悪くない雨上がり
その男にはもう一つの名前がある。雑誌『東方倶楽部』はいわゆるゴシップ系の雑誌に『街に潜む奇談・怪談』、いわゆる都市伝説を紹介するコーナーで使われているペンネームがそれだ。そのコーナーの担当記者であった新垣純一が『人が見えないものが見える男』の噂を聞きつけ、その男に取材をしたのち、自ら命を絶つという事件が起きた後の話だ。
取材を受けたその田宮一郎は確かに風変りの男だった。自殺の原因がその男にあるかどうかは定かではないが、きっかけであることは関係者の中である程度一致した話ではあったが、自殺ほう助や故意に心理的負荷をかけて新垣を追い込んだ形跡はひとつもなく、事件性は否定された。
しかし小さな編集者にとっては担当記者を失ったことは大きく、結果的に副編集長倉田の意向で田宮一郎に奇談・怪談の記事を依頼することになった。そのときに付けられたペンネームを田宮一郎は疎ましく思っていた。
「こういうものはわかりやすいのが一番だ。名前というものは最初は似つかわしく思えなくてもじきに馴染んでくるものさ」
田宮一郎にとって倉田という男は嫌いではないが苦手なタイプであり、名前は兎に角、その依頼を断ることはできなかった。新垣の死についてなんら責任を感じていたわけではないが、自分がとった軽はずみな行動――新垣という男の取材に応じ、自分の持て余している能力をほんのいたずら心で披露したことがきっかけで彼が自ら命を落とすことになったことは不本意であった。その埋め合わせ、或いは軽はずみなことをした自分への戒めとして彼らの損失――人的損害を補填しようとその話を承諾したのだった。それと同時にこれ以上、アンタッチャブルな世界に人が下手に手を出さないように警告をする意味もあったのかもしれないが、いずれにしても田宮一郎は『降魔一郎(こうまいちろう』という俗な名前には辟易していた。
もちろん降魔一郎と名乗る以外の条件はすべて田宮一郎の意に則すものとなっていた。田宮一郎にとって奇談・怪談を披露することなど大した労力も必要としないし、支払われる金額は決して多くはなかったが彼はそれを必要とはしていなかった。
「金などというものは案外どうとでもなるものだ」
田宮一郎には別の食い扶持があるらしく、またそのために費やす時間はサラリーマンや中小の経営者に比べればほんのわずかであった。その生業は田宮一郎が持っている「人の見えないものが見える」という能力を使ったいかがわしいものではあったが、そのような需要は尽きることがないのだという。
彼のその能力は幼いころから発現していたという。時には見える以上のこと、コミュニケーションをとることもできたが、基本的には見えるというだけで人の見えない何かに対して話しかけたり、触れたり、呼び出したり、追い払ったりすることはできないと本人は言い切る。
「見えるというのは、何も特別なことではない。何かを見て、そこから何を知りうるかは人それぞれ違う。俺から言わせれば、見えていても見えていないのと変わらないでいられるというのは、その人間が平和に暮らす能力に長けていると言えるだろう。俺にはとても真似はできないがね」
人を食ったような物言いをし、決して誰かに媚びることもない。長身で大股で歩く姿はどこか浮世離れした趣がある。陰湿で姑息、狡猾で執拗な印象と対照的に逞しく、勇ましく、活力に満ちた身体をしている。太くて愛想のない眉毛、喜怒哀楽どんな感情も素直には表現しないだろう切れ長の眼、すっと伸びた印象の薄い鼻と大きいが決して必要以上には大きく開かない口、とがったあご先。地を這うような低い声で決して大きな声で笑ったりはしないし、誉め言葉が冷たい。およそ人となりとしては何一つ褒めようのないこの男には、どこか不思議な魅力がある。
「あの男に口説かれて落ちない女性はいないだろう」
倉田はそんなことを漏らしたこともあるが、それについて田宮一郎は何も語らない。そんな一郎が倉田以外に苦手にしているものがある。それは普通、誰もが愛すべき存在だと言うだろ。もちろん世の中にはそれを嫌うものもいる。ただ一郎がそれを嫌う理由はそうした人間とはまた別のものである。
「子供は嫌いだ」
この日も一郎は子供を見つけて漏らす。雨の降る中、たまたま通りかかった路地から一郎は一人の子供と目が合った。そこは普段であれば子供がいて当然の場所である。広くもなく、狭くもなく、少しくたびれた遊具が放置されている場所。この土砂降りの中、小さな子供が一人、傘もささずに公園のベンチに座っている。もし大人が見つけたら放っておけない状況だ。一郎はしばらく子供を観察していた。笑っている。こっちを見てその子供は雨の中、ずぶぬれになりながら笑顔で一郎を見つめている。
