見える Episode1
人はもう少し、『見える』ということについて考えるべきだと、田宮は考えているようであった。
「私は、見えるものがすべてだとは、思っていないんですよ。新垣さん」
田宮は、アイスコーヒーにガムシロップとミルクを入れながら言った。夏である。すぐに結露した水滴がテーブルを濡らす。
「『見る』とか『見えない』とか、それから『見られる』とか『見られない』ということについて、人はもっと注意深くなるべきではないでしょうか。見るもの、見えるものに意味はない。いや、そこにあったとしても、それが目に入ったとしても、それに気づかなければ、なかったことと同じだとは、思いませんか?」
「田宮さんが、そのぉ……、見えるようになったのは、いつごろからなんですか?」
田宮一郎の言っていることを無視する形で、あえて私はこちらが聞きたいことを投げかけた。
話のイニシアチブを相手に取られてはいけない。
もちろん、そうでない場合もあるが、この男に対しては絶対に主導権を渡してはいけない。
「いい質問です。しかし、つまらない質問でもある。いい質問が必ずしも面白い質問である必要はないし、いい質問に対してつまらない回答をしても、そこに罪はない。そうでしょう? 新垣さん」
本当にやりにくい男だと思った。
まず、直感的に私は田宮一郎という人間が嫌だった。
40年近く生きてきて……、いや、10年以上この仕事をしてきた私の直感というのは、決して当てずっぽうなものではない。
人は嘘を付く。
これは真理だ。
しかし、まず、事実を隠すための嘘というのは、他愛のないものである。嘘を隠すための嘘も然り。厄介なのは嘘を隠すための事実や、その事実を隠すための嘘である。
田宮一郎は、死んだ者の姿が見えるという。この男は、そういう嘘をつく男だと、私は直感した。
「新垣さんは、フリーのライターの方ということでよろしかったですか? こういう話が専門の方ですか? それともあくまで今回は、たまたまなのでしょうか?」
クライアントは幽霊や超能力、宇宙人や古代遺跡の謎といった、いわゆる超常現象を取り扱っている雑誌の出版社だ。ここのところ思うように仕事が取れていなかった私に、この仕事を回してくれたのは、その編集社の編集長で、かつての同僚でもある鈴川だ。鈴川は昔の好で、ときどき仕事を世話してくれる。
「田宮一郎という面白い男がいてね。まぁ、なんというかいろいろ見えちゃうらしいんだけど、業界ではわりと有名な男でね。何度か取材を申し込んでいるのだが・・・・・・」
「なかなか会ってくれないと?」
「いや、会うのは会うし、話も聞ける」
「じゃあ、どうして?」
「なぁ、新垣、俺たちは読者に、怖くて、面白くて、ぞっとして、わくわくするような話を集めて記事を書く。多少の脚色をすることはあっても、嘘は書かない。そうだろう?」
「あっ、ああ。嘘を書き始めたらきりがない」
「だから、そういう話を聞いたら念のため裏を取る。別に真実は必要ない。たとえ幽霊の正体が柳の木だったとしても、読者が読みたいのは、柳の木がいかに幽霊に見えたかという謎解きじゃない。確かにそう言うこともあるかもしれないという、納得性なんだよ」
「まぁ、柳を見たけりゃ、わざわざ雑誌を買う必要もない」
「ヤツは柳の話をする」
「はぁ?」
「だから、ヤツはまず種明かしをするのさ」
「つまり、幽霊の正体は柳でしたって?」
「ふむ。そこなんだよ」
「そこって、なんだよ」
「それがわからんから困っている」
「ぜんぜん話が見えない。俺をからかっているのか?」
「うちの社員、おかしくなっちゃってね」
「おかしくって、田宮って男に、なにかされたのか?」
「ヤツに取材をして、そのあとネタの裏を取材しているうちに、恐ろしいものを見たって、もうこんな仕事はうんざりだって、やめちまったんだ。一週間ほど前の話さ」
「冗談だろう?」
「冗談じゃ、仕事に穴は開かないよ」
「で、そのやめちまった社員、今、どこで何をしてるの?」
「聞きたい?」
鈴川の表情は、今までに見たことのない『嫌なもの』が含まれていた。
「わかった、わかった。聞かないよ。いや、この仕事が無事終わったら聞かせてもらうよ」
「そのほうがいい。できるだけ必要最低限の情報だけ伝える。途中でやばいと思ったらやめてもらってかまわない。そのときは、ギャラは半分。かかった交通費や取材にかかった費用は領収書を切ってくれてかまわない」
鈴川はA4のクリアファイルから印刷された、田宮一郎の略歴を取り出して読み上げた。
田宮一郎
昭和45年生まれ
函館市内で生まれ、その後父親の仕事が変わるたびに転居を繰り返す。
札幌、青森、仙台、川崎、大宮、東京、横須賀
現在両親は名古屋に在住
田宮一郎は都内の大学進学への進学を機会に東京で一人暮らしをはじめる
卒業後は食品メーカー、家電量販店、アパレル、宝飾品のセールス、ホテルなど職を転々とする。
そのたびに都内や千葉、神奈川などのアパートを借りている。
決して仕事の評判は悪くないが、どの職場も2年から3年でやめている。
「現在の職業は人材派遣会社に登録し、主に量販店で販売員や工場で工員をしている傍ら……、ゴーストバスターズ?」
「霊能者というよりは、まぁ、ゴーストバスターズ。祓い屋だな」
「で、腕はいいのか?」
私は多少皮肉をこめて、それでも半分は本気で聞いてみた。
「ここに途中までの取材メモのコピーがある。あとで読んでみてくれ」
鈴川は読み上げた略歴をクリアファイルにしまい、私に渡した。少し肩透かしを食らった。
「そのぁ、お前がその取材メモを見た感想は?」
「狂っている」
即答であった。