私たちが、 4
準決勝も勝利を収めて、残すは藤野先輩・リーゼとの決勝戦だけになった。しばらくの休憩時間はレイシャと二人きりで過ごした。一応作戦会議のつもりだったけどほとんどぐだぐだの雑談になってしまった。まぁ私たちらしいと言えばらしいかな。
あっという間に時間は過ぎて、決勝戦の集合場所に向かう。途中、小柄な人影が待ち受けていた。傍らには妖精もいる。
「智子」
「……うん」
智子の目は少し赤くなって、腫れていた。……そっか。
「負けた。ごめん」
「申し訳ないっす」
智子はうつむき、キャスは大きく頭を下げた。私は首を振る。
「謝られるようなことなんかないよ」
消沈し切った二人はなにも言わない。
「今日二人が大会出るの知らなかったけど私は勝つつもりだったんだから。問題ないって!」
「……無意味だったってこと?」
「そんなことない。智子とキャスが、オービタルコフィンを引きずり出してくれた。私たちは分析して、対策を立てて試合に臨める。すごく助かる」
「違う、と思う」
智子が確認するようにキャスを見た。赤毛の妖精は、額に手を当て少し考える仕草だ。
「そうっすね……あの雰囲気はその場にいないと知りようがないものっす。優奈の姉御、正直あれは引きずり出したなんてものじゃあないっす。テストか披露か、向こうからすれば、相手なんてどうでもよかったんすよ……!」
肩を震わせるキャスに、私は声をかけられなかった。
智子の指が、キャスの赤毛をくしゃくしゃとかき回す。キャスが甘えたように、智子の指へ頭をすり寄せている。少し驚いた。こういう面を私は知らなかったけど、やっぱり二人はパートナーで、こうやって支え合っているんだ。
失礼したっす、とキャスが咳払いする。智子が目を細めて、話を継いだ。
「勘繰りかもしれないけど、千鶴さんは優奈にオービタルコフィンを見せたかったんだと思う」
「えっと……それは、かかってこい的な?」
「そう」
なるほど。藤野先輩はノリノリだ。盛大なため息をついてしまう。
「藤野先輩らしい?」
私の苦笑交じりの問いに智子はうなずく。
「散々挑発されてきたしね、うん、あの人には智子とキャスを利用したツケも払ってもらうよ」
「優奈の優しいところ、好き」
人形のように整った容姿の智子がにっこりと微笑む。うわ……可愛い……!
「ったぁ!」
こめかみに軽い痛み。あーこの感じ、久しぶりかも。私に蹴りを決めたレイシャが、智子の額にドロップキック……は智子の手で止められる。
レイシャは、捕まえようとする智子の手からするりと逃れた。握り拳を固めたままの智子と至近距離で睨み合う。
「優奈の気持ちは嬉しい。でも、いい。借りは自分たちで返す。それに、こいつに貸しは作りたくない」
「奇遇ね。私も同意見よ」
「嬉しくない。気持ち悪い。賠償を求める」
「奇遇ね! 私もまったく同意見よ!」
「はいはい。時間だからそのへんでね」
火花を散らす二人を引き離す。
智子はふっと肩の力を抜いて、私を見た。
「じゃあ優奈……私が言えたことじゃないけど、勝って」
「智子がいいって言うならいいよ。でも、壁に風穴開けられることは証明する。ここまで全部、藤野先輩の手のひらの上だったとしても、この先は絶対に突破して見せるから」
「優奈。大好き」
智子は目元を拭ってから、レイシャを睨み据えた。
「なによ」
「今回だけは応援する」
さすがのレイシャも鼻白んだようだ。言葉に詰まっている。
「……いいの? これに勝てば私たちはパートナー継続よ。いえ……愚問だったかしら」
「千鶴さんに勝つ気だったし、それはそれ。そのあと、レイシャは然るべき法的な手段で八つ裂きにして焼却処分する」
「望むところよ」
現代文明社会に残虐刑はないんだけどスルーしよう。
「ご武運をお祈りするっす」
キャスは折り目正しく頭を下げてくれる。キャスはいい子だなあ!
