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スマイルジャパン

あの日を忘れない~家族の笑顔を見るために~

作者: 日下部良介

 どこまでも続く人の波。歩道を埋める人たちはただひたすら我が家を目指して歩き続ける。日が暮れてくると、テールランプの赤い色が車道を覆い尽くした。ドライバーはイライラしながら徒歩で追い抜いて行く人々を目で追う。彼らにはどうしても帰らなければならない理由があった。携帯電話がつながらない状況下では家族の無事を確かめるのには自分の眼だけなのだから。



 山下祐斗(やましたゆうと)はこの日、営業で外回りをしていた。その最中に妻からメールが入った。

『アンテナっていくらくらいするのかしら?ちょっと見て来てよ』

 この年の7月にはテレビが地上波デジタル放送へ移行する予定になっている。我が家でもその対応をそろそろ考え始めた頃だった。どうせ買うのならと祐斗は外回りのついでに自宅に近い量販店へ足を伸ばした。

 下見を終えると、少し早いけれど明日は土曜日。そのまま直帰する旨を会社に告げて駅へ向かっていた。

 その時だった。

 最初に異変に気が付いたのはビルの屋上に設置されている避雷針が不自然に揺れているのを見た時だった。

「あれ?」

 そう思った瞬間、地面がうねるように揺れ始めた。

「なんだ?地震か?」

 大きい!路肩に止められている無人の車が道路の真ん中へ吸い寄せられている。

「やばいぞ」

 幸い、走行中の車は揺れを感じたところで徐行しながら停止している。衝突は免れたものの路上には車から飛び出して来た人や沿道の建物から駆け出て来た人でいっぱいになった。

 ここは墨田区の四つ目通り。祐斗はハッとしてある方向を見た。東京スカイツリー。開業間近のその巨大なタワーが倒れるのではないか…。そんな祐斗の心配をよそに現代の最先端テクノロジーによって建設されているその化け物はこれほどの地震でもびくともせずに悠々とそびえ立っていた。妙な安心感に浸ったのもつかの間。頭上を覆う高速道路から、ものすごい音量の金属音が耳をつんざくように聞こえてくる。95年に起きた阪神淡路大震災の時の映像が頭をよぎる。祐斗は自然に走り出していた。夢中で走って気が付いたときに揺れは収まっていた。祐斗は立ち止り胸をなでおろした。そこで初めて家族のことが気になった。携帯電話を取り出し、自宅の番号を押した。つながらない…。何度も何度もリダイヤルした。それでも電話はつながらなかった。これだけの地震の後だ。電車が動いているはずはない。祐斗は徒歩で自宅を目指した。歩いている最中、再び大きな揺れに襲われた。しかし、これは先ほどの揺れに比べたらまだ小さい方だった。祐斗は歩く速度を速めた。またいつ余震が来るか判らない。

 自宅そばまで来ていた祐斗は30分足らずで自宅へ戻ることが出来た。

 自宅は両親が営む町工場。祐斗が帰宅した際には1階の工場で機械が動く音が聞こえていた。これだけの地震の後だというのに仕事を続けていたのだ。

親父(おやじ)、大丈夫か?」

「御覧の通りだよ」

 父親の英男(ひでお)は笑顔で手を振った。祐斗は苦笑して玄関のドアを開けた。そこには下駄箱から落下した靴で足の踏む場も無く、階段に至っては廃品回収用に積んでいた雑誌や新聞紙が散乱していた。居間がある二階に上がると、妻の明菜が床に座ってテレビを見ていた。倒れた本棚やそこに納められていたはずの書籍類は床に散らばったままだ。