「雨か」
一郎は恨めしそうに雨雲を見上げる。やむ気配はない。関東は梅雨入りして一週間ほどたつ。一郎がその子供を見たのは初めてではない。最初に気が付いたのはひと月ほど前のことだった。その子供は同じように雨の中、誰もいない公園で一人ぽつんとベンチに座っていた。男の子である。まだ小学校にあがったかどうか。ただ一人で公園のベンチに座っているというだけで子供らしくなかったが、雨の中でとなれば、人らしいはずもなかった。
一郎にとっては決して非日常のことではない。だから存在を確認しただけで、その時は何もせずに通り過ぎた。この道は日ごろから通る場所ではないが、年に何度かは通る道だった。雨の日にわざわざ出かけることも少なかったが、その時はどうしても済ませたい用事があり、雨の中、大きな黒い傘をさし、いつもよりも小幅な足取りで歩いた。いつも通りに大股で歩くと雨は容赦なく足元を濡らすからだ。
なぜ田宮一郎は大股で歩くのか。それは見なくともいいものをうっかり目に入れないためだった。幼少のころから見えないものが見えてしまう一郎の生活の知恵、或いは癖なのであろうか。逃げるのでもなく、避けるのでもなく、一郎は合理的に早く目的地に着くためにそうしているつもりなのだろうが、つまるところ、見てしまったら考えてしまう自分を認めるのが嫌なのである。
ゆえに雨でもなければ、その子供には気が付かなかったかもしれない。そして一度見てしまった以上、二度目はその存在を気にせざるを得なかった。しかしそれ以来、その少年の姿を見ることはなかった。どこかに行ってしまったのかと思っていた一郎は、それが間違いであり、雨を落とす空を睨んだ。
見えないものが見える条件、或いは現れる条件がある場合、それはその怪異にとって重要な発現理由となる。この少年と雨には縁があり、そうした条件付きで現れる怪異には時に人に害を及ぼすようなパワーを持つことがある。それが幼い子供であればなおさらである。無垢なるもの、またはその姿を模したものは時に、凶器になる。
だからこそ、田宮一郎は用心深く観察し、自分がそのトラップにかからぬよう慎重に距離を取っていた。幸い約束の時間まではまだ余裕がある。少しでも見極めておこうと一郎はその怪異を観察していた。不意に子供の視線が別の場所に移る。別の場所――その方向には公園のもう一つの入り口、正確には公園には3つの入り口があるが、ここから目視できるのは一郎のいる路地側の手前の交差点を公園に沿って通る道の先に入り口がある。そこには一人の老婆が傘を右手で差し、左手にもう一本の傘を持って少年のいるベンチに向かって歩いて行くのが見えた。
「婆さんかよ」
不貞な言いようであるが、これもまた一郎を悩ませる存在であった。子どもと老人。これは最悪な組み合わせだった。一郎は弁が立つ。それは自他ともに認めるところだがそれが通用しないのが子供と年寄りだ。ゆえに一郎は子供も年寄りも苦手だった。一郎は首を横に振りながら大きなため息をつき、意を決して少年のいるベンチに向かおうとしたが、足が思うように動かない。
「これだから子供は嫌いなんだ」
「おじさんは来ちゃだめだよ」
そう少年が口で言ったわけではないし、言ったところでこの距離と雨の中、聞こえるはずもなかった。聞こえたのでなければ何なのか。それは空気を伝わって這うように一郎にまとわりつく瘴気のようなもの、悪い気、邪気である。
「餓鬼が」
一郎にはなす術がないわけではなかったが、下手に刺激するより、相手に思い通りにことが進んでいると思わせるほうが有利になると考え、そのまま様子をみることにした。老婆はまっすぐに少年のいるベンチに向かって歩いていく。彼女なりに急いでいるのがわかる。当然だ。雨の中子供が一人、傘もささず、カッパもなしに公園のベンチに座っていればただ事ではないと思うだろう。ただ、一郎が思っている「ただ事ではない」とはまるで違うものであることにわずかながら苛立ちを感じ、舌打ちをする一郎であった。
老婆がベンチの前にたどり着き、何か声をかけている様子を用心深く見つめる一郎は『いざ、という時』の準備を怠らなかった。
「時間に遅れるわけにはいかないが、放っても置けない。さて、どうしたものか。どうするべきか、どうしてやるべきか」
一郎はぶつぶつとつぶやくより、誰かに聴かせるように声に出して自分の思ったことを口にした。もちろん周りに誰もいないことは確認しているし、このシチュエーションの意味することをしっかりと理解していた。
