見える Episode2
「『見える、見えない』の前に、居る、いないを語りたがる輩がいます。それはまったくナンセンスだと思うのです。そうは思いませんか? 新垣さん」
質問に質問を返し、それに答えたら、また質問を投げかけてくる。どっちが取材を受けているのかわからない。
「居るから見える。いないから見えない。そう考えることのほうが普通に思えますが?」
質問に答えたふりをする。答えたふりをして、質問を投げかける。
「いいでしょう。あなたの言う普通に思えることが、むしろ特別であると私は答えましょう」
来た! と思った。
「人は生まれながらにフィルター越しに世界を見ている。これはどうです? こんな話、聞いたことありますか?」
どうやら私の最初の質問――いつごろから見えるのかについて、ようやく田宮一郎は答える気になったらしい。
「つまり見えるものが限定されていると?」
「もしも、赤ん坊に、生まれたときから人を見る目があるのなら、親に殺される子は、今の半分に減るでしょう?」
「そ、それは『見える、見えない』の話ではないように思えますが」
「それはどうでしょう? 子供は母親のお腹の中で多くのことを学びます。中には人を見る目を学ぶ子もいてもいいのでは?」
「たとえそうだとしても子供には選択肢はない」
「そう。確かに子供には選択肢はない。だから、私のように見えてしまう者には選択肢はなかったのですよ」
この男は、『子供の頃から見えていました』というだけのことに、『子供に選択肢はない』『人を見る目は能力だ』『何かが見える、見えないも同等の能力または機能であり、それはフィルターのようなものだ』という余計な情報も取ってつけて、私に同意を求める。典型的な詐欺師か、或いは先天的に詐欺師だ。
鈴川から預かったファイルにも、同じようなことが書かれていた。
前任の記者の名前はあえて伏せさえて欲しいと鈴川は言った。最近はコンプライアンスやらなにやらうるさい。個人情報、それも機微な情報は、外部に漏らせないと言った。
だから預かった資料にはところどころ黒塗りで消してあるところがある。コピーする際に付箋や切り紙で隠したそれは、記事そのものの情報を損なうものではなかったが、メモを書いた人間がどんな人間で、どう考えたのかについては、軒並み削除されていたのがかえって薄気味悪かった。
鈴川が「狂っている」と言っていた部分は、およそ、そういう形で伏せられていた。逆にそれが恐ろしかった。
彼は何を思い、何を感じ、そして何を見たのか。
資料の冒頭、田宮一郎とどこでどんな話を聞いたかについて、細かく、要領よくまとめられていた。それはもう、ほとんど、完成された記事の元原稿といってよかった。そのくらいのボリュームも奇怪さも新しさも面白みもある記事であった。しかし、その裏を取る取材にあたり、筆者の情緒がだんだんに不安定になり、やがて意味消失という段階まで行くまでそれほどの時間がかかったわけではないようだ。
鈴川から聞いた話では、取材を始めて最初の1週間はとくに変わった様子はなかったという。
「一週間を過ぎた頃から、なんというか、何かに怯えているような感じだった。落ち着きがなく、時々我ここにあらずという感じで……」
「心労とか、ストレスが溜まってとか、良くある話じゃないか」
「ふーむ。そういえなくもない。だが、あれは少し違っていた」
「違うって、どう?」
「あいつにはその……、何か見えていたようなんだ」
「何かって、おい、それじゃ何か。幽霊でもみたと?」
「わからん」
「それこそ、ミイラ取りがミイラに……」
「断ってくれてかまわんよ」
「いや、俺は大丈夫。そんなヘマはしない」
一種の催眠術、深い暗示はときに人に奇異な行動をとらせる。以前、催眠術について取材をしたことがある。催眠術や気孔というものは、心理学的に説明ができる部分もある。私が体験したのは、椅子に腰掛けた1人の成人男性を四人がそれぞれ指二本、両手を合わせて固く結び人差し指だけを右、左両方立てる。その指を座っている男性の左右の膝と脇の下に入れて『気』をこめて上に持ち上げる。それはいとも簡単に持ち上がる。
『できるはずがない』という気持ちや心が、おのずと限界を決めている。そのリミッターを解除できれば、人は『思った以上』の力を出すことが出来る。
「この手の話は枚挙に暇がない。そんな顔をしていますね。新垣さん」
田宮一郎は、話をするとき、決して視線を逸らさない。私の目を、或いは目の奥を覗きこむように語りかけてくる。
「まぁ、こういう仕事をしていると、いろんな人から、いろんな話を聞きますから」
「見えないと思うから見えない。見えると思えば見える。柳が幽霊に見えるのはそのせいだと、あなたは思いますか?」
「いささか、飛躍していると思います。柳が幽霊に見えたとしても、昼に見ればそれは柳にしか見えない」
「柳の木が幽霊に見えたのは、見たという人間が幽霊は居ると思い込み、柳を幽霊だと見間違えた。筋が通っているようで、この話は、やはりごまかしがあります。あなたの見解と私の見解はいささか違うのですよ。新垣さん」
「違うとは?」
「柳の木が幽霊に見えた人は、幽霊がどんな姿かたちをしていると思って、それを幽霊だと『見間違えた』のでしょうね」
「はぁ?」
「つまり、幽霊など見たことがない人が、なぜ、それを幽霊だと思い込んだのか。ということが重要なんです」
「それは、つまり……、うん。それはつまり、知らないからこそ、見たことがないからこそ、ではないでしょうか?」
「そうです。大事なことは、怖がっていたとか信じていたとかそういう話ではなく、知らない。見たことがないということが大事なんですよ」
「はぁ……」
「それを踏まえて、これから私が話すことを、注意深く聞いてください」
私はここで、気持ちを切り替えた。
さも、田宮一郎の話に、これから語ろうとしている話に、興味ある、関心がある、次を、続きを早く聞きたいという心理的モーションをここまでかけてきたが、ここからは詐欺師や手品師を相手にするつもりで、つまりはどこに種と仕掛けがあるのかを注意深く見極めるつもりで、田宮一郎の話を聞こうと、気持ちを切り替えた。
アイスコーヒーの氷が、少しばかり小さくなっていた。




