消えた電話ボックス(1)
『降魔一郎の東方異聞録』 消えた電話ボックス(1)
私は幼いころのある体験から、人が見ているものと"違うものが見える"ようになったわけですが、まぁ、それはおいおいお話をすることとして、つまりこの『異聞録』とは、人と異なるものを見たり、或いは聞いたり、ときに触れたりしたことについて、お話をしようと思います。
先に申しあげておきますが、当たり前にこれはペンネームであって、それもどちらかというと悪ふざけが過ぎた名ではありますが、どうかこの機会に降魔一郎の名を覚えて頂き、そういえば、こんな奴がこんな面白い話をしていたと、酒の席で場を和ませたり、或いは調子に乗っている誰かを黙らせたりするのに使っていただければ幸いでございます。
さて、第1回目でございますので、まずはこの"違う物が見える"とはどういうことなのか、それを簡単にお話してみましょう。たとえばあなたがもし人とは違う物が見えていたとしましょう。しかし、それがたとえば常識を外れた珍妙なもので、誰もそれに気付かない様子であれば、"ああ、自分は人とは違うものが見えているんだ"と思えるでしょう。しかしそれが、当たり前にそこにあるもので、それが目にとまろうがそうでなかろうが、まるで支障のないような自然物であったり構造物であったり生き物であったりした場合、あなたはどうやって"人とは違う物が見えている"と理解することができるでしょうか?
たとえば、そう。今日あなたが街に出て、15分くらい道を歩いたとします。あなたはふと道端にある公衆電話ボックスに目が留まります。10年前ならたとえばいつもの通り道、どこに公衆電話があるかということを、あなたは覚えていたのではないですか?
ところがどうでしょう。携帯やスマフォを使うようになってあなたの財布からはテレフォンカードはなくなり、公衆電話を使うことなどめったになくなってしまいました。するとあなたは思います。
"こんなところに公衆電話なんかあっただろうか?"と。
この前、ここを通った時には気づかなかったのに、あなたは電話ボックスをたまたま目にし、そして、それが以前からここにあったか、記憶の整合性が取れないでいる。でもだからと言って、あなたはわざわざその電話ボックスについて調べもしないでしょうし、人に話したりもしないでしょう。普段は……。
そしてそれこそが賢明なことなのです。
余計な知識など、持ち出すことも必要ないのですが、念のため申しあげますが、2000年以降、公衆電話の台数と言うのは50万台以上減少しているそうですが、あなたが知っているその昔、都心部では数メートルに1台は公衆電話があったと言っても過言ではない。それがいつのまにか街の風景から消えている。しかし消えていったことにも気づかなかったあなたが、"もしかしたらあるはずのないものを見てしまった"のかもしれない。或いは"それはずっとそこにあったにも関わらず、気づかなかっただけ"なのかもしれない。そのどちらであったかと"迷ってしまう"かもしれない。
"かもしれない"ことについて、人はそれを放置するのか、確かめるのか、その選択を迫られる。それははたして、何があなたにそうさせるのか。何があなたに選択を迫ってくるのか。それは"好奇心"というこの世の生き物の中で人間だけが持っている"業"或いは"性分"なのかもしれない。
次回、この電話ボックスに好奇心を持ってしまった男の末路について、お話をしようと思う。それまで、どうか、自分で確かめてみようなどと、余計な気を起こさないことをお勧めします。