「うん。ありがとう。行ってくるね」
二人と別れて廊下を進む。
程なくして凶悪な気配が殴りかかってきた。間違えようもない。決勝戦が行われる部屋の前で佇む、人間と妖精。
綺麗に伸びた背筋に、長く真っ直ぐな髪。お嬢様然とした見た目を裏切る、獰猛な恐竜を内に宿す女王。
美しく髪を縫い上げ、メイド服にはしわ一つない。冷然とした仮面の下に激情を押し隠す、強靭な精神と武技を併せ持つ騎士。
「こんにちは」
「来てくれて嬉しいわ。レイシャも」
「白々しい。あなたの筋書き通りじゃないの」
さっきの報告会で、レイシャから藤野先輩の思惑を聞いていた。さっきまでは、私が噛み付いたから先輩は仕方なくこの場を設けた、と思っていた。けれど先輩は前回、対戦したこと自体を反省したらしい。お互いに焦りがあって半端な結果になってしまった、と。
だから今回は、全力の私たちを、全力で潰す気だ。その解釈に沿えば、「来てくれて嬉しい」の意味やオービタルコフィンを見せた理由も読み取れる。力の差に絶望した私は、晴れてレイシャとパートナー解消。新たなパートナーと共に藤野先輩に挑む……というのが狙いのようだ。
完全に無意味、空回りなんだけど言葉は通じないだろう。
「入りましょうか。時間、ギリギリになっちゃいましたし」
部屋に入る。少し気になって、リーゼに尋ねてみる。
「この前の時はあんまり乗り気じゃなかったみたいけど、今回はどうなの?」
「前回より気力はあるように見えますが、それでも……いえ。どうでもいいことです。私は全力で戦う。それだけです」
「そっか。まぁとりあえずでも、本気の戦いが出来るならよかったんじゃない」
「……そうかもしれませんね」
曖昧な表情で、リーゼは藤野先輩を見た。藤野先輩とレイシャはいわくありげな笑みを交わしている。この前サクラから聞いた、二人は似たもの同士ということを思い出す。それでいいと思う。
レイシャが傍らに戻って来て、藤野先輩・リーゼと向かい合う。目が合った。藤野先輩の上質なコーヒーのような瞳をしっかり見返す。放射される圧倒的なオーラはやっぱり辛い。
でも、いつか智子が言っていたことを思い出す「慣れた……ではなく克服したと言うべきだった。本気で戦うことになったら、そんなこと気にならなくなる。気になってしまうなら負けるだけ」……私は負けられない。藤野先輩を超克する。
「よろしくお願いします。賭けに負けた先輩になにをしてもらうかは、試合が終わってからで」
「くすくす。まだお預けなのね? いいわ、待つのも大事だものね」
ケータイのボタンを押す。ぐぐっと空間が歪み、広がり、世界が変わった。
爽やかな水の気配に満たされていた。ひんやりとした湿気と、清らかで強いせせらぎの音。
「河川フィールドか」
私たちの周囲には、川面が広がっていた。陽の光をたたえた川面は眩しく揺らめき、川底の石の形がわかるほど水は澄んでいる。
その川がどこまでも続いている。このフィールドは、ただただ悠久の大河が流れるだけの平淡な戦場だ。マグマのような大仕掛もないし、地形を利用しての奇襲もやりにくい。双方の実力がそのまま出やすいフィールドだった。
望むところ、なんて思えない。少しでも勝利のために利用するものが欲しい。けどまぁ、ないものねだりしてもしょうがない。私は不敵な顔でレイシャに笑いかける。レイシャは得意の、高慢なキラキラした笑みを浮かべていた。
「よし。勝とうか」
「負ける要素が見当たらないわね」
◆ ◆ ◆
私は前に出る。心は猛っていると同時に凪いでもいた。これまでのRFで感じたことのなかった不思議な心境だ。ただ戦いたい。己の全力を出し切りたい。
「アクセス!」
「アクセス」
ふと、勝利を欲する心が消えているのに気づいた。勝てる、という確信だけがある。振り返らなくてもいい。あのフシアナの目でも見ていてくれるのだから。本当に、負ける要素が見当たらない。
