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降魔一郎の東方異聞録~見える  作者: めけめけ
第3章 好奇心
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好奇心 Episode4

 倉田浩介は2歳年上だが、気さくな男で、出会ったころから上下も関係なく、仕事のことや出版業界のこと、身近なトラブルや悩み事、世界情勢や行きつけのパブのお気に入りのホステスのことをいろいろと話をしてきた。私より一回り体が大きく、恰幅がいい。人懐っこい笑顔で周りを和ませる。やや厳しさに欠けるところはあるが、持ち前の責任感と人柄の良さは、理想の上司と言えなくもない。


「わかっているつもりだったが、やはりそうか。止めてもきかんのだから仕方がないか」

 倉田はしぶしぶ宮田一郎と私が会うことを認め、セッティングを約束した。

「小細工はいらない。『噛み痕』に出てくる女性について知っている者から、話がしたいと伝えてくれ」

 それから3日後、私はこうして田宮一郎と会うことになった。


「では、田宮一郎さん。あなたが現在連載している雑誌の記事についてお話を伺いたく――」

 田宮一郎が座っている席に荷物を移動し、私は彼の座るテーブル席の迎え側に腰かけた。

「ええ、知っていますとも。副編集長からお話は伺っています。どうぞ、なんでも聞いてください。聞きたいことも、聞きたくないことも、私はお話しましょう。今日はそのために来たのですから。あなたに、話をするためにね」


 独特の低い声、身長は自分よりだいぶ高い。180センチ以上ある。しかしそれよりも大きく見える。大きいというより存在感が濃いというべきか。色濃く、深く、暗い。光を放つのではなく、光を集め吸収してしまう、大げさに言えばブラックホールのような怪物的存在である。

「それはどうも。では遠慮なく話を聞かせていただきます。ああ、もちろんこれは、特に私が寄稿する雑誌その他に掲載するとかそういうことではありません、あくまで個人的な――」

「"好奇心"ですか、津川さん」

 そうなのだ。私はこの男に会う前から、すでにその術中にはめられていたのである。私にとってこの"好奇心"というキーワードはいつの間にかどす黒い感情を伴うものに変化していた。


「私が思うに――」

 田宮一郎が私に迫ってくる。私はたじろぎながら、田宮一郎を凝視した。


"好奇心は身を滅ぼす"


 その言葉は私にとって魔法のことば、或いは呪文といってもよかった。私は田宮一郎に支配されつつあった。

「不幸な事故が二件ほど続きました。あれは私が望んだことではありません。そしてもちろん望月茜と私に名乗ったあの女のことも、私から望んで関わったわけではないのです。それはお分かりいただけますね」

 しかし、だからと言って二人が自殺に追い込まれ、一人は犯されたのである。それを是とはできない。

「なるほど確かに結果は最悪だったと、あなたは思うのでしょう。それはあなたの正義だ。私にはあなたの正義を守る義務はない」

 いや、だからと言って、人が死んでいいという話にはならない。

「もちろん私はあなたの正義に異議を唱える気も、疑義を申し立てる気もありません。義理がないというだけの話です」

 しかし、それでも守られるべき倫理はあるはずだ。

「そんなものはどこでも通用するものじゃない。そんなことはあなたが一番よく知ってらっしゃるでしょう。なにせあなたは、好奇心旺盛な方だ」

 そう、私は知っている。そのような倫理や論理や哲学が屈するような世界を。

「では、そんな世界にしたのは誰のせいでしょう。簡単です。あなたのせいですよ。あなたの持っている正義感も、罪悪感も倫理観も、論理も哲学も、あなたの好奇心の前には、何も意味をなさない。なぜならあなたは――」

 そう私は欲しているのだ。見えないもの、聞こえないもの、触れられないものへの好奇心。私は知りたいのだ。


「失礼いたします。こちらに津川様、いらっしゃいますか?」

 不意にウエイトレスが声を掛けてきた。

「はい、私ですが」

「津川様宛にお電話が入っております。ご案内いたしますので、電話口までお願いいたします」

 私は呆然としたまま席を立ち、案内されるままに通路を歩き、電話口に出た。

「おい、津川、大丈夫か? まだ正気だろうな」

 倉田の声は酷く心配そうにしていたので、私は大丈夫だと答え、電話を切った。スマフォには倉田からの着信履歴が3件、メールが2件残っていた。


 席に戻ると田宮一郎がじっとこちらを見つめている。申し訳ない。急な用事ができたと謝り、上着と鞄を抱え、伝票をテーブルから持ち出そうとした手を田宮一郎が掴む。

「これは私の分、割り勘で行きましょう。今日のところはノーゲームということで、お望みなら、また次の機会に」

 背筋に寒いものを感じた。この世の中には悪意や憎悪や嫌悪といった負の感情が存在する。それは善意や愛情や好感といったものと対になるバランスのとれた世界の話しだ。しかし、田宮一郎はそのような均整のとれた世界とは別の世界、別の次元の存在であり、アンバランスではなくアンタッチャブルな存在であるのだと私は理解した。


"この男は他人の好奇心を食って生きている"


 私は二度とこの男に近づかないと心に誓った。だが、どうしてもこれだけは聞かずにはいられなかった。

「あの原稿に書かれた話は――」

 田宮一郎が制する。

「すべて事実に基づいたフィクションです。密室で起きた出来事など、本人たちにとっても、そういうことじゃないですかね。ただ一つ言えることは、あなたのアドバイスは適切だったということです。めったなことで本名を明かすべきではない。この世の中にはそういう些細なことで明暗を分けることがあります。もちろん万能ではありません。たとえば私があなたの本名を知るか知らないかは、あまり意味のないことです。名を知る私の問題ではなく、名をさらしたあなた方の問題。つまり名をさらすとはすなわち身をさらすこと。あの女は名をさらさずにいたことで自我を保てた。正確に言えば他人を演じられたということになります。私は彼女に響子と言う役を演じさせ、響子は別人格として彼女の身の上に起きたことを理解し、そして彼女自身にその事実を告げ、役割をはたして消えていった。消えてしまった事実はフィクションと変わりはない。そうは思いませんか?」


 一瞬の沈黙の後、田宮一郎は再び語りだした。

「もっとも、その響子に会いたいというのであれば、そういうこともできなくはない。あなたが望むのであれば、やがて響子はあなたの目の前に姿を現すでしょう。でも、その影を追うことはおすすめしません。影を追えば、闇に近づく」


 私は恐ろしくなってその場を立ち去った。ホテルを出て地下鉄のホームに降りる。ふと前を見る反対側のホームにいる一人の女性に目が留まった。それは時枝亮子にどことなく似ていた。以来、私はその女の影に怯えて生きている。私がギリギリ踏みとどまっていられるのは、あの男の本名をさらけ出さなかったからかもしれない。


 私の本当の名前は川津輝正かわづてるまさだ。この仕事をはじめてからずっと、この幼稚なアナグラムを使っている。もっとも、田宮一郎はもしかしたらそのことに気付いているのかもしれない。だからこそ、私に監視役をつけたのだろう。響子の気配を私は今も感じている。私はついつい後ろを振り返りたくなる。その衝動を抑えていられるうちに、どうか、このことだけは伝えたい。


"好奇心は身を滅ぼす"


おわり



次章に続く

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