消えた電話ボックス(4)
『降魔一郎の東方異聞録』 消えた電話ボックス(4)
そこにいるべき人がいなくなり、今まで何度も通りながら、存在を気づかなかった電話ボックスがそこにある。あなたならどうするだろうか。
気のせいだと片付けて、その場を立ち去るのか、或いは消えたと思しき男性をいそうな場所を急いで探すか。それとも電話ボックスに入るか?
賢明な読者ならお分かりのはずだ。要もないのに、寄り道をするとろくなことにならない。たとえば要もないのに夜の公園をうろついたり、トイレを覗いたり、或いは廃墟に立ち寄ったり、トンネルの中を歩いたり。そういうことをすると、だいたいろくなことにならない。
そう思うのなら、やるべきではない。やらないべきなのです。それでもなお、"好奇心"というやつは、あなたの理性をそそのかし、私の忠告に耳を貸すなと迫ってくるのでしょう。それこそ、もっとも危険なことだと、申し上げておきたい。何かを期待しているあなたは、その何かを見つけてしまうかもしれない。それはあなたが望むようなことであることは、ほぼないと言える。
第1回、第2回において、私はいくつかの数字をご提示した。公衆電話が撤去される数字と家出捜索願の数字がほぼ同じ10万件に近い数字だからといって、そこに因果関係があるなどと期待してはいけない。なぜなら家出捜索願のうち実に98%は発見されているのである。あなたが残り2%の確率に出くわしてしまう確率、いや、この場合、行方不明者は1000人程度なのだから日本の人口で語られなければならないから、ほぼゼロといっていい。
しかしあえて言うのであれば"確率がゼロではない事象を防ぐことはできない"である。
彼は見つけてしまうことになり、それによって彼はこの世から姿を消すこととなる。そして数日後、その電話ボックスも街から姿を消した。いったい彼は何を見つけてしまったのだろうか。超常現象的な何か。たとえば彼は実際に消えたと思しき男がどの番号を押したのかを見てしまったのかもしれない。見えずとも、たとえばその番号のヒントとなるようなメモのようなものを見つけたのかもしれない。
それは冥府につながる電話ボックスで、父親に対する罪悪感から普段は見えない、この世には存在しない異界への入り口を見つけてしまったのだろうか。私の知る限り、そんなものは存在しない。しかし存在しない物が見えないとは限らない。人は見たいものを見てしまう。或いは見たくないと思ったもとを思い描き、結果として見たと思いこんでしまう。
彼はもしそのようなものがあるのなら、自分も試してみたいと思ったのか。或いはテレビやラヂオ、インターネットでこの手の都市伝説、怪談を見たり、聞いたりしたことがあったのか。些細な好奇心から、電話ボックスの中に入り、そしてそこで見てしまったのである。
電話ボックスに気を取られ、その近くに一台の車が止まっていた。そこには二つの人影が見えた。その一つの人影が鋭い視線で彼を睨んでいる。先ほど電話ボックスにいた男である。その男は一言でいえば特徴のない、影が薄い男であったが、それ以上に冷徹な心を持っていた。その男は車から飛び降り、何食わぬ顔で彼のところまでやってきた。
「すいません。忘れ物をしたかもしれません」
彼は電話ボックスの扉を開け、自分は何も気づかなかったというジェスチャーをする。
「あっ、ありました」
男は上着のポケットから何かを取り出した。
「死にたくなかったら、おとなしく車に乗れ」
そこには鋭利な刃物が握られていた。男は彼を車に乗せ、夜の街の中に消えていった。その男たちは見られてはならない何かを、彼に見られたと勘違いしたのだろう。それっきり、彼の姿を見た者はいないという。
さて、読者諸君。では、なぜそんな話を私が知っているかという当然の疑問に行き着くだろう。そして私はいう。かつて電話ボックスがあったその場所に、彼は今でも立っている。そういうモノが、私には見えてしまうのだと。
次週、消えた電話ボックス 結びの章です