ブザーが鳴った。デフォルトウェポンのロングソードを投げ捨てる。
「オベロン・ティターニア」
虚空より現れたのは銃剣一体の可変武器。右手にオベロン、左手にティターニア、白銀の双剣を掴み取る。
「コシュタバワー」
歪む波紋から抜け出て不気味な咆哮を上げる青白い大馬。リーゼがまたがり、手綱を握る。
「オービタルコフィン」
デュラハンの周囲を、取り巻くように出現する五つの棺。確かに最初から全力のようだ。
オベロンとティターニアには鍔がない。代わりではないけれど、鍔のある部位には小さなレバーがある。私は両の親指を伸ばして、そのレバーを倒した。剣身ががくんと倒れ、刃は二つに分かれてスライド。形作られたのは規格外の大きさのハンドガンだ。
トリガーを引く。雷鳴じみた轟音と共に、弾丸が飛翔していく。
リーゼは棺を前方へと展開していた。棺を盾として突っ込んでくる。盾からわずかに覗く頭部を狙って撃つも首をひねってかわされる。これくらいは読まれているか。
適当に弾丸をばら撒いても、棺の防御はぶれない。自動防御が働くのは、リーゼに当たると予測されたものだけのようだ。近づくものすべてを排除しているのではない。
牽制と分析をしていられたのは、ほんの少しの間だ。相変わらずとんでもない速さでコシュタバワーが迫る。けれど、直線機動しかないから読みやすいし、それを見えるだけの目も培ってきた。飛行魔法のコントロール力もさらに良くなっている。リーゼの強烈な斬撃を引きつけて、ギリギリで回避。したはずだった。
体が大きく揺さぶられる。当たっていない。かすめてもいない。ただの剣風でこの衝撃。これがリーゼの本気。これが超級の剣の世界! 以前は踏み入れられなかった世界を、私はまだ飛んでいる。もっとここで戦っていたい。一層の気迫を込めて追撃に移る。
棺が降ってきた。思わず退り、追撃は叶わない。退った背中はすぐ壁に触れた。こんな空中に壁があるはずない。これは棺だ。
すでに前方には、私を押し潰そうと別の棺が走ってきていた。とっさに避けたくなるのをこらえて、リーゼの状態を確認。すでに回頭して狙いを定めている。なら、その逆の逆だ。退路を見る余裕はないけれど、どうせ塞がれているに決まってる。
リーゼの突撃の軌道上に出る。真横で棺同士が激突する硬い音が鳴った。双銃を双剣へ変え、上昇。折り曲げた足のすぐ下をバスタードソードが薙ぎ払った。すれ違いざまに反転、回転速の乗った斬撃を繰り出す。
リーゼは、重いバスタードソードを引き戻す間を惜しんだ。放たれた裏拳が、私の腕を打ち、力の抜けた斬撃は空振りだ。すかさず棺が降ってくる。
「くっ、厄介な!」
殺到する棺が体をかすめ飛んで行く。痛みは無視していい程度だけど、とにかく邪魔だ。水面近くで構えて、突進の減速を誘いたいけれど上手く動けない。
着水した棺が水柱を上げる。水煙の向こうではコシュタバワーがすでに駈け出している。リーゼの構えは、突きだ。退路を絶っての、最もリーチが長く速度が乗りやすい技。騎士と制御された棺の完璧な連携だ。ふふふ。強すぎる。
コシュタバワーの大きな体格は下側の死角もまた大きくなる。下へ行きたくなるけれどさっきのキャスとの戦いで、リーゼは大馬の弱点を補う動きを見せた。好機と思って罠に飛び込みかねない。右へ動く。
体側を、豪風をまとったバスタードソードが突き抜けた。追撃はまたも棺に邪魔される。何度か同じような攻防を繰り返し、決定打を欠いたまま私の体には細かいダメージが蓄積されていく。
「レイシャ、ジリ貧じゃないのっ!?」
「うるさい! 今から反撃するところよ!」
ぼさっとやられていただけじゃない。攻撃のパターンと速度を体感で覚えていたのだ。左手のティターニアを口にくわえた。飛来した棺と相対速度を近づけ、その縁に左手を引っ掛ける。
棺に引っ張られるまま移動。連携を崩し、棺の包囲網から脱した。今しかない。左手で剣を掴み直し、一気にリーゼへ躍りかかる。