「俺が見て、餓鬼が見て、そして婆さんが見つけ、子供の姿をした邪気が婆さんを招いた。雨の中、公園のベンチで」
老婆は自分がさしている傘の影響下に子供を入れながら、左手に持ったビニール傘を子供に差し出した。子どもはおそらく「ありがとう」と口にしてその傘を受け取ろうと両手を差し出す。一郎に緊張感が走る。そして大きく息を吸い、大声で叫んだ。
「やめるんだ! このクソガキが! お母さんに言いつけるぞ!」
その子供の手には老婆が渡したビニール傘がしっかりと握られている。傘の持ち手を右手にしっかりと握り、傘をささずに左手で傘を支えその鋭利とは言えないが凶器になりうる先端を老婆の腹に突き刺そうとしていた。老婆は一郎の大声に反応し、後ろを振り向いて一郎を見つけた。その瞬間、子供の姿は消え去り、ビニール傘がベンチに転がりながらも雨にゆるんだ地面を突き刺した。傘の重みだけではそうはならない。
子供の姿が見えなくなった老婆は周りをきょろきょろと見まわす。一郎は大股で雨水をはねながら老婆に歩み寄った。
「あんたには何も見えなかった。なぜならここには何もいなかったからだ。何も詮索はするな。早く帰って茶を飲んですべて忘れるんだな。ちょうど刑事ドラマの再放送が始まる時間だ」
老婆は何か言いたげだったが、それを飲み込み、すごすごと元来た道へ消えていった。一郎には見えた。老婆にまとわりつく黒い影を。それは死期が近いものが身にまとう『終末の色』をした何かである。
それが何であるのか一郎は知りたいとは思っていなかった。それは一郎が幼少のころ、母にまとわりついていた影だった。その影が色濃くなってから、母は外出しがちになり、ときどきこっそりと一人でいる一郎を呼びつけて二人きりで遊んだ。それは一郎にとってよい思い出でもあったが、母が一郎に最初についた嘘でもあり、それが最後の嘘でもあった。
一郎の母は病院で息を引き取り、幼い一郎は家族からそのことを告げられなかった。死んだ母がこっそりと一郎に会いに来ていたのだと一郎は理解した。そのことを父に告げたとき、父は一郎を叱りつけ、二度とその話はするなと言われた。
一郎はそのとき気が付いたのだった。自分には見えて他人には見えないものがある。母だけがそれを「そうかい、一郎は目がいいのね」と褒めてくれた。母にも見えていたのかどうかはわからないが、それがうそだったとしても母に悪気はなかったのだと一郎は信じていた。
以来、成人を迎えるまで一郎は自分が「見える」ということを誰にも言わずにいた。こういうものは大人になれば自然と消えると思っていたからである。しかしその期待は裏切られ、一郎には人の見えないものが未だに見えてしまう。
「まったく、おかげでずぶ濡れだ」
一郎の足元は跳ね上がった泥水で汚れていた。あの少年の姿をした得体の知れないものは、一郎を見はしたものの呼び込みはしなかった。それはわかる。一郎には自分がその影をまとっていないことがわかる。あの老婆にはそれなりの事情があるのだろう。おそらく孤独で、死を向かい入れる心づもりができていたのだろう。だから少年に呼ばれた。少年の姿をした何かに呼ばれた。
いつの間にか雨はやみ、雲の隙間からわずかながら青空が見える。
「悪くない雨上がりだ」
一郎は思う。そう遠くない日にあの老婆は死を迎えるだろう。それが一郎の目の前で起きるのは目覚めが悪い。この雨が止んだのは見知らぬ老婆の命を救った報酬というわけではないだろうが、そう考えるのも悪くないと思うと、口元が少しだけゆるんだ。しかしクリーニング代が余計にかかると思うとそれ以上、笑う気にはなれない一郎であった。
でもだからこそ、一郎は自分を笑った。
「大きな口も、たまには役に立つものだ」
一郎はただひとりごとを言っていたわけではなかった。しっかりと声がでるかどうか。声が縛られているかどうかを確認し、その時に備えていたのだった。
一郎は「払うことはできない」と人には言う。だが、身を守る術は知っている。その影響の範囲にたまたまあの老婆が入っただけのことだとしても、そうした術――大きな声、とりわけ覇気を持つ声は魔を退けることが、同時に誰かの身を救うこともあるのだということが、少しだけうれしく、そして嫌だった。
「まぁ、ネタにもなるし、クリーニング代は必要経費として請求すればいいか」
のちにこの話は『降魔一郎の東方異聞禄』に掲載されることになるが、それはまだ先の話である。そこで一郎は最後にこう締めくくる。
「人の善意が善意で返されるとは限らない。老婆は子供の姿をした何者かに殺されかけた。それを救った私も、決して老婆に感謝されることはないだろう」