「大丈夫か?」

「あら、早いのね?もしかしてサボリ?」

 あっけらかんと言い放った。祐斗は拍子抜けして、明菜の隣に座ってテレビの映像を眺めた。そこに映し出されている映像に祐斗はギョッとした。

「これって、何かのDVDか?」

 思わずそう聞いた。

「違うわよ。今やってるのよ」

「震源地はどこだ?」

「東北だって」

「東北だって!それが東京でこんなに揺れたっていうのか?」

「震度7だって。こっちは震度5」

「こりゃあ、えらいこったな」

 けれど、今、二人にはただ驚くことしかできなかった。



 祐斗の同僚の榊原(さかきばら)(かつ)()は本社で書類の片付けに追われていた。書庫という書庫から書類が放りだされた社内で後片付けをしていた。

「また余震が来たら無駄になるんじゃないんですか?」

「その時はその時だよ」

 上司の小田(おだ)正平(しょうへい)は半ばヤケクソで飛散した書類を書庫に戻していた。年度末で社長と専務はそれぞれ大阪と名古屋の支店に決算状況の確認のため出張していた。社内には部長の小田と榊原、経理の原田(はらだ)義則(よしのり)しかいなかった。

「それより、外はどうなっているんでしょうね?山下は無事かな…」

「無事じゃないとしても今はどうにも出来んだろう」

「部長って薄情ですね」

「お前、家族とは連絡を取ったのか?」

家電(いえでん)も携帯もつながらないんですよ」

「だったら、そっちを心配したらどうなんだ?」

「心配してもどうしようもないじゃないですか」

「つまりはそう言うことだ。今は無事を信じてやるべきことをやるしかないんだ」

「それが書類の片付けですか?」

「そうだ!」

「部長、ヤケクソになってません?」

「ああ!ヤケクソだよ」

 そこへテレビやインターネットで情報収集していた原田がやって来た。

「電車が全く動いてないですね。運転再開の目途が全く立っていないそうです。これじゃあ、家へ帰れませんよ」

「バカ言え!家で家族が待ってるんだ。俺は這ってでも帰るぞ」

「そんな無茶な!部長んちってどこでしたっけ?」

「小岩だ」

「はあぁ、近くていいですね。小岩なら歩いてでも帰れますね。僕なんか横浜ですから、電車が動くまで無理です。今日は会社に泊まりですかねぇ…。あっ!」

「なんだ急に大きな声を出して」

「晩飯どうしよう?」

「榊原!」

 その後、大きな余震はなく、社内もどうにか片付いた。既に、日が暮れかけていた。

「じゃあ、俺は帰るぞ」

「本当に歩いて帰るんですか?」

「ああ、帰る!」

 そう言って小田は会社を出た。榊原は小田を見送ると応接室のソファに腰をおろし、テレビをつけた。その映像を榊原は食い入る様に見つめていた。

「こりゃ、大変なことになっちまったなあ。書類の片付けで済んだ俺らは運がいい」

 そこへ原田がやって来た。

「先輩、僕もお付き合いしますよ」

「そっか。お前んちは確か…」

「ええ、立川です」

 それからしばらく二人はテレビの映像にくぎ付けになった。その間、どちらも一言の言葉も発しなかった。何を言えばいいのか、感情をどう表せばいいのか、まるで判らなかったからだ。



 祐斗と明菜は近所のスーパーへ買出しに来ていた。ガスが止まっているので料理が出来ない。夕食のための弁当や総菜を買うためだった。ところが既にレジには長蛇の列が出来ている。目ぼしいものはほとんど商品棚から無くなっていた。

「マジか!出遅れたな」

 弁当はおろかカップ麺や菓子パンまでもが無くなっていた。かろうじて残っていたスナック菓子とゆで卵、それに5kgの米を確保するのがやっとだった。

 帰宅すると、電気炊飯器で米を炊き、スナック菓子をふりかけ代わりにした。冷蔵庫に残っていた酒のつまみを加えて腹を満たした。

「あっちじゃ、こんな飯だって食えていないんだろうな…」

「そうね。食事どころじゃないでしょうからね」

 付けっぱなしのテレビの画面には何度も同じ映像が流れていた。どのチャンネルにしてもそれは同じだった。



 榊原と原田は会社近くの食堂に来ていた。作り置きのものをレンジで温めたので良ければということで食事にありつくことが出来た。店の外では小田のように歩いて自宅を目指す人々が絶え間なく行進をしていた。