迎え撃つのは、肩越しに振りかぶる、豪快な袈裟懸けの斬撃。重く、速い。受け止めたら沈む。すれすれで回避。豪風の勢いを利用して反転。デュラハンの横を取った。
次に来るのは隙消しの拳だ。これは読めている……けど、さっきより速い! 剣を振る間はない。私は反射だけで拳を合わせた。
拳と拳がぶつかり、短く尖った音が炸裂した。骨と肉にしびれが走る。
間近にあるリーゼの目が瞠られる。その目には驚きが浮かんでいた。リーゼが試合中に感情を表に出すのは極めて珍しい。そのせいでこっちまで少し驚いてしまう。
「前回とは段違いですね。あり得ないと思える程です」
「あなたが優雅に紅茶を飲んでる間にこっちは滝に打たれてたのよ!」
拳を押して剣の間合いになる。三本の剣が疾走、これは空を斬る。さらに位置を入れ替え、拳を交え激突は加速していく。
「どれほど修練を積んだとしても、変化が急に過ぎます。これは前回、力を出し切れていなかったと考えるべきでしょう」
「私はいつでも全力よ!」
「迷妄は技を鈍らせます」
「なら、今日の私は今までとは違うわ。まったく別の存在を相手にしていると考えなさい」
「生まれ変わったようなものですね。いいでしょう……私の前を飛ぶに足ると認めます」
「どこまでも独尊を! そんな物言いも今日までにさせてあげるわ!」
ティターニアの斬撃はバスタードソードで受けられ、オベロンの刺突は手首を打たれて止められる。手数はこちらの方が多いのに攻撃が通らない。それどころか、バスタードソードが体のあちこちをかすめ斬っていく。リーゼは、馬上での密着距離の格闘戦にも習熟していた。
リーゼが手綱を強く引いた。コシュタバワーが不気味に叫び、太い脚を振り上げた。
「ぐぅっ!」
蹄の直撃を受け、私はたまらず吹っ飛ぶ。背中に衝撃。棺だ。すかさず左から別の棺が飛んで来た。弾かれた私は、さらにビリヤードの球のように何度も弾かれ、翻弄される。
大きく打ち上げられた私は、雷となって落ちて来る人馬を見た。食らったら終わる。
優奈の援護は絶対にない。防御のためにアプリは使わないと事前に打ち合わせ済みだからだ。私がチャンスを作れなければ、それまで。優奈は待っている。もう裏切りたくない。
「レイシャ!」
うるさい。そんな切羽詰まった声で叫ばないで。誰のためにやってると思ってるのか……全身打たれて痛まないところなんてないけれど、それでも動け私の体!
双剣を重ねての防御に間に合った。
雷速の突きは、双剣を押し込んで私のアーマーに叩き付けた。
もし、体の中で地震が起きればこんな感じだろうか。体の中のものすべてが揺さぶられ砕けてしまいそうな衝撃。腕の力が抜ければ、防御が崩れれば負ける。嫌だ。私は、まだだ。
私の闘志の目線と、リーゼの冷淡な目線が垂直で絡み合う。
「全力ですよ」
押す力が一際強まり、私は真っ逆さまに墜落。高く水柱を立てて川に沈んだ。
透明度が高く日光が射す水中のはずなのに、視界が暗い。意識を失いかけてる……違う……影だ!
本能的に体をひねる。鼻先をかすめて、棺が落ちていった。棺は川底に激突。砕かれた石が頬を引っ掻く。さらに影が生まれた。続いて落ちてくる棺を、川の流れを利用してなんとか回避する。棺は全部で五基。リーゼの傍に常に一基。水中に二基。あとは?
棺を探すことに気を取られた時、水中にまだあった一基に横殴りにされた。そこへ急降下してきた棺の底部が、私の腹部をまともに捉えた。そのまま川底へ叩き付けられる。
腹の底から込み上げてくる絶叫の衝動を、意志の力でねじ伏せる。無駄に息を吐き出すつもりはない。腹部にさらなる重圧がかかった。棺の上に、もう一つ棺が載っている。二基分の重みと圧力が集中し、こらえていた私の意思がくじかれた。腹の底から空気が搾り出される。
リーゼは強すぎる。すべてにおいて私を上回っている。だからと言って、私が負ける理由にはならない。
……苦しい、けど! 痛い、けど! 負けられない!
