気配(2)
東方倶楽部47号(9月22日発売号)掲載
降魔一郎の東方異聞録
気配(2)
先日、偶然に知り合った女性からこんなエピソードを聞かされました。
そういえば学生の頃に、こんなことがあったわ。私ね、夜更かしをして漫画を書いたりよくしていたの。別に漫画家を目指して特訓していたってわけじゃないのよ。勉強の気晴らしにちょうど良かったのよ。勉強とかで使う脳と、絵を描いたりするのって違うって言うじゃない。そう言うことを知っていたわけじゃなかったんだけれど、リラックスするっていうか、そのまま布団に入るよりも頭がすっきりするのよね。
あの日も、1時くらいまで勉強して気晴らしに漫画を描き始めたの、ちょっと眠かったんだけど、いいアイデアが浮かんじゃって、どうしてもやり切りたかったのね。ふと何かの気配を感じたのよ。でも、そういうのって私、あまり特別なことだって思わないタイプだったから、またかぁ、みたいな感じで無視して漫画を描くのに没頭していたのね。それがいけなかったのかしらね。突然大きな物音――というか叫び声が聞こえたのよ。私、飛び上がって部屋のドアまで転がるようにして向かったの。
何事が起きたのかと思ったらオーディオからラジオが大音量で流れていたのよ。すぐにスイッチを切ろうとしたけど、どうなっていたと思う?
"電源スイッチはオフのままだったのよ"
音は一瞬で止まって、そしたらまた大きな声――お母さんが起きてきて『何時だと思っているの、早く寝なさい!』って怒られちゃった。何が何だかわからないまま、それでも怖くって、私、弟がいるのね。だからこっそり、弟の部屋に入って、布団の中に潜り込んで、それでまた、怒られて、もう本当に散々だったわ。で、その話をお母さんにしたら、その日はおじいちゃんの命日だったのよ。これってやっぱり、おじいちゃんが来て、『早く寝なさい!』って怒ったのかな?
女性からベッドの中でそんな話をされて、私としては何もかもが台無しのような、或いは合点がいったような感覚に襲われました。
私はその女性にこう、話しました。
"なるほどそれは興味深い。しかし今となってはそれを確かめる術はないでしょう。で、あれば、あなたが望むように解釈すること、おじい様がいつでもやさしく見守っているのだと、そう信じてあげた方が、たとえば、あなたにも、あなたのご家族にも、そして亡くなられたおじい様にとってもいいと思いますよ"とね。
読者の皆様には、はたしてこれは何の自慢話だと、御不興を買ってしまったかもしれませんが、どうか聞いてほしいのです。先般申しあげたように、私には見えてしまうのです。彼女を心配そうに見守る老人の姿が。しかし、それが見えるからと言って、はたして彼女が言うように、オーディオをいたずらしたのが、瞳が見えない細い目に日本人にしては高い鼻、耳たぶが極端に小さく、小顔で首の長い老人がやったかどうか、確かめる術はないのです。
"私ね、おじいちゃんって物心ついたときにはもう亡くなっていたから、全然覚えていないのよ。でもずいぶんと可愛がってくれたってお母さんが言っていたわ"
彼女はこのお盆に、久しぶりに実家に帰り、そんな昔話をしたのだという。だから私は彼女の耳元でこう囁いた。
"でも、だとしたら、今もこうして、君のことを見守っているのかもしれない"とね。
彼女は『怖いこと、言わないで』と言いながら、布団の中に潜り込む。きっとその夜も、こんなふうに布団の中で丸くなっていたのだろう。そう思うと私はなんだか、意地悪がしたくなり、一緒に布団の中に潜り込み、その小さな耳たぶを愛撫したくなったのだが、そんなことをしようものなら、スイッチを切ったはずのテレビが大きな音を出すのではないかと思いとどまった。
たまには、こういう艶のある話もしておかないと、この次に話すような怖いエピソードばかりでは、それこそ何かに祟られかねない。