「小田部長、今頃どの辺りですかねえ?きっと、腹減ってるでしょうね」

「どんなに腹が減っていても家族の笑顔が見られるんだ。どんなご馳走よりもそれを望んでいるはずさ」

「ところで先輩の家族は?」

「腹の大きい嫁と両親が一緒に住んでる」

「心配じゃないんですか?」

「心配に決まってるだろう!ただ、両親が一緒だから…。それより、お前はどうなんだ?」

「僕は一人暮らしですから。家族は九州ですし」

「恋人とかはいないのか?」

「それは秘密です」

「なんだよ、居るんじゃないか。よし!今夜は飲み明かすぞ」

 二人は店が閉まるまで飲み続けた。閉店後はコンビニに買い出しに行った。ところが、店内に食料品はほとんど残っていなかった。かろうじて焼酎の2リットルパックと乾きものを手に、会社へ戻った。

「ま、しょうがないか」



 その頃、小田はひたすら歩いていた。ただ、小田と同じように歩く人が多くて思ったように距離を稼ぐことが出来ないでいた。既に会社を出て4時間が経過していた。ようやく平井大橋に差し掛かる頃にはだいぶ人の数も減っては来ていたけれど、それでも多くの人が行進を続けていた。道路は未だに渋滞している。そこに一件の店舗に明かりが付いているのに気が付いた。自転車屋だった。小田は店に駆け込んだ。

「自転車ありますか?」

「あるよ。ウチは自転車屋だからね。けど、残ってるのはこういうのだけだよ」

 店主が指したのは店内にディスプレイされている高級車だった。値札には¥128,000と記されていた。小田は迷った。このまま歩いても30分ほどで帰れるだろう。けれど、1分1秒でも早く家族の顔が見たい。家族もまた、自分の安否を気遣って不安な時間を過ごしているに違いない。

「カードは使えますか?」

 即決だった。

 小田は購入した自転車にまたがると、歩いている人々を交わしながら我が家へ向かってひた走った。そして間もなく自宅があるマンションの建物が目に入って来た。



 榊原と原田は深夜まで酒を飲んで過ごした。会社のあるビルでは水が出なくなっていた。二人はポットのお湯で焼酎を割って飲んだ。ポットが空になると、飲むのを諦めた。夜中にのどが渇いて自動販売機で缶ジュースを買った。空を見上げると何事も無かったかのように星が瞬いている。

「東北の人たちは今、どんな気持ちでこの空を見ているんでしょうね」

「きっと、そんな余裕はないさ。俺たちには少しでも早く安心して暮らせる日が戻ってくれるように願うことしかできない」

「辛いですね」

「ああ、辛いな。そして、何も出来ない自分が情けない」

 二人は空を眺めながらジュースを一口ずつ味わいながらのどの渇きを潤した。



 マンションはエレベーターが止まっていた。小田は階段を8階まで駆け上がり玄関のドアを開けた。

「みんな大丈夫か?」

「お父さん!よかった。連絡が取れなくて心配してたのよ」

 小田は家族一人一人の顔を確認した。妻の良美(よしみ)、長男の(しょう)()、長女の(のぞみ)、みんな無事だった。

「お腹減ってるでしょう?すぐに何か用意するから」

「ありがとう。それより、地震の被害はどうだ?」

「津波でたくさんの人が行方不明になっているみたい」

 小田は会社に居る間も片付けに追われてテレビも見ていなかった。歩いて帰る道中に聞こえた話し声などで大変なことになっていることは解かっていた。けれど、詳細を知るよりもここに戻って来ることを最優先にしていた。

「東京じゃなくてよかったよ」

 何気なく言った長男の言葉に小田は声を荒げた。

「バカ野郎!お前、自分さえ良ければ他の人がどんな目に遭ってもいいというのか?」

「いや、そういうつもりで言ったんじゃあ…」

「そういうことは二度と口にするんじゃい!」

「わ、解かったよ…」



 翌朝、榊原と原田は会社を出て駅へ向かった。駅には家に帰れなくて駅で一夜を過ごしたのだと解かる人たちがたくさん居た。いわゆる帰宅難民というやつだ。会社に泊まれた二人はまだ幸運だった。ただ、遊びに来ていた人達などは泊まるところも無く駅で一夜を過ごすしかなかったのだろう。当然、近辺のホテルはどこも満室だったはずだ。