双剣を双剣へ変形。体の下の川石に向けて連射。粉砕する。わずかに生まれた隙間から脱出した。
優奈なら、このあたりで奇策の一つや二つ寄越してくれるけど流れの強い川中にいては無理だ。ここはまだ私の戦場なのだ。
襲いかかる棺をかわした時、視界の端にきらめくものがあった。もしかして、あれは……近づいてみるとやっぱり私が最初に捨てたロングソードだった。
笑いたくなる。なんとなく、勝利とはこういうものかと思った。これが勝者の強運だ。
私は水中から、水上に佇む騎士へ銃撃を浴びせる。たやすく棺に防がれたけれど軽い牽制だしこれでいい。右のオベロンを口にくわえ、私はロングソードを拾い上げていた。
腰をひねって渾身の力でロングソードを投擲。回転のかかったロングソードは刃の車輪と化して走る。水上に躍り出たロングソードは、ふわりと上昇しリーゼのはるか頭上を通る軌道に変化した。完全に外れる軌道で、棺の自動防御も反応しない。
左のティターニアの銃口を、すっと定める。私は、己の鍛え上げた武技を疑わない。トリガーを絞った。
弾丸はロングソードの柄に命中。ロングソードはリーゼの頭上でさらに軌道変化し、真上から猛禽のごとく急襲をかけた。棺が反応するが、降下のほうが早い。
肩口を斬り裂かれたリーゼが愕然としている。棺の動きも止まった。私は一気に水上へ出る。
リーゼはコシュタバワーを駆り立て突撃してくる。その目には、抑え切れない憤激の炎が灯っている。騎士に先行して飛来した棺を蹴って加速。いや、リーゼのほうが速い。さっきよりも速くなっている!
「せえええぃ!」
リーゼが裂帛の気合と共に刺突を放つ。アーマーを砕かれ、脇腹と羽を裂かれただけで済んだのは奇跡だ。痛くても止まるな動け私の体。
至近距離からの銃撃でも、きっとリーゼは怯まない。この地の句を引くならば、将を射んと欲すればまず馬を射よ、だ。弾丸がコシュタバワーの青白い体を抉る。絶叫する悍馬から振り落とされまいとリーゼが手綱を引く。
すでに双銃は双剣へと変形させている。二人の女王の獰猛な刃が疾走。右のオベロンでバスタードソードを払いのけ、左のティターニアがリーゼの胴を薙いだ。
絶対の好機を作った! 優奈!
二度目のゲッシュを交わしたあと、
「相性が悪いなんて言ってくれたけど、撤回させてあげる」
優奈がいやらしく笑って、新しいアプリを見せてきた。私には何度ソースを読み返しても破綻しているとしか思えなかった。
私の顔から察したのか、優奈が、ふふんと得意そうに笑う。
「妖精には、総魔力量と行使魔力量があります。魔力は総魔力から行使魔力に吸い上げられる形で消費され、RFで使われる強力な魔法も行使魔力量の限界をやや超える程度です」
「暴発を防ぐためよ。あなたにRFの講義をされるなんて心外だわ」
「レイシャの考案したオーバーロードブレイドは、行使魔力量の枷を外して暴発寸前の力をぶつけるアプリでしょ。でもリーゼには止められた」
苦い敗北の記憶が蘇る。あれが私の限界だった。
「総魔力量を利用するという着眼点は良かった。私はもっと上手く使えるんじゃないかって、これまでのことを振り返ってみたの。そしたらまぁ、失敗ばっかりだったなー、って」
「ええ。酷い目に合ったわよ。暴発を食らったこともあったし、リークするアプリを使わされたたこともあったわ」
「そう! その二つ! 総魔力量を利用して、意図的に暴発とリークを発生させ続けるのかこのアプリ」
「……は……ぁ? 私に自爆し続けろと?」
「リークした分を拡散しないように留める効果もあるの。体の外に膜があるようなイメージね。総魔力量の桁違いの力を、全開で解放しつつ制御する。体の中で膨れ上がった魔力が、爆発的に能力を向上させる」
「……なんてこと」
優奈の突飛な発想が恐ろしかったり、嫌気が差したりもしたけれど、今はまぁ……使える下僕だと思える。
「ただね、デメリットも多い。まず、一度使うと完全に魔力がからっぽになるから、決勝戦まで使えない」
