歩いてるんだ。
それなら・・・
「っ、おい!」
反対に、
桑野くんにぎゅっと抱きついた。
「俺に、うつして」
ここは家の近く。
誰かに見られるかもしれない、というリスクを冒しても、
俺は桑野くんの風邪をもらいたかった。
だって桑野くんが風邪を引いたのは、
俺のせいだから。
「アホか!放せって」
じたばたする桑野くん。
でも俺は強くしがみついていたから、離れない。
この熱い身体が冷めるまで、
離れるもんか。
「あのババァに見られてもいいのか?」
――っ!
桑野くんの言葉に、
心臓がドクンと鳴った。
おそるおそる、桑野くんから離れる。
「どうして・・・」
「お前、あのババァのこと、好きだろ」
・・・好き。
そっか。
桑野くんは、あの状況を見ただけで、わかっちゃったんだ。
俺が必死に隠している気持ちに。
「チッ、やっぱそうかよ」
桑野くんは舌打ちをして、再び歩き始める。
・・・ずっと、秘めておこうと思っていたのに。
だって、美華さんは結婚している。
彬さんという旦那さんがいる。
絶対に、好きになっちゃいけない人。
それなのに俺は、
ボロボロになったときに手を差し伸べてくれた美華さんを見て、
恋に落ちてしまったんだ。
「・・・着いた」
桑野くんの声が聞こえて顔を上げると、
俺の家があった。
もう、着いてしまったみたいだ。
「あ、ありがとう。桑野くん」
「・・・・・・」
「ここから無事に帰れる?少し、うちで休んでいく?」
「・・・・・・」
桑野くんは何も答えない。
もしかしたら、答えられないくらい辛いのかもしれない。
心配して顔を覗き込むと、
苦しそうな顔の桑野くんと目が合った。
「・・・やっぱ」
「え?」
「・・・風邪、うつされろ」
その言葉の意味を理解するよりも先に、
桑野くんの顔が近づいてきて、
唇が、重なった。