 電車は動き出したものの、通常の20%程度の間引き運転だった。駅に集まった人々を一度に乗せることが出来ず、何本もの電車をやりすごさなければならなかった。二人はそれぞれ別々のホームへ向かう列に並んだ。

「じゃあ!気をつけてな」

「はい。先輩も」



 休み明けの月曜日。電車の運行状況はまだまだ十分なものではなかった。社員が全員出社したのは昼近かった。出張先から戻って来た社長に小田が提案した。

「被災地へ自転車を送りましょう」

「自転車を?食料品や衣類のようなものの方がいいのではないかね」

「はい。確かにそういうものが一番必要なのだとは思います。けれど、それは誰もが考えることです。現地では道路が無くなっていて、車が使えないので移動するのにも苦労しているんじゃいでしょうか?車が通れないところでも自転車でなら行けるところもあるはずです」

「なるほど…。よし、解かった!自転車を30台送ろう」

 こうして我が社では被災地へ30台の自転車を送ることになった。あの日、歩いて帰った小田ならではのアイディアだった。そして、自転車を積んだトラックを小田自らが運転して被災地へ届けた。

 あれから5年。小田は今でもあの日購入した自転車で通勤している。



 



【補足データ】

内閣府が2011年11月22日に発表したインターネット調査に基づく推計では、東京都で約352万人、神奈川県で約67万人、千葉県で約52万人、埼玉県で約33万人、茨城県で南部を中心に約10万人、首都圏で合計515万人が当日自宅に帰れない帰宅困難者となった。地震発生時の外出者の約28%が当日中に帰宅できなかった。

「災害と情報研究会」「サーベイリサーチセンター」が行った調査(約2,000人対象)では、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県在住者で震災時、首都圏(1都7県)にいた人のうち、当日に自宅に帰れた人は8割で、残りの2割は会社などで一夜を明かした[5]。またNTTドコモの基地局情報を利用した「モバイル空間統計」による東京都区部内の推計人口によると、前週土曜日の同時刻と比べた、震災後の3月12日(土)午前1:00時点の人口分布は、山手線沿線ターミナル駅を中心に大きく増加しており、東京都区部外に居住している数十万人が2東京都区部内に留まっていたと推定されている。

震災当日の3月11日夜に帰宅困難となって、地方公共団体が用意した施設を利用した人は東京都で9万人以上、横浜市で1万8,000人、川崎市で5,500人などと報じられた。

また、ウェザーニューズが行った調査では、関東地方在住で電車や車を利用して通勤している人が、震災後帰宅するのにかかった時間は、平均で普段の7倍に達していた。通常、首都圏の鉄道通勤・通学者の半数は1時間以上かけて移動しており、全体平均で70分程度である。

地震発生後の夕方までに、日本国政府は枝野幸男官房長官の記者会見を通じて「当面鉄道等の復旧が見込めず、交通混乱により二次的被害が発生する恐れがあるため、首都圏で中長距離を帰宅する者は無理に帰宅せず、職場等で待機するよう」呼びかけを行ったが、ほとんど効果はなかった。帰宅困難者は、日常利用している交通機関が停止したため、徒歩帰宅者が発生したり、公道に滞留するか、代替交通手段に殺到したため、地震発生後から翌日にかけて、東京都区部を筆頭に、各地で猛烈な渋滞が発生した。この渋滞により、災害現場に向かう救急車やパトカーなどの緊急車両の通行が妨げられる問題が多発した。

~ウィキペディアより~


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[良い点] あの日 主人は高崎線が止まった為 帰宅する事が出来ませんでした。 ただ都内と違い 駅の配慮で 停止中の電車内で 宿泊出来ました。 おまけに おにぎりとお茶を配布されたそうで 嬉しかったと言…
[一言] 当時、帰宅難民や徒歩で帰宅を余儀なくされた方々のニュースが盛んに行われていたのを思い出しました。 電話もつながらず不安で、やはり家族のことが気がかりで仕方なかった記憶があります。 当時の状…
[一言] 日下部先生、ご苦労様です。 きっとここに出てくる人はすべて日下部先生なのでしょうね。実にリアルです。 あの日、オペラシティ上階にいた息子は2時間近くかけて階段を下りたそうです。自宅に帰る人が…
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