「道理ね」
「それから莫大な魔力を消費し続けるから、効果時間も短い。一分半。これを過ぎたら空も飛べなくなる」
「望むところよ」
「効果時間の短さから、絶対の好機でしか使わない。防御のために使ったら倒し切る前にタイムアップになる。あと、同じ理由で防御アプリも使えない。能力が向上した状態で、攻撃アプリを当てないと勝てない」
「つまりリーゼ相手にアプリの補助なしで、大きな隙を作れと言うのね。やってやるわよ」
優奈が不敵に笑う。無理難題の極致でしかないけれど、優奈が笑うから私も笑える。
「最後に一つ。ぶっちゃけレイシャがどうなるのかわからない。体に相当な負担がかかるのは間違いないけど」
「脂肪を強制的にエネルギーに変換するようなものでしょう?」
「プラスして、遅筋を速筋に変えるようなものかな」
「それはなんと言うか……えげつないわね」
「もしかしたら、体中が死ぬほど痛くなるかもしれない」
「上等よ」
軽く鼻を鳴らす。そんな私を優奈は、ひどく優しく温かい目で見ていた。
「こんな無茶しないと藤野先輩とリーゼに勝てないってのもあるけどさ……これはレイシャのために作ったアプリだから、使って欲しい。世界一がんばってるレイシャの力を、私が全部引き出してあげたい。これを使った後の、動きの速さが、攻撃の鋭さが、レイシャの努力を全部肯定してくれるから……ってまた泣いてるし」
「下僕の無駄によく回る舌が悲しいのよ」
優奈の指が、私の頬を拭う。柔らかい感触が心地良い。
「悪かったわね。こんなの用意したのに、まだ私との相性悪いと思う?」
「あなたの見た目と感触は好きだと言ってるでしょう」
「そうじゃなくて」
にやにや笑う優奈が、なにか言わせたがっている。その手には乗ってやらない。熱くなった顔は、優奈の指に埋めて隠す。
「ふん。調教が功を奏したようね」
「うぅ……? まぁいいのかな……」
首をひねっていた優奈は気を取り直したらしく、アプリの名前なんだけど、と切り出した。盛大に冷や水を浴びた気分だ。優奈の指をはたき落とす。
「聞きたくないわ。どうせろくでもないに決まっているもの」
「いやいやいや! 絶対気に入るから! 大丈夫だって!」
「あーうるさい。せっかくだからアプリは受け取ってあげるわ。でも名前は聞く前に変更する。端末を寄越しなさい」
「無視して発表しまーす。このアプリは……」
驚天動地、アプリの名称はこれ以上ないほど的確だった。
私の前には、無防備なリーゼ。絶対の好機を作った。応えて、優奈。
「プロモーション!」
私のパートナーは、高らかにアプリの起動を宣言した。
チェスでは最弱の駒であるポーンのみ、特定状況下で他の強力な駒に変化出来る。
もちろん、最強の駒、クイーンにも。
私の顔は、さぞ闘志に猛り歪んでいただろう。リーゼは珍しく焦った様子を表に出し、防御の構えを取ろうとした。間に合うはずがない。
白銀の剣で交差斬撃。リーゼが白波を立てながら吹き飛ぶ。追撃に移る私の前には、主人を失った青白い悍馬。こいつにも散々苦汁を舐めさせられたけれど、今の私の敵ではない。
不気味な喚声を上げコシュタバワーが突貫してくる。太い蹄をくぐり抜け、胴へと二連撃を叩きこんだ。怨嗟に身をよじりながらコシュタバワーが光の粒子となって消えていく。
攻撃の終点でオベロンを銃形態へと切り替えた。左のティターニアは剣のままで飛んで来た棺を弾き返す。
襲来する弾丸をバスタードソードとヘヴィーアーマーで強引にで受け止めながら進撃してくる騎士。馬を失い機動戦を仕掛けようとは思わないのだろう。こちらも、機動に浪費する時間はない。オベロンを剣にして迎え撃つ。
「はああああ!」
「せえええぃ!」
三本の剣が激突。絡み合う剣を挟んでリーゼと睨み合う。その瞳には、はっきりと闘争の愉悦が刻まれていた。
白銀の双剣が繰り出す怒涛の連撃。漆黒のバスタードソードが放つ精妙な剣技。譲らない。崩れない。こっちは限界を超えて速度も威力も上がっているのに捉え切れない。リーゼは強い。強すぎる。
ふと気づいた。優奈が懸念していたような、痛みは特にない。今の気分は……最高だ。満たされている。
「くくく……ははは!」
「なにがおかしいのですか?」
「気分がいいのよ」
優奈が引き出してくれた力で空を翔け、優奈と共に創り上げた剣と銃を操る。共に在ると強く実感する。そしてそれでも競り合える強力な相手がいる。これが楽しくなくてなんなのか。
「能力の向上に伴い精神も昂揚しているだけでしょう」
「なら、なおのこと楽しまないといけないわね!」
私とリーゼは同時に走り出していた。併走しながら無数の剣閃が乱舞する。最高に愉快だ。オベロンがティターニアが、バスタードソードが、互いを斬り裂き打ち据え傷を増やしてそれでも速く重く鋭くなっていく。
疾走を同時に止め、反転からの斬撃もまた同時。衝突した剣たちが起こす剣風が、川面に深くクレーターを穿つ。驟雨の中、互いの剣を弾き合う。私もリーゼも、微妙に手元が狂っていた。ここでしょう、優奈。
「クロススラッシュ!」
「ダブルトルネード!」
白銀の十文字が閃いた。漆黒の二重竜巻が吼えた。攻撃に全精力を傾けた私たちは、カウンター攻撃同士で潰し合った。最大級のさらに上のダメージを与えられ、与えた。
意識が遠のく。ブザーは鳴っていない……なら、た、お、れ、ら、れ、な、い!
磁石が引かれ合うように、私とリーゼは幾度目かの激突をする。いつまでもこうしていたいけれど、プロモーションの効果時間はもう長くない。アプリはもう使い切った。勝利のために、別種の刃、心理の剣が必要だ。
「どう、リーゼ? あなたも楽しいでしょう!」
「私は全力を尽くすのみです」
「さっきあなたは、焦り、怒り、叫びまでした。珍しく感情が出てるじゃない。抑え切れないほど昂ぶっているのよ」
「私はRFが好きなのです。これでも、いつも楽しいのですよ」
「全力を尽くしても倒れない私がいてよかったでしょう? たぎるでしょう?」
「鏡島さんと同じようなことを言うのですね。そういう意味では、私はあなたに感謝していますよ……ええ……楽しいっ!」
リーゼの攻撃が荒々しさを増した。隙も大きくなっている。これでもまだ足りない。攻撃が通らない。どうする。これ以上どう揺さぶる。
手がかりを求めて視線を走らせ、ふと見えたものにぎょっとしてしまった。藤野千鶴の微笑みはいつものそれにに近いものでありながら、唇の引きつり方や眼光の鋭さが、ひどく凶悪な印象を与えるものになっていた。
以前の会談の際、藤野千鶴は己の本性を見せた。あの時受けた感覚に似ている。内に秘めた恐竜が、己に課したペルソナを食い破ろうとしていた。
強すぎるゆえに、千鶴はRFへの情熱を失い始めていた。いつも穏やかに微笑み、一歩引いたところからアプリの起動を宣言するだけ。リーゼはそんな千鶴を寂しく思い、またそれでもRFを好きな自分を心苦しくも思っていた。
千鶴を真の意味で戦場に引きずり出すことが、リーゼにとっての福音であり、千鶴にとっての救済であり、互いを思い合うがゆえに縛り合っていた鎖を断ち切る剣となる。そして、それはこの場においてリーゼを止める唯一の手段になる。
散らばっていた要素が繋がり、一つ策が生まれた。また優奈を騙すことになる。けれど、この心理の剣は私一人では精錬し得ない。優奈を信じ、信じられているからこそ、騙す。
豪快な斬り下ろしを、私は受け損ね体勢が大きく崩れた。絶体絶命、のように見せた。
「レイシャ、がんばって!」
「リーゼ、私に勝利を!」
止めの一撃は来なかった。リーゼはバスタードソードを振りかぶったまま、愕然としていた。私は落ち着いて、渾身の剣を叩き込む。力の抜けた騎士は川に沈んでいった。
千鶴は自分の口を押さえていた。自分が叫んだのが信じられないようだ。
件の会談の際、千鶴は優奈にこだわっている……というか、極めて趣味と頭が悪く、最悪に面倒なことに、特別な意味での執心を抱いている、と聞いた。もう一押しで千鶴のペルソナを剥がせる確信と共に、私だけではそれを成し得ないことも理解していた。
リーゼを動かせるのは千鶴だけで、千鶴を動かせるのは優奈だけだ。私は、危機を演出して優奈を叫ばせる必要があった。
くっ、と声を漏らして千鶴が腹を抱えた。
「……くっくく……あはははははは!」
爆笑だった。常に指の先まで優雅な令嬢として己を律していた千鶴が……。私が仕掛けたこととはいえ、あまりの劇的な効果にちょっと引いてしまう。
「ど、どうなってるの? なんでいきなり藤野先輩壊れたの?」
「説明しづらいわね……」
「どうせまたなにか、って待って! まだブザー鳴ってない!」
水柱が高々と噴き上り、砕けた。リーゼだ。こちらの体力はもう限界だが、それはリーゼも同じはずだ。プロモーションの効果時間もほとんど残っていない。止めを刺そうとした私は、それなのに思わず動きを止めてしまっていた。
「あなた、泣いているの?」
川で濡れただけのものではない水滴がリーゼの頬を伝っていく。顔を拭ったリーゼが粛然とこちらを見据えた。
「レイシャ、鏡島さん。心の底より感謝します。誠心と敬意を込め、曇りなき剣でお相手すると誓いましょう」
リーゼのがバスタードソードを構える。その周囲には五つの棺が集まっている。
「とは言え、残念ながら互いに限界のようです。この交錯にて勝敗を決するとしましょう」
「もう限界なの? いいわ。だらしないエリアチャンピオンに引導を渡してあげる」
棺が飛来する。時間がない。弾き返して最短距離を進む!
薙いだオベロンは空を切っていた。すかされた。さっき、プロモーションで向上した力に任せて棺を弾き返した。リーゼはそれを織り込んで、オベロンの間合いの外で棺を急停止させたのだ。
棺が急加速。真正面から打たれ、リーゼとの距離が離れた。届かない。プロモーションの効果が切れ……た。もう空を飛ぶだけの魔力もない。私はクイーンではなくなり、ただのポーンに戻ってしまった。
「レイシャ! ポーンでもチェックメイト出来る!」
優奈の叫びは「諦めるな」という以上の意味を伝えていた。
いつかの記憶がよみがってくる。
あれは確かアイリスとサクラとビデオチャットした後のことだ。優奈とライオットチェスをしたことがあった。その時、優奈が見せた戦術はクイーン二人でキングを追い詰め、ポーンでチェックメイトするものだった。
……まだだ。まだ私は戦える。
「私たち」を信じるパートナーがいるから、勝てる!
私は棺にしがみつき、よじ登った。漆黒の板面の上を駆けて、跳躍。第二、第三と飛来する棺を、蹴って蹴って、高く跳ねる。リーゼの周りにはまだ二基、棺が留まっている。
右のオベロンと左のティターニア。私と優奈で共に創り上げた力。以前、リーゼにこの武器を跳ね飛ばされた時は恐怖を覚えた。けれど、もうオベロンとティターニアがなくても、プロモーションがなくても、優奈と共に在ると信じられる。怒り、叫び、笑い、戯れ、積み重ねた時間が、離れていた時でも想っていた心が、私を進ませる。
手首のひねりを効かせてオベロンとティターニアを投擲。シェイクスピアの戯曲より二大女王の名を冠した双剣は、曲線を描き左右からリーゼを急襲、動きを縫い止める。
双剣に、二基の棺が防衛反応した。これで残るは、私とリーゼだけ。
リーゼが吼えた。
「私が、勝つ!」
直上より降下する私へ、逆しまの雷の如き刺突を放った。真っ直ぐ狙い澄ました剣筋は確かに私の落下地点を捉えていた。
魔力が尽きても、私はピクシーだ。背中の羽で力強く羽ばたき、串刺しの運命をかわす。ポーンでもチェックメイト出来る。優奈と共に。
「私たちが、クイーンだ!」
ドロップキックが炸裂。ブザーが鳴った。
私とリーゼはもつれあって落ちていく。もう意識が保てない。遠くで優奈が叫んでいた。早く来い、阿呆め……。




